第15話 新たな旅の始まりと衝突

 テレントは幼少期より身の回りの世話をするメルとその家族、稽古を共にする父や弟子たち以外の家族と、稽古以外に顔を合わせたり日常生活を共に過ごしたりすることは殆どない。理由は唯一つ、屋敷を統べる者としての厳格な気質を養うためだ。

 彼以外の弟妹達は一応母親と同じ建物に居住しているようだが、テレントはその中に含まれていない。屋敷を取り仕切る父親同様、その後を継ぐ特別な存在として扱われているからだ。

 そのため、弟妹と遊んだことも、母に手をひかれて庭を歩いたことも、彼は片手で数えるほどしかない。

 しかし彼はそれを、特に嘆いたり恨んだりすることはなく、時折、回廊の窓から覗いた風景の先に母親や他の弟妹が集っている姿を見て身体のどこかがひやりとすることはあっても、特段気に留めることはないようにメルは思っている。テレントは自分が於かれている立場を彼なりに解しており、極ありふれた物として捉えていると思われるからだ。

 親や弟妹、ましてやテレントにこのような境遇を強いる家柄を妬んだりするほどに、彼は自分の肉親との関わりに執着はしていない。執着するよりも早くに引き離されてしまっていた故とも考えられる。

 テレント達が屋敷に戻って二日が経ったある夕餉の後、テレントの父親が部屋に来るよう、部屋を訪ねてきた従者より告げられた。

 父親が家族中の特定の誰かを、しかも夜も更けてくる時分に呼びつけることなど滅多なことではない。テレントが、「こんな時間にか?」と、思わず伝言を預かってきた従者に問い返したほど、珍しい事だ。

 従者に請われるがまま、テレントとメルは共にテレントの父親の待つ部屋へ向かう。


「――ロトウ?」

「ああ。午馬河ごうまがわ真朱海しんしゅかいの交わる辺りにあると言われている、島のような処だと聞いている」

「そこは、あの露神ろしんが住まうと謂われている?」


 長い回廊を伝って久方ぶりに足を踏み入れた部屋で、挨拶もそこそこに父親に切りだされたのは、「神の島」と呼ばれる処の話であった。

 干支国を縦断する午馬河を南へと下っていくと、やがて開けた河口に出る。その先に広がるのが真朱海と呼ばれる大海で、その先は未知なる国や神々の住まう国に通じていると言われているが、真偽のほどは確かではない。

 露島ろとうとは、その午馬河と真朱海の交わる辺りに突如として現れる幻の小さな孤島の名で、天帝の遣い、麒麟という幻の神獣が住まうという言い伝えがある。

 「神の島」と言われる理由は、麒麟が住むからと云われているだけではない。そこにはこの世界のいたる所に分布する黄来禽の原木となる樹があるとされているからだ。麒麟はその護り人で、露神、とはその別称である。


「そうだ。所謂、“神の島”だ。そこに行けば、を授かることができると昔、私の祖父から聞いた事がある。真夏の満月の夜、数刻の間だけ人が足を踏み入れることができるのだそうだ」


 父親からの話とは、簡潔に述べてしまうと、先日の火難で失くした黄来禽の樹を新たにそこで賜って来いと言う事であった。

 言葉にすれば簡潔で単純なことであるように思えるのであるが、その実は仔細の一切わからない、困難を極めると考えられる旅に出よということである。

 黄来禽の樹は神木であるが故、失ったところでそう易々と新たなる樹を授かることはできない。永く安寧に生きている樹から枝分けを受ければよい話のようだが、そのためには分ける側の樹が樹齢を最低でも五十年は超えていなければならないとされている。それよりも若い樹から枝を分けてしまうと、分けた枝がその地に根付くことがないだけでなく、分けてやった方の樹が枯れてしまうのだという。

 枝を分けるとは己の魂を分かつに等しいこと。だからこそ数十年に亘って安寧に生きながらえている樹からのみ枝分けが可能なのだ。

 この屋敷から枝分けされていった樹は周囲の集落に数多くあるが、この地域ほどに安寧としていることは少ないようで、その多くはまだ三十年にも満たない樹齢のものばかりであるため、こちらへの枝分けを期待することはできない。

 そうなれば後は自らが赴いて島に渡り、露神に新たな枝を賜ることを請い、慈悲を掛けてもらえるかに賭けるしかない。

伝え聞いたどれもが曖昧なもので、手許にある露島に向かうまでの行程を示した地図は見るからに古いものだ。伝承の域を出ない情報だけを頼みに、テレントは家とその集落の将来を託されようとしていた。

まるで、一年前に郷の命運を託されて旅に出たというあの男のようだ……話を切り出された時、テレントがまず抱いた感想はそれだったが、黙していた。


「それで、いつ出立できそうだ?」

「そう、ですね……旅の支度にお時間を頂きたいので、明日より一週間の後、発ちたいと思います」

「そうか。頼むぞ、テレント。必要なものがあれば、遠慮なく申しつけるように。供はどれぐらい付けるつもりだ?」

「供は、特に必要ありません。メル達がいれば充分です。先の旅で十二分にそれを学ぶことができましたから」

「……そうか、それならば、好きにするがいい。必要なものがあればすぐに言うように。そして無事、黄来禽の樹を賜ってくるのだぞ」

「はい、父上」


 「話はそれだけだ、下がってよい」そう、告げられて、テレントはそっと椅子をひいて立ち上がり、丁寧に会釈をして部屋を出て、その後を部屋にいる間中入口の辺りに控えていたメルが追う。



