第四夜 神に誓う女
神社のものを持ち帰ってはいけない、とお婆ちゃんは口癖のように言っていた。
神社のものは、神様のものだから、持って帰ったらバチが当たるよ。
知らない人に自分のものを勝手に持っていかれたら、腹が立つのは当然だと思う。
それは神様だって、同じことだろう。
けれど、バチってなんだろう?
当たったらどうなるんだろう?
良くないことなのはわかるけれど、具体的にどうなるのか。
知りたいけれど、知らないままのほうがいいような、気がした。
†
「キレイな石みっけー!」
ユイちゃんが高々と掲げたのは、薄ピンクに白い縞が入った石だった。ふんわりと歪んだ平べったい石は、箸置きぐらいの大きさで、粉砂糖を薄くまぶしたように見える。アメだったら桃味かな、とわたしは思った。
「ユイの宝物にしよーっと」
「ダメだよ!」
ユイちゃんが石をポケットに入れようとしたので、わたし大声で止めた。
近くの神社に、わたしは従妹のユイちゃんと来ていた。昼過ぎに雨が降って空気が少しひんやりしたので、外に遊びに出てきたのだった。
「神社のものは持ち帰っちゃダメなんだよ」
びっくりした顔のわユイちゃんに注意すると、たちまち不機嫌な顔になって、わたしを睨みつけきた。
「なんでそんないじわるいうの!」
「意地悪じゃないよ。神社の石は持って帰っちゃいけない決まりなんだよ」
「そんなこといって、本当はうらやましいからいじわるいってるだけでしょ!」
目を吊り上げたユイちゃんに、わたしは困ってしまった。
神社のものは持ってきてはいけないよ、と、お婆ちゃんは口癖のように言っていた。お婆ちゃん家がすぐ隣にあるわたしは、小さい頃からそう聞かされて育ったけれど、都会に住んでいるユイちゃんは知らないんだろう。
「違うよ! お婆ちゃんがダメだって言ってたんだから、ダメなんだよ」
怒っていたユイちゃんは急に表情を変えて、嫌な感じのする笑みを浮かべた。
「さくらちゃんって、メーシン、信じてるんだ〜」
ニヤニヤと口元を歪め、ねっとりとした視線を斜めに流し見てくる。嫌なことを言う人の顔は、どうしてこんなにも気持ち悪くなるんだろう。
「田舎の人ってそういうの、すぐ信じちゃうよねー。今の時代、そんなの流行らないし。そういう人のこと、ジョージャクっていうんだよ」
ここは田舎で、ユイちゃんは都会に住んでいることは間違いないけれど、馬鹿にされるいわれはないし、都会の人だって簡単に騙されることは、ニュースを見ればわかる。
「ママが、おばーちゃんは昔の人だから、メーシンばっかいうって。ヨマイゴトばっかだーって。信じられない。ショーワの人って、これだから」
意味がわかっているのかいないのか、おばさんの言っていることをなぞっているだけのような言葉を口にするユイちゃんに、わたしはとっても腹が立った。カーッとなって爆発しそうだからこそ、何も言えなくなった。
二日前の夜に、おばさんに連れられて、ユイちゃんはやってきた。毎年、お盆前にふたりで来て、ユイちゃんだけがお婆ちゃん家に泊まっていく。十日ぐらいこっちにいて、帰る日の朝におじさんとおばさんが迎えに来る。おじさんはわたしのお母さんの弟で、東京の学校に行ったら戻ってこなかったので、お母さんがこの家を継いだんだって、お爺ちゃんが不満げに言っていた。
お土産といって都会のお菓子をくれるけど、わたしはおばさんがあまり好きじゃなかった。高い果物を食べながら「あなたたちとは格が違うの」と言わんばかりに振る舞う。嫌な笑い方をするユイちゃんは、とてもおばさんに似ている。
思い出したら更に腹が立って、どうにでもなればいいと、重ねて注意はしなかった。
ユイちゃんがいる間は、わたしもお婆ちゃん家に泊まる。ユイちゃんが怖がるからだ。
お婆ちゃん家は古くて、暗いところがある。トイレやお風呂やお勝手は新しくなっているけど、お納戸部屋と呼ばれる場所などは、窓もなく、薄暗くて、こもった匂いもしてなんだか嫌な感じがする。
一番怖いのはお仏壇の部屋で、お爺ちゃんのお父さんだとかお婆さんだとかの写真とも絵ともつかないものが飾ってある。その目がいつもこっちを向いている気がして、ひとりでいると泣きそうになる。
いつもは、居間とお勝手ぐらいにしか入らない。お婆ちゃんとドラマの再放送を見ながら宿題をして、お母さんの車の音がしたら自分の家に帰るからだ。なので、お仏壇の部屋やお納戸部屋はレア度が高い。
