冬のお話

十二月二十四日

お母さんが倒れました。お母さんの会社から救急車で病院に運ばれたそうです。ぼくはそれをおばあちゃんから聞きました。おばあちゃんが階段から駆け上がってきて、ぼくにそう言いました。病状はわからないそうです。今、おじいちゃんの車に乗って病院に向かっています。お父さんと仕事のキリがいいところで病院に向かうそうです。すぐにかれつければいいのに!


しーちゃんの母は会社で急に腹痛を訴えたそう。その様子があまりにも尋常じゃなかったらしく、口から涎をたらし、呻くほどであった。近くにいた社員が救急車を呼び、病院に運ばれた。しばらくの検査と応急処置を経た後、病室へ運ばれた。検査室の扉の前でおばあちゃんが医師から説明を受けている。

おばあちゃんの顔は俯いて、いつもとは想像もできないくらいに影を落としていた。だっておばあちゃんはしーちゃんと話している時は少なくとも朗らかだった。怒ったことなど一度だってない。それが言葉では言い表せないような暗い表情になっていた。


『現時点での可能性では、単なる炎症である場合が多いですが、腸疾患や尿路疾患の可能性もあります。同伴者の方から患者様の以前の健康状態を伺いましたところ、もちろん、単純な一つの可能性です、それも僅かな。ですからあまり間に受けないで欲しいのですが、子宮がんの可能性があります。いえ、まだそう診断結果が出てはいないのですが、ただ、気に留めておいて欲しいと、もしもの時の心の準備というものがありますから』


がん。がんだって。しーちゃんにとって医師の吐く言葉は大抵理解できなかったったが、がんという言葉だけが放心状態の彼の心に響き渡った。

しーちゃんにとってがんとは、がんに罹った人間は死ぬものだと思っている。とても現実とは思えなかった。まさか母親ががんで死ぬなんて。目の前が真っ暗になりどうすればいいのか、どうしたら自分はこの夢から脱せるのか分からなかった。


日も暮れていたから、今日は帰って寝なさいと駆けつけたお父さんに言われた。しーちゃんは祖父母に連れられて家に帰った。しかし、眠れるはずがなかった。こんな事態は初めてで、あまりにも唐突過ぎた。

しーちゃんは母のことについて、今までの記憶を思い返したり、これからのことを考えた。

実のところ、あまり覚えていない。そもそも両親は仕事ばかりしていて、じっくり話す機会なんてそんなになかったからだ。


『しーちゃん、お友達はできたの』

四月の初め、しーちゃんは母からそんなことを言われた。大島たちと丁度話さなくなった頃の事だ。

『友達はいない、友達なんて別にいなくたっていい』母はしーちゃんに心配そうな顔を向ける。『しーちゃん、友達くらい作ったらどうなの。学校でひとりぼっちじゃない』

『ひとりぼっちで何が悪いの』『しーちゃんが悪い事してる訳じゃないけど、でもしーちゃんにとって悪いことよ、だって、なにか悩んでる時にそれを話せる人がいないって事なんだから』

『悩み事なんてない』しーちゃんの頭に心配そうな母の顔が残っている。母にはたかいの事を話していない。勿論アマキ・コトノのことも。


   *


一月十日

お母さんはしばらく病院で入院することになりました。それも、数か月間と入院するらしいです。できるだけ長い時間ぼくは病室にいようと思います。学校にいたってやることもないし。勉強もしたくないから。でもたかいのことが心配です。ぼくがいないとたかいは大島ともっと仲良くなるんでしょうか。


雪が降り積もる中しーちゃんは一人で伊吹山の石段を登り切り、神社に着いた。石段を登る事は最早、しーちゃんにとってあまり苦ではなかった。これは嘆くべきことである。

しーちゃんは五円を賽銭箱に入れて二礼二拍手した。五円玉を使ったのは、お母さんが五円を使うと縁起がいいと言っていたから。二礼二拍手をしたのは、神社の形式だと徒が言っていたから。

しーちゃんはしっかりとした作法で詣でた。『だから出てきてください、お願いです神さま』返事などはなかった。だって毎年神社に参拝しているけれど、返事などはないから。しーちゃんは今年で十になる。それまでに正月、お彼岸、お盆、と年に何回か、今までで十回以上は少なくとも神の御前に立っているはずだ。けれども一回だって神の気配なんか感じたことはない。

だったらしーちゃんは神さまなのか?おばあちゃんはこう言う、生きている時に悪いことをしたら神さまが天国に連れていってくれない。地獄で苦しみ続ける。しーちゃんは慄いた。お母さんはこう言う、神さまにお願い事をしても叶う叶わないは自分次第だ、だって神さまは私たちの成長を期待しているんだから、神さまはそれを見ていて、だから私たちは安心して目標に励めばいい。しーちゃんはがっかりした。なんだ、神さまはお願い事を叶えてはくれないのか。お父さんに神について聞いたら、お父さんは鼻で笑った。そんなの気にしないで頑張りなさいと言った。しーちゃんは少し苛立った。お父さんは多分神さまをいると思ってない。これではおばあちゃんとお母さんの言っている事が馬鹿みたいじゃないか。


どちらにせよ、しーちゃんは秋の間ずっと考え事ばかりしていたから、当然神さまの事を考えたんだけれど、結局これはいてもいなくてもどっちでもいいんじゃないかという結論が出た。

