第9話 見知らぬ街での再会

 首から紐で下げられた手形を懐から取り出し、テレントは机上に置いて役人に差し出した。

 差し出された役人は手形を受け取り、そこに書かれた名を傍らに広げた帳面の枠の中に書き込む。

 それからもう片側に置いてある薄い翡翠色の石で造られた印鑑を取り出し、裏返した縦型の余白に強く捺してテレントに寄こす。

 まだ乾かぬ朱色をつけた木片を受け取り、ひらひらと扇で仰ぐようにそよがせながらテレントはその場を後にする。

 街から街へ入る際、この国では自分の身分を証明する手形を各街の関署で提示しなくてはならない。

 関署は街の入口に設けられている門のすぐ傍に設けられている役所の機関のひとつで、出入りをする人々の身元などを手形の提示によって審査している。

 手形は大人の掌程の大きさの四角い木片で、表には手形の持ち主の名や出生地などが簡単に書かれており、その裏には発行された街の名が朱印の紋が捺されている。その街に住む自分の戸籍を持っている者であれば誰でも発行してもらえるが、成人を迎えていない者は保護者(身元保証人を含む)の書付がないと発行されない。

 旅に出る際や街を移る際などに居住する、もしくは居住していた街の役所に届けて発行してもらい、手形に紐を通して首から下げて肌身離さず携帯する。

 次の街に入る際の身分証明に要するだけでなく、道中の不慮の事故や病で身動きが取れなくなった際や、万一帰らぬ人となった際などに身元が割れて親族などに報せが行くようにもするためだ。そして、目的地の関署でその街に入る許可を意味する、「入街にゅうがい」の印を捺してもらうのだ。

 旅が終わって街に戻ればその手形は関署に変換し、転居の場合であれば新たに戸籍を設ける手続きを踏みに役所の別の部署に足を運ばなくてはならない。

 ただ時折、貧困から成人を迎えた際に戸籍と共に得る土地の利権を手放さざるを得ない者や、居住地が何らかの災難に見舞われて土地を捨てざるを得ない者なども少なからずいて、そういった者は土地所有の権利を手放すとともに、戸籍も失う。土地を離れるということは権利の放棄とみなされるからだ。

 失効した手形は発行されても裏も表も黒く塗りつぶされており、「黒手こくしゅ」と呼ばれる。転じて戸籍を持たぬ流浪の民を示す言葉ともなっていて、理由は黒手では身を保障するものがないことから来ている。それは職に就くことも住居を得ることもできないことに通じる。

 回廊を暫く歩いていくと、先に手続きを済ませていたメルが待っていた。同じように、手には朱の乾ききらない木札を扇のようにそよがせていた。

 二人は互いの姿に気付くと、特に言葉を交わすことなくただほんの少しだけほっとしたように小さく笑い合う。そしてそのまま並んで関署の外、夕坤せきこんの街へと繰り出していった。

 夕坤の街は東西の都を結ぶ船の出る港を擁するため、人の往来が激しく賑やかだ。干支国の東西の都に引けを取らない繁栄ぶりで、その両都市とも違った顔を見せる。

 街を縦横に走る大通りには髪も肌も瞳の色も様々な人々が行き来しており、それらを相手にする店が通りにはひしめき、港町らしい河向うの街から運ばれてきた珍しい食材や品物が山のように並べられている。

 昼過ぎに関署に訪れた二人であったが、如何せん入街を申請する者の数が並ではない上に、手続きの全て手作業で行われるため、建物を出て見上げた空は黄昏の色を見せ始めていた。


「ただ並んで札見せるだけだってのに、一日仕事だったな」

「これから宿見つけないとだな。あと、船がいつ出るのかも調べないと」

「まぁ、今日はもうないだろう。明日、朝から港の方に行ってみればいい」

「うん……あー……疲れたぁ、腹減ったぁ……」


 初夏の青い風の中に夜の気配が混じっているのを感じながら、賑やかな通りを二人は歩く。

 手持ちの金も、船旅の運賃や河を渡ってからのことなどを考えるとそう易々と使えないと考えられるため、今回もまた出来る限り安い宿を探さなくてはならない。一日の終わりが差し迫る中、旅人の多いこの街で黄昏を迎える頃にそんな宿を探すのはなかなか難しいことのように思える。

