第3話 牧野研究室への配属

 10月から寺山は、牧野研究室に配属されることになった。北海道農牧試験場の畜牧部は、もともと札幌の南にある真駒内にあった北海道庁の種畜牧場内に置かれていたが、戦後すぐに敷地と施設が進駐軍に接収され、多くの職員と家畜が滝川と新得にあった種畜牧場に移っていった。さらに昭和25年(1950年)に国立と道立の試験場が分かれた際に、道立は、それぞれ畜牧試験場となったため、国の部分は、北海道農牧試験場畜牧部として、月寒に設置されることになったのである。牧野研究室は、この時にできた研究室で、その他に、家畜の育種、飼養管理、畜産物利用を研究する研究室が、それぞれ牧畜第1から第3まであった。また、牧草の育種とトウモロコシ育種の研究室が一緒になり、牧草・飼料作物研究室となっていた。ちなみに坂井は、牧畜第2研究室に属していた。


 当時、戦後の食糧難は解消されつつあったが、栄養状態の改善のため、畜産物への需要が高まっていた。そのため、牧野の生産性を向上させ、家畜のエサとなる牧草や飼料作物を増やす必要があった。牧野研究室は、このために新設されたのである。

 研究室長の高木は、戦前日本領であった南樺太(南サハリン)の樺太農事試験場に勤めていた外地からの引揚者だった。彼以外にも部内には、満州(中国東北部)や朝鮮半島からの引揚者が何人かいた。牧野研究室は、室長の他、牧野の生態を研究している喜久知主任研究官、牧野の利用を研究している下村研究員、そして寺山で構成されていた。寺山は、まずは下村研究員の下で飼料成分の分析手法を習得することから始めることになった。


 下村は大卒で、大学で分析手法を学んだだけでなく、外国の文献を読み漁り、知識、技術とも講師として最適であった。寺山が高木室長につれられて下村のところに行くと、下村から分析方法のメモを渡され、早速講義が始まった。試料分析については、高校の時に若干習った記憶があったが実験器具も揃っていなかったため、実際に分析を行ったことはなかった。このため早くやってみたいという気持ちが高くなっていった。しかし、最初に受けた講義は、器具の洗い方であった。気負っていたため、いささか拍子抜けしたが、話を聞いて器具洗いの大切さが理解できていった。その後、一通りの説明が終わったところで終業の鐘がいつも通りの音色で聞こえてきた。それを待ちかねたかのように、坂井と喜久知が焼酎とスルメを持ってやってきた。喜久知は、三人に茶碗を渡すと焼酎を注ぎ、軽く茶碗を合わせると一気に飲み干した。喜久知が酒好きなのは、部内にも知れ渡っており、いつも赤い顔をしていたので、昼間から飲んでいるのではないかとの噂もあった。喜久知は、アルコール度数が高い焼酎を生で飲んでいたが、他の三人は、さすがに番茶(ほうじ茶の北海道での通称)で割って飲んだ。喜久知は、もう一杯飲むと寺山に、

「どうだい、下村君の話は分かったかい。」

と尋ねてきた。寺山は戸惑いながら、

「正直、全部理解できたとは言えません。でも頑張って覚えます。」

と答えた。

「今日はやり方を聞いただけだ。何点かやればすぐに覚える。あんまり気張るな。」

と、下村が言ってくれた。坂井も、

「そうそう、明日から一緒に分析をするから大丈夫だよ。分からないことがあったら何でも聞いてくれ。」

と先輩らしい言葉をかけたが、下村から、

「そんなこと言って大丈夫か。まあ、ガラス器具を洗ってて、割ったり欠けさせたりすることまで教えないでくれよ。」

と下村から茶々を入れられ、四人とも大笑いとなった。

 喜久知は真面目な顔にもどると、

「これからは、国の発展に向けて食糧をたくさん作っていかなければならない。しかし、単にカロリーだけ増やせばいいというわけではない。良質な蛋白質も必要だ。アメリカ兵があんなに大きいのは、人種の違いだけではなく肉や乳製品をたくさん摂っているからだと思う。だから我が国、特に北海道は、酪農や畜産に力を入れるべきだ。そのためには、乳牛や肉牛を増やす必要がある。しかし、食べさせるエサが・・。」

