第23話 あの夜のお互いの話を月明かりの下で

 薄若草色の月明かりの下、五人が今宵の寝屋とした宿屋の裏手にある馬小屋にグドの姿があった。手には夕餉を摂った後宿屋の馬番に分けてもらった飼葉をひと抱え程かかえている。

 彼らを今回の道中ずっと運んでくれている馬は二頭、どちらも濃い茶色の若い雄だ。

 一見どこにでもいそうなありふれた馬のように見えるが、よくよく見ればその毛並みは艶やかで、その下には無駄のない筋肉が太く頑丈な骨を包んでいる。見る者が見ればとても大切に育てられてきたいい馬だと云うことが判ってしまうだろう。

 テレントの屋敷の中では一番安いものであったかもしれないが、世間一般でもそれが宛てはまるとは限らない。屋敷から外に出てしまえば、今までと異なる環境に体調を崩しかねないこともあり得る。そして隙あらば盗まれることも皆無とは言えない。

 馬の世話に詳しいグドはそれを危惧して、毎晩他の者が寝静まった頃になると見周りも兼ねて馬の様子を見に来ているのだ。

 旅を出てからずっとそうしてきたのと、元々馬の世話に長けている彼だからだろう、二頭は彼の気配を感じただけで俯けていた顔をあげ、そわそわと身じろぎする。


「ああ、ごめん、遅くなって。お腹空いた? よしよーし……」


 陽だまりの匂いが微かに残る飼葉をそっと餌箱に詰めてやると、二頭は遅い夕餉を夢中で屠り始める。

 グドはその鼻づらの辺りをそっと撫でてやり、そしてすぐに水を汲みに踵を返す。月明かりの下で忙しなく動く彼の顔はどことなく嬉しそうだ。

 再び二頭それぞれの顔を撫でてやっていると、ふと、背後から人の気配を感じた。グドは振り向きざまに護身用にと腰から下げている短刀の柄に手を掛ける。

 しかしそれが、単なる過剰なものであることにすぐに気付かされる。


「……なんだ、メルかぁ」


 驚かせるなと言わんばかりに大袈裟に溜息を吐くグドに、物陰から現れた緑眼がおかしそうに細める。

 くすくすと笑ってさえいる彼に、グドはバツが悪そうに苦笑し、「なんかあったの?」と、返す。メルはそれに緩く首を横に振る。


「いや、おまえが出てくの見えたから、ついてきた。……っていうのは冗談で、幾つか訊きたいことがあってな」

「訊きたいこと? 俺に?」

「こいつらに訊いてどうすんだよ」


 メルがあごで指すように笑うと、グドもまた苦笑する。そして一瞬、二人は互いを見合わせて口をつぐむ。

 馬の繋がれた柱の許に寄りかかるように並んで腰をおろし、二人は空を見上げる。夏の近づく湿気を帯びた夜気が二人の頬を撫でていく。

 懐から取り出した葉煙草を咥えて呑みながら、メルの方から口を開いた。


「おまえ……フリトとなんかあったのか?」

「え? なんかって……まぁ、そりゃあ、あんな事があってからろくに顔も合わさないでいきなり逢いに来たから……」

「んまぁ、そうなんだけどさ。その、おまえらが久々に逢った時だよ。言い合いしてたっつー話じゃんか」

「ああ、まぁ、したけど……」

「そんで、もうひとつ。おまえ、あの日宿に戻んなかったんだって?」


 メルの言葉に、グドの肩がぴくりと反応するように固まり、何を言いたい? と言いたげなグドの視線を、メルはあえて取り合うことなく言葉を続ける。


「ザングが呆れてたぞ、再会の雰囲気のままに無断で外泊をするとは、ってな。」


 何か裏を含むように差し向けられるメルの言葉にグドがさっと顔を赤く染め、やがて緩く苦く笑う。

 「一応戻ったんだけどなぁ……明け方に、だけど」そう言い訳のように返すグドの顔を見ながら、メルは呆れたように溜息をついて同じく緩く苦く笑う。

 彼もまた、ふたりが何をしていたのかを薄らと察しており、いまのやり取りでそれが確証されただけの話だ。


「んで、おまえ、あいつ連れて帰るつもりか?」

「そのために来たんだもん……できることなら、ね」

「あいつがそう易々と応じると思うか?」

「……さあ、ね。少なくとも、いまはそうじゃないと思うよ。あいつが、フリトが、俺がモノにしたから、じゃあ応じますよって言うようなヤツじゃないことも、そもそも、俺が来たところで心境が変わるなんてことも思わない。変わんなきゃなのは、俺や俺のさと……いや、世の中の方、とも言えるんだからさ。そもそもはあいつひとりのせいじゃないんだから」

