第13話 巡り会わせ、そして旅の行く先を見つけること

 黒いくたびれた布でいつも頭から顔を覆い、時折その狭間から覗く瞳は紅玉ざくろ石を思わせた。

 警戒心が強く、影のようにひっそりと佇み辺りを窺うように相手を睨んでいるようなことが殆どだったが、ほんの時折、ぽつりぽつりと紡がれる言葉は短くて小さく、精霊のささやかな呟きのように思えた。

 そして、それに添えられる同じぐらいにささやかな笑み。初めて会った蒼い月明かりの下で見つめた瞬間から、その笑みはずっと自分の中に未知なる感情の種を植えた。

 種はやがて胸の奥深く、やわらかな土のような場所に根付きゆっくりと根を伸ばし、やがてやわらかく芽吹き、未知なる、甘さをも覚える感情を糧に種はゆっくりと育まれていく。

 幾度となく冷たい風に晒され、折角伸びた茎や葉が折れそうになることもしばしばだったが、それでも芯にあるものは折れることはなかった。種の根幹にある魂が消えかけたとしても、決して。

 そう、ようやくの思いでささやかな蕾の気配を見せ始めた矢先だった、それなのに――


「黒尽くめの赤眼の占い師? さあ、知らねぇなぁ……まぁ、ここいらじゃそんな格好の奴ばっかだからな」

「……そっか、悪かったね。ありがと」

「んや、いんだけどよ……あんた、そいつ探してどうするつもりなんだい? 赤眼の占い師なんか探し出して。なんか恨み節ぶつけたり仇打ちでもすんのかい?」


 夕坤の街に入って七日目の晩、グドは波止場に程近い盛り場にいた。目的はただ一つ、姿を消したフリトを捜しあてるためだ。

 まだグドの村を出て行ってからひと月も経っていないとはいえ、生きてきた大半を放浪して過ごしてきたフリトが、己の身一つでグドから行方を眩ませることなど、赤子の手をひねるように容易いこと。

 身を寄せる親族はおろか故郷となる土地などもない彼を、国の西側の地域だけとはいえ、決して狭いとは言えない土地で探し出すのはグドが想像していたよりも困難を極めそうだ。

 捜索の困難の要因となっているのは、なにもフリトの身軽さだけではない。彼の姿そのものが足枷になっているとも言えた。

 フリトの特徴を口にしただけで、訊ねた相手の殆どがグドの言葉を最後まで聞くことなしに、「知らない」と、突っぱねるのだ。「赤眼」である彼の行方など、譬え知っていたとしても教えてくれるような親切心のある者はかなりのモノ好きであろう。

 闇の精霊の血をひく者は扱う術への偏見から、この世界の凶事の根源とまで揶揄されることも少なくない。加えて、彼には拭いきれない血の臭いのする暗い過去がある。彼がその張本人だと相手が知らずとも、その仲間内とあらば対応は同じだ。だから彼はグドの前から姿を消したのだ。

 フリトの安否と行方に思い巡らせるたびにグドは重い溜息をつく。彼に圧し掛かる悲しみの重さを今更ながらに感じているからだ。

 自分はあの細い肩に圧し掛かる半分でも背負ってやれたらなどと考えていた。その一歩として村に連れ帰ったのだが、それはただ徒に彼の傷と悲しみを増やしただけにすぎなかった。

 自分の選択と行いに悪意があったとは思わない。しかし、それが正しいものであったのか、フリトにとって最良であったのかは判らない。

 最良であったなら、彼が村を出て行くことなどなかった筈――単純な答えのみを欲するのであれば結論はそこへ行きつき、それに納得がいくように己をし向ければいい。だがグドは、それができなかった。

 村にいるすべての人間が、フリトの行方を訊ね歩く先にいる人々が、グドの考えを不可解だと言う。何故あえて出ていった災いの種を捜し出すような面倒を抱え込もうとするのかという、「正論」を押しつけてこようとも、グドはそれを呑むことは出来ない。

