第5話 ヒロイン

 場所は屋上へと続く階段の踊り場。

 滅多に人が立ち入ることのない、薄暗いスポットだが、その割にホコリなどは溜まっていない。

 毎日、僕とヤミ子と伊吹がここに座って昼ご飯を食べてやっているからな! 何か勝手にコケを食って水槽を掃除してくれるあのキモい系の魚みたいだ……。


 どことなく顔も似てる気がするそんなキモ熱帯魚陰キャの僕が、学校一のギャルと一対一で向き合っている。

 女子だというのに僕より背が高い。腰の位置が異様に高い。


 食物連鎖の底辺層にいる生物としての本能が働く。

 あ、これ捕食される……! カツアゲか?

 いや、それともあれか。あーしの彼ピに気安くしてんじゃねーよってやつか。テメェみたいな陰キャが近くにいたら、あーしらのグループのブランド価値が落ちるだろーがってやつか。


 いや僕は近づきたくなんかないんだけどね……!


「あ、あのさ、一太、その……」


 しかし、僕の予想とは違い、ギャルさんは何故か俯き加減で、もじもじとしていた。


 ん? 何だその感じ。よく見たら、何かお目目も潤んでる気がするし。

 こんな人気のない場所に呼び出して、そんな雰囲気出してたら、まるで愛の告白みたいじゃないか。はははっ!

 …………え?

 う、嘘だろ、まさか……まさか、このギャル、僕のことが……!?


「ま、待って、朝丘さん、確かに僕も君のことは、」

「ごめんなさい! ホントにごめんね、一太……!」

「ええー……」


 朝丘華乃は真っすぐと伸びた背筋で、深々と僕に頭を下げていた。普通に涙を流していた。ええー……。


 くそぉ、告られると思ったのに何で振られてんだよ、僕。ていうか告ってねーし。確かにちょっと優しくされてちょっと好きにはなりかけたけど、そーゆーんじゃねーし。恋愛的なやつじゃないから。あくまでも性的に好きになりかけたってだけで。

 最悪のゴミ熱帯魚陰キャである。


 そんな陰キャに向かって、朝丘華乃は頭を下げたまま、


「陰キャとか言っちゃってさ……マジで最悪だよ、私たち……」

「え」

「あの場で注意したら空気悪くなると思ってさ、そーゆーの、却って一太にも居たたまれない思いさせちゃうことになると思って……いや、違うよね。そんなの、言い訳にならない。ごめん……」


 話せば話すほど、朝丘華乃の目から落ちる水滴の勢いが増していく。


 わけがわからない。

 何で朝丘がそんなことを僕に謝っているのか。ギャルのくせに何で一人称があーしじゃないのか。ラノベじゃないからか、それは。


 ただ、その水滴が、どうしようもなく綺麗だということだけは僕にも分かった。

 いや、僕だからこそ分かったのかもしれない。底辺に生きる生物の本能として。

 きっとその水はとても澄んでいるせいで、コケを食べて生きる魚には、とても住んでいける場所ではないから。


「待って待って、朝丘さん。お願いだから顔上げて。え? ていうかもしかして、『陰キャ君をプロデュース作戦』ってのを謝ってるの? いや、あれ言ったの朝丘さんじゃないよね?」


 そもそも別に僕はそんなことで傷ついたりなんてしていない。キモいと思ったしムカつきはしたけど、軽石のあの発言自体にはむしろ感謝したいくらいだ。

 僕が巻き込まれそうになっている状況を、端的に教えてくれたのだから。


 鈴木正真にその意図はないようだが、客観的に見たらそうなのだ。奴がやろうとしていることは、まさに『陰キャ君を人気者にプロデュース作戦』そのもの。

 まぁ筋トレぐらいで僕の陰キャさなんて一ミリも変わらないだろうけど、変わろうとしていると思われてしまう時点でアウトなのだ。

 ましてや、僕たちが一番嫌いな陽キャ野郎の手によって。陽キャ野郎を愉しませる道具となって。


 そんな風に思われたら――ヤミ子と伊吹に、僕が『陰キャ君をプロデュース作戦!』に参加してるなんて知られたら――僕は終わる。

 比喩なんかではなく、実際に、僕の人生が、終わるのだ。


 それだけは、避けなければならない。


「でも、私も同罪。愛斗が悪気なくそーゆーこと言っちゃう奴だって知ってたのに……あの場で訂正する勇気も能力もなかった私が悪いし、それ以前に、そんなこと言わないように普段から注意しておくべきだった」