 屋根があって、出来たら風雨をしのげる壁が少しでもあれば馬小屋でもいい、とすら二人は思っていたのだが、農村部での穀雨こくうの祭を終えて街の仕事に戻り始めた者たちで宿はどこも満杯だった。

 しかし宿が取れないとなると、店の軒先や露地の裏で荷物を枕に野営をするしかない。黄昏が深くなってくるにつれ、今宵の宿を諦めたと思われる者らが薄暗く人目につきにくい路地裏に陣を取り始める。

 日中は陽射しで、夜半でも人いきれで街は暖かではあるが、表で横になって休めるほどではない。

 何より丸腰の旅人を狙う追剥おいはぎが多く、身の安全の保証がないことも宿探しを急ぐ理由でもあった。

 金さえあれば酒場を梯子して時間を潰すことも考えられたが、そんな余裕はふたりの懐には勿論、精神的にも肉体的にも殆どなかった。一日でも早く家へ帰り着き、家族の安否を眼にするまでは床に就いても休まった気にもならなかったからだ。



「今日は流石に揺れないとこで寝たいよなー……まぁ揺れないつったら、地べたでもおんなじだろうけどな」

「俺はそれでも構わないけど?」

「……ま、それは最終手段だ。出来ることなら布団もあった方がいいだろ? 硬くて臭くてもさ」


 夕餉を摂りに立ち寄った屋台の卓で麦の握り飯を頬張ったり、薄い汁物を啜ったりしながら、二人は今宵の宿について思案していた。思っていた以上に宿が取りにくい状況だからだ。穀雨から数日が過ぎているとはいえ、流石に港町とあって街に集う人の数が桁違いだ。

 街や通りは祭りの夜のように人手で溢れていて賑やかで明るい。店の中もまた同じで、仕事帰りの時間帯にもあたるのか、杯を交わす者たちも少なくない。

 暫く店の中を眺めていたテレントが、ふっと小さく笑い、ぽつりと「…思い出すな、一年前を」と、呟く。

 テレントの呟きに、メルもまた小さく笑う。言われてみれば一年前の春の終わり、街こそ違えど、二人は同じような人いきれのする酒のある店にいた事を思い出したからだ。

 そしてその時隣にいた、とある小さな貧しい村から来たという鮮やかな金髪をした青年と共に妙な旅の途中であったことも。


「あぁ、そうだな……去年の今頃もこんな酒場みたいなとこにいたよな」

「えーっと、ほら、あいつ……グドって言ったっけ?」

「そうそう、あいつが、“旅に必要なヤツがここにいる“とか言って、すげぇ汚い店に入ってってさ――それがまたとんでもないヤツだったよなぁ……」

「ほんっと、とんでもなかったよな……あいつらって、どうしてんだろうな? あと、ほら、役人崩れみたいな紫の眼のヤツもさ」

「ザングか? あいつは、またなんかあの街で仕事してるんじゃなかったかな……あの二人、フリトとグドは、あれからグドの郷に一緒に帰ったんだろ、確か」

「どうしてんだろな、皆」


 くつくつとおかしそうに笑いながら語る思い出話ともつかない記憶は、ほんの一年前の話なのに、遠く霞んだように昔の出来事のように感じられる。あまりに想像や常識の範疇を越える出来事を目の当たりにし過ぎたせいなのか、お伽噺を眺めるように他人事に思える。

 数え切れぬほどの魔の生き物を殺め、葬ることを、繰り返す日々。血の匂いがほのかに鼻先をくすぐり続ける中、目の前で仲間の命が果てた事もあった。

 そしてその命を、彼らは自らの魂をほんの僅かに削って蘇らせもしたのだ。それらはすべてたった一年前の出来事のほんの一部に過ぎない。

 二人は遠く霞む、真新しい方に数えられるであろう記憶の欠片に想いを馳せているのか、賑わう店内を再び見渡しながらなんとはなしに溜息をつく。遠い夏空の広がる北の街で手を振りあいそれぞれの路を歩み出して以来、逢うこともない仲間の姿を浮かべながら。

