第11話 もう一つの再会


「多いなぁ、今回はまた…」


 乗船許可証を得るために、メルとテレント、そしてフリトが早朝に港に訪れた時には、既にそこは同じく許可証を求める者でごった返していた。穀雨の祭日を過ぎたばかりの最初の出港日が翌日に控えているせいと、大きな荷物を抱えた、船旅に不慣れな者が多いのもまた混雑の要因になっているようだ。

 その中には明らかに明卯に渡る乗船することを目的とせず、その客達を標的に荷運びや物乞い、果ては盗みなどを働こうしていると思われる者達――おそらく、許可証を得ることのできない黒手達が、賑わう波止場の様子を窺い彷徨さまよう姿もある。行く宛ても、その日の糧も職もない浮浪する黒手の数が多ければ多いほど、周辺の街の情勢を窺い知ることができる。

 この辺りから南の辺りに広がる砂漠地帯は作物も家畜も育ち難く、グドの村のように僅かな鉱泉や奇跡の秘宝があるわけでもない。水がなくなれば生きる糧を求めて街へ出るしかないのだ。

 砂漠を越えてさらに南を目指せば岩山を背にした温暖な気候の平野が広がっているおり、その地方は塩田が多い。この国で金子きんす以上に貴重である塩の産地であるため豊かな民が多いのだが、ただ山をひとつ隔てただけで生命に課せられる宿命は大きく違う。


「砂漠の辺りは冬に雨が全く降らなかったって話だろ? フリト」

「さー……俺は、そこまでよく知らないから。俺がいたとこだって今まではそうだったかもしんないけど、この冬は井戸が出来たから随分違ったんじゃないの?」

「ああ、そうだったな……」


 昨夜よりも幾分か生気のある表情をしたフリトの様子と、するりと彼の口から語られた村での様子に、メルとテレントは心なしかほっとしていた。こちらから言葉を選んで聞き出すよりもはるかに気安かったからだ。

 三人は昨夜通りの露店で偶然巡り合ってからずっと行動を共にしていた。宿は結局とることは出来なかったが、風雨と寒さを多少凌げるような場所に寝泊りをしたのだ。

 場所を提供したのはフリトで、古い小さな寺院の床下は、大人三人が身を寄せ合うにはあまりに狭かったが、お陰で夜風の冷たさに震えることはなかった。

 身体が冷えぬようにと自然と身を寄せ合っている内に、ぽつりぽつりと、フリトがおもむろに口を開き、グドの村で過ごしていた日々のこと、日追うごとに薄く剥がれていく英雄の恩恵、徐々に露わになり始めた自分へ向けられている村人たちの本心とその眼差しのことなどを淡々と話しだした。そして、それが顕著になって現れたあの厨房での出来事と、その後に重なって起きた森でのアズナの一件も。

 淡々と、感情を特に滲ませることなく、それでいて慎重に言葉を選びながらフリトは語った。


「――村を出て、歩けるところまで歩いて……それから、まぁ、隙のある馬車なんかの荷台に忍び込んだりして……」

「忍びこむ?」

「だって、ほら、俺なんかを乗せてくれるような奇特な馬車主なんて……それこそ、グドの家の人たちぐらいなもんだったよ。俺、歩くことはそんな苦じゃないんだ。あの旅に出る前まではずっと、歩いてたんだからさ、ひとりきりで。でも雨が降ったりしたら話は別だからね、たまにそうしてたんだ」


 長くひとりきりでひっそりと生きてきた彼にとって、グドの村で暮らしてきた日々は瞬きほどの安楽な時間でしかなかった。

 しかしその時間は、かつて彼の胸の奥に捨て去った筈の感情の種を植え付け、芽吹かせるには充分な期間とぬくもりを持っていた。

 勿論それをはっきりと彼自身が自覚しているわけではないのだろうが、零れ落ちた嗤いはあまりに哀れだ。

 宛ても目的もなく彷徨い辿り着いた先がこの街であっただけに過ぎなかったのだが、この街にはそこかしこに自分のように帰る場所も待つ人もない者達が、吹き溜まる塵のように集っていたことに妙な居心地の良さを感じてしまったのだろう。

 そしてその日その日の糧をどうにか得つつしのいでいた日々の果てに出遭ったのがこの二人だったのだ。

 沈黙の後、メルが口を開いて語った言葉にテレントは異を唱えることはなかった。二人はフリトの話に同じような想いを抱いていたからだ。


「なぁ、フリト。俺らと、明卯に来ないか?」

「……は? ちょ……テレント何言いだしてんの。さっきも言っただろ、俺は、どこにいたって疫病神なんだからさ。それに、あんたらの家ってのはすごい名門なんだろ? 俺みたいのが寄りついたら、家にケチがつくよ?」

「おまえが来たらケチがつく? そんな安い家に生れついた覚えなんてないよ、俺もメルも」

「テレント、おまえまたそういう喧嘩腰で……あのな、そんなつまんない事を気にしてるようじゃな、家を護るなんてことは出来ねぇってことだよ。確かに火難に遭ったからどこまで保証できるかわかんねぇけど……おまえの気が済むまで風雨をしのいで空腹を満たせるぐらいの余力はあるだろうよ」

「……でも俺、黒手で、船とか、乗れない……」

「関所の役人ひとり軽く買収できるぐらいの金ならある。見舞い金っつー便利なもんを貰ったからな」

「え、俺はありがたいけどさ……でも……」

「気にするな、不測の事態ために使うもんだ、こういうもんは」


 「ま、有効活用だ、つまりは」そう、闇に浮かびあがるような悪戯っぽさを含んだ笑みを浮かべるメルに釣られるようにテレントとフリトも笑う。

 魂を分かち合った仲と言うのはどんな絆よりも濃く密に結ばれているのだろうか。以前ならばどんなに親切にされても心を決して開くことを良しとしなかった筈のフリトが、二人に自然と懐柔されていた。