「いやいやマジで僕全然傷ついたりとかしてないしさ。あ、でも悪いと思ってくれてるなら、プロデュースの件に関しては朝丘さんから断っておいてくれないかな。いや、鈴木君の善意自体には感謝してるんだけどね?」

「え、なんで!? 筋トレはやろーよ!? 正真、トレーナー志望だし、あれでも教えるのかなり上手いよ!? 一太にも合ってると思うし!」

「え」


 朝丘華乃は何故か、本気で驚いたような顔で僕に詰め寄ってきた。

 あ、やっと顔上げてくれた。近い。いや近いのに顔ちっさっ。遠近法って知ってる?


「朝丘さん、それは言ってること違うんじゃ……肉体改造だけでも充分プロデュースになっちゃってるし……」

「ん? じゃあいーじゃん! なに、肉体改造だけじゃ足りないってこと? いいよ、イメチェンってことなら、私もけっこー手伝えると思うし。やったげる! 思いっきり私の好みに寄っちゃうかもだけど!」

「は? いや、だから、それじゃ尚更『プロデュース作戦』になってしまうのでは」

「うん。作戦ってのは大げさだけど。一太がなりたい自分になるためのお手伝いができるなら、私らだって嬉しいじゃん」

「話が噛み合わない……! え、朝丘さんは、『陰キャ君をプロデュース作戦』ってのに怒ってたんじゃないの!?」

「当たり前じゃん! 陰キャとか……そーゆー呼び方、絶対よくないし!」

「そ、そっち……?」


 え、マジかよ。あくまでも僕を陰キャと称してしまったことを謝ってただけで、プロデュースについては超前向きだったのかよ!?


「いや朝丘さん、そっちのことだったらマジでどうでもいいよ。僕、実際に陰キャだし」

「だめ!!」

「ひっ」


 響き渡るような大きな声。にもかかわらず耳に心地よいくらい綺麗だ。まぁ、ビビったのはビビったんだけども。


「自分ででも言わないでほしい。陰キャだとか陽キャだとか、そーゆーので人を括ろうとするの、もったいないよ」

「は、はあ」

「この世には八十億種類以上の人間がいるんだよ? たった数文字のレッテルでたった二種類なんかに分けちゃってさ、それで人のことわかったつもりになるなんて、バカみたいじゃん。私はもっと、一太のこと知りたいよ。私のこと知ってほしいよ」


 怒っていても綺麗な瞳で、真っすぐと僕の目を捉えてくる朝丘華乃。

 レッテル貼りがライフワークの僕やヤミ子には耳が痛い話である。僕なんか君の一人称まで勝手に決めつけてたのに。


 ――この人といっしょなら、もしかしたらこんな僕も、変われるのかもしれない。


「でも一太が望んでないっていうなら、しょーがないね。なんか先走っちゃってたみたいだね、私ら。ごめんね」

「え」


 あ、そうだった。プロデュースとか普通に断る流れだったんだ。

 ま、仕方ないか。

 変われたのかもしれないけど、変わっちゃダメなんだもんな。だって、ヤミ子と伊吹に知られたら終わるし。


「正真にも私から言っておくね。あ、そろそろ生物室行かなきゃだ」


 こうして。

 十年に一度レベルのSSR級の体験が終わりを告げた。

 もしかしたらこれこそが、僕の人生における第二のターニングポイントだったのかもしれないが、僕は結局それをスルーした。


 ま、そういうもんだ。僕の人生の行く末なんてとっくに決まってるんだから。

 僕は一生、ヤミ子と伊吹と共に、社会の隅っこの畳六畳の部屋で他人のレッテル貼りをしながら――


「待て待て華乃、必要ねーぞ、そんなの。一太は俺が必ず鍛え上げてみせる」


 立ち去ろうとする僕らを、階段の下からヌッと出てきたイケメンが制してきた。

 鈴木正真である。

 初めて見下ろす角度でこいつを見たが、逆三角形のシルエットがマジで美しい。逆三角形の上辺じょうへんから首にかけても筋肉が盛り上がっていて、こっちはこっちで二等辺三角形みたいになっている。

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陰キャの僕が主人公キャラに陽キャ化プロデュースされてることを陰キャ仲間に知られたらたぶん殺される アーブ・ナイガン(訳 能見杉太) @naigan

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