第8話 アメリカ兵との出会い

 畜牧部は、西側から南側にかけての約7割が、丘状に盛り上がっていて、全体を指して焼山(標高262メートル)というが、トドマツが多かったので、部内では、トド山と呼ばれていた。

 畜牧部の敷地のうち、この山を含む約700ヘクタールは、一時、進駐軍(アメリカ軍)に演習地として接収されていたが、日本の独立により、進駐軍が引き上げることになり、返還された。

焼山の頂上から、南は支笏湖方面に、西は真駒内に向かってトドマツなどの針葉樹を主体とした林が続いていた。頂上の北側から東側にかけては、比較的傾斜が緩く、ところどころ牧草地として利用されていたが、南側には谷があり、そこにむかって傾斜しており、所々急になっていた。谷底には、山部川という小川が流れていて、そこが、市有地との境界だった。ここは、種羊場時代に羊の放牧地として利用されていたが、いつ頃からか利用されなくなり、山火事もあったりしたので、野草地と林が混在していた。


 5月の中旬、寺山と喜久知は、馬に乗って、返還された山に初めて足を踏み入れた。そして、山の頂上から南東側に広がる比較的平坦な部分の端にある、四望台しぼうだいと呼ばれる場所に来ていた。ここからは、石狩平野が一望できた。特にこの日は、雨上がりのため、青空の下、札幌の市街とその先を流れる石狩川が見え、さらに、遠く暑寒別岳しょかんべつだけにつらなる当別とうべつの山々をはっきり見ることができた。


 喜久知が、馬の上から札幌の方を指さして言った。

「札幌の街が灰色にかすんで見えるだろ。スモッグだよ。」

確かに、全体的にはっきりと見える景色の中で、札幌中心部の上空だけが灰色がかった感じでかすんで見えた。5月半ばとは言え、まだまだ暖房を焚く家が多く、石炭ストーブが多い札幌では、ストーブから出た煤煙ばいえんが、街の上空に漂っていたのである。

「冬に札幌の街に行ったときに、空が黒いスモッグで覆われているのを初めて見ました。でも、上からスモッグを見るのは今日初めてです。ちょっと不気味ですね。」

寺山は、田舎育ちで、札幌に出てくるまでスモッグなど見たことがなく、初めて上から見たスモッグに少し興奮気味に言った。、

「今は、大分薄くなっているが、冬は暖房をガンガン焚くから、もっとひどくなるんだ。煤煙は、いずれ地面に雪とともに落ちてくる。街の雪は、灰色だったろ。雪に隠された煤煙も、雪解けとともに泥水となって、あちこちに溜まる。さらに乾いて馬糞風とともに再び宙に舞って、家の中や体の中にも入ってくるんだ。」

「体に悪そうですね。馬糞風というより煤煙風ですね。」

寺山が、喜久知の話に納得しながら聞いていたが、喜久知は、

「まあ、スモッグの話はこれくらいにして、頂上の方に行ってみよう。」

そう言って、馬を歩かせ始めた。


 彼らがいる焼山は、東側の麓付近から中腹にかけて、トドマツ林になっていたが、四望台から頂上にかけては開けていて、大きな木は少なかった。二人の足下には、赤茶けた裸地が広がっており、牧草も見られたが小さく、スゲやとうが立って花が咲いたふきが大きな葉とともに見られ、ワラビが頭を出し始めていた。 さらに進んでいくと、所々にいくつもの小さな穴が地面に掘ってあった。

「あの穴はなんですかね。」

「ここは、米軍の演習地だったから、たぶんアメリカ兵が掘ったタコツボだよ。タコツボっていうのは、戦場で兵士が身を隠すために掘った一人用の塹壕なんだ。こんな硬い土、日本人の力じゃ、なかなか掘れないよ。やっこさんのパワーはすごいもんだ。まだあちこちに穴があるから、落ちないように気をつけろよ。それから、さっき見かけた大きく地面がえぐられたようになっていた所は、トーチカに見立てるため戦車を入れたんだろう。さすがにそっちは、機械でやったと思うがな。」

喜久知は、軍隊にも行ったことがあるので、これらの知識も持っていた。多くのタコツボは、演習が終わった際に埋め戻されたのか、土砂で埋まっていたが、いくつか残骸が残っていた。二人は、穴に気をつけながら頂上の方に向かって山の植物を見ながら、馬を歩かせていった。