 これが、夕餉の流れで飲む酒の席であったらどんなに心地よいだろうか……せめて、この場に腰を落ち着かせて食事を摂る事にすら追い立てられるような気忙しさを覚えなくてよい心持であれば、とも思いながら。

 草臥れた胸中に過る想いは同じなのか、二人はそっと店内から眼を外し、それぞれの手許の皿に戻す。

 これらを食べ終えてしまえば、再び今宵の宿探しをしなくてはならない。もうすっかり黄昏も過ぎてしまった空から察するに、急がないと本当に地べたでの上で眠ることになりかねない。

 黙々と二人が皿の中を片づけていると、ふと、先程までぼんやりと視線を泳がせていた方向からじっとこちらを窺うような気配を感じた。

 二人は店の少し奥まった二人掛けの席に陣取っていたのだが、敷地が狭い店のため、同じような卓を挟めばすぐに人が往来する賑やかな通りに出る。気配は、その行き交う人々の中から感じられたような気がした。

 気配を察知したのは、二人ほぼ同時であったのだろうか。テレントがメルの顔を窺うように皿から顔を上げるのと、メルが同じようにテレントの方を向き、二人顔を見合わせる。

 この店はおろか、街自体に親戚も知人もいない筈であるし、ましてやこれまでの旅路や人生で強く誰かから見つめられるような事をした覚えもない。向けられている気配はそのような類のもので、だからと言って、恨みや憎しみが籠められているようでもない。

 物言いたげな気配を感じながら、二人はその方向に顔を向ける。その先にいると思われる、彼らをじっと見つめている正体を探るために。

 賑やかに、騒々しく響く人々の話し声や店の灯りの中に眼を凝らしてみたが、そう簡単に姿を見つけ出すことは出来ない。

 確かにこの方角から見つめられているような気がするのに……そう、眉根を寄せて訝しんでいると、徐々にそれは姿を現し始めた。

 いや、最初からそれはそこにいたのだが、あまりに自身の気配を巧妙に消すため、すぐそこにいるのに二人は全く気付けなかったのだ。

 気配と自分たちとの距離と、その正体に気付いた瞬間、二人は思わず驚きの声をあげた。


「フリト?!」


 今しがた出会った頃を懐かしんでいたという奇遇さもあってか、驚きも再会できた喜びも並のものではない。

 かつては罵り合いもした程仲が悪かった筈なのに、テレントは旧知の友に遇ったように破顔して近づき、フリトの肩を抱くようにして自分たちの席に招き寄せ座らせる。

 二人の間に割り込むように横づけに椅子を置いて腰を下ろすと、フリトの腹の蟲が鳴った。卓の上には二人が食いかけている握り飯が残っている。

 腹の蟲の声が聞こえたのか、「食うか?」と、メルが苦笑気味に自分の皿を差し出すと、フリトは一瞬はっと顔をあげてこちらを窺い、恥ずかしげに小さく頷いてそれに手を着け、始めは恐る恐る、やがてがつがつと音を立てるように勢いよく食い付き始めた。瞬く間に握り飯は彼の腹の中に消えた。

 まるで随分と長く食事にありつけていなかったような食いつきに、二人は再び顔を見合わせる。

 それから、ふと、彼の様子に眼をやり、最後に姿を見た時から一年が過ぎているものの、そこに覚える妙な違和感を見つめる。それほどに、フリトが握り飯を口にする様が異様であったのだ。


「おま、何やって……つーか、いつからそこにいたんだよ?」


一応笑いながら訊ねるテレントとは対照的に、フリトの表情はぼんやりと沈んでいた。曖昧に弱く笑いはするものの、テレントの言葉に答えようとはしない。

反応の鈍さに、テレントは軽く気分を害したようだったが、一年前の旅路での彼の自分への日頃の態度を思い起こせば、取り立てて目くじらを立てるほどのことではない思い直し、気に留めることはない。