夜ご飯の後、お婆ちゃんが剥いた桃を切って、お皿に出してくれた。文句を言われているのに、お婆ちゃんはユイちゃんのことが好きなんだと思う。わたしはぼんやり考えてしまう。お婆ちゃんは、わたしよりもユイちゃんが好きなんだろうか、と。
お風呂に入って居間に戻ると、ユイちゃんがいなかった。
「ユイちゃんは?」
「なんだか眠いって、布団に入ったよ」
それを聞いてわたしはびっくりした。
「よくひとりで寝たね。絶対一緒に寝てって言われると思ってたのに」
寝るにはまだ早いが、起きていてもやることがない。お爺ちゃんもお婆ちゃんも、わたしがゲームやスマホをいじってるとちょっと不機嫌になる。宿題は残っているけど、お風呂から出た後のだるい頭でやるほど真面目ではない。
ぺっとりと顔をテーブルにつけて、眠くなるまでお婆ちゃんとお喋りすることにした。
「ねえ、お婆ちゃん。なんで神社の石を持ってきちゃいけないの?」
「バチが当たるからだよ」
「バチってなあに?」
「良くないことが起こるってことだよ。おまえだって、勝手に筆箱持っていかれたら怒るだろ?」
仲のいい友達とお揃いの、お気に入りのペンケースだ。それを勝手に持っていかれたら、激怒することは間違いない。
「そうか、それはイヤだね」
納得しながら、わたしはユイちゃんが拾った石のことを考えた。あの石をどうしたのかは知らない。持って帰ってきているのだとしたら、ユイちゃんにバチは当たるのだろうか。良くないことがあるとして、何があるのだろう。
色々想像して、少し怖くなったけれど、わたしは悪いことは何もしていない。注意もちゃんとした。それでも聞かなかったのはユイちゃんだ。
バチが当たれば、少しぐらい反省するんじゃないかと思った。そうすれば、田舎のこともお婆ちゃんのことも、バカにすることはなくなるんじゃないだろうか。
翌朝、ユイちゃんは遅くまで起きてこなかった。いつもだったら八時には起きてくるのに、ラジオ体操の後、友達と蝉の抜け殻を集めて帰ってきても、まだ寝ているという。
起こしてきてと、お婆ちゃんに命じられて寝る部屋に行くと、ユイちゃんはまだ布団の中にいた。何か変だなと思ったけれど「朝だよ、起きなー」と声をかけた。けれどユイちゃんはピクリともしなかった。障子を明けて太陽の光を入れて、布団を剥ぎ取った。
「起きなってば」
薄い肌掛けを両手に抱えた時、わたしはゾクっとした。
ユイちゃんは、起立したような姿勢で寝ていた。いつもはもっと、布団がぐちゃぐちゃになのに。昨日布団に入った後、一度も動かなかったかのようだった。
「ユイちゃん?」
恐る恐るユイちゃんの顔の近くに顔を寄せる。呼吸が聞こえたのでほっとしたけれど、目覚める様子はない。強めに揺すってみても、ユイちゃんは眠ったままだ。なんだか怖くなって、わたしはお婆ちゃんのところに駆け戻った。
「お婆ちゃん! ユイちゃんが起きないっ」
「窓と障子開けて、お日様と風を通してやった?」
「やったよ! でも、全然起きなくて、なんか真っ直ぐピーンとしてて変なんだよ」
どう説明したらいいのかわからず、見たままのことを伝える。わたしの様子がおかしいと思ったらしいお婆ちゃんは、ガス台の火を消して、部屋に向かった。
わたしは部屋には入らず、廊下から中を覗き込んだ。さっきと変わらない姿勢で、ユイちゃんは布団の上にいる。わたしが剥がした肌掛けが無造作に置いてあることが場違いに感じるぐらい、緊張感があった。
「ユイちゃん、朝よ。ご飯食べよう」
お婆ちゃんの声が低くなる。異変を感じているのだろう。お婆ちゃんは枕元にしゃがみ込むとじっとユイちゃんを見ていたが、やがて手のひらで軽く頬を叩いて呼びかけた。するとユイちゃんは目を開き、ぼんやりした顔のまま上体を起こした。
「おはよう。早く顔洗って、ご飯にしましょ」
お婆ちゃんはほっとしたようだ。寝坊したにも関わらず優しく声をかけている。わたしも安心して、ユイちゃんに近づこうと思ったが、どうも様子がおかしい。ぼうっとしたユイちゃんは、無表情のまま空間を見つめている。瞬きもせず、身じろぎもしない。
わたしは部屋に入ろうとした足を止めた。お婆ちゃんもユイちゃんの様子に気づいたのか、立ち上がろうとしていた体が強張る。
「ユイちゃん、ユイちゃん。具合が悪いの?」
