第17話 初めて知る友の素顔と素性
「想像してたより随分と立派な家みたいだね……建物も、そこに詰まってる格式とか伝統とかも……」
辺りが宵闇に染まり始めた頃、そびえるよう構えられた目の前の
人気の少ない屋敷の裏の堀の前に佇む姿が二つ、ほの暗い水面にぼんやりと映し出されている。見上げた屋敷の規模の大きさに圧倒されている己の姿を掻き消すように深く気を吸って、吐いた。
「遅いね……本当に、来るのかな」
数日前、ザングとグドはテレント達の家のある
夕坤の酒場で再会した二人は、その少し前に遭遇したメル、テレント、そしてフリトの後を追って船に乗り、この街に入ったのだ。目的は唯一つ、フリトに逢うため、そして、傷つけたことを詫びるために。
この目的はグドのものでしかないのだが、ザングの助けも多いに要することであることと、ザング自身も別の目的のためにグドの旅路へ同行する事となったのだ。
ザングの目的というのは、夕坤の港で遇った時に眼にしたメル達の暗い表情の理由を探ることだった。
他人の事情に踏む込むことなど不躾極まりない事は彼も重々承知なのだが、わかっていながらも看過することがどうしてもできなかったのもある。
まるで、昨春の旅の始まりを思い起こさせるような物事の流れではあったが、流れの奥に微かに悲哀の気配を感じることが大いに異なっていた。つまり、彼の旅の目的は、悪い蟲が報せているような胸の内の不安を払拭するための旅路とも言える。
二人は偶然にも利用客の多さに増便された
だが、船に乗ること自体が生まれて初めてであったグドは、不慣れな船旅と今までの疲労が重なったことで体調を崩してしまい、甲辰に着いた日の晩から数日ほど宿で寝込んでいた。
その間にザングがひとり市井を巡り、通りに立ち並ぶ露店や役所などを尋ねて回りながら情報を掻き集めてくれたのだ。
申し訳なさと己の不甲斐なさで地の果てまでグドは気落ちしていたが、ザングは特に文句を言うわけでもなく、ただ淡々と調べ物を進めてしまう。
「申し訳ないと思うなら、私から文句を言われるぐらいによく休みなさい。あなたはあまりに今、自分を見失っている」
寝込んで二日目の朝、這ってでも市井に聞きこみに行くと言いかねないグドにザングがぴしゃりとそう言い放ったこともあってか、グドは数日昏々と眠り身体を休め、そしてたちまちに回復し、ザングと共に今こうして屋敷の裏で待ち人をしているのだ。
そう、ようやくテレントの家の場所を突き止め、昨朝に露店で買い求めた鳩を飛ばしたのだ。飛ばした報せの内容は簡潔に、今グドと甲辰に居ること、そしてグドはフリトを捜していることだけを書いた。仔細は顔を合わせられた時に話す、とも書き添えて。
その返信の鳩が来たのが今朝方で、便りによれば夕刻の時分に甲辰で一番大きな武道場を抱える屋敷の裏に来るよう指定されたのだ。
「鳩は届いてはいるでしょうから、きっと何かまだ抜け出せないような事があるのでしょう。これだけ大きなお屋敷ですからね。それに彼は、杏林ですから、何かと細かい用事があるのかもしれませんよ」
「まぁ、そうだろうな……」
「会えるかどうか心配なんですか?」
「え? なんで? べつに……」
「いえ、メルの事ではなく、フリトの事ですよ」
「……ん、まぁ……」
胸中を見透かされたことを伐悪く思ったのか、グドはザングの言葉に苦笑して答える。ここまでの道中関署で見かけた時のフリトの様子をザングから聞かされ、思い浮かべられる痛々しい姿とその要因となってしまった出来事などまでも思い返してしまうからだ。護れなかった己の不甲斐なさと、グドから裏切られたと思っているであろう傷ついたフリトのことを想うと、居た堪れなさに唇を噛む。
グドの心中を推し量るように、「さっき露店の方に聞いた話ですとこの家には古くから黄来禽があったそうですから、思っているような酷い扱いやらはされませんよ」と、ザングは述べたが、彼の表情は明るくはならない。
