第4話 陽キャトップカースト

 翌朝。

 いつもであれば虚無の心で入る騒がしい教室に、今日の僕はビクビクしまくりながら足を踏み入れる。


 窓際後方をチラと盗み見ると、いつも通り、陽キャ男女四人組が集まってワイキャイウェイキャイはしゃいでいる。

 その輪の中心にいるのはもちろんあの男、鈴木正真だ。


 僕は忍び足で窓際最前列の自席へとつき、顔を突っ伏して息をひそめる。鈴木に見つかると面倒、というのもあるが、別に普段からこんな感じである。

 ヤミ子と伊吹に対しては偉そうな僕だが、それ以外の人間に囲まれるととても謙虚になるのだ。謙虚なだけなんだ、うん。


 とにかく、こんな感じで静かに一日をやり過ごせば、あいつも僕のことなんてすぐに忘れてくれるだろう。


「よっ、一太。今日、放課後からな。栄養補給しっかりしとけよ」

「ひっ」


 頭をポンと叩かれ、とっさに顔を上げると、案の定、ツーブロックの濃い顔イケメンが、少年みたいなクシャっとした笑顔で僕を見下ろしていた。


 ワイシャツの襟元から除く大胸筋、まくられた袖から伸びるゴツゴツとした前腕に浮き出る血管。

 ファッションモデルのような頭身を持っていながら、近くで見ると、めちゃくちゃゴツい。


 鈴木正真という人間は、そこにいるだけで僕を怯ませるに余りある存在感を放っている。


「焼きそばパンですか……?」

「ん? ああ、とりあえず今日は総菜パンでもいいけど、脂質も高そうだな。トレ直前には避けとけよ。ま、これからお前の具体的な目標とか設定した後に、食事内容とかも考えてこーぜ」

「え? トレ……? とは……?」


 何かよくわからんが、とりあえずパシリではなかったようだ。


「なになにー? なに話してんのー? 正真が一太と絡むなんて珍しくなーい?」


 僕が戸惑っていると、鈴木の後ろから、明るい髪と透き通るような肌の小顔がひょこっと現れた。

 

 鈴木の彼女、朝丘あさおか華乃かのである。ギャルである。怖い。

 思いっきり制服着崩しまくってるはずなのに、校則全部きっちり守ってる僕やヤミ子より断然綺麗な着こなしに見えるのはどういうことなんだ。怖い。ギャルも校則も怖い。


「おう、いやな、華乃。一太が俺みたいに体鍛えてぇって言うからよ。俺がパーソナルトレーナーやらせてもらうことになってな」


 え? は? 僕そんなこと言った?


 ……いや、文字面だけ見たらそう言えなくもないこと言ったかもしれないけど、あんなのどう聞いたって嫌味だろ。何を言葉通りに受け取ってんだ、こいつ!? そもそもトレーナー云々に関しては、トの字も発してないしね!


「あ、あのー、鈴木君、僕は、そのー」

「ん? どうした、一太。つか、呼び捨てしろよ。俺だって一太って呼んでんだから」


 ダメだ、誤解を解きたいのに、こいつ聞く耳持ってない。


 でも、怯んでる場合じゃないな。こういうのは時間が経てば経つほど言い出しづらくなってくものなんだ。

 よっし、一世一代の大勝負だ! ここで、はっきりとお断りの言葉を――


「えーっ、いーじゃん、いーじゃん、めっちゃいーじゃーん! 一太も正真ジムデビューかー! いっしょに頑張ろ?」

「ふ――っ!?」


 思わず変な息が漏れる。

 朝丘華乃が僕の両手を取り、ブンブンと上下に振ってきたのだ。


 ぐっ……このビッチ、彼氏の目の前でこんなクソ陰キャ男の体を普通に触ってきやがって……! ドキドキしちゃうだろ……!


「だろ? 結構見込みありそうなんだよ、一太って」


 で、彼氏の方も全然気にしてない感じだし。くそぉ、風紀が乱れてやがる……こんなの乱交じゃないか……!


