第2話 乾草上げとジンギスカン

「寺山君、起きれ。今日は搾乳だぞ。」

寺山は、一年先輩の坂井に起こされた。寺山は、研究補助員として採用され、独身寮で暮らしている。いまは、研究部署への配属が決まるまでの研修期間中で、家畜飼養現場の経験を積むため、研究を補助する業務科員に混ざって朝晩の搾乳を行っていた。顔を洗って食堂に行くと朝食が並んでいた。朝食と言っても味噌汁と漬物、テーブルの中央には、箸が刺さった納豆が盛られた丼と醤油が置いてあった。寺山は、麦の入った飯を茶碗によそうと、納豆をかき混ぜてから、まだ温かいご飯の上に乗せ、醤油を少しかけると、飯を掻き込んだ。食べ終わると番茶(ほうじ茶の北海道での通称)を茶碗に注ぎ、一気に飲み干すと、長靴を履いて牛舎に向かった。


 牛舎に着くと場内の宿舎に住む業務科員も集まってきていた。やがて庁舎の脇にある鐘が鳴り響き、始業時間が告げられた。班長から、前日からの引継ぎ事項が簡単に告げられた後、みな、それぞれのバケツや輸送缶を持って自分が搾乳する牛の所に散らばっていった。おとなしくて搾りやすい牛は、古手の科員がついてしまうので、寺山や坂井などの若手は、足癖の悪く搾りにくい牛に当たることが多かった。


 寺山が搾乳に行こうとすると、班長の塚本に呼び止められ、

「お前は、搾乳が終わったら、すぐに乾草上げの手伝いに行ってくれ。」

と告げられた。この日は、研究員・業務科員総出の乾草上げを行う日だった。

 搾乳は、まだ手搾りだったが、牛1頭から1年間に搾れる乳量も2,000キロ程度と少なかったので、搾る時間は短かった。それでも搾乳は、握力を必要とする作業で、腱鞘炎になる者もいた。乳頭をギュッと握ると、その先から暖かくて少し黄色みを帯びた乳が勢いよく乳房の下に置かれたバケツに向かって搾り出された。

 寺山は、農業高校出身で搾乳の経験があるため、搾乳作業は苦にならなかった。高校時代の初めて搾乳で、乳が勢いよく出た時の感触と感動は薄れたが、いまでも乳が勢いよく出ると喜びを感じていた。バケツが牛乳でいっぱいになるとブリキで造られた輸送缶に移し、さらに搾乳を続けた。数頭の搾乳が終わると牛乳の入った輸送缶を運び、水が貯まった銭湯の風呂桶のような大きな桶に入れて冷やした。これらの輸送缶は、後でトラックに積まれて乳業メーカーの工場に運ばれることになっていた。


 寺山は、牛乳を搾りながら、現在いま、国を挙げて取り組んでいる乳牛の改良が進んで、もっとたくさん乳を出すようになったら、搾るのに時間も掛かり、大変になるので、もっと楽になる方法はないのか、などと思いをめぐらせていた。

 欧米ではすでに、搾乳作業の軽労化が図れるミルカーによる機械搾乳が普及し、多頭飼育が進んでいたが、日本では、酪農専業経営が多い北海道でもまだ導入されていなかった。全国的には、稲作や畑作との複合経営が主で、飼養頭数が少ない農家が多く、ミルカーの普及はこれからと言った状況であった。


 搾乳が終わると寺山は、先が三本に分かれた柄の長いフォークを持って牧草地に向かった。ちょうどその時、牧草地に乾草を積みに戻る二頭立ての運搬車が通ったので、それに乗り込んだ。馬たちは、小走りで圃場への連絡道路を通って牧草地に入ると、こんどはゆっくりと、所々に堆積している乾草の山に近づいていった。まわりでは、レーキと呼ばれる、乾草をかき寄せて山を作る機具を牽く馬が行き来していた。


 寺山は、運搬車から飛び降りると、すぐ近くの乾草の山にフォークを何度か突き刺して大きな乾草の塊を造ると、その塊を持ち上げて運搬車に乗せた。運搬車の周りには、何人もの業務科員や研究員が同じように乾草の塊を運んできては、運搬車に乗せていた。その中には、今朝起こしてくれた坂井の姿もあった。