「ない、だから牧野を良質な牧草地にかえるのだ。でしょ。何度も聞きました」

途中から坂井が喜久知の言葉にかぶせるように割って入った。喜久知は酒が回るといつも同じ話になるのだった。

「まあ最後まで話を聞け。本省(農務省)もそのことを考え、試験場を道立と分離する際に、畜牧部の中に牧野研究室を新たに作って、牧野の開発を進めているんだ。お前たちはそのために新しく採用されたんだ。けっぱってくれないとな。」

話の腰を折られかけたが、喜久知は言いたいことを最後まで言うと、再び酒をあおった。寺山は、喜久知の話を聞いて、乾草上げの後の宴会の時に部長が話していた、

「機械搾乳ができるようになれば、農家ももっとたくさんの牛が飼えるようになる。」

と言う言葉を思いだしていた。そして、突然大きな声で、

「そうか、たくさん牛を飼えるようになってもエサとなる草がなければ増やせられない。だから牧野の改良や草地造成が必要なんですね。でも、何をすればいいんですか。」

と喜久知に尋ねた。喜久知は、部長の話のことを覚えていないので、少し戸惑ったが、

「そうだな、まずは牧草の導入方法、どこにどんな牧草をまけばいいか。森や林、ササやススキなどの野草地、あるいは畑の跡地など、牧草地にしたい場所の植生や気候によって、そこに適した牧草は違ってくるはずだ。北海道に適している牧草は、ほとんど欧米原産だ。寒さには強いが、欧米に比べて夏は暑く、冬も雪が多い。だからどの牧草でも生き残れるわけではない。それに牧草は、他の作物とも違って、個体同士の距離が近く、競争も激しい。同じタイプの牧草でも、利用の仕方や生育している場所によって、どれが残るかはその時々で変わってくるから、いろいろな条件で栽培してみる必要があるんだ。」

と、牧草のことを説明してくれた。それを聞いて寺山は、目を輝かせて言った。

「喜久知さん、牧草のことをもっと教えてください。」

すると下村が、

「おいおい、今は分析方法を覚えてるところだろ。牧野のことはその後にしてくれ。それにもうすぐ雪も降ってきそうだし、牧草を学ぶのは、春になってからにしろ。」

と、あわてて話に割って入った。

「そうだな。春の方が、現物が見れて、いろいろと違いが分かりやすいしな。まあ焦るな。」

そう言うと喜久知は、また一杯飲んで、

「今は、下村君のことをよく聞いて分析法を覚えてくれ。春になったら一緒に牧野を歩こう。そういえば、今日雪虫を見たよ。下村君が言うとおりもうすぐ雪が降ってくるな。早く外の工事も終わるといいんだがな。」

と言って、窓の外を眺めた。彼らがいる建物からは見えないが、畜牧部の敷地の外では、突貫工事で進められていた国道36号線の改良工事が佳境を迎えていた。


 この国道は、畜牧部の正門から両方向に向けて下り坂で、南側は、正門から少し下った部の敷地の端辺りから大きくうねりながら千歳方面に向かって続いており、札幌に向かっては、真っ直ぐに下っていた。両方向とも、走りやすくするために、アスファルトで舗装する工事が順調に進んでおり、喜久知の心配をよそに雪が降る前に開通しそうであった。


 畜牧部の研究室では、さらに何人かの研究員もやってきて、仕事の話などで酒盛りが続き、話は国道のことにも広がっていた。

「国道が舗装されるのはありがたいですが、その目的の一つに米軍が弾薬を千歳から真駒内まで早く運びたいからと言うのが気に入らんです。すでに日本は独立を果たしたのだから、進駐軍はさっさと出て行くべきでしょう。そう思いませんか喜久知さん。みんなもそう思うだろ。」