 盛り場の通りの一角にある立ち呑みの酒場の主らしき男の先程の言葉を、グドは苦く微笑んで否定する。「そんな単純なもんじゃないよ」と。

 グドの言葉に酒場の主は軽く笑い、特にそれ以上口を挟んでくることはなかった。彼のことを物好きな人間だと、胸中で勝手に断じたのだろう。

 グドの方もまた特にそのような態度ひとつひとつを気に掛けることもない。癪に障らないと言えば嘘になるが、覆させるほどの確固たる自論など彼の中にはなかったのだ。

 いや、ありはしたのだが、それを以って積年に築かれた世間の偏見を打ち砕けるとは到底思えなかった。打ち砕けていたのであれば、今自分がここにいて、フリトの行方を尋ね歩く必要などないからだ。

 送り届けてくれたカツ爺と別れてから早数日が過ぎようとしている。フリトが姿を消してから半月は過ぎているだろうか。

 昼夜問わず人の集う処に立ち寄ってはフリトの姿を目にした者がいないかを尋ねて回ったが、手掛かりは皆無に等しく、すべてが徒労に終わる日々ばかりが続いている。

 村を出る際に掻き集めるようにして持って出た金は、そろそろ大半を使いきろうとしていた。

 元々前回の旅から日をそう長く明けてないということもあって金自体が少なかったのだが、今回の旅は終わりが見えない上に、旅に出ること自体家の者を始め村の者の殆どが快く思っておらず、前回のような援助が皆無であったことが大きい。


「――甘かった……ってことかな、なにもかも」


 立ち飲み酒場の背の高い食卓にもたれ掛りながら、グドは遅い夕餉の代わりに薄く安い麦酒を煽るように飲み干す。空になった杯の底にぼんやりと映る歪んだ輪郭の自分の顔が、ひどく疲弊しているように見える。

 こんな筈ではなかったのに……何度、胸の奥で呟いただろうか。フリトが姿を消したと聞き、自身の眼で改めて人の気配のなくなった蔵の様子を見た瞬間から、ずっと。

 いや、彼がイチナに酷く叱責されている姿を、アズナの痛みに歪む顔を、すべてを目の当たりにしながら、こんな景色を望んだ筈ではなかったのに、と呟き続けてきた。

 物事が流れて行くすべては天が決めるものだと、かつて、命を救われ蘇ってきたことに戸惑うフリトに諭したこともあった。そして、戸惑う手を取るように郷へ戻った。すべては再び命数を与えられ生きる路を歩まされることとなったフリトへ天が差し向けた流れなのだと思っていたから。

 しかしすべては覆り、いま彼はひとり、姿を消したフリトを追って見知らぬ港街を尋ね歩く日々を送っている。

 一体どこから自分は、自分とフリトは、流れからはずれてしまったのだろうか。答えの出ない熱い痛みを伴う苦しみが今宵もまた彼の胸の奥で渦巻く。

 フリトに再びめぐり会うためには計り知れないほどの歳月を要するかもしれない。要したとしても、必ずしも彼が再び共に郷へ戻ってくれることはおろか、話ができるのかどうかすら保証がない。


「……や、逢えるかどうかも、もう、わかんない……か」


 酒気をふんだんに含む吐息混じりの呟きに、朽ちかけている胸中の花の根元が痛んだ。溜息も出ない、沈みきった心に店内の喧騒が遠く響く。

 ちょうど一年前の春先、数か月をかけて吟味するように集めた旅路の同志の最後に顔を揃えたのが、フリトだ。

 「酉暮とりぐれの花街の入口の酒場辺りに、腕利きの黒い月の使い手がいる」そんな話の尾を掴み、縋るようにして辿り着いた。

 彼は今いるような騒々しい場末の酒場で、彼は店の片隅で息を潜めるようにして座を構えていた。

 法外な報酬を要求することや、そもそもその街で扱うこと自体が違法とされている魔術で商売を行っていることなどで役所から目をつけられていたところ、彼が声を掛けたのだ。

 その記憶に倣うようにしてこうしてまた同じような場所を尋ね歩いて回っているのだが、今回は気配を窺うことすら困難なようだ。フリトを取り巻いている状況を差し引いたとしても、街に滞在した形跡が殆ど感じられず、小さな手掛かりを得られるような期待すら持てそうもない。

 そうなると街に滞在するだけ無駄であることは明白ではあったが、これ以降の足取りを辿ることは不可能とも言える。

 旅の始まりにして既に窮地に立たされてしまったグドは、ひとり卓の上で頭を抱え低く唸った。酔いが酷く回っているせいもあるのだろう、周りの眼もはばからぬ振る舞いだった。

