第14話 燃えてしまった生命の樹と無慈悲な現実

 玻璃はりの飴がけを施した瑠璃色の瓦が葺かれた屋根に、白塗りの漆喰の壁に囲まれたそこは桜を始め、藤、牡丹、桃など常に多くの花や緑が溢れている中庭だ。庭とはいえ敷地の面積は軽く二反はあり、その中央には小さな人工の川が流れ、朱色の小さいながら立派な造りの橋が渡されている。

 橋を渡った先には三尺ほどの低木の果樹が植えられており、その周りはぐるりと鉄製の柵と鎖で護られるように囲まれていた。樹は、この国で宝とされる命の種を授ける樹、黄来禽の生る樹だ。

 樹の傍らには授幸使じゅこうしが常駐しており、黄来禽の実を求めてやって来た者に熟れた実を授ける。彼もしくは彼女らは、特別に樹や生った実に触れることが許されている。そのためか、授幸使とは本来「授黄使」と記すのだが、子宝に恵まれる幸せを授ける者という意味合いも込めて、いつからかこう呼ばれるようになった。授幸使から実を授かれるのは夫婦の契りを結んだ者のみだ。

 授幸使は樹の根元に生える雑草を抜き、清らかな水を撒き、時折、声を掛け、まるで幼い我が子を慈しむようにして授幸使は樹を護る。

 授幸使の資格を得られる者は子を成したことのある男もしくは女であるのだが、その者の年齢が高齢であればある程その黄来禽の樹は子宝に恵まれているということになる。つまり、樹とそれに仕える授幸使、両者の齢が高ければ高いほどその地は安泰していると考えられるからだ。樹の寿命は詳しくは判ってはいないのだが、無事であれば百年程は軽く生きるという。

 また、永く生きた樹の枝は、折って他の地に挿すと上手く根付くこともある。特にこの家から枝分けされた樹は多く、周囲の集落にある黄来禽の樹の殆どがこの家から分かれたものであった。

 枝分けして後も大元の樹も分けた樹も枯れることなく生き続けることは、末長い生命に繋がると考えられるため、枝を分けてやった方の樹は大層丁重に扱われる。樹はまさに家の繁栄の証しであり誇りとも言えた。


「――酷いな、話には、聞いていたけど……」


 この家に仕える授幸使の女の案内で初めて朱色の橋を渡って踏み入れた場所は、テレントが幼い頃から遠く対岸から眺め見てきたものとはあまりにもかけ離れていた。

 樹を囲んでいた鉄製の柵は黒く焦げ、薄桃色の花や甘い香りのする生命の種の入った実をつけていた枝と言う枝も、すべて炭のようになっている。

 そっと根元に跪くと、様々な切り花の束や小さな陶器に注がれた水などが並べられていた。


「これは?」

「ご近所の皆様からです。この辺りの方は殆どがこの樹になった種が元になっていますからね……実の親を亡くしたように辛いと仰る方もいらっしゃいます……」

「……そうだろうな」


 そっと黒い地を撫ぜるように触れ、跪いた彼はそっと手を合わせる。禍々しい炎に無残に奪われた、魂になりそびれた命たちを慰めるために。

 授幸使の話によれば、清明の雨前茶が振舞われた晩に火が放たれたのだと言う。

 片付けなどでいつもよりも人が多く夜半過ぎまで出入りして煩雑としていた隙を突き、火を放った人物は屋敷に忍び込んだのだろう。

 普段よりこの日は警護が手薄になることを知っていて、且つ、屋敷の人間に怪しまれることなく中庭まで侵入することができたそれは、やはりこの家に通じる者の仕業であった。

 しかも、放火をはたらいた人物は、限られた者だけが近づくことの許される樹だけに火をつけたのだ。


「火を放ったのは賄い方の者だったのか?」

「いえ、正確には、その夫が、賄い方に出入りする野菜売りでして……恐らく、賄い方の誰かに金を握らせたのでしょうね。その女は一度もこの屋敷の中庭に迷うことなく辿りつけたようですから」

「その共謀者はよっぽどたくさんの金を握らされたんだな。そいつがこの樹の在り処を一発で嗅ぎつけるなんてさ」


 「俺でも、久々に来たら迷いそうになったのに」苦く笑いながら呟く彼の横顔を、授幸使の彼女は複雑な表情と心中で見つめる。

 苦く笑った彼の顔も、焦げた樹の跡に眼を戻すとすぐにまた硬くする。

 持ちこんだと思もわれる油を掛けた上での放火であったようで、火の勢いは強く、瞬く間に樹は炎に包まれた。

 紅い火柱と化した神木に気付いた者が消火に当たろうと庭の川を横切り浮島のそこへ辿り着いた時、火を放ったその女は、逃げることなくその場で燃え盛る樹を眺めていたと言う。ぼんやりとした表情で天まで焦がすような炎を、ただ見つめていたらしい。

 そのため女はあっさりと駈けつけた屋敷の者たちに捕えられ、いまは拘置所に於かれている。

 そしてつい先達て、火を放った女の裁きが下されたと授幸使は言った。


「……火刑、だろう」


 彼女がすべてを述べるまでもなく彼はぽつりと呟き、授幸使はそれに頷く。

 故意に火を放った者の罪は重く、大小に関わらず刑は免れない。どんなに軽くても禁錮数年と強制労働は課せられる。

 ましてや女が手を掛けたものは神木とされる命の生る樹。死を以って償うことは当然とされるところであろう。しかしそれでも、二人の表情は暗く曇ったままだった。

 この国では子を授かる方法は唯一つ、夫婦の契りを結んだ後に黄来禽の実を賜り、そして食すこと。食した実の中にある種が食した者の身体の中でやがて子のもととなるのだが……時に種のない実や、種があっても子として根付くことのないままその者の身体の中で消えてしまうものも少なくはない。

 女と、その夫との間には長きに亘って子を授からなかったという。一組の夫婦が黄来禽の実を賜れるのは一年に一度と定められている。

 夫婦は十年に亘ってこの家に黄来禽の実を賜りに通っていたが、その実がどれも二人の子として彼らの身に宿ることはなかった。


「……なんてことを」


 テレントが呟いた言葉が女の犯した罪に対してなのか、それとも……彼らに一度たりとも子を宿させず、その魂を鬼畜の域にまで貶めた天のご所思に対してなのかは判らない。

 生まれいずる筈だった生命が暴力的な手段で奪われてしまったこと、その生命を待ち望んでいた者の悲しみを想うと、ただ罪人の死を以っても報われないことは明らかだ。

 焼け跡を見つめる二人の表情はそれ故の苦しみを滲ませていることもあるのだが、それ以上に押し黙る二人の胸中に沈む痛みが表情の暗さを濃くしているからだろう。

 重い沈黙の漂う二人の上には青く澄んだ空が広がっていた。青く茂る庭の木々と咲き綻ぶ花々からは瑞々しく甘い匂いが漂う。心地よく抜ける風は爽やかで、季節が夏へと向かっていることを示していた。すべての生命が滾るように精力を増していく筈の季節に。

 二人の眼の前には最早生の欠片すら窺えぬ焦げたむくろが、ぽっかりと何かを訴えるようにして転がっているだけだった。



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