第27話 旅の指針を定める夜の話

 午馬河と南下した先に開ける真朱海の交わる水面に、立春を過ぎて鶯の声を聞いてから立秋を迎え最初の涼風が吹くまでの間、望月の晩の引き潮の時分にのみ白磁色の道が現れると言う。

 月下に切り拓かれる様に、水面がある一点の底から草を分けるように左右に分かれ、そして現れた道を辿った先に現れるのが、露島ろとう所謂いわゆる神の島と呼ばれている島だ。

 露島には古来より天帝の遣いである麒麟と、その身の回りの世話をする仙女らが住まう。

 通常、人間やそれに類する精霊の血をひく者が気安く立ち入る事は出来ないとされている神聖な地で、魔獣は無論近付くことすら許されない。

 島はとても小さく、周回は大人の足で四~五刻程の時間があれば一周で来てしまうほどだと言われている。

 その中心にこの国の生けるもの全ての源となる黄来禽の原木が枝を茂らせている。市井でみるそれよりもはるかに幹も枝も太く、大きい。葉は常に青々と茂り、その所々に薄紅色の小さな毬のような蕾や淡い黄色の実をつける。大きさは熟れた梅の実程で、手に取るとほのかに甘い香りがすると言う。


「前もそうだったけど、本当にザングには恩を感じるよ。おまえがいなかったら、俺らは何も解らないままただただ南を目指すだけだったかもしれないんだからさ」


 夏至を過ぎいよいよ夏本番の様相を見せ始めた景色を眺めながら、テレントが言い、ザング以外の他三人もまたその言葉に同意するように頷く。

 当のザングは、「前は、確かに私の本来の務めを果たすためにあなた方と共に旅をし、手助けをしましたが……今回は何の計略もないのですよ。本当に、ただ偶然テレント達に遇って、気に掛って、そしてまた偶然にグドに遇って……それだけのことですよ」と、テレントの言葉を照れくさそうに微笑みながら言葉を受けている。

 限られた時季の限られた時間にだけ現れる、幻の島での“神事”に漕ぎ着けるまでの道程の概要を一行に教授してくれたのはザングの祖母・ウイであった。

 ザングが今回の帰省に際して、この国に関するあらゆることに詳しいウイ宛てに事前に翼を放っていたこともあり、ザングの実家に滞在していた数日間に彼女の知る露島に関する知識や情報を得る事が出来たのだ。

 そしてその道中の案内をまたザングに一任したことにより、壬午からも五人で旅を続けることとなった。

 ウイが幼い頃、彼女の曽祖母から伝え聞いた話によれば、露島に渡るための道は、真朱海に面した岸のどこからかに拓けるのだと言う。

 ただそれがどこであるのかは不明で、しかも現れるのは限られた夜のほんの僅かな時間で、地図上に具体的にどの辺りだと記されていることもなければ、現地に目印となる何か案内があるわけでもない。

 また、新たに黄来禽を得るためには樹を護る露神からの許しを請わなくてはならないのだが、そのために必要な条件等の仔細は、譬え樹を所有する家の者であっても詳しい者など殆どいない。神木とされる樹を易々と悪人や狡猾な魔獣の手に渡らせないようにするための防護策なのだろう。

 だが用心が過ぎてしまうと、今回のようにいざ必要に迫られて樹を賜りに行こうとなった場合に、具体的にどう対策を立てればよいのかが判らずに大いに困惑することとなる。


「ウイ婆様の話によれば、この先に在る丙午へいごと呼ばれる小さな集落の近辺に、昔例の道が拓けたと記録した文章があったそうですよ」

「へえ……その記録って読むことは……」

「難しいでしょうねえ……。神木に関する事はすべて役所の神事に関する部署が厳重に管理していますから。いくら収賄などでどうにでもなる役人が多いとは言え、天帝の御使いに関わる事を簡単に吐露するとは思えませんから。しかも、ウイ婆様がこの話を知っているのは婆様の婆様がその辺りから嫁いで来られたのを語り継いできたからだと聞いていますからねえ。記録その物が現存しているかも怪しいものですし、話の内容の真偽の確かめようもありませんから」