黄来禽を有する家は、露神から授けられた樹を護っているという点から代々徳が高く慈悲深いとされているのは前述したとおりだ。それはグドも重々承知しているつもりだ。
しかし、それでもかつてテレントとフリトは互いの置かれている立場を理解し合えずに諍いを起こした経緯がある。そしてそれによりフリトが命を落としたということも。
「家としての徳が高くとも、そこに住まう個々までがそうとは限らないでしょう。人々を分け隔てることなく接するなどと教えられて頭で理解したつもりでも、実際に虐げられている者に関わらなければ、ただの紙の上の知識と同じなんですから」
「……うん、わかってるよ、それは、わかってるつもり……でも、やっぱ……」
「表向きは心配いりませんよ、先程も言いましたけど、黄来禽があった家なんですから。フリトが手酷い扱いを受けてはいないでしょう。それに真から慈愛の精神を持っていなくとも、天帝の御使いはそれでお怒りになるほどに御心の狭い方ではないと思いますよ」
「だといいけど……」
「そうでなければ、この世から全ての黄来禽はなくなってしまうではないですか」
その言葉にグドも同意するように苦笑する。宵の深さが刻一刻と深まっていく中にひっそりと交わしあう二人の言葉が響き溶けていく。
二人のいる辻は屋敷の正門が面している大通りからひとつ角を曲って入った処だ。ただそれだけなのに人気はまるでなく、二人以外に道を行き交う者もない。遠く聞こえる未だ賑やかな街の声と灯りが心許なさを煽るようだった。
その時、二人が佇む場所から少し距離を置いたところに構えられている小さな木戸が開く音がした。謂わば勝手口のようなものなのだろう。古いそれが開く音に、二人はそれまでぼんやりと漆喰の壁に凭れていた姿勢を正し、視線を投げた。来たか、そう、一瞬互いの顔を見合わせて。
木戸が開いて表へ出てきたのは、二人に鳩を寄越した当人とはかけ離れた容姿の者であった。茶色の結いあげられた髪に飴色の瞳をしたその人物は、二人の姿を認めるとふわりと微笑み、そして深々と会釈をした。釣られるように二人もまた頭を下げる。
背後に二~三の従者を連れたその人物は二人の方に歩み寄り、再び会釈をした。
「ザング様、と……グド様、ですね?」
「え、あ、はぁ……」
「大変お待たせをしてしまい申し訳ございませんでした……私、キンジュと申します。主人の命によりお二人をお迎えにまいりました」
「それはどうも、ありがとうございます」
「えっと……あの、メル、は……」
「メル様は先程本日のお勤めを終えられまして、屋敷の中で御待ちでございます。さあ、ここで立ち話もなんですから、どうぞ中へ」
促されるまま、前後を従者とキンジュに挟まれるようにして二人は木戸の向こう、屋敷の奥へと足を踏み入れた。
裏口と言うだけあってまず二人が通されたのは厨房のあると思われる建物の裏手であった。裏口の番を任されていると思われる若い男と、大きな狗がいて、若い男は彼らの姿を見やると、深く頭を下げてきた。
厨房の建物を抜けると珍しい姿をした花や葉が生い茂る庭のような場所に行きあたる。乱雑のようであって種別にきちんと区分けされているらしく、よくみると庭のようなそこは緑の深い畑のようでもあった。
そこを飛び交う虫もまたあまり目にした事のないものばかりで、二人は子どものように辺りを見渡す。
「珍しいものが多いでしょう?」
「あ、すみません……つい……」
不躾と知りつつもそう振舞ってしまったことに慌てて二人が視線を戻すと、キンジュはやわらかに微笑んで、「いいえ。ここをご覧になられたら、お屋敷に来られた方の殆どが驚かれますから」と、言う。
彼らの周りを玻璃の細工で造られたような繊細な模様の羽を持つ蝶が優雅に飛び交っていく。キンジュの話によれば、その蝶は西の海沿いの地域によく生息しているという。
人為的な手が加わっているとは到底思えないほどに丁寧に手入れされている庭を眺めながらザングが訊ねた。