 このまま、眠ってしまって目を覚ましたら、すべてが夢現の幻であったならいい……酔いのまわった思考で浮かぶの望みは愚かで甘く、痛々しい。自覚がある分余計に性質が悪く、涙を浮かべることも出来ない。



「―――こんなところで転寝などしていたら、置引に荷をくれてやるようなもんですよ」


 眠っている自覚はなかったが、酔った身体の感覚などあてにはならない。

 右隣に不意にすり寄るように親しげに掛けられた声に、グドはハッと我に返って顔をあげた。今更ながら無防備に晒されていた自分の身や荷を庇うようにして。

 その途端に弾みでぐらりと一瞬揺れた視界は、薄くかすむ。

 ようやくぼんやりと意識と視界に映し出された姿に、グドは僅かに見憶えがある気がした。加えて先程掛けられた声にも憶えがなくはない。


「……んぇ、ザング……? なにしてんのぉ?」

「それはこちらの言葉ですよ、グド……なんて有様なんですか」

「いいじゃん、こういう場所なんだもん。ザングの方がここでは浮いちゃってるよ」


 空になった杯を目前に捧げるように掲げるグドに、ザングは呆れた様子を隠さずに大きく溜息を吐く。


「…何とでも仰い、酔漢すいかん。私は公衆の面前で酔い乱れるわけにはいきませんから。」


 そう言いつつも、グドの隣に立ち、ザングも卓越しに広がる調理場を忙しそうに行き交う店員に葡萄酒を一杯注文する。

 程なくして注文した酒が届くと、二人は再会を祝すように杯を合わせた。


「……ふふん。相変わらずお役人さんなワケなんだ」

「ええ、まぁ。ところで、こんなところで何をしているんです、ひとりで。また、捜しものですか?」

「……まぁ、そんなところ」


 軽く笑った横顔には隠しきれないほどの疲労が濃く滲み、浮かべた笑みは自嘲になる。

 一年前命がけの旅を共にした仲間との偶然の巡り会わせは、グドに懐かしさを覚え褪せても何の慰めにもならない。何故なら、あの時そばにいた紅い眼の彼はもういないから。


「いま何やってんの?」

「関署のお手伝いをしています」

「ふーん……じゃあ結構忙しいんだね」

「ええ、まあ。そこで先日、メルとテレントに逢ったんですよ。憶えていますか? なんでも里帰りをするとかでね。」

「へぇ、懐かしいねぇ……あの、明卯の剣士だったっけ? そうなんだぁ……」

「メルとテレントと……フリトの三人連れで」

「……え?」


 酔いどれで緩んでいだ眼元がたった一言でハッと正気の色を取り戻す。それまで空の杯を弄ぶ手許に向けられていた眼差しをにらみつけるようにザングに向ける。

 先程までとは違ったグドの真剣な面持ちと鬼気迫るような雰囲気に、ザングは一瞬驚きの表情をし、そしてなにか確信したように小さくうなずく。彼はなぜ今グドがこのような場所にいるかに気づいたのかもしれない。


「この前の船で東へ渡りました。もう直着く頃でしょう」

「……や、まぁそうなんだろうけど……ねぇ、」

「はい?」

「あいつ……なんで船なんか……」


 困惑した表情でこちらを見やるグドに、ザングはくすりと苦笑し、「あなたが私に出会った時に最初にしたこと、憶えていますか?」と、述べてくる。

 二人が出会った一年前、違法な魔術での営業を繰り返す常習犯としてお尋ね者状態であったフリトを追っていたザングを、グドは有り金をはたいて買収しようとしたのだ。

 結局、取引は彼を旅の一味に加えると言うことで成立をしたのだが。

 その光景からフリトが船に乗れた理由に気づいたのか、「……ああ……っふふ……なるほどね。考えたもんだな……」と、グドもまた苦笑する。


「まぁ、手続きを踏んでいたのは主にメルでしたけどね」

「自分ひとりでやるよかよっぽど通りやすいって思ったんだろうね。あいつだけで申請に行ったところで門前払いもありうるし……」

「そんなところでしょう。一つ訊きたいのですが……何故、彼の黒手こくしゅを取り消していなかったのです? あの旅が終わってから少なくとも一年はありました。どんなに仕事の遅い怠惰な役場でも新規の手形と戸籍を作成するには充分過ぎる。しかも、あなたの家は村の長だと聞いていましたが……」


