第三週目
Side:エスト
「お兄様!情熱の赤と蟲惑な黒、どちらが好みですの?」
「あたしはサイズ的に選べるのがあんまりないんだけど、この紫なんてどうかしら、お兄様?」
「君たち二人共、女性物の下着を僕に聞くのはやめようか」
「「え〜」」
彼女たちは不満げに試着室へ消えて行く。
僕はわずかに熱くなった頬を冷ますため売り場から離れた。
今、僕はアルノルド男爵領に新しくできたガネーシャ商会にデートに来ている。その相手は婚約者であるメアリと「赤い風船」の娘、ネルだ。
どうしてこうなったかと言うと、領内に噂が流れてしまった。僕がパン屋の娘のファーストキスを奪った、と。
噂の発信者は特定できている。ちなみにネルではない。
ただ、たった一週間足らずでこうも噂が広まるのかと驚いている。
噂はメアリの耳にも当然入って、事情聴取が行われた。
幸いにもというか何というか、メアリは側女を娶ることに積極的だ。セントラル王国の貴族家当主は男系継承であり、直近でアルノルド男爵家はお家断絶の危機になったので思うところがあるのだろう。
僕が一息ついていると、この店の支配人がにこやかに近づいてきた。
「お疲れならあちらでお飲み物を用意しましょう」
「いや、それには及ばない。それよりも、レイヴン商会の件、うまくやったようだね」
「ええ、しっかり地盤を固めさせていただきました」
結局、あの新人店員――エルマ嬢の言っていた通り、オークデン金融の顧客リストとレイヴン商会の大口客は一致した。
「赤い風船」ほど露骨に値を釣り上げてはいなかったが、あと少し気づくのが遅れていたらどうなったか分からない。最悪、アルノルド男爵領の有数な商店を軒並みオークデン金融に押さえられていたかも知れない。
そう考えるとゾッとする。
ガネーシャ商会の迅速な働きでレイヴン商会の大口客は全て残らず取り込んだ。仕入れ値が安くなるから彼らも喜んでいた。同時に、不当な価格で騙していたレイヴン商会に不満を露わにした。
これ以上、オークデン金融とレイブン商会が何かを企むのは難しいと思われるが。どうなるか。
「お兄様、次はお洋服を見ましょう!王都の最新ファッションらしいですの!」
メアリが呼んでいるのでそちらへ行く。
「あの……今更だけど、あたしまで買ってもらっていいのかしら。そもそもあたしみたいなのが側室なんて――」
僕は不安にうつむくネルの手を包み込み、ほぐすようにさする。
「これから僕に毎日、パンを焼いてほしい、そう言ったよね?」
「ぅん、お兄様……」
「クスクス、私も楽しみにしていますわ。でも、ネルさんばかりずるいですの。私もお兄様に手を握ってほしいですの〜」
甘えた調子のメアリの手も握り、しばらく僕たちは買い物デートを続けた。
満足した僕たちはガネーシャ商会を後にする。
右手にメリアが、左手にネルが、という両手に花の状態で周りの嫉妬の視線を集めながら馬車に乗り込もうと向かう。
今晩はネルを屋敷に招待してディナーの予定だ。
近日中にネルも屋敷に移り住み、屋敷から「赤い風船」に通うらしい。
「このヤロウッ!ネルまで奪いやがったのかッ!」
唐突に怒鳴り声が辺りに響く。
そちらを見やれば、リック・レイヴン氏が顔を怒りに赤く染め、憎々しげにこちらを睨みつけていた。
Side Out
///
Side:リック
メアリの婚約話は俺にかなりの心の傷を残した。
具体的に言えば、一週間、自分の部屋に引きこもっていた。
その間、何度も俺のメアリを優男から救い出す方法を考えたが、まっとうな方法では貴族の権力に勝てないって結論づけるしかなかった。
だが、心を落ち着かせて考えれば、メアリを逃したのは惜しいが、まだ俺の周りには三人の顔がいい女がいるんだ。
運命はまだ俺に味方してくれている。もう誰も奪わせやしない。
そう決意した俺の腹の虫が鳴る。
そういや、ネルのやつ、ここ最近、昼飯を持ってきてないな。まあ、俺が自分の部屋にいたからだろうが。幼馴染なんだから、遠慮せずに入ってくればいいのに。恥ずかしがってんのか?