「そっか……もう一息って感じなんだけどなあ……」

「とりあえず行って、そこで詳しそうなヤツに話を聞きだす、それしかないな」


 メルの言葉に同調するように一同は頷き、それぞれに小さく溜息を吐いた。旅に出始めてから数カ月が過ぎようとしている中、目的地に近づくほどにこの旅の肝要な部分の曖昧さに歯痒さを覚えるからだ。

 神木とされる物を得るための情報に明るい者など、そう多くはなく、そして極々限られた立場の者に違いない。

 そうなると、必然的に一般的な住民達は候補から真っ先に外され、思いつく限り徐々に候補を絞り込んでいくことで次第にこれから目指すべき事項が浮かび上がってくる。

 そういった事を幾度か繰り返していく内に、黄来禽がある場所……つまり、丙午を治める者の家か、丙午中の寺院がそれに当たる、と、グドが気付いた。


「丙午の街自体はそんなに規模の大きくはないらしいからさ、着くまでに訪ねる処を列挙しておいて、街に着いたらすぐに分担して廻るってどうだろう?」

「そうだな……でも、どれぐらい寺院があるのかってのは道中でどこまで判るんだろな? 樹がある処は一か所か二か所だろうけど、その寺院の所在までは……。せめて名称だけでも判ればなあ……」

「まあ、なんにしてもまずは丙午に辿り着くことが先決でしょう。話はそれからです」

「うん……あ、なあ、そういうのが居そうな場所とか、方角とかって判んないの? 前、闇の月の竜の場所当てたみたいに」


 テレントの言葉にフリトは渋い顔をし、「判らなくはないけど……」と、まず返した。含みのありそうな答えにテレントがその理由を更に訊ね、フリトが表情を変えることなく返す。

 フリトは確かに占いを得意とし、月の読み方も他四人に比べればずっと詳しいが、だからと言ってこの旅の要となり得るテレントの望むものをぴたりと導き出せるとは限らない。

 先の旅でも一応、秘宝を持つとされていた黒竜の居場所を占う事で探り当てることはできたが、あの場合はフリトの属する闇の力が辺り一面に溢れていたから、より的確な判断が下せたのだと彼はテレントに返した。フリトの言葉に、テレントの顔が怪訝そうな顔をする。


「単純に、期待されても困るってことだよ。この前は闇の力が強いとこだったから、あんな簡単な色札術でもきっちり当てることはできた。今度のとこは、闇とは逆の場所だからね……当たる確率はかなり低いと思ってもらった方がいい」

「えー……そうなのかぁ……」

「でも、望月と干潮が重なる日ぐらいはちゃんと当てられるからさ」

「逆の場所…ってことは、光ってことか?」

「まあ、そうかな。あと、生。闇は死も司ってる属性だからね」

「でも、どっちも生命を意味する属性ではあるから、占う事の内容がまったく判らないわけじゃないってことなんだろ?」

「そ。判らなくはない、でも、今回は俺とは逆属性の大元みたいな場所に行くことになるから……」

「そ、それって、フリトは、大丈夫なわけ?」

「大丈夫じゃなかったら、この世に闇属性の血をひくやつは生まれてこれねーだろうが、グド。死にゃしないけど、思う通りの力が発揮できなかったりするってこと、だろ?」

「うん……術を使う力が封じられるって感じなんだと思う。実際に体験したこともないし、聞きかじった話だからよくは解らないけど。だからまあ、とにかく出た結果に期待はしないでねってことだよ」


 術を使う事も、自身の中に流れる血に属性がある事などもない、純血種であるテレントやグドからすれば、メルとフリトのやり取りは不可思議なものに他ならない。

 特にグドは身近に精霊の血をひく者が殆どいないため、交わされる言葉の内容があまりに淡々と生死について語っているので驚いたのだ。

 しかし簡単に、それでいて明確に疑問をメルから解消されて、グドはひとまず安堵したように息を吐く。

 精霊の属性にはそれぞれ「裏」と呼ばれるものがある。例えば植物の属性であるメルは風であったり、火に関する属性であれば水に関わるものであったり、と言う事だ。大方の場合が闇から派生するものを「裏」とするのだが、それを属性とするフリトのような闇の属性の精霊の場合は、闇の象徴とも言える「死」とは逆のものである「生」に関わるもの、その象徴的なものとしての「光」の属性が彼らの「裏」にあたるのだ。

