落ちぶれた支配者

三鹿ショート

落ちぶれた支配者

 私は、彼女に支配されていた。

 毎日のように食事の準備を命令されては、鬱憤を晴らすために暴力的な行為をその身に受け、数多くの痣や傷を作っていた。

 彼女が私を標的とした理由は、私が孤立し、誰からも手を差し伸べられることがない人間だと認識していたためだろう。

 彼女の私に対する行為は人間的に間違っているが、その認識は正しかった。

 私は学校を卒業するまでの間、彼女の言いなりになっていた。

 卒業してからは連絡を取り合ったことはなく、彼女が今も暴力的な人間として生き続けているのかどうか、私には分からなかった。

 ゆえに、昼間から公園の長椅子で横になって鼾をかいている人間が彼女であると気が付くまでに、時間がかかった。

 髪の毛は乱れ、衣服は襤褸も同然であり、身体は異臭を放っている。

 視線を感じたのか、彼女は目覚めると、寝ぼけ眼で私をしばらく見つめた後、口元を緩めた。

「久方ぶりですね」

 彼女の笑みは、当時の力強さを感じさせなかった。


***


 近くの店で購入してきた珈琲を渡すと、彼女は素直に頭を下げた。

 それをゆっくりと飲みながら、彼女は自嘲の笑いを漏らした。

「このような人間になるなど、想像もしていませんでした」

 彼女が語ったところによると、落ちぶれたきっかけは、私と離れたことだった。

 別の学校に進学した彼女は、私と同じような人間を見つけて再び支配しようとしたものの、そのような人間は皆無だった。

 むしろ、彼女こそが、人々の標的にされるようになった。

 その学校には、彼女よりも賢く、彼女よりも暴力的な人間ばかりが存在していたため、彼女は人々の慰み者と化した。

 誰も寄りつくことがない便所で男子生徒たちの欲望を満たす道具とされ、下着姿のまま放置されることは珍しくなかった。

 放課後は女子生徒たちに繁華街へと連行され、そこで男性を誘惑して宿泊施設に連れ込んでは、相手から金銭を巻き上げるという犯罪行為に加担させられた。

 その他にも、聞いただけで身の毛がよだつようなことをされていたらしい。

 彼女と生徒たちの関係は学校を卒業してからも続き、耐えられなくなった彼女は、とうとう逃げ出したのだった。

 追手に怯え続ける生活が続くと思っていたが、その想像に反して、彼女を追いかける人間は存在しなかった。

「私にこだわる必要は無く、第二、第三の私を捜せばいいだけの話ですから」

 彼女は口元を緩めると、再び珈琲を口にした。

 自分を苦しめる人間から解放されたものの、彼女はすっかり自信を無くしていた。

 これから先で会う人間が全て、己を支配する人間なのではないかと考えるようになってしまったからだ。

 その姿は、かつて私を支配していた人間と同一人物だと思うことはできなかった。

 彼女に対して恨みが無いと言えば嘘になるが、私は彼女に向かって告げた。

「あれほどきみに酷い目に遭わされた私が、今では普通に働くことができている。私に出来てきみに出来ないことがあるとは思えない」

「それは、何の慰めにもなりません。あなたに対する私の行為は、私の受けた仕打ちに比べれば、児戯のようなものです」

 彼女の話を聞けば、確かにその通りだろう。

 だが、私には疑問が生じた。

「ならば、何故生きているのか。この世界を嫌うのならば去ればいいだけの話だろう」

 そう告げられた彼女は目を丸くした後、思案するような表情へと変化した。

「言われてみれば、そうですね。未練でもあるというのでしょうか」

 そこで私は立ち上がり、何かを呟いている彼女に向かって、

「しばらくは、自分と向き合ってみるといいだろう。答えが出なかったとしても、それを見つけることが人生なのではないだろうか」

 そう告げると、帰路につくことにした。

 別れの言葉を吐いた彼女に手を振りながら、私は公園を出た。


***


 後日、自宅の呼び鈴を鳴らした人間は、彼女だった。

 以前とは異なり、身なりが改善している。

 私を認めた途端、彼女は頭を下げると、謝罪の言葉を口にした。

「かつての私があなたに行った数々の悪事がどれほどのものなのか、私は身を以て知りました。そこで、私が生きる意味が何なのかを考えたとき、あなたのことが思い浮かんだのです」

 彼女はそこで頭を上げると、私の手を握りしめながら、

「あなたのために生きることで、それが罪滅ぼしになると考えました。たとえあなたが遠慮し、迷惑だと言ったとしても、私が考えを改めるつもりはありません」

 そう告げると、彼女は私の家に上がり込んだ。

 私が止める言葉も聞かず、室内を掃除し、食事を作ると、自身の家へと帰っていった。

 それから彼女は、毎日のようにやってきた。

 最初は困惑が勝っていたが、やがて彼女に対する感謝の念を抱くようになった。

 私は彼女から謝罪の言葉を聞くことができたのならばそれで良かったのだが、彼女が満足するのならばと、受け入れるようになったのである。

 我々は自然と恋人のような関係に発展し、やがて、新たな家族を迎えることになった。

 それでも彼女は、私に対する奉仕の精神を忘れることはなかった。

 しかし、彼女は気付いているのだろうか。

 私のためにと思って働いていた頃よりも、笑顔を浮かべる頻度が増したということを。

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落ちぶれた支配者 三鹿ショート @mijikashort

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