「んだよ、忘れたのか? おまえの命の恩人なのによー」と、ほんの少しだけ厭味のような言葉を吐いたところで、「……まさか、んなわけないよ」と、ようやくフリトは言葉を発した。消え入りそうな声と、ぼんやりとした彼の表情に、二人は覚えていた違和感に確信を持つ。

相変わらず頭からは黒い布を被って顔を窺えないようにした珍妙な姿ではあるのだが、その奥から垣間見える表情とその右に在る紅い瞳にまったくの生気や覇気を感じられない。ただ旅か何かの疲れといったものではない、もっと根本の奥底からくる疲労感で心身が参っているようだ。


「フリト、あいつ……グドはどうした?」


 フリトに出会ってすぐに気付いた違和感の一つをテレントが訊ねてみたが、「……さぁ」と、彼は握り飯を食べ終えた指先に残る飯粒まできれいに舐めながら答えるきりだ。

 表情や眼に覇気がないのは変わらずであったが、グド、の名を耳にした瞬間、僅かに瞳が揺れた気がした。


「さぁ、って……つかさ、おまえ、いま、ひとり?」

「……だったら、なに?」

「だったらって……だっておまえら、村に一緒に帰ったじゃんか」


 フリトと、旅の話を彼らに持ちかけて来たグドは、一年前の旅の終わり、グドの郷に一緒に帰った。フリトが幼い頃に魔獣によって家も家族も生まれ育った村も焼かれ、帰る場所を失っていたからだ。そのため彼はグドの郷で暮らすことになった筈だった。グドは彼の身を誰よりも気に掛け案じていたのだから。

 その理由がなんであるのかは誰も直接当人に聞き出したわけではなかったが、グドが並々ならぬ感情を彼に抱いていたからだろうと暗黙のうちに皆承知していた。死罪同然の罪を背負い、己の存在をひた隠して闇色の装束に身を包み生きるフリトに対して親身になっているというそれが何よりの証しであったからだ。

 しかし、そのグドの姿が見えない。ただ今だけ何らかの事情でそうであるというには余りにフリトの様子が異様すぎる。あの旅の終わり、最後に眼にした、黙していてもしあわせそうな気配を感じられた者と同一人物と思えないほど、今目の前に座るフリトの姿は荒んでいる。

 決して多く語りはしないが、あの時同様、言葉を用いずともその内側から滲む感情が、しかしいまそれが穏やかならぬものであることは感じられたからだ。

 妙な不安がテレントとメルの中に過り、顔を見合わせる。何かがおかしい――仔細は見えぬが、それだけは確かである、と。

 嵩のある沈黙が三人の間に漂い、黙したまま暫く時が過ぎた。店は夕餉や酒を求めるもので賑わっており、暗く沈むこの席の空気を一層引き立たせる。


「――あぁ、グドと一緒に村には行ったよ、でも……あそこは俺が居ていいような場所じゃなかった」


 ぽつり、と、沈黙の続く卓の上にフリトの小さな声が転がり落ちる。言葉は瑠璃玉のように硬く重く、澄んだ色をしている。

 悲しいほどに澄んだ色の言葉に、二人が顔をあげる。見やった先にある彼の顔から、言葉の瑠璃色と同じ色の雫をはらはらと伝わせていたからだ。

 感情をあらわにすることなど、怒りを見せこそすれ、弱い部分を晒すなど到底想像もつかないフリトの様子に、二人の中にあった不安がじりじりと輪郭を濃くしていく。


「場所じゃないって……それ、どういう……」

「言葉のままだよ、それ以上でも以下でもない」

「…………」


 薄く嘲笑の滲む弱い声でそう呟き、汚れた袖口で顔を拭いながらフリトはすっと立ち上がった。

 「……メシ、ありがと。悪いんだけどさ、俺、今、手持ちないんだ。だから……」と、食事を与えてくれたメルの方を振り向いて彼が言うと、「や、いいよ、食いさしだったんだし……」と、メルが釣られるように曖昧に弱く笑って応える。

