第22話 そして旅が始まる
「なーんでおまえまで来んだよ、グド」
翌朝早く、古く小さな馬車がひっそりと屋敷を発った。乗り合わせているのは黄来禽を給わりに露島へ向かうテレントとメル、それから二人にこの旅に連れ立つことを請われたフリトの他に、昨夜屋敷を訪れたザングとグドもいた。
ザングは元々真朱を臨む
今回の道中は殆ど整備された街道を行くとは言え、丙辰より南のことは殆ど知らないテレント達にとってそれはありがたい申し出であった。
しかし、黄来禽を給わるでもなく、南方に親類縁者がいるでもないグドがこの旅に同行する理由は判らない。目的であったフリトとの対面は果たせたのだからこの旅にまでついてくることはないだろう、と、テレントとメルの両者から言われたにも関わらず。
だが当のグドは一向にそれを気に掛ける風もなく、「えー、いいじゃん。だって滅多に渡れない神の島に行くんでしょ? 見聞広めるにはもってこいじゃん」と、ゆるりと微笑んで答えるのだ。
「あのなぁ、遊山に行くわけじゃないんだからな? そもそも島に行く方法も良く判んないんだしさ……」
「それはわかってるってば。じゃあフリトは? それ言ったらあいつだってそうじゃん」
「フリトのように有能な闇の術の使い手を旅の同伴者にすることが旅の成功を握る、それはあなたがよくご存じでしょう、グド」
「つかさぁ、そもそもおまえがついてくること、あいつ、ちゃんと了承してんの?」
「あいつって?」
「フリトだよ、フリト。おまえら夜通し喧嘩してたって聞いたけど、大丈夫なんのかよ」
今朝方、夜半にフリトの部屋から言い争う声が聞こえていたと従者の一人からテレントは聞いていたからだ。
かつてフリトと酷い言い争いをし、その末に大惨事を招いた苦い経験を持つテレントとしては、いざこざの種を燻らせたままの道中は是が非でも避けたかったのもある。
今回の旅は先の旅のような気楽さなど彼には微塵もなかった。圧し掛かる重責に少なからず神経を尖らせている。
それでなくとも、出立の前に自身にも消化不良なままのいざこざを抱えていて、その相手は、屋敷を発ってからずっと手綱を操り続けている。
この旅に従者を特に伴わなくてよいと父親に自ら断ったこともあって、メルは少なくとも甲辰の街を出てしまうまでは他の従者同様の扱いとなる。あくまで二人は世間的には主従関係にあるからだ。
しかし今のテレントにしてみれば、二人の関係を知るグド達の前でのメルの頑なとも言える主従関係を成り立たせようとする態度が、ただ単に体裁上の問題ではないように思えてならない。
特に問うたわけではないのだが、あの夜の口論から殆ど言葉を交わした憶えがなかったことが大きいのではと思われる。
これまでにも大なり小なりのいさかいが二人にはあり、それ故に言葉を交わさずに過ごすこともあるにはあった。
けれども今回のそれは、未だかつてのものとは多少様子が違うようで、どこがどう異なるのかまでは判らなかったが、違和感を覚えることは確かだ。
そんなメルとテレントの微妙に以前と異なる様子に気づく気配すらないグドは、「だーいじょうぶだって。ね、フリト?」と、人懐っこい笑みで自分の少し前に座るフリトを見る。
言葉を投げられたフリトは、それにただ曖昧に笑っただけだった。
その様子に更にテレントが何かを言おうと口を開きかけた時、「まあ、いいじゃないですか。道中が前のように危険なわけではないんですから、楽しい方がいいでしょう」と、傍で見ていたザングから横槍が入って流れを変えられる。
「だから、遊山じゃないって言ってんだろ! 判ってないなぁ、おまえらぁ!」
ガラガラと響く車輪の音と音の狭間からテレントが上げた怒鳴り声をあげると、メルがちらりと声の方向に視線を流すも振り返ることはしなかった。いつもならここで苦笑をするか、中を覗きこんで更に茶々を入れるような言葉を掛けているだろうが、今はそんな気分ではないのか前を向いて手綱を握ったままだ。
(……なんだよ、メルのやつ。まだ怒ってんのか? 頑固だよなぁ……)
この先に待ち受ける出来事がどれだけのものかは判らない。かつてのように強大な魔獣らと争うことは考え難かったが、それに匹敵するほどの辛酸が自分たちに襲いかかるであろうことは想像に難くはない。
雨期の合間に覗いた晴れ渡る空は濃く青く、見上げたその青さに眼が眩む想いがした。まるで何も知らなかった無垢なかつての自分たちの姿が重なったからだ。
「…ったく、何もわかってないのはどっちだっつーんだよ…」
吐き捨てるように呟いたメルの言葉が車輪の音に掻き消されていき、テレントは気付いてもいなかった。
こうして、新たなる五人の旅が幕を開けた。
*****
午馬河沿いでは稲作が盛んなようで、拓かれた広大な平地は見渡す限り殆どが水田であった。
この辺りは温暖な気候と豊富な水源に恵まれているため、ここより更に南へ行くと年に二回米が獲れる土地もあると、道中通りゆく村や町の景色を珍しそうに眺めるグド達にザングがそう話をする。
午馬流れを臨みながら、進む馬車の御者の席に座るフリトの目前を
ちょうど一年前の今頃、彼はグドの村に辿り着いた。
前もって飛ばしていた報せのおかげで、グドは勿論、フリトも熱烈な歓迎を受けた。青く澄んだ空の下、彼の隣に居る若者に全てを託した人々の、熱い眼差しに貫かれるように見つめられながら迎え入れられた日の事を思い返す。
まさかまた一年後、その彼と旅に出ることになっていようとは……自分が村を出ていかざるを得ないことになっているかもしれないとは薄々感じていたものの、そこにグドがついてくるとは思いもしなかった。
――いや、思いもしなかった、と、思い込もうとしているのではないか?