お婆ちゃんは、額や頬、首筋などに触れ、熱があるかどうかを確認しているようだ。ユイちゃんの方はされるがままで、これといった反応を示さない。
お婆ちゃんはユイちゃんを布団に寝かせ、畳の上に無造作に置かれた肌掛けを体にのせた。ユイちゃんの目は天井を見つめたまま、閉じられていない。
わたしは怖くなった。何がどうなっているのかはわからないが、ユイちゃんの様子は明らかに異常だった。
「熱は無いみたいだし、午前中いっぱい様子見てから、どうするか」
独り言のように呟きながら、お婆ちゃんはユイちゃんの顔に手をやった。どうやら瞼を下ろしたようだ。その様子も恐ろしく、わたしは部屋から遠ざかろうとした。
「さくらは宿題やっちゃいなさい」
少しだけピリッとした口調で言うと、お婆ちゃんはスマホを操作し始めた。漏れ聞こえる声からは、ユイちゃんのお母さんに電話をしているらしい。
わたしは居間に転がりながら、色々と考えた。
ユイちゃんは明らかにおかしかった。どこを見ているのかわからない目や、全く変わらない表情は魂が抜けているように思えた。昨日は何も問題がなかったのに、と思い返して、気がついた。思えば昨夜から、ユイちゃんはおかしかった。
ユイちゃんがひとりで寝るのが怖いというから、わたしはお婆ちゃんの家に泊まっている。なのに、昨夜はひとりきりで寝てしまった。いつもは遅くまでゲームをしていて、お婆ちゃんに怒られてやっと布団に入るぐらい夜更かしなのに。
そうやって考えるフリをしながら、胸に広がる不安感を無視しようとしたけれど、どれだけ目を逸らしてみても、イヤな考えを完全に無視することはできなかった。
――バチが当たったんだ。
おかしな様子を見た瞬間、真っ先に浮かんだのが昨日のキレイな石だった。あれだけキレイなものだったのだから、神様のお気に入りだったのかもしれない。宝物を勝手に持っていかれたら、怒るのは当然だ。
お婆ちゃんの姿を探すと、庭でわたしのお母さんと話をしているようだ。このまま調子が悪い様なら、病院に連れていったほうがいいだろうと言っている。
バチが当たった結果なら、お医者さまではダメなんじゃないだろうか。なら、どうすればいいんだろう。お婆ちゃんに聞けばいいのかもしれないけれど、一緒にいたのに止められなかったのを知られるのは怖い。わたしはユイちゃんよりもお姉さんだし、お婆ちゃんはユイちゃんのほうが可愛いと思っているに違いないから、悪いことをした本人より、わたしのほうが叱られることになる。
拾った石を返せばいいと思ったが、様子を見るために、お婆ちゃんやお母さん目が向いていて、理由を言わずに探し出すことはできそうにもなかった。
大人たちの意識がこちらに向いていない隙に、わたしは家を飛び出し、神社まで走って行った。神様にお願いすれば、どうにかなるかもしれないと思ったのだ。
ジリジリとした太陽が照りつける中、汗だくになりながら長い階段を登って境内に出た。
高いところだからか、背の高い木々に囲まれているからなのかはわからないが、境内は下よりも涼しい。なぜか蝉の声がしなかった。それが、少し、怖い。
手を強く握って拝殿の前まで歩く。お賽銭箱に五円玉を投げ入れて、御鈴を鳴らし、わたしは願った。
「お願いします。必ず石を返させますので、いつものユイちゃんに戻してください!」
風が吹くでも、鈴が鳴るでもない。神様が願い入れてくれたのかがまったくわからず、わたしは不安になった。
「お願いします。ユイちゃんはまだこどもで、してもいいことと悪いことがちゃんとわからないんだと思います。でも、今回のことで、反省するはずです。お願いします! いつものユイちゃんに戻してください!」
言葉を重ねると、背後で玉砂利を踏む音がした。
びっくりして振り返ると、見たこともない人が立っていた。銀色の髪を長く伸ばした男の人だ。瞳の色は海のように深い青で、背がとても高い。クラスの女子に人気のアイドルよりもずっと綺麗な顔をしていて、漫画に出てくるイケメンみたいだった。
「石を持って帰ったんだって?」
真っ直ぐにわたしを見つめたまま、問いかけてきた。日本人らしくない見た目でも、しっかりとした日本語を話していることに驚いた。もしかしたら、この人は、神様のお使いなのかもしれない。
「神社のものを持ち帰るなんて、感心しないな」
「わたしじゃなくて、いとこのユイちゃんが」
