第20話 願っていたはずの再会と突き付けられる現実

 混乱と苛立ちが入り混じる怒りにも似た眼差しが自分を射抜くように睨みつけるのを、グドはメルの肩越しに感じた。それを受けて疼く胸の痛みも。

 許されないだろうとは覚悟していた。あらゆる罵りの言葉を投げつけられても仕方がないとも思っていた。殴られることも、それなりに。自分が彼にしてしまったことはそう言ったことで片付けられるほどに容易くないと言う事は重々に承知しているつもりであったからだ。

 それでもやはり、実際に目の前で当人に睨みつけられ拒絶の言葉をぶつけられるのは相当に堪えるものがあった。

 どうにかメルが機転を利かせて差し出した言葉にフリトが渋々に頷き、グドはとりあえず門前払いを食わずには済んだ。

 しかしそれはただ部屋に立ち入ることを許されただけに過ぎず、彼が目的としていることに物事が進んだわけではない。

 ひとまずグドは中に通され、フリトのすぐ傍の椅子に腰かけてみたものの、当のフリトはこちらを向こうともしない。先程まで睨みつけるようにこちらを見ていたのに、視線を向けるとすっとその視線を外す。

 完全に自分は拒絶されている……火を見るより明らかなフリトからの無言の主張に、グドは更に胸を痛める。胸が痛むたび、彼は自分がフリトに対して犯してしまった裏切りと罪深さを悔いる。

 再び会える保証すらなかったのだから、こうして面と向かって逢えただけでも奇跡と言えよう。

 そこへ更に傷つけてしまった事などの許しを請うなどということが果たして叶うのか……言い知れぬ不安が闇のようにグドの胸中に広がる。まるでかつて彼らの前に立ちふさがった強大な闇の魔獣の影のように。

 痛む胸に俯きかけていた顔をあげ、改めてグドはフリトの方を見る。ひじ掛け頬杖をついたまま、彼が座っている方と逆にある部屋の窓の方を見ているようだが、それがただの素振りであることは明らかだが、困惑しているも確かなようだ。

 硬く結ばれた口許を見ていて、ようやく、彼がいつもの布を被っていないことにグドは気付いた。


「……れ? フリト、布、は? あの、いつもの、頭から被ってる……」

「あるよ。……言われなくっても、いつもはちゃんと被ってる。寝る前だから、取ってただけ」

「あ、そうなんだ……」

「……赤眼は大人しく姿隠してこそこそ陰で生きてろって言いたいんでしょ?醜いツラなんて晒すなってさ」


そう皮肉めいた口調で吐いてようやくグドの方に振り返る。右眼には相変わらず深く紅い瞳が強い意志を燃やすように輝いている。

 彼の胸の内をも燃やしているかのように深い紅にグドは少し怯みそうになる。


「そうは、言ってないじゃん……」

「……っは、どうだか」

「……フリト、本当に、ごめん。村でのことは……」

「それを言いにわざわざここまで? 周りの反対押し切って?」

「……え、うん、まぁ……」

「馬鹿じゃないの? 謝ればどうにかなるとでも思ってる? ……相変わらずお人よしだね、あんたは」


 そう嗤う顔は嫣然と甘く、しかし悲しげに歪んでも見えた。月明かりの成す陰影が輝く紅色を際立たせている。

 グドは膝上で拳をぐっと握り締めながら、次に紡ぐ言葉を手繰るも、どれも言葉としての意味を持ってはいない。それを見て、揚げ足を取るように更に意地悪くフリトの笑みが一層歪む。


「悪かった、許してくれ、だからあのことは全部なしにしてくれって、そう言いに来たんだ? 遥々、図々しく」

「だから、そういうつもりじゃ……!」

「じゃあどういうつもりだよ? あんたにはほとほと呆れるよ。やさしいツラして何もかも受け入れるような物解りいい顔してさぁ……――そういう態度が俺を虚仮こけにしてるって言うのにさ!」


 静かに嗤っていた顔が紅い眼が急に釣り上がり、きつく彼を睨みつける。先程部屋に訪れたばかりに向けられたものとは比べ物にならないほどに強く激しい感情が、躊躇いもひた隠しもされることなく投げつけられる。


「……それは、違……」

「違う? 何が違うんだよ! ……あんた言ったよね、一年前……俺のこと、護るって。……でもなんだよ、結局は何にもならなかった。何にも変わりはしなかった。あんたは村を救った英雄のグド様で、俺はその輝ける前途を阻む悪しき根源の赤眼だって事は、何にも変わりはしなかった。……あんたの甘い言葉なんて信じた俺が馬鹿だったってことかもしれないけどさ」