 焼山が返還されてから、アメリカ軍のヘリコプターが飛ぶことは少なくなっていたが、この日は、めずらしくひっきりなしに低空で飛んでいた。このため、話声がかき消されることがしばしばあった。

 二人が進んでいる道は、頂上から南東に向かって下っていく尾根の稜線に沿う道に合流していた。尾根の南側の谷底にある山部川を挟んで向かい側の斜面は、トドマツやカラマツに覆われていた。しかし、こちら側は、焼山という名前の通り山火事が多く、この数年前にも、敷地外で発生した野火によって、約500ヘクタールが延焼している。このため尾根の両側とも、これまで通ってきた道の両側と同様大きな木は無く、細いシラカバやトドマツが散在する程度で、その下は、大きなチシマザサに覆われていた。


 チシマザサは、北海道ではネマガリダケとも呼ばれ、この時期、その根本から生える新芽をタケノコとして食されていたので、これを取りに山に入る人も多かった。二人が、馬を降りて道端で、

「今年は、いつもより寒さが残りますね。昨夜も寒かったですし。」

「ああ、まだカッコウの鳴き声も聞いてないし、今年も冷害かもしれないな。」

などと話をしていると、突然ササ藪からガサガサと物音が聞こえてきた。二人が音のする方向に振り返り、ジッと見ていると、音はどんどん大きくなり、やがてササ藪の中から銃を持った大男が現れた。アメリカ兵だった。

二人は、タケノコ取りの人かと思っていたが、銃を見て反射的に両手を高々と上げて叫んだ。

「降参、降参。ヘルプ。ヘルプミー。」

「怪しいもんじゃないです。」

アメリカ兵は、二人の行動を見てすぐに銃口を下げて片手で持ち、反対側の手を上げながら、笑顔で二人に日本語で、

「オドロカセテスミマセン。ダイジョウブデス。ニホンゴ、ワカリマス。ワタシワ、マコマナイカラキマシタ。ココハ、ドコデスカ。」

と、尋ねてきた。二人はホッとして彼のことをよく見た。彼は、濃い緑の軍服に身を包み、ササの葉や木の枝を挟んだ網のかかった鉄兜を被っていた。さらに、顔を黒く塗っていて、大きな背嚢を背負っていた。明らかに演習中の姿だった。二人は顔を見合わせると、喜久知が、

「ヒア、リズ。ヒツジガオカ、アット、トヨヒラタウン。」

と答えた。アメリカ兵は、片手で顔を覆って天を仰ぐと、

「オーノー。シッ。」

と叫んだ。しかし、それを唖然とした表情で見ている寺山たちに気づくと、

「スミマセン。ワタシノナマエワ、ウィリアム、ジャクソン、デス。アメリカリクグンノ、グンソウデス。ウィリー、ト、ヨンデクダサイ。」

と、言った。

 彼の話によると、3日前に訓練で真駒内の演習地から林に入り、恵庭の演習場まで行く途中、部隊からはぐれ、チシマザサの藪の中をさまよったうえに、足を痛めてしまったらしい。

 チシマザサが大きくなると、2メートル以上にもなり、落葉しないので、中に入ると鬱蒼としていて、曲がった堅い茎が四方八方に広がっていて歩き辛く、方角だけでなく上下を含めた方向感覚も失いやすかった。このため、タケノコ取りに入った人が行方不明になることがよく起きていた。彼もその一人のようで、このところ雨や曇りが多く、はっきりと太陽が見える日が無かったので、おそらく同じところをグルグルとさまよったのであろう。

 彼は、もっと南まで行っていると思っていたが、真駒内のすぐ近くに出てしまったことに、疲れと落胆の表情を浮かべていた。しかし、前日に雨が降っており、足も痛めているようなことから、遠くに行けなかったのはしかたがないことであった。


 彼が日本語を話せることもあり、三人はすぐに打ち解け、とりあえず山を下りることにした。足を痛めていることに気がついた寺山たちは、馬に乗ることを進めたが、彼は、馬を見て断った。寺山たちが乗ってきた馬は、少し小さめで、特に、喜久知が乗ってきた馬は道産子だったため、ウィリーが乗るには、小さすぎると思ったからである。彼が、乗るのを断ったので、とりあえず荷物だけは、馬で運ぶことにした。寺山が肩を貸そうとしたが、身長差があって上手くいかなかったので、喜久知が、杖代わりになりそうな枝を見つけてきて渡した。


