本郷琉生は普通の男である!
第10話 最初の夜
黒魔子さまこと一文字真子と暮らすことになったその日の夜。
本郷琉生はすぐに気付いた。
初めて人を好きになったと黒魔子は言っていたが、本当に、文字通りの意味で、今まで人を好きになったことがなかったのだ。
理由はただひとつ。そんな暇が無かったからである。
改造人間という特殊すぎる事情ゆえ、その類い希な能力を日常生活に馴染ませるだけで精一杯で、人を好きになるという当たり前の現象に浸る時間など皆無。
こうして何の因果か、落雷を浴びたように本郷琉生への好意を持つようになると、遠慮、ためらい、恥じらい、ネガティブ思考、そういったものは全部かなぐり捨てて、全身全霊で琉生にぶつかっていく。
つまり、好意を隠さないのである。
「お母さま。今夜から、琉生さんの部屋に伺ってもよろしいですか?」
「ぐはっ!」
飲んでいたお茶を文字通り吐き出す母。
日本の歴史上、お前の息子に夜這いするぞといわれた母は彼女が最初で最後かもしれない。
「えっと、なんていうか」
母は濡れたテーブルを台拭きで元通りにしながら、必死で動揺を抑えようとする。
一方、黒魔子さんは冷静だ。というか、穏やかだ。
「騒ぐつもりはないので、ご心配なく」
「それはそれでいろいろ想像が………」
どぎまぎする母と、全く動じない黒魔子。
その間で冷めた目をする桜帆ちゃん。
そして他人事のように母と許嫁のやり取りを眺める琉生。
不思議なのだが、真子さんを見ていると、この上なく愛おしい気持ちと、まるで悟りを開いたお坊さんのような、涼しげな気持ちになる。
そりゃ自分だって健全な男子だから欲はある。
中学生の頃なんか、そればかり考えてた。
いきなり「夜這いするぞ」と言われたら本来の琉生であれば、一人の健全な男子として「よしきたー!」となるかもしれないけれども……。
黒魔子さまにはそういう感情がわかない。
下品な言い方をすると、なんもしてないのに賢者モードに入ってしまうというか、彼女について考えれば考えるほど穏やかになってしまうのだ。
「母さん。大丈夫。そういうんじゃないから」
「そういうんじゃないならどういう……」
両親は一文字真子について、幼少期に大きな事故にあって、そこから大変なリハビリと葛藤を経て今に至るという程度のことしか聞いていない。
まさか改造人間だなどとは思ってもいないが、一文字真子という子がその悲惨な生い立ちゆえ、いわゆる「普通の子」とだいぶ違っていることはすでに納得し、何があっても受け入れようと考えているようだ。
「うん。お母さん、なんも言わねえ」
腰を痛めて苦しんでいる夫の面倒を見ようかと席を立つ。
「あ、本郷さん」
桜帆が思い立ったように母を呼び止めた。
「あら桜帆ちゃん。お母さんって呼んでちょうだいよ」
母が優しく声をかけると、桜帆は赤くなる。
「お、お母さん、私、いい道具持ってるから」
どうやら自主開発した医療器具があるので使って欲しいらしく、母の手を取って一緒に出て行った。
というわけで、ダイニングルームには若いカップルだけになる。
「私、琉生くんの部屋に行きたい」
早速ストレートに感情をぶつけてくる。
その大胆さに琉生は圧倒されつつ、一緒に階段を上る。
元々、この家は小さな民宿だった。
経営していた夫婦が年老いたので宿を畳むと聞いた父が破格の安さで買取り、そこから蕎麦屋を作った。
なので、桜帆の部屋、黒魔子の部屋を差し引いても、まだ部屋が余っている。
琉生の部屋はいたって普通の男子の部屋だ。
幼少期から使っている机、その上に小さなノートパソコン。
マンガと、趣味の美術館巡りで手に入れた図録がぎっしり入った本棚。
黒魔子が来る前に大急ぎで整理したが、几帳面な性格なので日頃から乱雑になるようなことはない。
黒魔子はシングルベッドに腰掛け、琉生の部屋のひとつひとつを脳に刻みつけようと全方位をゆっくり、かつ真剣に眺めている。
改めておかしな事になったと琉生は思う。
まさか自分の部屋に女の子を連れ込むなんて思いもしなかったし、それがあの一文字真子だなんて、これがクラスにしれたら彼女のファンに殺されるかもしれない。
「ねえ、琉生くん」
「ん、どうしたの?」
「脱いで良い?」
「いやいやそれは……ってちょっと!?」
琉生の返事を待たずして、黒魔子は上着を脱ぎ、果ては白い下着まで外そうとしていたのである。
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