 グドの家は規模こそ小さいが集落を治める長の家である。地方の小さな集落ほどそこの長が政から地域の細々とした手続きの処理などを一手に引き受けていることが多い。もしくはその親族が請け負っている場合もある。

 それを考えれば、グドがフリトのために新規の手形や戸籍を与えたりすることなどそう難しいことではない筈と考えるのは道理だ。だからこそ、グドが何も持たないフリトの身柄を引き受けたのだろうことも。

 しかし、先日自分に持ちかけられたあの取引を見た限り、フリトはこれまでと何ら変わりない状況にいたのではないかとザングが指摘してきた。彼の肩に圧し掛かる罪悪は、例えば戸籍を新たに与えられるなどして、何一つ目に見える形で更になっていないのではないか、と。

 それどころか――フリトの肩の上のそれは、一層の重みを増しているのではないか、とザングは言う。

 ザングの言葉を前にグドは俯いたまま押し黙っていた。沈黙が重く二人の上に垂れこめる。


「――連れて帰れば、村のみんなに話をすれば、どうにかなるなんて思ってたんだ、俺は……。確かに、どうにかはなってたよ、最初の内はね。俺が持ち帰った闇の月のおかげでさ。でも――念願だった井戸が出来てしまってからは……なんだろう、まるで夢から覚めてくみたいに徐々にすべてが現実を取り戻してったんだ。俺の家族以外は、まぁ、しょうがないよなって思えはしたんだ。結局はフリトと密に関わることなんてないし、そういう関わり方はしてこないだろうし。フリトだってそう簡単に皆と打ち解けるだなんて思ってなかったよ。だけど……」


 森でのあの一件が、フリトにとって村で唯一の拠り所であり理解者であったグドの家族からの信頼を打ち壊してしまった。

 些細な思い違いや不具合の積み重なりの結果だと片付けてしまうにはあまりに事態は重大で、それが招いた結末もまたあまりに悲惨なものになった。

 失ったものを再び同じように築き上げることなど不可能であることぐらい、グドにも解っている。この先様々な幸運が積み重なって奇跡を生み、フリトと再び村へ戻ることができたとしても、失う前と同じように笑い合えるとは思えないことも。

 すべては粉々に砕かれた飴細工の破片のように煌めきながら闇の中へ堕ちていった。

 取り戻すことなど万に一つの可能性すらないかもしれない……話しながら、次第に頭を抱えるように顔を伏せ、呻くような声で言葉を選びながらそう語るグドに、ザングは複雑に悲しそうな顔をして見つめる。

 赤眼と蔑まれ、村殺しと呼ばれる者を捜し出して連れ戻そうなど、正気の沙汰ではないとも言う者もいるだろう。しかしザングは彼の姿を嗤うことはなかった。

 店は宵を迎えていよいよ騒々しさを増していく。一年前に彼らが出会った処とよく似た喧騒はいっそ耳に懐かしく、痛々しい哀愁を誘う。喧騒から切り取られたように沈黙の漂う二人の間には空になった杯が二つ並んでいた。

 長い沈黙がしばらく続いた後、卓の上にうつ伏せるように顔を伏せていたグドが小さく笑った。ザングがなんとなく彼を見やると、僅かに泣き濡れた顔が僅かに安堵したように微笑む。


「でも……とりあえず、ひとりじゃないみたいだから、安心した……」


 ひとり見知らぬ街で路頭に迷うことなど、恐らくフリトにとっては取るに足らぬことかもしれない。

 長きにわたってその様な暮しを送ってきたのだから、細かなところで不慣れはあるとしても、軒下で眠ることやその日その日の糧を得ることばかりを考え彷徨うことなど、大元のことには慣れてしまっているだろう。それを悲しいと感じてしまう自分を、グドはやはり考えが甘いのだろうと思った。

 それでもひとりきりで彷徨っていたわけではないらしいという話を聞けば、安堵の息を吐いてしまうことも事実だ。自分の想像の及ばない苦難の中に再び彼を追いやってしまったことを、それを止められなかった自分を悔やんでいるからだ。