言い訳じみていると思うと、言葉は尻つぼみになった。
「その『ユイちゃん』は今どうしてるんだ?」
「ユイちゃんは、魂が抜けちゃったみたいに、ぼうっとしてて、どうすればいいのかわからなくて」
「神様にお願いしに来た、ってことか。困った時の神頼みというからなぁ」
お兄さんは玉砂利の上を歩くと、石段に腰を下ろした。
「神様ってのは、願いを叶えてくれる便利な存在じゃぁない。叶えたいことを助けてくれる存在だ」
石を拾い上げ、手の中で鳴らしながらお兄さんは言う。どう見ても大人なのに、大人らしい話し方をしないのが、ますます人間ではないのではないかという気持ちにさせる。
「だから、どれだけ願っても、それだけで叶うわけじゃあない」
「でも、わたしができることは他にないから」
「あるでしょうよ。きみが、石を持ってくればい」
「そうしようと思ったけど、お婆ちゃんやお母さんがいて探せなくって」
「それを神様にお願いすればいい。『彼女を助けてください』じゃなくて『わたしが石を持ってくるので、手助けしてください』って。神様との約束だ」
言われた言葉を頭の中で繰り返し、意味を理解した途端、肩がずっしりと重くなった。
お願いは「神様に」何かをしてもらうということだが、手助けというのは「わたしが」何かをするということだ。何かをする主人公がわたしで、神様は脇役だ。わたしが失敗すれば物語はバッドエンドになる。責任重大だ。
それに手助けを望むということは、自分が積極的に動きます、という宣言になる。宣言したのに何もしないでいることはできないし、約束は守らなくてはならない。
そう考えてみると、お願いというのは一方的な押し付けだと思った。自分は何もしないけれど、神様がなんとかしてくださいというのと同じだ。無責任過ぎる。わたしが神様だったら、うんざりするだろう。
「――そうします」
なんでわたしが、という気持ちがないわけではない。こんなことになったのはユイちゃんのせいだ。わたしは困っていないからどうでもいいと思うこともできるけど、お婆ちゃんやお母さんが困っているなら助けたいし、ユイちゃんがずっとこのままなのは、後味が悪いとも思う。ユイちゃんがしたことを知っているのはわたしだけで、なんとかできるのもわたしだけだ。
覚悟を決めて、再び御鈴を鳴らし、手を合わせた。
「神様、さっきのお願いは取り消します。わたしが石を持ってくるので、成功するようにどうか見守ってください」
改めて言葉にして、耳から入ってくる自分の宣言に、ドキドキが強くなった。
本当にできるだろうかと意志が挫けそうになりかけるけど、神様に約束したのだ。やり遂げなくては嘘つきになってしまう。
「それじゃぁお兄さんからはお守りだ」
わたしの手を掴み、お兄さんが手のひらの上に何かを置いた。見れば、白い石を細い紐で編み込んだネックレスのようなものが乗っていた。つるりとした白い石はよく見ると透明がくすんでいるようだった。
「石を持ってくるということは、いとこの身代わりになるようなもんだ。でも、きちんと返せば問題ないし、禍はこの石が吸ってくれるから、絶対になくすなよ」
頭の端にチラチラと後悔という言葉がよぎってしまうのは、わたしが弱いからだろう。
「まだ昼前だ。夕方までには戻って来られるか?」
「はい。頑張ります」
「慎重にな。怪我でもしたら台無しだ」
お兄さんがひらりと手を振った。行ってこいということだろう。
わたしは渡されたお守りを首にかけ、自動車が登り降りする用の坂道を駆け降りた。走って走って家にたどり着き、深呼吸してお婆ちゃんの家に入って行った。
お婆ちゃんとお母さんが難しい顔をして居間にいた。テレビはついているが、見ているわけではなさそうだ。深刻になりすぎないよう、流しっぱなしにしている感じだった。ふたりの様子から、ユイちゃんが元に戻ったということは無さそうだ。
「あら、おかえり。どこ行ってたの? 悪いけど、お昼はピラフをチンして食べて」
土間にいるわたしに気づいた母が、いつもの調子を演じて話しかけてきた。わたしもいつも通りを演じて答えながら、いつものようにお勝手に行き、言われた通りに、ピラフをレンジで温めて食べながら、どうやって大人の気を逸らそうかとあれこれえ考えた。いくつかのアイディアが浮かんだ頃、居間のほうから声がした。
「ユイちゃん、目が覚めたの?」