 薄暗い宵闇に包まれた回廊の中を、メルが今しがた術で点した蛍火のような淡い光が弱く照らす。

 ようやく足許が見えるぐらいに暗がりに眼が慣れてきた頃、先に口を開いたのはメルだった。


「――なぁ、」

「……ん?」

「おまえ、本気か?」

「なにが?」

「なにがって……さっきの話だよ。おまえ、本当に行くつもりなのか? たった一週間の旅支度で、行った事もない見た事もない処に」

「……仕方ないだろ、俺しかいないって言われたんだから」

「そんなはずねぇだろ。良く考えろよ、テレント。おまえは後嗣なんだぞ? おまえの身に万一何かあったら、誰が継ぐんだよ?」

「誰だろうな……ナオが継ぐんじゃない? あいつはまだ成人を迎えてないけど、それは直だ。なんたって高等科の学舎での出来は俺よりもずっといいらしいからな。その方が父上も母上も皆、安泰だと思っておられるから、俺に行けというのだろう」


 暗がりで歩みながらふわりと苦笑しながら、テレントは少し歳の離れた弟の名を口にする。

 ナオ、はテレントのすぐ下の弟だ。歳はテレントより五つ程歳が下で、剣術の腕はテレントよりも多少劣るものの、一般のそれよりは充分に優れている。

 また、近隣でも名の知れた中等科の学舎を最優秀の成績を修めて卒業する程の優秀さで、まさに文武両道を兼ね備えていて、人柄も温厚でありつつも快活で、屋敷内の弟子達からの人望も厚い。

 決してテレントがそのすべてが劣ると言うのではないのだが、テレントは今よりも格段に弱々しかった幼い時分から、何かとナオの方が後嗣としてふさわしいのではないかとメルに零していた。

 今でこそテレントは明卯を代表する程の剣士として名を馳せ、西の院に籍を置いてはいるものの、幼い頃に沁みついた劣等感は完全に払拭されてはいないようにメルには思えていた。

 子どもの頃のように惨めさや愚痴を口にしたり、あからさまに卑屈になったりすることはないものの、変わらずに引け目を感じ続けているようにメルの眼には映っていたからだ。


「本当にそう、思って言ってんのか?」

「どういう意味だよ?」

「おまえは、後嗣なのにあえて身を危険にさらすような事を買って出た。それは、おまえがずっとナオ様に引け目を感じてて、だから、これを機に後嗣の座を……」

「どこをどう解釈したら、さっきの話がそう聞こえるんだ? 俺はただ、父上に頼まれたから行くだけだ。そして、その万一を考えて、ナオに後嗣を譲るのは当然だろ?」

「百歩譲ってそうだとしても、一週間で支度とか、なんの下調べもなしに俺と二人きりでとか無茶苦茶過ぎねぇか、ってんだよ」

「それなら、俺がひとりで行くまでだよ。メルは待ってればいい」

「そう言うことじゃないだろ! ちゃんと考えろ! おまえ、露島に黄来禽の樹を賜りに行くってことがどういうことか、ちゃんと考えて物を言ってんのか?」


 薄暗い回廊に低く怒鳴る声が響く。手許の小さな明かりが声に呼応するように小さく震える。

 闇の月を求める旅に出るとテレントが言いだした際にも、二人は同じように怒鳴り合いをした経緯がある。

 結局はメルが目付役で付いていくことで了承を得、奇跡的に無事生還ができた。その強運さには自身でも驚くほどではあったが、それが永遠に続くとは限らない。それを危惧してメルはテレントの胸中を問うたのだが、言葉もそこに含まれる想いも彼には届いていないようだ。


「……ああ、考えたよ。考えたから……」

「嘘をつくな」

「嘘じゃない。黄来禽がなくなればこの集落は廃れてしまうも同意だ。事は一刻を争うのも過言じゃない。それなら、旅慣れてないナオより、慣れててすぐに動ける俺が行くのが妥当だって考えるのが筋だ」

「どこが筋だよ、考えてねぇじゃんか、おまえは、何にも考えてない!」

「考えたよ! じゃあ聞くけど、メルは俺のどこを聞いて考えてないって言えるんだよ?」

「この話をまるまる自分に納得させてる、自分を偽ってるとこがだよ。――おまえはいつだってそうだ。本当に心から欲するものや発する感情を殺している、この屋敷の中では、常に」

「……そんなこと、ない」

「嘘を、つくな」

「ついてなんか……」

「じゃあ聞くがな、おまえ……あのお方との婚儀の契りは、どうするつもりだ? それも、ナオ様にすべて譲るつもりなのか?」

「……それはすべて、父上に一任している。俺がどうこういう立場にはない」

「テレント。おまえは、どうしたいんだよ? 本当に、行くつもりなのか? 本心でそんなこと思ってんのか?」

「……ああ。これは、俺に課せられた務めだからな」

「……っ。 勝手にしろ」

「ああ、そうするよ」


 吐き捨てるように呟いて、テレントはいつの間にか辿り着いていた二人の住まう建物の中へ入っていった。

 ひとり置き去りにされたメルは、叱られて表へ放り出されたか、往来で迷った幼子のように心許ない気分で暖簾の揺れる明るい入口を見つめる。薄暗い中に浮かぶ白壁にぽかりと開いた部屋の入口は、佇むメルをやさしく迎え入れるかのように灯りを水滴のように湛えていた。

 ふと見上げた回廊から中庭へ開けた屋根の向こうからは萌黄色の三日月が覗いている。一年前の旅の終わり、再び退屈な日々に戻る乗り合いの馬車の中で眺めた物と同じ色をしていた。

 その月を横切るように、一翼が舞い降りてくるのが見え、メルはそっと手を差し出すのだった。



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