 乾草は、雨に当たると栄養分が落ち、水分が多いとカビが生えやすくなるので、乾いた草は、できるだけ早く収納する必要があった。このため、この時だけは、研究員も労働力としてかり出されて、畜牧部上げての作業となっていた。


 主任研究官と呼ばれるベテランの研究員たちは、大きな乾草の山を上手に作り上げ、まだまだ若い者には負けないぞという気概を、若手の研究員や業務科員に見せてやろうと張り切っていた。しかし、彼らからは、

「無理しないでくださいよ。」

「あとで、こわい(疲れた)とか、いずい(調子が悪い)、なんって言わんでけろ。」

と心配する声がかけられていた。毎年、乾草上げの翌日は、庁舎中に湿布薬の匂いが漂っていたのだが、主任研究官たちは、そんなことは忘れて、若手より大きな乾草の山を作って持ち上げようと競い合っていた。

 寺山も研究員たちに混ざって競い合うようにして乾草上げに励んだ。乾草上げの指揮を執る業務科の長岡班長が、

「明日から天気が崩れるようだから、今日中に終わらせっぞ。みんな、けっぱってけろ(頑張ってくれ)。」

と檄を飛ばした。さらに様子を見に来ていた牧畜第1研究室の矢野室長から

「乾草上げが終わったら、今夜はいつものようにクラブでお祝いだ。みんな頑張ってくれ。」

と声がかかった。それを聞いて、みな気合を入れる声を上げ、ますます張り切って乾草上げに取り組んでいった。


 乾草上げは、昼休みを挟んで一日中続き、予定通りに終わることができた。寺山たちが牛舎に戻ってくると、庁舎の方から終業の鐘の音が聞こえてきた。澄んだ鐘の音は、乾草上げの疲れを癒してくれた。その後、一旦寮に帰ると、急いで風呂に入って汗を流し、着替えてクラブに向かった。

クラブというのは、場内にある宿泊施設兼集会所で、出張者の宿泊だけでなく、その人との懇親会、歓迎会や忘年会など、様々な宴会に年中利用されていた。研究職員を中心に多くが場内に住んでおり、町にも遠かったことから、ここで宴会をすることが多かった。


 寺山たちがクラブに行くと、裏庭には、ジンギスカン鍋が乗った七輪が十個ほど並べられていた。七輪に置かれたジンギスカン鍋は、ロストル型と言って、大正12年(1923年)に、ここ羊ヶ丘で考案された物で、鍋の膨らみの部分にスリットが入っており、余分な脂が下に落ちるようになっていた。七輪の周りには、椅子やテーブル代わりのリンゴ箱が伏せておかれていた。その間を先輩の研究員や業務科員たちが、肉と野菜が乗った皿を運んでいた。寺山と坂井は、早速準備をしている先輩たちに混ざって、飲み物などを運ぶ手伝いを始めた。そうしていると、徐々に乾草上げをしていた研究員や業務科員が集まり、思い思いに席に着いて談笑を始めていた。やがて部長もやってきて、挨拶と乾杯の杯を上げると宴会が始まった。午後6時を回っていたが、6月の札幌は、まだ十分明るく、涼しい風が心地よく吹いていた。それぞれの七輪からは、肉を焼く音と匂い、そして七輪の中に落ちた脂が燃えて出る独特の匂いがする煙が広がっていた。ジンギスカンのタレは、種羊場時代から伝わる独自の物で、細かく刻んで入れられた柑橘の皮が爽やかな風味を醸し出し、あっさりとして食べやすくなっていた。