ネルのカツサンド、久しぶりに食いたいな。あと、ゆっさゆっさ揺れるデカい乳房を拝みたい。
俺は心を浮き立たせながら部屋を出て廊下を行く。
親父の執務室の前を通りかかった時、
「――あの若造めッ!俺が伯爵様に会いに行ってる間に全部、終わらせやがったッ!八年だぞ!八年!俺が情報を統制して、ボンクラどもを騙し込んで、さあこれから仕上げって時に!しかも悪い風聞のせいで店に客が寄りつかん!ァハハ、もうお終いだ――」
親父がらしくなく荒れているってことは、デカい商談に失敗したのかもな。まあ、商会のことは親父に任せておけばいいだろ。俺はテキトーに店番をやってればいい。成功した商会の息子ってのは楽でいいぜ。
俺は一階に降りて、スタッフルームを通り、店に出る。
どういうわけか店内がガラガラだ。店員たちが暇そうにしている。
俺は椅子に座って足をぶらぶらさせているエルマを見つける。
「なあ、ネルって今日来たか?」
「聞くことそれっすか。店内の状況とか……はぁ〜、ネルさんは来てないっす。あと『赤い風船』に行っても無駄っす。今頃、ネルさん、ガネーシャ商会にいますけど……行かない方がいいっすよ?」
ガネーシャ商会?
最近できた新参の商会になんでネルが?
ってか、そもそもエルマはなんで断言できる?
「忠告しましたからねー」
俺は呑気なエルマの声を後にして店を出た。
ガネーシャ商会は表通りのここから近い場所にあるから、行ってもそんなに時間がかからない。
そして、向こうに目的地が見えてきたちょどその時、ガネーシャ商会から三人の男女が連れそって出てくる。
「……は?」
現実を理解しようとしてできなかった。
もう顔も見たくないあの優男の腕にメアリが抱きついているのは、まだ分かる。政略結婚ってことで諦めた。
だがよ……なんでお前までいるんだよ!ネルッ!
とろけきったメス顔でッ!デカい乳房を押し付けてッ!
それをやる相手は俺だろうがッ!
またか、またなのか……っ
俺は突っ立っていた足を動かす。
頭に血がのぼりチカチカする視界の中で、三人の姿が大きくなっていく。
「このヤロウッ!ネルまで奪いやがったのかッ!」
何がしたいか自分でも分からないが、この怒りと憎しみを目の前の「敵」にぶつけないと気が済まない。
あと数メートルのところで剣が突き出される。
俺は慌てて足を止める。
「邪魔しないでください!イザベラ師匠!」
「……私はメアリ様の護衛だからな」
「おいっ、後ろに隠れてないで出て来いっ、卑怯だぞっ!」
「あのさ――」
静かに響くネルの声が俺の言葉を遮る。
いつもは化粧っけがないくせに、アイシャドウの引かれた目がこっちを強く見据える。
「あんたが何に怒ってるのか分かんないけど、怒りたいのはあたしの方だから。あんたの商会がうちにやったこと、絶対ゆるさないから」
「な、なんの話だ」
「知ってようが、知らなからろうが、どっちだっていい。もうあんたの顔なんて見たくもない。――サヨウナラ」
ネルはそう言い捨てると、優男の腕を引っ張って馬車の中に乗り込んでいった。メアリはこっちへ一瞥ささえもしない。
一体、俺の何が悪かったんだ……
怒りが急速に冷えていき、そればかりが頭の中をぐるぐるとまわる。
「リック……私はお前の味方だ。いつでも頼ってくれ」
最後にイザベラ師匠が何か言っていたみたいだが、俺はぼんやりと馬車が遠のいていくのを見つめるしかなかった。
どれくらい時間が経っただろうか。
通行人に文句を言われても、避けられても、その場に居座り続け考えていたが、やっと一つの答えを得た。
「告白しよう」
思えば、俺は誰かに好意を伝えてこなかった。
メアリもネルも当然伝わっていると思っていたが、違ったらしい。俺の気持ちが分からず不安にさせてしまったせいで、その心の隙をあの優男に権力で屈服させられ、媚びるよう調教されてしまったのだろう。
そう考えると、辻褄が合う。
だから告白して俺のモノにしてしまえばもう奪われない。
俺に残っている女はあと二人。
最初に告白するのは――
+++選択肢+++
▷イザベラ・ホーネスト
▶︎エルマ・コヴィット
+++++++++
エルマだな、うん。
イザベラ師匠にさっき剣を突きつけられびびった訳ではないぞ?