「そういうつもりじゃ……」

「護るって言うたけど……あんたに、何ができる? 飢えることも寒さに怯えることも、姿だけで拒絶されることもない、希望ある将来を約束されてぬくぬくと生きてくだけのあんたに、俺の何が護れるんだ。できもしないことをのうのうと言ってのける辺りが俺を虚仮にしてるってことじゃないか!」

「してなんか!」

「嘘だ! 赤眼の俺なんていなくてせいせいしてるはずだ。 本当の事を言いなよ、なぁ。ああ、面倒なヤツがいなくなったな、ってさぁ!」

「してない! 虚仮になんて……誓って、していない……嘘じゃない……」

「嘘を吐くな! 見え透いた綺麗事ばっかり並べやがって!」

「フリトが赤眼だろうが、村殺しだろうが、関係な……」

「黙れ! ……関係ない? 何を根拠にそんな気休めが言える? 俺だって……好きでこんな姿に……赤眼に生まれたんじゃない! 好きで村殺しになったわけじゃない!」

「…………ッ」

「あんたに、何が解るんだ……たとえ優秀と言われても、成す術なく……目の前で、自分のせいで人が次々と死んでくの……見たことなんて、ないクセに……」


 吠えるように叫ぶフリトの言葉を、グドは愕然と受け止めるほか術がなかった。

 激情に震えながら押し潰されていた胸の内を吐露したフリトは、双眼から溢れ出る叫びの雫を乱暴に袖口で拭う。唇を噛み、忌々しそうに何度も。


「俺は、一度死んであんたらに生き返らせてもらった。でも……所詮そうされたところで赤眼は赤眼……そして村殺しだ。起こってしまったことは、もう戻らない……」


 堪えることのできない激情をどう抑えればいいのかすら判らなくなっているのだろうか、激しい感情に翻弄されるフリトがいつになく生々しい生き物のようにグドの眼に映る。本能的で感情的で、制御の利かない魂がむき出しで痛々しくさえ手負いの見える生き物に。

 フリトがこれまでグドの前で勘定を剥き出しにしたのはただの一度、あの森の中で息絶えた激しい戦いのときだけだ。

 あの時に見せていた激しい怒りの――それもグドを故意に傷つけようとするような――感情にいまも似たものと感じるのだが、何故かグドはそこにただの怒りだけではないものを感じてもいた。


「俺なんかに情をかけたりするから……あんたの妹は死んだんだ」

「……アズナは、手を失くしただけだよ、フリト。死んでない……死んでないよ」

「でも……下手すりゃ死んでただろ? 俺の両親や、村のやつらみたいに」

「それは、結果論であって……フリトのせいじゃない」

「そう言うことなんだよ、俺と、関わるってことはさ……俺は闇を呼ぶ。それは死と同じで、そして死を招くものは不幸も呼ぶ……もうこれ以上、あんたは俺と関わらない方が身のためだ」


 ひじ掛けについた頬杖をまま顔の輪郭をなぞるように手を這わせ、そして頭を抱えてフリトはうずくまる。その指先は小さく震えている。

 怯えている、あのフリトが――グドにはその姿が衝撃的だった。冷たいほど冷淡で、酷薄にすら見えていた以前の彼の姿からは想像もつかない。

 何が彼をそうさせるのか。もしそれが自分という存在であるのなら……グドは考える。それならば、自分はなおのこと彼のそばに寄り添い、冷淡に見える彼の姿を変えたい、と。

 そして出来る事なら、自分の方を向いてほしいとも強く思っていた。


「だか、ら……もう、俺の前に現れるな……」

「フリト……」


 椅子にうずくまって頭を抱え、髪をかきむしって呻きながら言葉を吐くフリトの姿は、癒えることのない過去の傷に苦しみもがいているようでもある。

 拭うことも逃れることもできない痛みと苦しみを、グドはどう彼からひと掬いでも拭うことができるのか、と思いを巡らせ、彼を救い護っていくすべを懸命に模索していた。

 未だフリトを苦しませているもう一つの要因に気付くことができておらず、それがフリトを複雑な感情に追いやっていることもわかりつつも、できていない。

 胸の内の、癒えることのない痛みを伴う傷口から赤い血潮を滴らせるようにしながら、フリトは振り絞ってつむがれた声で呟いた。


「もう、誰かが、大切な人たちが目の前で死んでくのをみるの、たくさんだ……俺のせいで、そうなってくの、みるのは、もう……」


 フリトの感情をむき出しにさせている大きな要因、それは、フリトがこれまで関わって災禍に遭ってきた者の存在だ。グドは直接にそれに巻き込まれてはいないが、彼の姿から重傷を負った末妹を思い起こすのかもしれない。