 「裏」の属性のものと対峙したり、遭遇したり、またはその力や気配を多く持つような土地へ赴いた場合、生死に関わる事は滅多にはないが、それでも普段よりも術を扱う力は衰え弱まってしまう。それが、フリトの封じられると言う事なのだろう。

 そういった事を、メルが簡単に説いていると、ふと、新たな疑問がグドの中に生じる。炎に関する術と、氷に関する術、相反する属性の術を操る事の出来るザングのことだ。


「単純に、私は両方の血をひいているから、相反する属性の術が使いこなせるのですよ。父が炎、母が氷のそれぞれの属性の精霊の血をひいているので」

「ああ、そうなんだ……そういう、もんなの? そういうことで、相反する属性の術が使えるの?」

「ええ、まあ。血が混じり合う事で新たな属性が生じると言う事もありますからね」

「へえ、そうなんだ……」


 言葉だけで混血、と言い表すその裏に潜む真意に触れたような気が、グドにはしていた。

 血が混じり合う、それによって派生する新たな生命と、術の源となる精霊の属性が、濃く薄く無限にこの世界に広がっていくような光景を脳裏に想像しながら、その一端であるフリトやザング、メルらとの関わりを、改めて彼は稀少なものに感じられた。

 そして同時に、小さな村の中だけでは知り得なかった世の基盤を成す事実の一端に触れられたことによる妙な高揚感も覚えていた。



 それからすぐ、フリトは先程話をしていた占いに取りかかった。辻で店を構えていた時には見せなかった真剣な面持ちで行われる術と彼の様子に、一同はじっと見入る。

 一刻もしない内に術が終わったのか、寝台の上に広げた色札から顔を上げてフリトが大きく息を吐く。僅かに覗く肌に汗が滲んでいるように見えたのは、やはり慣れない術を遣ったせいだからだろうか。表情も若干いつもより疲れているようだ。

 あくまでこれは不得手である光の属性に絡む項目を占っているから、占いの信憑性は普段より格段に落ちる、と、フリトは再度念を押すように前置きをしつつ、眼の前に並んだ色札から結果をこう読み説く。

 並ぶ色札は旅人を示す札が方位を示す専用の紙の上で南西の方角に置かれ、それを取り囲むように銀色の髪に白銀色の装束を纏った賢者らしき人物の描かれた札、綺羅星のような光の射す光景を描かれた未来を示す札、そして、喪失を示す札が並べられた。どれも上下を違わぬ正方向であった。


「ここより南西の水上……つまり、テレントが伝え聞いている話の通り、河口の辺りに、島はある。そしてそこで樹を得るためには誰かが何かを失うかもしれない……ってことかな」

「未来……失う……命と引き換えになる可能性があるってことか?」

「うーん……でも、死を示す札は出てないからなあ……何かが引き換えになる事はあるだろうけど」

「この、銀の賢者って?」

「銀の賢者ってのはね…ほら、銀は毒が混じると色を変えるでしょ? そこから、物事の真偽を見極められる者のことを指してて……そうだなー、多分、これが鍵を握ってるんじゃないかな、この旅において」

「鍵を握る、銀の賢者…じゃあこの、銀の賢者が、どうやったら樹を得られるか知っていることもありうるということですか?」

「まあ、そうかもね……多分の話だからね、あくまでも。それに、未来の札は“拓ける“って意味もある。樹を得ることで何かが変わるって暗示かもしれない」

「失うことで得る、ってことは?」

「あるよ。そういう意味を持つ札でもあるから」


 失うことで得るもの、拓けるもの。それが新たな黄来禽の樹を得ることを指しているのかまでは探る事は出来なかったが、とりあえずの行方と訪ねるべき者の存在を知り得ただけでも充分な収穫とも言える。

黄ばんだ古紙に描かれた円形の占術の図形上に並ぶ色札が示す近い未来を見つめながら、五人はそれぞれの胸中に想いを巡らせた。それぞれの失い難いものと、それを失うことで拓けるかもしれない自身の未来に。

 今回の旅の真の目的を目前に控えた静かでやわらかな夜が、彼らの上でゆっくりと深まっていく。やわらかな色の闇には、ゆっくりとその時を待ち望む様に満ちていく月が輝いていた。



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