「これは、お屋敷のどなたかのご趣味のものですか?」
「いいえ、すべてメル様が術で使われるものです」
「術で……ってことは、全部薬草?」
「まぁ、簡単に言ってしまうと。正直私もどれがどんな事に使われるのかはわからないんです。ご存じなのは、メル様とそのご親族のみですから」
「なるほど……」
「虫も?」
「虫? ああ、あの蝶々たちも、まぁ、少しは」
「少しは? 大半は違うんですか?」
「ええ。大半は、テレント様がお小さい頃に飼われていたものが放されて、その子孫ではないかと思います」
「へぇ……それはすごいねぇ……」
「ここは街の割に緑が多くありますからね、きっと住み心地がよいのでしょう。さあ、着きましたよ。足元にお気を付け下さいませ」
話が一区切りつくのと、二人がキンジュらの案内でメルのいる建物へ辿り着いたのはほぼ同時であった。辺りはいよいよ闇が濃くなっていて、回廊に点された灯りの火が煌々と輝いている。
ザングとグドの後方についていた従者たちは建物に着くなり彼らに会釈をして早々に去っていった。残ったキンジュが引き続き二人を建物の中へと導いていく。
仄明るい室内の奥へと進むと、いくつかの仕切りと部屋を通り過ぎた後に一つの部屋に辿り着いた。
部屋は壁一面に様々な植物の標本や薬草に関すると思われる古い書物が並べられており、それは足許にも広がっている。足の踏み場は辛うじてあるものの、注意を払って歩を進めなければならないようだ。
様々な大きさや形をした壺や瓶が作業台と思われる机上に並べられていて、雑然としつつもこの空間でこそ成り立つ均衡を保っているようであった。
明かり採りの窓と思われる穴のあいた壁のすぐ下に僅かに空いた場所があり、その前にこの部屋の主がゆったりと椅子に腰かけていた。
山のような古書と植物標本に囲まれながらも、彼は相変わらず紫煙を燻らせている。
「メル様、お二人をご案内致しました」
「おぅ、ご苦労さん。下がっていいよ、キンジュ」
「何か御飲み物はよろしいですか?」
「あー……じゃあ、茶を頼もうかな。あ、それとも、酒の方がいいか?」
若草色の双眼がザングとグドを見やってきたが、二人は慌てて首を横に振った。二人の目的は気まぐれに立ち寄って杯を呑み交わすためではないからだ。
メルはキンジュに三人分の茶を用意するように申しつけると、キンジュはそっと頭を下げて部屋を出ていった。彼女の静かな足音がゆっくり遠ざかっていく。
「汚くて悪ぃんだけどさ……ま、適当に座ってくれよ」
部屋の様子に圧倒されてぼんやりと手持無沙汰に立ちつくしていた二人を促すようにメルが言い、適当に横にどかされてつくられた空間や積み上げられている物の上に二人はそれぞれ腰を下ろす。明かり採りの窓から萌黄色の月が覗く。
「久しぶりだな、グド。ザング……は、この前会ったな」
「ええ、随分と柄の良い再会でしたね」
苦笑し合う二人の様子を見てグドも合わせるように曖昧に笑う。顔で笑みを造りつつも、彼は屋敷に足を踏み入れてからずっと、一つのことが気がかりで仕方なかったからだ。
当人は落ち着きを払って平静を装っているつもりなのだろうが、じっと座っているだけなのにそわそわと落ち着かずまるで幼子のようだ。
そんな彼の胸中を見透かすようにメルからおかしそうに笑いながらグド洟を呼ばれる。
「え、な、なに?」
「あいつなら、この建物の上の部屋にいる。会って来るか?」
「うん……や、いいよ、今は」
「そうか? まだ休んではいないと思うけどな」
「いいんだ、俺がここに来る事知らないんだからさ、フリトは……。いきなり会って、何を言ったらいいのか……」
「……ま、そうだわな。でも心変わりしたらいつでも言え。案内してやるから」
「聞いたの? フリトから、話。」
「まぁ、要所要所って感じにな。……に、しても……驚いたな、おまえらが一緒だなんて」
「ええ、そうですね……たまたま、夕坤の酒場で見憶えのある酔っ払いを見かけたもので……声を掛けたらグドだったと言うわけですよ」