 道すがら寺山たちは、彼といろいろな話をした。

「マコマナイカラ、アメリカグンワ、ヒキアゲマシタガ、エンシュウニワマダツカッテイマス。コンカイ、ハジメテサッポロニキマシタ。」

「ニッポンニキテ、サンネンタチマス。ニッポンジンワ、ミンナ、マジメデヤサシイデスネ。」

「コリアニモイキマシタ。ツラクテ、キビシイ、タタカイデシタ。」

「モウスグ、アメリカニ、カエルヨテイデス。ハヤク、ワイフト、コドモタチニ、アイタイデス。」

と、自分の身の上を話してくれた一方、

「アナタタチハ、ココデ、ナニヲシテイタノデスカ。」

ウィリーが、2人がどんなことをしているのか聞いてきたので、牧野のことや酪農の研究をしていて、この山の植物を調べに来たことを喜久知が伝えると、

「オー、デイリープロダクション、デスカ。イイデスネ。ワタシモ、アメリカニカエッタラ、グンヲヤメテ、デーリーファームヲ、ケイエイシタイデス。」


 三人が、いろいろなことを話しながら、わりと平坦で広い牧草地が有る所まで降りてきた頃、またヘリコプターの音が聞こえてきた。

「今日は、朝からヘリコプターがよく飛んでいるけど、あれ、ウィリーを探してるんじゃないか。」

寺山がヘリコプターを指さしながらウィリーに向かって言った。

「オオ、タブンソウデショウ。スグニシラセナクテワ。」

そう言うと、ヘリコプターがこちら側に向きを変えたのを見て、発煙筒に火を付けた。

「スグニ、ヘリコプターガクルノデ、サガッテイテクダサイ。」

と、二人に伝えると、足を引きずりながら、牧草地の真ん中まで出て、発煙筒を大きく振り回し、それからその場に置いた。ヘリコプターは、すぐに気がついたらしく、ぐんぐん近づき、発煙筒の上空に留まると、すぐ近くに着陸した。ウィリーは、荷物を受け取ると、寺山たちの方に向かって、足をそろえて立ち、敬礼した。

「キクチサン、テラヤマサン。タイヘンオセワニナリマシタ。マタドコカデオアイシマショウ。グッラック。」

そう言うと彼は、きびすを返して、足を引きずりながら腰をかがめて、ヘリコプターに近寄っていった。彼が、ヘリコプターの金魚鉢のような透明なキャビンに収まると、エンジンの回転音が高まり、機体がふわりと浮かび、少し上昇した。寺山たちが見上げながら手を振ると、彼も笑顔で再び敬礼して答えてくれた。ヘリコプターは、さらに高度を取り、向きを変えると真駒内の方に向かって飛び去っていった。残された二人は、ヘリコプターが山陰に隠れるまで手を振っていた。

「やれやれ。とんだできごとだったな。」

「彼、大丈夫ですかね。部隊に帰って気合いを入れられるんじゃないですかね。」

「何言ってるんだ。日本の軍隊じゃあるまいし。大丈夫だよ。さあ、もうすぐ昼だ。山を下りよう。」

そう言うと喜久知は馬に乗った。寺山も馬に乗り、2人は山を下りていった。

2人が庁舎に戻ると、部長の高岡がやってきて、ヘリコプターのことを聞いてきた。誰かが、トド山にヘリコプターが降りたのを見ていて、部長に知らせたらいい。喜久知と寺山は、アメリカ軍のウィリーに会ったことや、ヘリコプターは、彼を探していて飛び回っていたこと、彼を回収して真駒内に飛び去ったことなどを話した。それを聞いて部長は、安堵の笑みを浮かべた。

部長の話では、アメリカ軍から本場を経由して、内々に、捜索隊を入れる可能性があることが伝えられていたらしい。以前なら、演習地として接収されていたので、勝手に入るところであったが、一応、返還された後だったので、非公式に連絡したのであろう。部長は、アメリカ軍からの連絡があったことは口外しないようにと伝えると研究室を出て行った。ちょうどその時、昼を告げる鐘が鳴った。

 その後しばらくは、アメリカ兵のことやヘリコプターのことで、部内で話題となった。さらにウィリーから、アメリカ製の缶詰や煙草などが、お礼として送られてくると、それを肴に盛り上がるのだった。

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