殺したくない男

常盤しのぶ

第1話

 可愛いでしょ、そのオルゴール。

 そう、オルゴールなんだよ、それ。十歳の誕生日に父からもらったんだ。僕のお気に入りでね。家を出た後も、なんだかんだでずっと持っているんだ。他にアンティークな物をあまり持たないから、部屋に置くとどうしても浮いちゃうんだよね。だから君も気になったんでしょ? 僕の部屋に来る人みんなそのオルゴールが気になるみたいなんだ。僕も浮いてるとは思うけど、そんなに気になるかな?

 今日も暑かったよね。最高気温36度だったんだって。クーラーがなかったら夜でも死んじゃうよ。このオルゴールをもらった日も、こんな蒸し暑い日だったな。よく覚えてる。

 ん、気になる? じゃあコーヒーでも飲みながら聞いて。シロップとミルクはそこの棚にあるから適当に使っていいよ。


 僕の父はフリーの貿易商でね、僕が小さい時からずっと世界中を旅して回っていたんだ。で、商品になりそうな物は父が契約している倉庫に送って、商品にならない、けど面白そうな物は家に届くようになっていた。だから小さい頃から家の中は世界中のヘンなモノで溢れかえっていたんだ。写真があれば見せたいくらいだよ。「え、ここ本当に日本?」って言いたくなるから。

 文句? 普通の家庭であれば母親がしびれを切らして、なんてことになるだろうね。だけど、うちの母からそういった文句らしい文句は聞いたことがないよ。父は昔からこんな感じだってさ。いつも笑っていたよ。

 母が父からもらった最初のプレゼント、何だかわかる? スケアリー・メアリー。知らない? イギリスの呪われた人形だよ。いたずら好きで、人の目を盗んでは部屋の電気を消したり椅子を揺らしたりするらしい。その時まだ付き合っていなかったらしいけど、このスケアリー・メアリーのプレゼントで母は父と付き合うことを決めたんだってさ。この人と一緒にいると毎日が楽しくなりそうって、そう思ったらしい。意味がわからないよね。そんな二人だから結婚して僕が生まれても生活が成り立っていたんだと思う。まぁ、パルテノン神殿の柱とトーテムポールが同時に家に届いた時は、さすがの母も言葉を失っていたけどね。

 君はさ、呪いとか心霊写真とか、そういう、なんていうかな、オカルトは信じる方? 僕は信じていないよ。……いや、少し語弊があるな。実際に呪いは起きないし、心霊写真も物理現象で説明できると思っている。ただ、エンタメとしては面白いと思うよ。テレビでやっている心霊写真特集とか面白いよね。昔と比べて特番の数が減ったのが寂しいと思うくらいだ。

 さっきのスケアリー・メアリーもそうだけど、父は世界各地に点在する呪物も頻繁に家に送ってきた。ペルーで見つけた変な人形とか、オーストラリアの先住民から譲ってもらった編み紐だとか、そういうの。そういうのを大人になってから自分で調べてみると、実は結構な威力を持つ呪物だったりするんだよね。殺したい人間の名前を編み紐に念じて持ち歩くと、その紐が切れた瞬間にその殺したい人間が命を落とす、とかね。面白いよね。

 呪いで人を殺すってさ、実際にはありえないでしょ? 日本では笑われてしまうけど、どこかの国では呪いで人を殺したらきちんと罰せられるんだって。こういうのもお国柄、なのかなぁ?

 そのオルゴールも、そういう呪物と同じように送られてきたんだ。《Happy Birthday!!》と豪快な筆文字の便箋と一緒にね。誕生日プレゼントに呪物を送る父親がこの世に存在すると思う? いるんだなぁ、実際に。

 後から知った話なんだけど、このオルゴールの音色を聴き終えた人間は確実に死に至る、らしいよ。聴いてみる? ……はは、大丈夫だよ。僕は今まで何回も聴いてきたけど、こうしてピンピンしている。それに言ったでしょ。呪いなんてあるはずがないって。世界中の呪物に囲まれて生きてきた僕が言うんだから間違いないよ。

 ……綺麗な音色でしょ? もう百年も前の代物らしい。とてもそうとは思えない。だから気に入ったんだ。今でも聴きたくなったらたまに聴く。

 誕生日プレゼントとしてこのオルゴールをもらったのが僕が十歳の誕生日。今日みたいに蒸し暑い日だった。母はその時キッチンで晩御飯を作っていた。僕の誕生日の晩御飯は母特製の照焼きチキンと毎年決まっていたんだ。君の家はそういう毎年の決まりごとみたいなのはあるかな? 聞いてみると家庭ごとに色々あって楽しいよね。僕は母の作る照焼きチキンが大好きだったんだ。誕生日最大の楽しみと言ってもいい。クリスマスにも出てきたけどね。

 母がキッチンで晩御飯の支度をしている間、暇だったから父から送られてきたオルゴールを鳴らしてみたんだ。今みたいに綺麗なメロディが流れた。母の耳にも届いたみたいで、僕に声をかけてきた。たしか「それ、お父さんから?」とか「綺麗な音ね」とか、そんな感じだったと思う。僕は適当に返事をして、それからオルゴールの音色に聴き入っていた。

 オルゴールが鳴り終わると、キッチンから人が倒れたような大きな音が聞こえてきた。何事かと思ってキッチンに向かうと、母がうつ伏せになって倒れていたんだ。僕は急いで母の身体を仰向けにすると、胸に包丁が刺さっていた。顔は歪んだまま、目を見開いたまま、母の顔は時間が止まっていた。

 母は死んだ。十歳になったばかりの僕でも理解できた。多分包丁を持ったまま足を滑らせて、運悪く胸に刺さってしまったんだろうね。そう、たまたまなんだよ。オルゴールの呪いなんかじゃない。母は事故で死んだ。

 僕は死んだ母の顔を覗き込んだ。当然だけど、死人の顔を見るのは初めてだったから、興味本位というのが大きかった。

 母の死に顔はとても綺麗だった。とても美しかった。今まで僕が見てきた母の中で一番好きな顔だった。僕は死んだ母に心を打たれた。キッチンに用意されていた照焼きチキンも何も食べずに、その日は母の隣で眠った。今までで一番幸せな時間だった。


 どうしたの? オルゴールの話でしょ? だから母が死んだのはただの偶然で呪いなんかじゃ……何をそんなに怖がっているのさ。大丈夫だって。さっきも言ったけど、僕は平気だよ。僕が怖い? また何を訳のわからないことを……僕の家に遊びに行きたいって言ったのは君じゃないか。あの合コンだってとても盛り上がっていたのに、僕が資産家で年収三千万って言った瞬間に目の色変えたのは君だよ? 僕だって二次会に行くつもりだったのを、君がどうしてもって言うから連れてきたのに……。

 何をそんなに怒っているのさ。帰りたいなら別に帰ってもいいけど、家の中を走ると危な……ほら、言わんこっちゃない。気をつけないからこうなるんだよ。こういう些細なトラブルが呪いって形で広まるのかなぁ……。


 さっきの話の続きだけど、僕は母の死がオルゴールのせいだと思いたくなかった。だって、それを認めてしまうと呪いの存在を認めることになってしまうから。僕はそれが嫌だったんだ。母は呪いなんかで死んだんじゃない。それをなんとしても証明したい。だから、僕はいろんな人にこのオルゴールの音色を聴かせた。そして、僕以外みんな死んだ。オルゴールが止まるのとほぼ同時に、示し合わせたようにみんな死んだ。僕はそれが殊更許せなかった。

 僕はなんとかしてオルゴールを聴き終わった人を生かそうと頑張った。その場から離れさせたり、何もない場所で聴いてもらったり、色々やってみた。全部駄目だったよ。ものの見事に全員死んだ。鳴り終わってからみんな死んだ。上から看板が降ってきたり、床が抜けたり、突然発作が起きたり、色々な理由でみんな死んでいった。複数人同時に聴かせたらどうなるかもやってみたさ。全員同時に死んだよ。死に方は忘れた。

 新たな死人が出る度に、僕の心は暗い雲に覆われた。そんな時はオルゴールの音色を聴くと不思議と心が安らぐんだ。変だよね。オルゴールのことが憎いんだか好きなんだか……今ではすっかりお気に入りだ。音色は良いからね。そもそも僕が憎いのは呪いであってオルゴールじゃない。だから僕は、あの日からこのオルゴールを手放したことがない。呪いの不在を証明するまで僕は死ねない。それを証明できた日が、きっと僕の命日だろうね。


 聞いちゃいないか。

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