と、途中から酒盛りに加わった牧畜第3研究室の畠研究官が熱く語り始めた。日本は、前年の昭和27年(1952年)に、サンフランシスコ講和会議において締結された講和条約が公布され、晴れて独立国家として承認されたのである。また同時に日米安全保障条約も締結され、アメリカ軍が引き続き駐留することも決まっていた。

「気持ちは分かるが、朝鮮戦争はまだ終わったばかりだし、ソ連と中共の脅威は大きくて、まだこの先どうなるか分からない状況じゃ、しばらくは米軍の駐留が続いても仕方ないんじゃないか。」

と、喜久知が冷静に返すと、寺山が

「俺も畠さんの意見に賛成です。安保条約かなんか知りませんが、独立したんだから占領軍は出て行くべきです。部内の山も占領されたままだし、占領軍は出て行け~。」

「そうだ~。出て行け~。」

と、若い畠と寺山は、酔っ払って大声を張り上げて盛り上がっていた。なお、中共とは、中国共産党率いる中華人民共和国のことで、当時。まだ国交がなかったので、中国と言えば、台湾の中華民国のことを指し、両者を区別していた。


 寺山と畠が盛り上がっている横で下村が、

「アメリカ軍のことはさておき、今回の道路建設はすごいスピードでしたね。現場で見かけた大型の機械はすごかったです。それに、アスファルト舗装というのを初めて見たんですが、話では、コンクリート舗装に比べて作業期間が短くすみ、雪にも強いらしいですね。こんな風に、新しい技術をどんどん取り入れられたからこんなに早くできたんだと思います。原野を切り開いて畑や牧野を大きくしたくても、馬や人の力で行っていては何年かかるか分かりません。収穫にしたって、面積が増えればそれだけ人手も必要になってくる。これからはそれをカバーする機械が必要だと思います。」

と呟いた。それを聞いて喜久知も、

「そうだな。やっぱり機械の力はすごいよ。アメリカやヨーロッパでは、戦前からトラクターが広く使われていたようだが、日本の乗用機械の開発は軍優先だったし、田んぼや畑も小さくて、トラクターには向いてなかったしな。戦争特需のおかげでやっと景気も良くなってきたが、アメリカ製のトラクターは、高くて農家が簡単に買えるようなものじゃない。残念ながら農家の機械化、近代化は、まだまだ先だな。」

と、遠くを見つめるように言った。しかし、いつの間にか酒席に加わっていた畜牧部長の高岡が、

「そんなことはないよ。本省は、3年前に3台のトラクターを輸入し、農技研や琴似で試験を行わせているし、これを参考にした国産トラクターの開発も進んでいると聞いているよ。それに、法律も整備して、トラクターなどの高価な農業機械を購入するための融資をしやすくしたり、機械の貸し付けができるようにしたりしんだ。そのうちここにもトラクターがやってくるさ。それに、道内の未利用地の開発は、喫緊の課題になっているから、トラクターを使った大規模な牧野開発の課題も降りてくるだろう。その時は、よろしく頼むよ。」

と言った。それを聞いた寺山は、

「トラクターって、ここにも戦車みたいにキャタピラを履いた奴があるって聞きましたけど、それじゃないんですか。」

と尋ねた。寺山が言っているのは、戦前に満州で使われていたキャタピラ(クローラー)で走行するクローラ型トラクターのことで、畜牧部にもあり、時々使われていた。初期のトラクターは、クローラ型が主流であったが、戦後は、機動性が高い、ラグの大きいタイヤで駆動するホイール型トラクターが主流になっていった。そのことを高岡が話すと寺山は、

「早く入るといいですね。そしたらいの一番にトド山(畜牧部内の山林)を切り開いて牧野を造りたいですね。ところで、トラクターで木を倒すことってできるんですか。」

と、部長に向かって、真顔で聞いてきた。彼はまだトラクターで何ができるのかをよく理解していなかったのである。部長たちは目を見合わせると思わず吹き出した。それを見てキョトンとしている寺山を見て、さらに大きな笑い声が庁舎内に響き渡るのだった。

  

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