 三人は今波止場の関署の、許可証を求める人々の列に並んでいた。出港日を翌日に控えているせいか列は早朝にもかかわらず長蛇に及んでいる。臨時の受付が設けられているという話ではあるが、それでも列は遅々として進む気配がなかった。焦りと苛立ちで列の所々で小競り合いが大きく小さく勃発したりして一層人々の疲労感と殺伐とした感情を逆なでしていた。

並び始めて数刻程経った頃、ようやく三人の受付の番が回ってきた。

 目の前にはずらりと壁を背にして十名ほどの役人らしき者たちが同じような紗織の若草色の着物を着、烏の羽根のような黒い羽根飾りをつけた帽子を被って整然と机の前に座っている。

 年老いた者が殆どな中、珍しく三人とそう年の変わらない若い男が座る席へと彼らは進んだ。実を言えば年老いた役人の方が買収はしやすいのだが、その男の前しか空いていなかったのだ。

 年老いた者ならば言葉を多く語らずとも手形と共に隠しながら差し出された袖の下の感触で相手が何を望んでいるのかを察するからだ。

 若輩のそれはまだ日が浅いせいか政に理想を高く求めるものが多く、金の束など差し出したらたちまち血相を変えて怒鳴り散らす者もいると言う話だ。勧善懲悪の名のもとに己の理想を、民ののっぴきならぬ事情をくみすることなく。

 役人が取引を拒んでしまえばその者は控えている武官に捕えられ、拘留されるのは言うまでもない。


「……っち、はずれかもな」

「かもね……どうする?」

「どうするも、また並ぶわきゃいかねぇしな……一か八かだな」

「だね……時間ないし」


 ひそひそと耳打ちをしながら受付の席に着き、それぞれの手形を机上に広げられた分厚い名簿や帳面の上に並べる。朱色の印を押されたメル、テレントの手形と、それから、真っ黒に塗られたフリトの手形。

 黒いそれが役人の眼に入ったのか、帳面を手繰っていた手がピクリと止まった。真っ黒な手形を堂々と差し出してくると言うことは、その下に隠しながら差し出された物が金銭であるとほぼ決まっているからだ。

 ちらりと、役人が帽子の影からこちらを窺っている気配がした。向かい合っている三者はその目線に怯むことなくじっと見返す。

内心、肝を冷やして落ち着かなかったのは買収をして乗船を願うフリトだった。自分の手持ちがないのでテレントの家に贈られた見舞金を使ってまで役人を買収するなど、考えられなかったからだ。

買収事態が初めてではなったが――何せ方々を追われ、逃げるように暮らしていたのだから、それぐらいの手練は持っている筈だ――他人の懐から高額に使わせてまで船に乗るような者に自分が思えないのだ。

それでも他二人は、平然として役人と向き合っていた。そして心持前かがみになって顔を近づけちらりと一瞬周囲を見渡すようにし、先にメルが口を開く。


「許可証を、三人分。それと、丙辰へいしんでの通行証もひとつな。」


 元々明卯に籍のあるメルとテレントには必要のない物であるが、フリトは黒手であるために東の港町である丙辰に辿り着けたとしても、その先の街に入ることはできない。そのために通行所の申請もついでにしてしまおうという心積もりなのだ。


「――これは?」

「手形だよ、俺らの。船に乗るには要るんだろ?」

「ええ、まぁ……」

「お役人さんは、この仕事、長いのか?」

「まぁ、程ほどにですが……」

「んじゃあ、許可証三人分に通行証ひとつ、頼むわ。べつに、嵩張るもんじゃねぇだろ?」


 不敵な笑みを浮かべつつ立て板に水のように言葉が次々と紡がれるメルの口調に、テレントとフリトはただ黙って聞き入っていた。俺がどうにかするからおまえらは黙っていろ、と、受付に座る前に言い渡されていたからだ。

 両者の間には、二つの手形と黒い手形を載せられた銀貨数十枚の入った袋が置かれていた。八つの眼がじっとお互いの目前に置かれたそれらを眺める。あとは、役人がどう事態を運ぶかにかかっていた。

 役人は暫し考える風にじっと手形とその下に置かれた袋を見据えているようだった。手許は一応朱印の捺されたメルとテレントの分の許可証を発行する手続きのために忙しなく動いてはいたが、注意は明らかにそちらに向いている。

 目の前の彼がどういった反応をするのか、六つの眼がじっと事の行方を見守りながら祈るように次の言葉を待ち受ける他なかった。


「――どういうつもりですかねぇ、この袋は……金ですべてが解決できるなどと思っているのですか?」


 それまで強気な笑みを浮かべていたメルの表情が、返ってきた言葉に凍りつく。年若い者であれば、こちらが強気に出れば何とか押し通せるのではないかと思いこんでいたからだ。幾つかの言葉を交わしながら、相手は自分の態度次第でどうにでもなる、と。

 その甘さを逆に突かれた格好になったようだ。こちらを見返す眼が三人を嘲笑うように悠然と微笑んでいる。微笑みに、三人の表情が失望へと色褪せて行く――

フリトは、じきにこちらへ向かってくるであろう荒々しい足音と、捕えようとして来る腕に備え、いつでも駈け出せるよう腰を浮かせる心づもりを始める。この場合に捕えられるのはメルではなく、買収してまで許可証などを必要としたもの、つまり、黒手であるフリトだけが捕えられるからだ。

 ああ、やっぱり外れだったか――拘留を覚悟して凍りつく三人の前に、新たなる言葉が次の瞬間に差し出された。



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