エルマの方が毎日、顔を合わせているから気が楽ってだけだ。
そして、デートしてメアリたちに見せつけてやろう。泣いて悔しがる姿が目に浮かぶな。
――と思っていたのに。
「普通に嫌っすけど?」
告白なんて恥ずかしいマネ人目につく場所でできないってわけで、商会に戻った俺はエルマを自室に呼び出して「好きだ」と告げた。
「は、はぁ?俺がお前を好きで付き合ってやるって言ってんだぞ?」
「根拠のない自信、いかにも若様って感じっすね。うち、若様のことはそーいう目で見たことないんで。じゃあ、失礼するっす」
エルマが俺の断りもなく出て行こうとする。
「クソッ、ナメやがって……」
俺はエルマの肩を引っ掴むと小柄な体を壁に押しつけた。
そうだ、告白なんてまどろっこしいことはなしだ。
この女を力で屈服させて俺のモノにしてしまえばいい。
あの優男がやってんだ。俺もやったていいだろ?
「もー、若様、今なら冗談にしてあげるので離してほしいなー」
エルマの調子は不自然なほどいつもと変わらない。
明るい表情も、くりっとした目も。怯えて体が震えてさえもいない。
俺が訝しげに見ていると、エルマが大きく息を吸った。
ヤバい、叫ばれる!
慌てて口元を覆い隠そうと手を伸ばし――
次の瞬間には、ふわりと宙に浮いた。
「ぐへっ」
受け身も取れず、後頭部から床に叩きつけられた。
霞んでいく意識の中、エルマがさっきとは別人だとしか思えない無表情の冷たい目で見下ろしていた。
「――今までお世話になりました、リック・レイヴン」
Side Out
///
Side:エスト
「いやー、お兄様にそんなじっと見られると照れちゃうっすね」
向かいのソファでニコニコとしているのは、レイヴン商会の新人店員のエルマ嬢だった。
ネルを招いたディナーが終わり、彼女を「赤い風船」に送り届けて、ちょっとした資料の整理を執務室でしていると、夜分、エルマが訪ねてきた。
なぜ、商会の人間がここまで来られるのか驚いたのだが。
「まさか、エルマ嬢が諜報部の諜報員だったとは……」
「エルマでいいっすよ。新人ですし」
エルマがテーブルに書類や便箋を並べていく。
「これは?」
「ジーマン伯爵領とレイヴン商会が裏で繋がっている証拠っすね。早い話が、ジーマン伯爵領はレイヴン商会を通してアルノルド男爵領を支配してやろうと企んでたっすね。オークデン金融も伯爵領から送り込まれたっす」
「なっ!?」
僕は慌ててそれらを見ていく。
「アルノルド男爵家は先代が亡くなってお家が揺れましたから、隣の領からすると与し易そうに見えたみたいっすね。レイヴン商会の本家が伯爵様の御用商人ってあからさま過ぎますよね」
「……なぜ、今まで黙っていた?」
「もー、お兄様、睨まないでください。アルノルド男爵家も一枚岩ではないってことです。お兄様は男爵家の正統な血筋ではないので追い落とす動きがあっても不思議ではないでしょう?お兄様の失政で領地が傾けば、堂々、反旗を翻せるっすからね」
怖いことをさらりと言う。
「これらの証拠を渡したということは」
