第11話 決意の夜
いきなり純白の肌をあらわにする黒魔子。
「いや、ダメだって!」
ぎゅっと目を閉じつつ、ベッドにあった掛け布団で黒魔子を覆う。
「……また驚かせちゃったね」
淡々と呟く黒魔子には余裕すら漂う。
「でも、あなたに触って欲しいの」
「……おぉ」
まずい、悟りを開いたつもりが、おかしいぞ。
「い、いきなりそういうのはやめよう……」
弱々しく訴えつつも、
「なあ琉生よ」
心の中で誰かが囁く。
「見たっていいじゃないか、にんげんだもの」
自分の中に知らず知らず存在していた「相田みつを」が囁いてくる。
こういう場合、天使と悪魔が出てきて脳内で争うのがお決まりなのに、なぜか自分の場合「みつを」しか出てこない。
そして困ったことに「みつを」は優しいのである。
「触ったっていいじゃないか、いいなづけだもの」
「いっそ揉んだっていいじゃないか、相手が望んでるんだもの」
「や、やめてくれ、みつを……」
必死で抵抗しつつも、手が勝手に伸びる。
さらに黒魔子は琉生の手をつかみ、誘導してくる。
「ここだよ」
その言葉のあと、ついに指が彼女の肌に触れた。
「ああ……」
ついに、ついに。
この先自分はどうなるか、もう責任取れません。
生まれて初めて触れる女性の胸。
柔らかい、というほどでもなく。
温かい、というほどでもなく。
冷たい。
予想していたより、ずっとずっと冷たい。
まるで氷に手を突っ込んでるような……。
その違和感は琉生を現実に引き戻すのに十分だった。
「もしかして具合悪い?」
慌てて目を開け、あさっての方へ向いていた顔も黒魔子の方に戻す。
黒魔子は掛け布団を体に巻き付けていたので、その胸の全てを見ることはなかった。残念というか、良かったというか。
それでも絶妙なラインの肩、惚れ惚れするくらいの艶やかな肌は、ところどころあらわになっており、それを見るだけでも、息ができなくなるくらい魅了される。
琉生の手は黒魔子の胸骨に置かれていた。
ずっと触れていると痛みを感じるくらい、その体温は冷たかった。
「ここだけ機械なの。だから冷たいでしょ」
「……」
機械という残酷な言葉に琉生は沈黙する。
「ここにスマホを近づければ自動で連携して、勝手にアプリがダウンロードされて、私の体温、体重とかわかるし、離れた場所にいても現在位置とかすぐに追っかけることもできる。だから琉生くんが望むなら……」
「よそう」
琉生は迷うことなくいった。
「そういうのは、スマホじゃなくて直接聞けばいい」
ごく当たり前の考えを口にしただけなのに、黒魔子さんは心からホッとしたように表情を和らげた。
その顔を見ると琉生も自ずと笑顔になる。
「話してくれてありがとう。もう服を着て大丈夫だよ」
「……ほんとにいいの?」
黒魔子は訴えるように琉生を見る。
「男の人が求めることは私もわかってるつもりだけど、それに応えるのは難しいから、もし琉生くんが私で満足できないなら、別の」
「はい、そこでやめ」
琉生は黒魔子の口を手で塞いだ。
「もうそんなこと気にしないでいいよ」
自分の中の「みつを」を封じ込めさえすれば、観音菩薩のような心で黒魔子と接することができる。
決めた。
俺は決めたぞ、みつを。
俺は絶対浮気なんかしないぞ。
それはつまり、そうつまり。
セックスができないという黒魔子さんの言葉を考えれば、
一生、童貞ということだ。
そう、俺、魔法使いになるんだ。
それでいいんだ。
それで……。
それで……。
それでいいのか……。
いや、いいんだよ!
まだ10行くらいしか経過してないのにくじけるなよ!
「琉生くん、ありがとう」
黒魔子は琉生の手を取り、自分の頬に当てた。
「あったかい……」
目を閉じ、琉生の手をたんと味わう黒魔子。
「お願い、もっと強く触って」
「ああ、うん」
ギュッと力を入れても黒魔子は満足しないのか、もっと! と、目で訴えてくる。
「じゃ、じゃあ……」
こうなると触るというより、つねるという表現がふさわしいほどに力を込めた。
「うん、これくらいがいい……」
両目を閉じて顔を上気させる黒魔子。
「もっと強くして」
「え、それだと……」
これ以上強くすると、暴力といって良いレベルになってしまうが、
「構わない。痕が付くくらいに、あなたのことを刻み込みたい」
「……」
言われたままにすると、彼女の呼吸が次第に荒くなっていくのがわかる。
「ま、真子さん……?」
強くするだけではなんだから、一瞬力を抜いて、また力を込めてと、緩急を付けてみると、そのリズムに合わせるように、彼女の吐息が段々荒くなってくる。
これはこれで、なんというか、凄くいけないことをしている気がする……。
さっきいなくなったばかりの「みつを」が顔を出し、いろんなことを肯定しては琉生の理性をすっ飛ばそうとしてくる。
これ以上は本当にマズい。
そう思ったとき、
「あがああああ!」
親父の叫びが聞こえてきて、黒魔子も琉生もようやく我に返った。
「なんだそのベルトは! 殺す気か!」
親父の腰を治そうと桜帆が用意した医療器具が、効いているのかどうなのかわからないが、とにかく役目を果たそうとフル稼働しているらしい。
「動かないで! 外しちゃだめです!」
桜帆の叫びと、
「もう観念しなさい!」
という母の叫び。
助けてえええという父の悲鳴は琉生の部屋にも届いてくるので、若い男女は笑うしかない。
「ねえ琉生くん」
黒魔子は笑いながら聞いてくる。
「私が頬に触れてっていったら、いつでもすぐに触ってくれる?」
「ああ、うん」
「約束ね」
ほっぺたくらい、いつでもどこでもいけるだろ。
そう思っての軽い返事だったのだが。
やはり黒魔子は止まらない女だったと思い知るのはまたあとのこと。
とにかく、夜はこうして更けていく。
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