「世の中、か……随分と大きく出たな」

「そこまで本気で変えようとは思ってないけどさ、勢いはあった方がいいでしょ?」

「ま、そうかもな。あいつをこの先も生かしておくにはそういうのも不可欠だろうよ」

「そういうのの、せめてきっかけみたいなのが見つけられたらなとも思ってるんだ」

「この旅でか?」

「うん、見聞広めるってのはそういうことにも繋がってる気がするし」

「そうだな……なにせ、向かう先は天帝の御使いがいらっしゃる島だ。何かお導きを下さるかもしれねぇし……」


 言葉の途中でメルが立ち上がり、それにグドも続く。夜が更けてくると、雨期の終わりとは言え薄着や寝間用の簡単な服装でしかない肌に風が冷たくなってきたからだ。

 それに、明日もまた早々に出立をしなければならない。路はほぼ半ばを少し過ぎた処だとザングが今日言っていた。もう数日をすれば彼の故郷の集落に着くだろう、とも。

 草色の僅かな花をつけて揺れる稲の波を臨む景色とその先に見える山を越えた先に在る、壬午じんごと言う街がそれだと云う。

 休む部屋を目指し薄暗い建物の裏手を行きながら、ふと、グドがメルに訊ねるように口を開く。


「あのさ、俺と、ザングがテレント達のとこ行った時さ、大事なお客さんがテレントに来てるって言ってたよね? それがどんな人だったかっての、聞いても、いい?」

「――許婚いいなづけ、だよ。」

「えっ…い、許婚ぇ?! テレントにぃ?!」


 極当たり前のことを返しただけなのに素っ頓狂な声をあげるグドの顔を、メルは振り返って苦笑しながら眺める。そして、いかにあの旅の道中で仲間に植え付けた印象が奔放であったかを思うのだ。

 屋敷での彼を知らない者であれば当然の反応であろうと頭で判ってはいつつも、実際に目にしてしまうと、その反応こそがおかしく妙に思える。


「別にそういう方がいたっておかしかないだろ? あいつは後嗣なんだからよ。おまえにもそういう相手がいんじゃねぇのか?」

「俺にはそういう相手がどうこうの前にウチは貧乏だし、そもそも俺はフリトが……。……へぇ、許婚、ねぇ。火事のお見舞いにでも来てたの?」

「……と、婚儀の契りの解消、だ」

「えっ……解消?」

「ああ。おまえも、黄来禽の樹を持つ家の者なら判るだろ? この旅に出ざるを得なくなった家の抱える危機が」

「……うん、なんとなく、だけど」

「それに、旅に出た処で生きて帰れる保証なんてない。前の旅よか道とかはマシかもしれないけどな」


 闇の森・狗宵いぬよいを行くよりも道は明るく拓けて整えられてはいるが、目的とする旅の仔細が不明であることには先の旅と変わりはない。

 道中、常に闇の魔獣などに襲われないかと言う緊張を強いられ続けることは少ないが、辿り着いた先で何が行われのかが一切不明ではある。神木であるそれを手に入れることが容易くないであろうことは想像に難くはないからだ。

 加えて、この先の森では鬼申きしんという非常に狡猾な魔物が多く出没するのだと云う。

 それは背格好や身体能力こそ人間とそう変わらないが、その分非常に知恵がある魔の生き物だ。人と似通った姿から道に迷った人々を更に惑わせ、ものによっては人語紛いなものを操りながら弄ぶように取り巻き、やがて隙をついて襲いかかるのだと言う。

 しかも、それは空腹を満たすためでなく、快楽的に。人を騙し、惑う姿を喜びながらじわじわと殺めていくことを好む大変悪質な魔物なのだ。

 そんなものが神の島を護るように取り巻いている。いくら道中が安寧であるとは言え、命の保証がない旅であることに変わりはない。だから、ふたりの婚儀の契りは解消されたのだ。


「まあ元を言えば樹を宛てにしたような婚儀でもあったんだ……なくなりゃ嫁がせる意味なんてないからな。それに、あの方にはうち以外にも話があるそうだしな。勿体ないだろ?」

「……そ、っか」


 世知辛いという言葉だけで形容しきれない内情に、グドはただ相槌を打つ他なかった。下手な慰めの言葉など無意味で白々しく、神経を逆撫でることぐらいとうに知っている。

 メルもまた彼に答えることを厭うつもりもなく、問われるがまま口を開いただけだ。

 過ぎてしまったこと、行きついた結末、そのすべてに抗うことこそ無駄だからだ。

 いまはただ、課せられている務めを果たさんとしている己の主を支えることに神経を注ぐだけであった。

 流れ漂う夜気の中で語らう言葉が、ぽつりぽつりとそこへ溶けていく。


「明日、ひと雨来るかもな。空気が生ぬるい」

「うん……においもするしね」


 やがて見え始めた彼らの休む部屋のある建物の明かりが見えてきた。奥の食堂と飲み屋を兼ねた処からはまだ賑やかな声が漏れ聞こえる。

 ぼんやりと遠く聞こえるざわめきを、月明かりのように眺めながら、二人は部屋へと入って行った。



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