「さらば我が灰色の青春」4

 蝉の声が降り頻る。

 時雨が如きそれが乱反射する地面を、ローファーが早いテンポで叩き続けている。

 その側をトラックがけたたましく通り過ぎていった。

 温風が彼女の頬を撫でた。その口は固く一文字に結ばれ、その目は温風を叩きつけた相手を忌々しげに見つめていた。汗で張り付くのは、彼女をナンパに見せる明るい色の髪だった。

 スクラップを満載したオンボロのトラックは、臭気で分かるほどに大気を汚染しながら猛スピードで走り去っていった。

 この道は通学路であるが、同時に駅前の幹線道路と、もう一つの幹線道路を繋ぐ抜け道でもあるため、道の規模に反して車の通行量は多い。学生らは手すりもなく、人がどうにか行き違うことができる程度の白線と学校の外壁の間を歩くのが日常だった。


 遠くから彼女を呼ぶ声が響く。一度その声を耳が拾うと、僅かに足並みが遅くなる。だが二度目にその声が届いた時にはむしろ当初よりも早くなっていた。大地を踏みつけるかのように繰り出された足からは不機嫌な音がした。


「清水さん!」


 三度目でようやくその足が止まる。


「なに」


 振り返る彼女の顔は不機嫌を通り越して不快感にすら満ちていた。


「ちょっと待って……」


 宮守は膝に手をついて息を整える。その顎には幾筋もの汗の川が集って雨垂れのように地面を濡らしていた。


「え、なんなの……」

「先生に頼まれてさ」


 面を上げた宮守は目を見張り、硬直した。彼女の背後からは先程通り過ぎたのと同じトラックが走ってきている。だが、それと並走するように黒い物体が弾みながらこちらへと突進して来たのである。その軌道は運悪く自らの方向に向かってきていることは明白であった。

 宮守は咄嗟に動けなかった。体が緊張し、思考ばかりが加速する。それはさながらアクセルを全開に踏み込んだ時、凄まじい音を立てて空回りするタイヤだ。


 この思考の空回りが何よりも貴重な時間を奪ってしまった。何をするにももはや遅い。

 どうにかしなければという思考が氾濫する。それはさながら高速回転するタイヤが地面と摩擦を起こして噴き上げる白煙に似ていた。


 どうにか一歩を踏み出した。否、一歩と言わず人をそれは半歩と呼ぶ。あるいは半歩にすら満たないかもしれなかった。

 宮守は絶望する。間に合わないことを悟ったのだ。


「清水さん!」


 叫ぶも、相手は不機嫌そうにこちらを睨むだけだった。

 策は尽きた。元より、思考の猶予はほとんど与えられていなかった。定められた運命は


 その時、不思議なことが起こった。


 アレほど鈍化していた宮守の体が加速する思考の速度に追いついて行動をし始めたのである。

 宮守は無我夢中で手を伸ばした。清水の頬を伝う汗の滴がひどく緩慢に見える。

 言うなれば奇跡、あるいは火事場の馬鹿力とでもいうべき代物だった。

 起きた事象はただ一つ、宮守が清水の胸を押して倒したことである。未だ事が理解ができない清水は突然の強い衝撃に困惑を、ついで尻の痛みに怒りを感じた。


「なにすんの!」


 彼女が怒りに叫ぶのと、宮守が彼女の視界から消えるのはほぼ同時に起きたことだった。彼女は何が起きたのか分からなかった。その傍らには宮守が地に伏せていた。彼女のすぐ近くの壁に衝突して大きな音を立てる。蝉の声が止み、一斉に木から飛び去って行く。

 音が消えた世界で清水は周囲を見渡した。トラックの運転手はただ茫然と彼らを見ているのが目に入った。その顔面は蒼白で瞼一つ動かさない様子はさながらマネキンにでもなったようだった。


「……き、救急車を」


 彼女は急速に渇いていく口を開いた。震える指の指紋を認証させてロックを解除する。指は震えていてもなお液晶の上を踊り、キーパッドには数字が表示される。彼女は『11』と打ち込んでから『0』と『9』の間で指を止める。その瞬間、温かい感触が彼女の尻を撫でた。彼女はその君の悪い感触に肩を震わせて小さく悲鳴を上げて正体を凝視した。

 それは赤みを帯びた黒い物体で、周囲の細かな砂利を身に吸い付かせながら地面を這っていた。その正体を知るのにしばらくの時間を要した。

 サーっと、彼女の顔から血の気は引いていく。その物体が、斃れた宮守の体から流れるおびただしい量の血であることに気づいたのだった。彼女は悲鳴を短く悲鳴を上げたかと思うと気を失った。その場において動くものは壁にぶつかった反作用とその惰性で転がるタイヤだけだった。それもすぐにエネルギーを摩擦で奪われて横転する。

 荒れた路面に点線の轍がタイヤと凄惨な現場を結ぶように伸びている。止まっていた時が動き出したかのように、蝉時雨が再び降り始めていた。

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猫と不死身の召喚兵 鳴尾蒴花 @naruo_writer

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