 「そう……悪いね」と、フリトはメルの言葉に微笑んではいたが、眼元はやはり晴れることはなくくすんでいる。

 くっきりと輪郭を見て取れるほどに姿を覗かせ始めた不安が、テレントの胸中に影を落とす。

 落ちる影の本質は掴めぬままで体言し難かったが、目の前の彼が自分の本当の感情を押し殺していることだけは判った。


「なぁ、フリト。おまえ……や、おまえと、グドに何かあったのか?」

「……べつに、何もないよ」

「ないわけないだろ、そんなぼんやりしてて、金も持たないでって……それに……」

「それに、なに?」

「おまえ、あん時、あんなにしあわせそうだったじゃんか……帰る場所出来たって、言ってたじゃんか」

「……そんなこと、言ったっけ? 憶えてないなぁ……」

「おま……」


 座ったままの位置から見上げているせいか、向き合った眼差しが恐ろしいほどに暗く沈んでいることに、テレントは悲しみと怒りを入り混ぜたような感情が胸の奥で湧くのを感じた。

 本能的に感じ取った彼の中の本当の感情を引き出すために言葉を並べ立ててはみたものの、のらりくらりとフリトは交わし続ける。

 先程の涙は見間違いだったのかと疑ってしまうほどの彼の人を食ったような態度に、テレントは苛立つ。

テレントの様子を察知してか、メルがその間に割って入るように口を開く。まるで、一年前に日常であった言い争いをしていた時のように躊躇いなく。


「あのな、フリト」

「うん?」

「俺らはおまえに、魂を分け与えたよな? あの旅で、おまえが息絶えた時に」

「……だから? 今更またあんたらを崇めろっての? 生かして下すってありがとうございますって、頭下げりゃ」

「わかるんだよ、自分の魂の欠片が入った心身に降りかかった凶事が。何がどうなってるとかは詳しくわかんないけど、それによって、おまえが参ってるとか参ってないとかぐらいは判る」

「……だったら?」

「なにがあったのか、ぐらい、話してくれねぇかな、フリト」

「それで、なんになる? そんな義理も立てなきゃいけない?」

「さぁ……なんかになるかもしれねぇし、ならないかもしれない。でも、それはおまえの話を聞かなきゃ何もわからない、そうだろ?」

「……なんないだろうよ」

「そうか? ここで巡り合ったのも縁だと俺は思うけどな。魂を分け与えた事の義理と言うならそうかもしれないけどさ。なぁ、フリト。俺らは、じきにこの街を出る。明卯の家に戻らなきゃならなくなったんだ。――テレントの家に大事が遭ったんだ。事の次第によっては、次いつまた西に戻れるかは全く判らない、戻れないかもしれない。おまえと、こうして会えることなんてこれきりかもしれない」

「…………」

「飯代と餞別の代わりにお前らに何があったのかを話すぐらい、なんてことはないだろ?」


 鮮やかな緑色の眼が、泣いているような、笑っているような表情でじっと黒尽くめの奥に揺れる紅色の瞳を見つめている。騒がしく隣の者の声すら聞きとり難く感じる店の中で、彼らが交わす言葉だけは静寂な水面に響くように澄んで聞こえた。

 メルの言葉に押し黙ってしまったフリトは、その場にじっと立ち尽くしていた。

 その姿を横目に、メルがまず立ち上がり、二人のやり取りを見守っていたテレントは慌ててその後に続く。そして二人揃って席を後にする。

 テレントが振り返ると、残されたフリトはひとりその場に佇み、空になった皿を見つめている。

 やがて、その彼もまたくるりと踵を返し、先に去っていった二人の背中を追うようにして店を出てきた。

 すっかり暮れてしまった紺碧の空の下、宵の口に賑わう通りをすり抜けるように三人は揃って歩き始める。誰も口を開かず、どこに行くとも定めないままに。

 俯き気味に歩を進める三人の間を、生ぬるい風が時々そっと吹きぬけていった。



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