本当は心の奥底で彼が自分を追ってくることを心待ちにしていて……視界の端で対になって飛び交う翡翠鳥たちを眺めながらフリトは考える。
あの晩、グドに抱きすくめられた瞬間にそれは確証へと変わってしまった。
ひた隠しにしていた感情が姿かたちを得てしまったことに、フリトは未だに戸惑いを覚えている。願ってはいけない、望んでもいけない……呪いのように自身に言い聞かせる言葉は、あの晩のぬくもりをもってしても重く、その重量は時を経るごとに増しているように思えた。
「フリト、そろそろ交替しよう。疲れたでしょ?」
ふいに掛けられた声と、その主の気配にフリトの肩が強張る。驚いたのが半分、耽っていたもの想いを見透かされたような気まずさからが半分とで。
声を掛けてきた側はそんな様子を一向に解すどころか気付くこともなく、当たり前のように彼の隣に腰を下ろす。
あの夜以降、極力接触を避けてきたフリトとしては、心構えなしに近づかれたことに大いに動揺していて、手綱を握る手に微かに汗が滲む。
「……べつに」
「そう言わないでさ、替わってよ。もう中で座ってるの飽きちゃったんだよねー」
「……じゃあ、降りればいいじゃん」
「なんでそうなんだよ。降りたら、俺フリトと一緒に行けなくなるじゃん」
「それでいいんじゃないの?」
「ひっどいなー!」そう言いながらも苦笑するグドの顔を、フリトは手綱に気を取られているふりをして、出来る限り彼の存在を無視しようとしていた。
グドは、触れてこそこないものの、何かの弾みにそうしてきそうな気やすさをフリトに向けてくる。交わし合う言葉は何も変わりないのだが、そこに含まれる感情が明らかにあの夜以降変わっていることを強く感じるからだ。
そしてその度に、フリトは自身の中で唱える自らを戒める言葉の目方を増していくのだ。そうすればするほど、露わになった感情の姿は輪郭を明確にしていくのに。
黄昏に向かう陽射しが広がる圃場の水面をゆったりと染めていく。永くなった日を頼りに今日もまた宿を探さなくてはならないだろう。
旅の目的が目的なだけに大仰で目立つようなことは避けなくてはならない。黄来禽の樹を巡る旅だと知られれば、樹を得てなんらかの利益を得ようと考える不届き者に付き纏われることも考えられなくはないからだ。
余計な面倒を避けるため、程ほどに金のかかる宿を選び、馬車ごと一行を最低限丁重に扱ってもらう必要がある。
しかし今回の旅はそれも容易い。理由は、この旅の後ろ盾によるものが大きかった。
テレントの父親から今回の旅路において何の不自由のないようにと、彼らの身元を保証する証文を与えられている上に、旅にかかる資金のすべては賄われるため、宿もそれなりに条件の揃ったところを選ぶことができるのだ。
先の旅のような不愉快な思いをしなくてもいい旅路は、フリトにとってテレントの屋敷の中で過ごしてきた日々と同じように妙な気詰まりさを感じる。相手から対等に、丁重に扱われると云うことにどうにも不慣れなのだ、身も心も。
彼が差し出される手を何の疑いもなくとることができるようになるには、まだまだ道のりは遠く険しいのだろう。
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