「っははは…それはまた俺らよりも柄のいい再会だったな。で、わざわざまたおまえはグドの道案内を買って出てやったってのか? 物好きなだな、相変わらず」
「でも、あなた方の浮かない表情の方が気になって仕方がなかったものですから」
口調は穏やかでありつつもそこに含む言葉には相変わらず鋭さを含むザングの物言いに、メルはゆるやかに笑いを止めた。
しかしそれはザングの言葉に腹を立てたからではなく、彼に自分たちの抱える悲しみを見透かされていたという驚きからだった。
そして苦い物を呑みこんだような表情をし、「そうか、バレちまってたか…」と、呟く。
「詳しくはこちらのことを調べる時にあちらこちらで耳にして知りましたが……」
「調べる? ここのことをか?」
「まぁ、いきなり尋ねられるような所ではないだろうと踏んだだけですから、こちらが勝手にですけれど」
「んまぁ、その方が今はいいかもしれないな……いつもだったら、そんな気遣いさせないんだろうけど……」
「仕方ありませんよ、事が事ですから……。しかしまさか、黄来禽に火を、とは……」
ザングはこの屋敷の場所を調べるにあたって聞きこみをしている時に、グドはザングが耳にした話を伝え聞いたことにより、メルが苦い表情をした理由を知っている。
聞きこみの際、屋敷の名を告げれば、屋敷の様子などを答えられるついでのようにあの火事のことを教えられた。その中で、あの樹はこの街で最も古く、最も多くの実をつけていた樹であったのだとも、二人は聞いている。
「そりゃ、折角の帰省でも浮かない顔するよね……。火事があって、すぐ報せが来たの?」
「ああ、恐らくな。俺らは報せを受けてすぐに乙酉(おつせい)を発ったんだがな……まぁ、そうしたところで樹がまた生えてくるわけじゃねんだけどさ」
「そっか……じゃあテレントは今、それについての話し合い?」
「んー……や、あいつは今日、客人がいるんだ、大事な。だからそのお相手をしている筈だ、今頃は。いつもなら隣の棟の部屋に居るんだけどな」
以前、テレントの身の回りの世話はメルが取り仕切っていると聞いたことがあるため、グド達はこの建物が二人の居住空間だと思っていたがどうやら違うらしい。
ではここはなんの建物なのだとザングが問うと、「ここは俺の仕事部屋だ。寝起きしてるのはまた別の建物になるんだ」と、答えられた。
この建物に来るまでの間、二人はキンジュらに連れられてそこそこの距離を歩かされた事を思い出した。初めて訪れた場所であるから心許なさが距離感覚を来る合わせることを手伝っているのだと思われたが、それだけのせいではなかったようだ。裏口をくぐった時には薄い宵闇であったのに、ここに着いた時には灯りなしには足下が危うい程に闇が深くなっていた。
途中通り抜けてきたメルの薬草畑のような庭の広さを思い起こしてみれば、改めてこの家の持つ財力や権力のような力などの大きさを思い知る。そしてそれを将来的に背負ってたたなくてはならない、かつての仲間の上に圧し掛かる重責を。
自分の想像の範疇などとうに超えた世界に住まう彼を思うと、グドは自分があまりに小さく思えてならない。
「……すごいな、テレントは」
感嘆のような溜息を洩らすグドに、メルとザングが驚いたように顔を見合わせて苦笑する。
「え? なに?」
「おいおい、お前だって村の長になるんだろう?」
「でもうちは小さい村だし、たいしたことは……」
「治めるのに小さいも大したことないもありませんよ、グド。人の上に立つということは規模に関係がない事ですからね」
「あ、まあ、そうだね。っはは、ホントだ」
そこに、キンジュが温かな茶と茶請けに砂糖を塗した焼き菓子を三人分持って現れた。おかしそうに笑い合う三人の様子に、「やっぱり、御酒の方がよろしいんじゃありませんか?」と、苦笑しながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます