第3話 自己紹介 その後
その後も魔法使いを探してはいたが、やはり手がかりは何も見つからず、彼女のことは謎のままで月日が流れていった。
彼女について知り得たことは、文芸部顧問が連れてきた文芸部員ではない(学外かもしれない)人物で、ミヤタ先輩と面識がなく、朗読が上手くて、私の好みのド真ん中に投げ込まれた火の玉ストレート級の声質の持ち主。
これだけのヒントで人探しができるほどの探偵能力は私にない。友人知人に話して心当たりがないかを訊いたりもしたが、すべて空振りに終わった。名前も顔もわからないのでは探しようがなくて当然だった。
そうこうしているうちに文化祭があった二学期が終わり、年を越し、三学期も過ぎ去っていった。
そのころになると、あの魔法使いのことは遠い記憶の中にしまいこまれて、思い出すことも少なくなっていた。見つからないものをいつまでも探し続けるほど、私には情熱も根性もなかったということだろう。
……まあ、魔法使い探しにかまけて勉学をおろそかにしたせいで、テストで大変な目に遭ったということもあるけれど。
心の奥底に焼き付いた彼女の声を忘れたわけではないが、それを追い求めるのは諦めることにした。今年の文化祭で再会できればいいな、という程度がちょうどいいのだろう。学年が上がり、新年度を迎えるのに過去を引きずっていてもしかたがない。
「やー、今年もリッちゃんと同じクラスだねぇ。よろしくー」
「こちらこそよろしくー」
始業式の朝、二年一組の教室に入ると、去年クラスメイトだったケイが声をかけてきた。もう一人の友人、ユキノとも同じく緩い挨拶を交わしつつ、親しい友人がいなくて新しい環境で人付き合いに苦労することはなさそうだと内心で胸をなでおろした。
春休み中に何してた? というような無駄話の合間に教室をぐるりと見回す。
見知った顔が半分、見慣れない顔が半分、といったところだろうか。
「あー、今年は『
ケイが唐突にそんなことを言い出した。
「ほんやくさん?」
「うん。あの子」
教室の窓側から二列目の一番前の席にいる黒髪の女子を指す。
うつむき加減で手元に視線を落とし、コピー用紙に印刷された文章のようなものを見ながら、一心不乱にノートにペンを走らせていた。横から見ているせいで垂れた髪に隠れた顔はわからないが、猫背気味の丸まった背中に纏いつく雰囲気というか気配はあきらかに周囲から浮いている。
「有名人?」
「いろんな意味でね」
ケイに訊くと、意味ありげに口角を上げながらコクリと首を縦に振った。
「あんな感じでいつもノートに書き込みをしてるんだよ。どうも英字新聞とか英語の文章を和訳してるっぽい。で、ついたあだ名が『翻訳さん』と」
「和訳?」
「うん。あの子の母親が通訳の仕事をしていて、その影響なんじゃないかな。普段から英文を和訳しているから、英語のテストはいつもほぼ満点だし、国語も相当強いよ」
へえ、とユキノが翻訳さんを見ながら嘆息する。
「詳しいね、ケイ」
「小学校から一緒だからねー。無口で無表情、人見知りがすごくてまともに会話できないちょっと変わった子だけど、イジメるのはやめといたほうがいいよ。これは警告」
いつものほほんとした顔であまり真剣なことを言わないのんびり屋のケイが、背筋が冷たくなるような言葉を発した。緩い空気がぎゅっと引き締まる。
「どういうこと?」
「あの子の父方の祖父母がそれぞれ現役の弁護士で、母方の祖父が元検事の偉いさん。イジメたりヘタなちょっかいを出したら社会的に抹殺されるよ。あたしの地元じゃ有名な話。まあ、いい感じの距離感でクラスメイトとして付き合うのがベストかなー」
「ふぅん……」
そんな恐い子が同じクラスなのか……しかも私の席の隣だし。あまり関わらないようにしよう。
そう思ったのは私だけではなかったらしく、ユキノも同じような反応だった。
それからは三人で他愛のない話をして時間を潰し、始業式が行われる体育館に移動した。校長の長話にあくびを噛み殺しつつ式をやりすごし、解放された気分で教室に戻る。あまりにも話が退屈だったので立ったまま眠っていたというケイをみんなで笑い飛ばしていると、教師が入ってきて教壇に立った。昨年、数学を担当していた
「一組の担任になりました、
柔和な笑みを浮かべながら丁寧な挨拶で頭を下げる佐藤女史。
優しそうに見えるが、授業中はとても厳しく、私語や居眠りしようものなら容赦なく怒号を飛ばし、その形相はまるで鬼か夜叉のようだと言われている。
その恐ろしさを知る者から機嫌取りのようにパラパラと拍手が起こった。
「それでは、みなさんには自己紹介をお願いします。名簿順に、
「はい」
名指しされた男子から順に自己紹介が進み、ほどなく女子の先頭になる
ただ名乗るだけじゃなく、特技や趣味など一言付け加えるという謎ルールがいつの間にか追加されていて、急に言われても困る、どうしよう、と必死に思案しつつ、テキトーでいいやと席を立った。
「
「止めても止まらないじゃないのよー、リッちゃんはさー」
ツッコミ待ちの自己紹介に
自己紹介が無事に済んで順番が次の子に移り、ほっと息をつきながら椅子に腰を下ろす。
「……?」
そのとき、隣の席の翻訳さんが私を見ていた……気がした。すぐに視線を逸らされたので、どこを見ていたのかよくわからなかったが、そう感じたのだ。
話しかけてみようか。
いや、人見知りが激しいとケイから聞いていたし、ヘタなことをしてこの子の後ろが
視線は気のせいだったと思うことにして、翻訳さんの自己紹介に耳を傾ける。
彼女は席を立って、一番前の席だからと回れ右してみんなと向き合い――
「……、……」
多分、彼女以外にはほとんど聞こえないような音量で囁いて、慌てて座った。
当然、何を言ったのかわからないクラス中が困惑している。
「あの、
佐藤女史も困ったように促すと、翻訳さんは恥ずかしそうにゆっくり立ち上がり、再び振り向いて、先ほどよりは大きな、おそらく彼女なりの最大音量で言った。
「か、
それでも教室の端までは届いていなかっただろうが、彼女の頑張りは伝わったらしく、拍手が返ってきた。よかった、と言わんばかりに息をついて席に着く翻訳さん。両手を机の上に置いて、少し震える指先をじっと見つめていた。
その手を、唐突に横から伸びてきた手がつかんだ。
「えっ……なっ……⁉」
ビクッと体を震わせ、何事かと見開く翻訳さんの目が見たのは、浅茅律子――私だった。いきなりのことで硬直し、私の手を振りほどきもできず、ただ翻訳さんは私を見つめていた。
彼女の小さな悲鳴でざわついたクラスの視線が一斉に私たちに向く。
そんなものに構いもせず、何の脈絡も前触れもなく突然の奇行に走った私は、見つめてくる翻訳さんの瞳を見つめ返して、一言呟いた。
「見つけた」
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