 寺山と坂井は、乾杯した後もしばらくは、食べる暇もなく肉や飲み物を運びまわった。一段落したところで肉を食べていると、部長の高岡がやってきて、酒を勧めながら、

「どうだい寺山君、仕事には慣れたかい。研修期間だからと言って、現場仕事ばかりですまないねぇ。」

と労った。寺山は、

「なんも。楽しいです。先輩たちもよくしてくれるし。」

と、隣で飲んでいる坂井の顔を見ながら笑って答えた。そこに長岡班長が一升瓶を持ってやってきた。

「寺山、お前、まだ若いのに、乾草の山を作るのが上手だな。作業が進んで助かったぞ。まあ一杯いけ。」

と言って、一升瓶を差し出してきた。そこへさらに、くだんの主任研究官の一人、田中が、

「そうそう、上手に大きな山を作ってたねぇ。俺の作った方が大きかったけど。」

と、自慢するように割って入ってきたが、長岡や寺山から、

「あんたは、大きいのを作れても、うまく持ち上がんないっしょ。」

「そうそう、持ち上げても、積む前にどんどん落ちていって、上で受け取るときには半分くらいになってましたよね。」

と、笑って茶化されてしまった。そこで田中は、

「そうかぁ?。半分はないっしょ。」

と、返したが、周りからは、

「半分だべさ。」、

「いんや、もっと少なかったかもしんねぇ。」

などとはやし立てられ、苦笑いするしかなかった。


 乾草上げという、部全体での共同作業を行った後ということもあり、職種等に関係なく、和やかに飲み食いしている様子は、入ったばかりの寺山にとっては新鮮であった。彼が、

「俺は、高校を卒業した後、日高の親戚の牧場を手伝ってたから、乾草上げや馬の扱いには慣れっこです。二頭立てまでなら、作業もできます。ただ、搾乳の方は、まだまだです。この間は、早く搾ろうと思って、強く握りすぎて、牛に蹴られちゃいました。」

と、寺山が部長や長岡たちに話すと、

「何言ってんだ。そったらもん、慣れるしかねえんだ。でも、馬が扱えるのはいいな。研究員にしておくのはもったいないぜ。なあ、長岡。」

と、今度は、搾乳班の塚本班長がやってきた。いつのまにか、寺山たちの七輪の周りには、人が集まり、搾乳の仕方や牛の話で盛り上がっていた。


「欧米では、すでに機械搾乳が広まっている。日本にも近いうちに、その技術が入ってくるだろう。そうすれば、誰でも簡単に搾乳できるようになって楽になるぞ。」

と部長が話したが、みんな乳を搾る機械とは何なのか想像できなかった。彼らが思い浮かべる機械とは、エンジンとか歯車とかで、すぐには搾乳と結び着かなかいものばかりだったからである。部長が一生懸命説明したので、おぼろげながら理解できるようになったが、各自が思い浮かべる搾乳機械はまちまちであった。しかし、この機械によって搾乳が楽になることへの期待は一致していた。


「機械は疲れ知らずだから、いくらでも搾れるようになる。そしたら今の倍でも三倍でも乳を出す牛を作ってやる。」

と、家畜育種の研究を行っている田中が言った。すると周りから、

「二倍も三倍もって、そったら搾ったら、牛が痩せこけて倒れてしまうんでねえか。」

「どんだけ乳房を大きくすればいいんだい。地面にくっついちまうぞ。」

などの意見が出たので、田中は、

「だから、体も大きくするんだよ。今より体高を少なくても10センチは高くするんだ。それに、乳房を大きくするといっても、垂れ下がるような牛にはしないよ。」

と答えた。さらに科員や研究員から

「そんなの何年かかんだ。」

「乳をたくさん出すには、栄養価の高いエサも必要だ。」

「量もな。」

などと、機械の話から乳牛の改良やエサのことに話が発展していった。このような議論を研究員だけで無く現場で作業する業務科員も加わって行っていることに寺山は、驚きとともに共感を覚えるのだった。また、早くこの中に加わって意見が言えるようになりたいと思うのだった。


 その後もいろいろの話題で盛り上がっていった宴会は、日が暮れかけた頃、一応お開きとなった。その後、近くの月寒の町までハイヤーを呼んで出かけていく強者もあったが、多くは、クラブの中に移って二次会を開いたり麻雀に興じたりして談笑は続いた。寺山も坂井も先輩たちに交ざって夜更けまで仕事のことや研究のことを熱く語り合うのだった。 

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