 そんでクラスのツートップがテンション高めでいるせいで、教室中の視線が僕の席に集まってやがるし。高校入学以来、初めての現象だ、こんなの。


 特に、このカップルの取り巻きでもある、一軍メンバーの二人なんかは、実際にこっちにまで来てしまっている。

 ついにトップカーストグループ四人に囲まれるクラス最下層男という布陣が完成してしまった。


 確か、軽石かるいし愛斗あいとといったか、茶髪マッシュのスラッとした男子が、チャラチャラとした口調で、


「お、正真クン、それもしかして、『陰キャ君をプロデュース作戦』、的な!? 正真クンのプロデュース力で人気者にしちゃう的な!? めっちゃオモロそーじゃん、それ!」


 え、あ。

 なるほど。これって、そーゆー……あー、そういうノリだったのかよ……。


 やっべぇ、さっむ。


 一軍ギャルに手ぇ握られて高鳴ってた胸も一気に冷めたわ。

 僕、そういう、陽キャがドラマとか漫画のモノマネして青春物語の主人公演じるの一番嫌いだわ。僕が一番嫌いなもの多すぎだろ。


「ん? プロデュースって? 何がだ?」


 が、当の鈴木正真の方は軽石の表現が全くピンと来ていないようで。

 そんで何故かギャルさんは大きな目をさらに見開いて唖然とした顔してるし。ホントこいつら意味わからん。


 そんな中、もう一人の一軍メンバー、黒髪ロングの清楚そうな女子、早川はやかわ琴音ことねが呆れたような声音で、


「良くないわよ、そういうの。倉井君も困っているじゃない」


 そして彼女は同情を込めた視線を僕に送ってきた。


 ……この女……ありがてぇ……!

 まぁ何かナチュラルに下に見られてる感はビンビン伝わってくるけど、実際下なんだから仕方ない。このキモい流れに歯止めをかけてくれたのは事実だ。


「え、でも琴音。一太の方から筋トレしてぇって言ってきたんだぞ、俺に」


 言ってねーし、早川さんが注意したのは、厳密には鈴木正真に対してではないだろう。

軽石の「陰キャをプロデュース」発言についてだ。

 そういう陰キャをおもちゃにして楽しむノリの気持ち悪さが彼女にもわかるのだろう。

 一方で鈴木正真には、人気者プロデュース的な感覚はなく、純粋に筋トレ指導をしたいという気持ちがあるだけっぽいし。


 ま、被害者側からしたら、加害者の意識の違いなんか関係ないけどな! 意図がどうであれ、僕が受ける被害は変わらないからな!


「分かるわよ、正真君にそういうつもりがないことは。ただ、あなたって言葉を額面通り受け取ったりする癖あるじゃない? ちゃんと倉井君の意思を再確認するべきよ。ね、華乃さんもそう思うでしょう? 正真君ってそういうところあるわよね」


 早川さんが、サラサラの黒髪を手ぐししながら、ギャルさんに話を振る。理由は分からないが、何となく得意げというか、勝ち誇った感じの表情だ。


 対して、なぜかいきなりマウント取られたっぽいギャルさんは、


「え、あ、うん」


 と、上の空な感じで、適当な返事をするだけだった。


 なんだそれ。可哀そうだろ、早川さんが。

 長々と喋った挙句、ギャルにそんな返しされたら、僕なら三年後でもたまに思い出して死にたくなるぞ。


 まぁ、早川さんは「うふふ、華乃さんらしいわね」と微笑んでいるから何の問題もないのだろう。

 陽キャのコミュニケーションって難解なんだな。一生加わりたくねーわ。


 今の僕はまさにそんな陽キャカルテットのド真ん中に放り込まれてるわけだけどな……!


 そんな青春地獄の中、リーダーである鈴木が「うーん、マジか」と困ったように僕を見つめたタイミングで、ちょうど担任教師が入室し、着席を促してきた。普通に真面目な陽キャグループたちもそれで解散していく。


 ありがとう、先生……人生で初めて教師に感謝をしました……いつも大変なお仕事お疲れさまです……!


 ホームルームそっちのけで昨夜の打ち上げについて楽しそうに語る彼を見て、僕はまた教師が一番嫌いになった。


      ※


 本題を脱線させての雑談が生徒からウケると勘違いしてる教師のクソ独演会こと、ホームルーム終了後。

 一時限目の授業のため、二年一組の面々は生物室へと移動し始めていた。

 無論、僕は一人である。三階の教室から一階まで行くだけのために群れなきゃいけないほど弱い生き物じゃないからな、僕は!


 そんなこんなで僕もキョロキョロしながら教室を出ようとし、


「ちょっと。一太、今いい?」


 そんなタイミングで、ワイシャツの袖を引かれた。

 白く透き通るような綺麗な手。その手のことはよく知っている。すべすべの感触まで。

 ついさっき、僕の手を握られたばかりだからだ。


「二人で話したいんだけど」


 学校一美人で目立つと言われている陽キャギャル――朝丘華乃が神妙な顔と声音で、僕との二人きりをご所望していた。

 ええー……。

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