 グドの村に来るまで存在を無視し続けてきたはずの、相手を傷つけてしまったという積年の罪悪感が、グドとの関りでその存在感を増していたのだろう。そしてそれがいま、彼の中で大きな傷を負って赤い血を流して苦しんでいるのだ。

 その痛みが、グドの胸にも伝わり、彼もまた自らの胸元を押さえ、顔を歪ませる。


「フリト、アズナは死んでないし、フリトを恨んでもいない。だから村に――」

「――無理だ。俺と関われば、今度こそあの子か、それか、あんたが死ぬに決まってる。それもきっと、ひどい死に方で。……俺は、あんたが……そんな風に死んでくの、みたくない……みたくない、んだ……」

「フリト……」

「――もう二度と、目の前で大切な人がなすすべなく、無残に殺されていくのは、厭なんだ」


 涙と共に零れ落ちたフリトの言葉に、グドも、そして零したフリトもまた目を見開いて硬直して顔を見合わせる。その表情は驚きがにじんでいる。

 “大切な人”そう、彼は言った。あんた……つまり、グドがフリトの前で無残な死を遂げて欲しくない、そう彼ははっきりと言ったのだ。

 グドは、先ほどからぶつけられる感情の中に感じる何かの正体を見た気がした。


「フリト……その、“大切な人”って、俺のこと?」


 恐る恐る、確かめるように紅い眼を見つめながら問うと、硬直していたフリトが一層身を硬くしていく。その狭間から見える肌は、薄暗がりでもわかる程に赤いのをグドは見逃さなかった。

 そっとふたりの間の卓に手を突き、うずくまるフリトの顔を覆う手を掴んで覗き込むと、案の定その中に隠れていた黒髪の乱れた顔は真っ赤だった。


「は、放せ……ッ」

「ねえ、フリトは俺が死んでほしくないくらい大切なの?」

「ち、ちが……ただの言葉のあやで……そんなこと想ってなんか……」

「大切な人だって、死んでほしくなっていったじゃん、いま」

「そ、それは……」


 先程までの生々しい怒りから一変し、いま目の前で足掻いている彼はなまめかしささえ感じられる。潤んだ紅い眼は煽るようにグドを見つめ震えている。

 あんなに憎しみのこもった眼差しは、いまはただ思いがけない言葉に動揺して震える小動物のようだ。

 グドはその眼差しと姿に、急激に愛しさが沸き上がっていくのを抑えきれないでいた。


「じゃあなんで、いま、俺を追い出すために誰も呼び出さないの? なんで、まだこうして言葉を交わしてるの?」

「……ッ」

「なんで、俺と逢ってくれてるの、いま」


 フリトがひた隠し押し殺してきたであろう感情が、グドの言葉のひとつひとつに過敏に反応して彼を染めていく。

 染まる頬のままにフリトが再び何か言おうと口を開きかけた瞬間、グドは愛しさを抑えきれずフリトを抱きしめていた。強くつよく、もう決して離れることのないよう身体に刻み込むように。


「あんなこと、もう起きないように、起こさせないようにする。俺が護る、絶対に……約束する。俺のこと、許さなくていい。憎んだままでもいい。でも、俺には、俺が生きてくには、フリトが必要なんだ……」

「……グド」

「――傍にいて欲しいんだ、フリト……」


 抱きしめて肩に顔をうずめながら囁いた言葉は、涙に濡れていた。あふれる想いが抑えきれず熱い雫となって頬を濡らしていく。

 しかし同時に、グドの右肩が同じように熱く濡れていくのを感じた。


「……泣くなよ、グド。俺なんかのために……」


 腕の中で震えながら囁かれた言葉が、フリトの薄い身体越しに響く。抱いている身体は、一年前に喜びに任せて抱き上げた時よりも一層薄く小さくなったように思う。骨と皮ばかりになってしまったその背を改めてそっとやさしく撫で、黒く長い襟足に口づけるように問いかけの応えを刻み込む。

 紡がれた言葉が月明かりに溶けてしまうのを避けるように、そっと抱擁を解いた二つの影がどちらともなく近づき、やがてひとつの影になる。

 月明かりだけが降り注ぐ宵闇の中、二人は互いの頬を濡らす雫をそっと拭うように唇で触れ合っていた。



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