お婆ちゃんが安心したように言った。ユイちゃんが起きてきたんだろうか。となると、ますます石を探しにくくなってしまわないだろうか。
足音を忍ばせて居間が覗けるところまで移動する。お婆ちゃんとお母さんが話しかけているけれど、ユイちゃんの反応は思わしくないようだ。土間側のほうにユイちゃんが立っているのが見えた。朝と同じようにぼやっとしているように見える。起きてはきたが、変化はないということなんだろうか。
「う、うぅ、うぁああああああん! こわいよ、お婆ちゃん、お婆ちゃん!」
驚きすぎて腰を抜かすかと思った。ぼうっと立っているだけだったユイちゃんが、突然大声で泣き出したのだ。言っていることもこわい。お婆ちゃんもお母さんも仰天しているようで、咄嗟に動くこともできずに見つめるだけになっている。
わたしは我に返り、今がチャンスとばかりに、ユイちゃんに意識を向けているお婆ちゃんたちの背後を通り、書斎からお納戸部屋を抜け、廊下から寝る部屋に移動した。
部屋に足を踏み入れるのは怖かったが、怯えていても何も進まない。気合いを入れて一歩踏み出し、ユイちゃんの荷物に手をかけた。
どこに石をしまっているのかはわからないけれど、ユイちゃんの性格を考えると、昨日来ていたスカートのポケットに入れたままになっている可能性が高かった。ポケットに入れたものを出さずに洗濯物に出してしまって、去年お婆ちゃんに叱られていたのだ。
ドキドキとハラハラで、息は詰まりそうだし、お腹が痛くなってくる。それをグッと堪えてスカートのポケットを探ると、思った通り、あのピンクの石はそこにあった。右手で石を握りしめ、左手でネックレスに服の上から触れる。
「大丈夫。神様が見守ってる」
そうつぶやいて、来た時と同じルートで居間に戻り、大泣きしているユイちゃんと、それを宥めようとする大人ふたりの後ろを抜け、勝手口から外にでた。
大人用のサンダルは大きく、何度も脱げそうになりながら神社までの道を急いだ。階段を使った方が早いのだけれど、大人のサンダルでは上手く登れなさそうなので、自動車用の坂道を登っていく。グネグネと曲がる道はとても長く感じ、右手の中の石が暴れ出したりしないだろうかとヒヤヒヤした。
駐車場から境内に入ると、拝殿の前にお兄さんが座っているのが見えた。
「お兄さん! 石、見つけた! 持ってきた!」
ヘトヘトになりながらお兄さんに近づいて、右手を差し出す。開いた手のひらに乗った石を見て、わたしは違和感を覚えて首を傾げた。
薄ピンクのふんわりと歪んだ平べったい石は、粉砂糖を薄くまぶしたようだ。
色も形も同じだけれど、何かが違って見える。理由がわからず、もどかしかったが、お兄さんが石をつまみ上げてしまったので、じっくり観察することができなくなった。
「お疲れ様」
「それ、どうするの?」
「持って帰るよ。ここに置いておいたら、また同じことになるかもしれないし」
確かに、ちょっと欲しくなる石だ。宝石みたいにキラキラはしていないけれど、ふんわりしたピンクは可愛いし、宝物としてしまっておきたい気持ちにさせる。
「暗くなる前に帰りな。足元に気をつけて」
お兄さんが階段を示す。駐車場側から来たのは見ていたのに、階段の方を指すのだから、何か意味があるのだろう。
「あっ、これ、ありがとうございました」
うっかりお守りを返し忘れるところだった。首にかけたペンダントを外そうとすると、お兄さんはそれを止めた。
「そいつは一年間、きみのお守りになってくれる。肌身離さず持っておきな」
「一年経ったらどうするの?」
「本殿の裏側の柱の裏に置いておけば、持って帰るよ」
「もしも、忘れちゃったら?」
「いとこみたいになるかもな」
笑いもせずに言われて、ヒヤリとする。お兄さんはやはり、神様のお使いなのかもしれない。だからこうして、わたしを試し続けているのではないだろうか。
「わかりました。必ず、一年後に持ってきます。見守っていてください」
声に出して宣言すると、お兄さんはちょっと笑って、肩のあたりで手のひらを振った。
さようなら、ということなのだろう。
わたしは示された通り、慎重に長い階段を降り、鳥居を潜って道にでた。
思ったよりも暗くなっていることに驚いて、見上げた空に月はなかった。
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