「はい、好きに使ってください。我々はお兄様に一定の評価を見出したっす。特に、王都老舗のガネーシャ商会の招致は驚いていたっすよ。他にも王都でのコネがあるようで。是非、そのコネをアルノルド男爵領の発展のため使ってほしいっす」
あけすけに言われると苦笑しか出ない。
「エルマ、君と初めて会った時、オークデン金融とレイヴン商会の関係をほのめかす発言をしてただろう?援護射撃のつもりだったのか?」
「まあ、そっすね――」
一瞬だけ彼女から視線を外した。
たったそれだけの間で、まるで瞬間移動のごとく向かいにいた彼女は僕の膝上に腰下ろしていた。
「お兄様、意外と隙が多そうなので、心配になってヒントを出しちゃいました。余計なお世話だったっすか?」
「いや、その節は助かったよ」
今の尋常ならざる体術を見れば、あの時、懐から顧客リストのメモ用紙を落としたのも偶然ではないのだろう。
「さて……」
「あの、お兄様?どうして、腕でうちの腰をがっちり固定してるっすか?そ、そういうのはまだ早いというか、心の準備がいるというか……」
「ネルのファーストキスを奪った噂が領内に広がった件の言い分を聞こう」
「あー……ネルさんへの愛の援護射撃っす!――いひゃぃ、いひゃぃ、ほにぃさみゃ」
ほっぺたを引っ張るくらい罰として軽いと思う。
「噂の拡散速度に驚いたが、無駄にスペックが高そうな君ならできてしまうのだろう」
「無駄って、ひどいっすね、もー」
話はひと段落したと思ったが、エルマは僕の膝上から立たず、背筋を伸ばす。
「うちが今日、お兄様に会いにきたのは契約をするためっす」
「契約?」
僕の疑問をよそに、エルマは雰囲気を一変させた。
表情から明るさが消え、愛嬌のあった目は湖面のような静かさ。
全てを見透かすようにじっと僕を捉える。
「私、アルノルド男爵家影の一族、エルマリアン・デュオンが誓います。貴方を我が主と認め、生涯お支えすることを。表と裏、あらゆる敵からお守りすることを。無垢なる口づけを捧げ、契約をここに」
エルマのほっそりした手が僕の頬に触れる。
彼女は目をつむり、唇を触れ合わせる。
離れた時には、僕の前には明るく元気な笑顔があった。
「よし!これで明日には、うちのファーストキスを奪ったという噂が領内に広まっているっす!――いひゃぃ、いひゃぃ、ぉにぃさみゃ」
執務室でのじゃれ合いはもう少しだけ続く……。
――――――――
〈リザルト 第三週目〉
→ エルマルートの消滅。
(ヒント)
エルマの好感度が足りませんでした。
もし好感度が基準以上で告白すれば、諜報員との偽装恋愛から真実の愛へと発展していきます。
(おまけ)
+++選択肢+++
▶︎イザベラ・ホーネスト
▷エルマ・コヴィット
+++++++++
〈リザルト〉
→告白後、即ゴールインします。
→リックはホーネスト家の婿養子となり心身共にしごかれ成長していきます。エストの良き臣下となります。ネルとの仲が修復します。メアリ、エルマも徐々に信頼をよせていきます。
リック君の最後の救済だった模様……
バッドエンドに直行する君と全てを手にする僕 あれい @AreiK
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