第1話 逃げ出した、その先で

「おーい、浅茅あそうはどこ行った?」

「え? リッちゃん? その辺にいるでしょ?」

「いねぇから訊いてんだよ」


 そんなクラスメイトたちのやりとりを背に、私――浅茅あそうりつは一年三組の教室を抜け出した。入口でヒマそうにしながら『一年三組 男装執事カフェはこちら』と書かれたスケッチブックを手に立っていたクラスメイトの男子(ごめん、名前覚えてない)からそれを譲り受け、宣伝してくるという大義名分を残して教室を離脱……要するに『サボり』を決行したのだ。

 いや、これは決してサボりではない。もともとシフトは午前中だけだったのに、私の男装が予想以上に客ウケがよかったからと、午後も続けて働けと言ってくるほうが悪い。労働規則は厳守していただかなければ困る。

 そういうわけで、大盛況で順番待ちの列が伸びている教室を離れ、どこか静かに休憩できる場所を探そうと、あてどなく校舎内を歩き回った。

 しかし、さすがは近隣の高校にも『規模も内容もすごい』と知られるわが校の文化祭、どこに行っても人混みがあった。こうなったら出し物のない校舎裏や体育館裏に逃げるしかないかと諦め半分で通りかかったある部屋の前で、入口に貼られた手書きポスターがふと目についた。

『文芸部 朗読会場』

 パソコンで出力したらしい文字で大きく書かれていて、その下に演目や時間が並んでいる。文面から察するに、文芸部員が本を朗読して客に聞かせるイベントなのだろう。

 この学校に文芸部なんてものがあったのかという驚きをよそにスマートフォンで時計を確認すると、あと五分ほどで昼の部が始まるところだった。


「ちょうどいいや、ここに隠れよう」


 演目の作品名にはまったく覚えがなかったが、休憩がてらの暇つぶしだし、そこは気にするところではないだろう。

 部屋のドアを開けると、窓にカーテンが引かれて照明を絞っているためか、全体的に薄暗い印象だった。入口に近いところにパイプ椅子が十脚ほど、奥にひじ掛けのついた事務椅子が置いてある。部屋の広さは私たちの教室の半分くらいか。壁際に背の高い書架が並んでいるせいで酷く圧迫感があり、狭く感じてしまう。

 先客は女性が二人。私服だから外部の来客なのだろう。それぞれ両端の椅子に座って、スマートフォンをいじっている。

 私は二人と距離を取るために真ん中後ろの席にした。

 それから少しして、ドアを開けて二人の女子生徒が入ってきた。そのまま事務椅子のところまで行き、文芸部長と名乗った先輩(リボンタイが三年生を示す緑色だ)が軽く挨拶し、演目を紹介した。続いて事務椅子に座ったもう一人の女子は、ファンタジーもののゲームに出てくる魔法使いのような、鍔広つばひろで先端が尖った大きな黒い帽子をかぶり、手にしていた本を開いた。帽子は雰囲気を盛り上げるための小道具なのだろうか。

 部長が読み手まほうつかいにデスクライトのようなものでスポットを当てると、読み手の女子は静かに朗読を始めた。


「…………」


 多分、開始から一分も経っていなかったと思う。

 私は物語の世界に引き込まれていた。

 後から思い起こすと、ストーリーはありきたりで普通だった。悪い魔王にさらわれた姫様を助け出す勇者の冒険という、童話や昔のファンタジー系ロールプレイングゲームで使い古された題材。

 そんな手垢にまみれた物語を読み上げる魔法使いの話しかたや声に、思い切り魅了されたのだ。子供のころにアニメの魔法少女の活躍をワクワクしながら見ていたことを思い出させてくれるような、純粋で懐かしい感覚。

 普通に文章として読んでいたら、きっとそんな気持ちにはならなかっただろう。それだけ読み手の語り口調が心に響いていた。

 やがて物語が大団円に終わり、読み手がお辞儀をして逃げるように退室したとき、私は自分でも驚くくらい全力で拍手を送っていた。感動のあまり、涙すら滲ませて。私の様子に二人の聴衆がドン引きしていたかもしれないが、そんなことは関係ない。

 脳の芯が痺れるような余韻が消えるまで動くこともできず、しばし経ってようやっと席を立ったとき、スマートフォンにメッセージの着信があった。

『今すぐ戻ってこないと余り物で作ったパンケーキスペシャルがなくなるよ、リッちゃん』

 クラスメイトのケイからだった。ご丁寧にホイップクリームとシロップてんこ盛りのパンケーキの画像付きだ。

 余り物って。まだ営業時間中でしょうに。

 そう思って時計を見ると、もうすぐ三時――文化祭終了まであと三十分というころだった。朗読はほんの数十分程度だと思っていたのに、実際は二時間くらいのボリュームだったらしい。時間を忘れるほど朗読に引き込まれていたのだと、このとき初めて気づいた。

 ほう、と感嘆のため息が無意識に漏れる。

 逃げ場にしようと気まぐれで飛び込んだイベントだったが、想像以上にいい時間を過ごすことができた。顔を見ることができなかった読み手の魔法使いに感謝しつつ、私は教室に戻ろうと気分よく文芸部室をあとにした。



 脱走に関してクラスメイトから死ぬほど文句を言われても、完売御礼で余り物など存在せずパンケーキスペシャルが幻と消えても、なぜか全然気にならなかった。

 もともと午後にシフトが入ってなかったことを盾に、サボりではなく正当な権利を行使しただけだとクラスメイトを説得できたことも、実のところどうでもよかった。

 唯一の気がかりは――


 私をこんな気持ちにさせたあの魔法使いが、どこの誰なのか。


 ――ただ、それだけ。

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