「……ああ、フリトのことですか。ええ、確かにメルとテレントと連れ立ってましたよ。三人で明卯のテレントの家に行くとか言ってましたけど……」


 懐かしい名前を巡り合ったばかりの相手と交わしあい、二人は思わず顔をほころばせる。初夏の若葉を思わせる涼やかな緑色の眼を持つ有能な治癒の術の使い手と、その彼を従える若き剣士。歳の頃が変わらない者が連れ立った旅でもあったせいか、互いの記憶に刻まれる姿は鮮明だ。

 そんな彼らのことを思い起こしている内に、ふと、グドは何かが気になった。「テレントの、家? あいつの実家ってこと? この前?」


「ええ……なんでも里帰りだとか…。それが、なにか?」

「ん……や、なんとなくなんだけど……あいつの家って確か、有名な剣術家なんだよね?」

「ええ、そうでしたね……メルの一族は、テレントの一族に仕えているお抱えの杏林みたいなもので……」

「――ねぇ、剣術家の家でも、豊作を祈る穀雨の儀ってするのかな?」

「さあ……あまり聞いたことはないですねぇ……清明のお茶を振舞うことはこの街でもありますけど……」

「ああ、それで帰ったのかな? だってさ、院はもう新しい年度に替わって忙しい頃だろ? なのに今頃里帰りだなんて」


 穀雨の儀は、いうなれば農村部の豊作を願って行う春の祭である。グドはテレントの家が剣術家であることは知っていたが、農家でなく、都市部の武家でも自分の郷のように祭りを行うのかが気になったのだ。

 祭は年中行事の中でこの国において重要なものではあるが、院での学業はその度の帰省や休学を許すほどに易くなくいことぐらいグドにも察しがついていたからだ。

 それでなくとも、テレントは一年前の旅による長期の休学で随分と遅れが出ていると、目付役のメルが嘆いていたのを思い出していた。

 それなのに、テレント達が赤の他人とも言えるフリトも伴って穀雨の儀のためにわざわざ帰省するのが妙に思えたのだ。

 グドの言葉にザングもまた首を傾げ、確かにその通りだと言いたげに慎重に頷いた。


「そうですねぇ……でも、清明にしてももう半月以上も前ですよ? 帰るのであればもっと前の船で帰る筈でしょう。それに……」

「それに?」

「もし、そのための帰省であるなら、もう少し嬉しそうな顔をしている筈ではないかと……」

「なんか変だったの、メル達」

「ええ……私の気のせいかもしれませんが、なんだか、ひどく疲れ切った顔をしていたんですよ」

「旅の疲れじゃないの? 院のある街から実家までかなりの距離があるって聞いたもん」

「でしょうかねぇ……それにしても、本当に酷い顔だったんですよ。まるで何か酷い悲しみや不安に耐えているような気配もありましたよ」


 フリトが疲労困憊しきった顔であることは容易に想像が出来たし、その理由のだいたいの察しはつくが、メルとテレントまでもそのような顔つきでいるのかが二人には不可解だ。

 また、穀雨の休暇を終えた人々でごった返す船に乗り、清明の儀も終えているであろう家に帰ろうとしていたこともよくわからない点だ。

 何故なら、テレントの家ほどに裕福な家の者であれば、帰省する予定日を決め、前もって許可証を手に入れることができる筈で、わざわざ長蛇の列に何時間も並んで申請をするという面倒な手筈など省くことができるからだ。

 よほどの急を要する事態が生じたのであれば、今回のような事態は考え得るのではあるのだが、その急を要した事柄が判らない。

 胸中に引っ掛かったものとしてはただそれだけしか今のところ見当たらなかったが、いまはまだ明言し難い重大な何かが潜んでいるような気配がした。

 急を要するような事態を抱えた二人と、それに連れ立った黒手のフリト。ただの再会の懐かしさと同情からの帰省とは事情が少々異なる気がしてならない。


「ねぇ、ザング。テレントの家の在り処って、判ったりする?」

「まぁ、乗船許可証の控えが残っていると思いますのでそれを引っ張り出せば、恐らく……それが何か?」

「あのさ、俺の頼み、聞いてもらえる?」


 先刻再会した時分とは同一人物と思えない凛とした口調に、ザングもまた気持ち背筋を伸ばすようにして耳を傾ける。偶然の再会を重ねる稀有な日々の本当の理由の輪郭がくっきりと見え始めたからだろう。

 再び大きな天運が彼らをいざなおうとしているのか……新たな旅の予感を胸に、グドはザングに頼みごとを告げた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る