だって、見ているだけなんでしょ。

おばあちゃんに地獄ってどんな所なの?って聞いたら釜茹でだとか、針山だとか、そんなおどろおどろしいことをしきりに語り出した。それは誰か見たことある人がいるのと聞いたら、死んだ人が見たんだよとおばあちゃんは言った。だったら死んだ人と会う事ができるかのと言ったら神棚を指して先祖代々、みんなの魂はあそこにいるんじゃと言った。それならぼくの親戚はみんな天国にも地獄にも行ってないじゃないか。

そこでおばあちゃんは嘘をついていると分かった。

見ているだけの神さまなんかいてもいなくてもおんなじだ。徒はそういえばこんなことを言っていた。『僕が神様を信じるかって、そうだね。僕は信じているよ。だって信じていた方が安心できるだろ』徒の口調は適当だった。どうでもいい風に言った。多分徒は神を信じてなかった。でもそんなことすらどうでも良くなって、『いたらいいんじゃない』と思って言ったんじゃないだろうか。神さまっていたらいいなあ、なんて感じで。でもきっとそれがいい。きっとそんなものだ。

「あんれー、しーちゃんじゃない」

しーちゃんは時間を忘れて随分と手を合わせていたようだ。隣にはいつの間にかアマキ・コトノがいた。久しぶりに見る彼女は、髪を綺麗にまとめ上げ、高級そうなコートに身を包み、上品な恰好が馴染んでいた。彼女は突然現れた。だけれど彼女はもうアマキ・コトノではないのかもしれなかった。

「コトノ。今まで何してたの」

長い間我慢していた感情があふれ出す。しーちゃんはなんだかんだで彼女がいなくなってしまったことが悲しかった。

「どうして、挨拶もなしに消えちゃうんだよ!」

アマキ・コトノは黙った。小学生の子供にこんなことを言われたら言い返す言葉も見つからない。

「だって、そっちの方がかっこいいじゃん・・・」

「バカ」

アマキ・コトノは自分の頭の後ろに手を回す。しーちゃんの方からは彼女の顔は伺えない。

「はいはい」

彼女はぶっきらぼうに答えた。

「ねえコトノ、神様っていると思う」

アマキ・コトノは笑う。

「えー、なにそのかわいい質問」

「いいから答えてよ」

「別に。いたらいいんじゃない。だっていた方が幸せじゃない」

「でも神様は人の悪い行いを見てるんだって」

「しーちゃん、私の神様はそんな意地悪なことしないの」

「意地悪?」

「だってしーちゃんはそんなことする?人の悪い所なんかまじまじと見ちゃうかな」

「しない」

「でしょ。だったら神様はそんなことしないよ」


「コトノ。コトノはぼくのことなんかどうでもいいと思ってる」

「なによしーちゃん。あんただってあたしがいなくなって寂しかった?」

「寂しかったよ」

「そう」

「コトノ。また会えなくなるまえに教えてよ。昔ぼくに何て言ったのか」

アマキ・コトノはこともなげに答える。

「【また遊ぼ】ってさ。ねえしーちゃん。あんたの大祖父さ、六年前に死んだでしょ。しーちゃん、あたしたちは遠い親戚なんだよ」

しーちゃんは思い出す、大祖父の葬式の日の出来事。葬式から帰ってきて祖父母の家で暫く親戚で賑やかに団欒することになった。酒を飲んでははしゃぐ親戚たちに紛れて彼がつまらなそうに座っているとそこに声がかかる。『遊ぼ』彼女は、彼女は長くて艶やかな長髪を持っていた。洒落っ気がなく、無暗に肌を晒さなかった。彼女は慈しむようしーちゃんを見ていた。そっか、あの人がコトノだったんだ。


   *


三月二十七日

お母さんはまだ入院しています。薬の副作用で力がなくなるからだそうです。


春休みに入ったけれど、母は相変わらず入院していて父は働いているからしーちゃんは一人だった。ご飯を作って、洗濯物をして、掃除をした。たまにたかいが来てその時はゲームをしたり、テレビを見たりして遊んだ。そんな生活を繰り返していた。春まであと少しと言ったところである。そういえば郵便物を取りに行かなきゃと、しーちゃんはポストを覗いた。いくつかのチラシと、書類、それから見たことのない封筒があった。見たことのない切手が貼られていて、文字は全部英語で書かれていた。【dear si-tyann,ture yori】と封筒には書かれていた。中身を空けて覗いてみる。徒からの手紙だった。


─────────────────────────

しーちゃん、お久しぶりです。

僕が今どこにいるかと言うと、アメリカです。急に出ていってしまったね。ごめんなさい。君に酷い事を言ってしまったから僕は恥ずかしくって出ていってしまいました。

旅に出ようと思ったのです。どこか遠く遠く、異国の地へ、自分とは縁もゆかりもない場所に、何もかもを捨てて行ってみたかったのです。アメリカは凄いところです。今僕がいるのはアメリカでも真ん中の方、ロサンゼルスというところです。そこには広大な平地があるんです。そこに一本道路が通っていてそこで車を物凄いスピードで走らせるのです。でも、いつまで経っても平地なんです。ずっとずっと、地平線がはっきり見える。どんなに遠くまで行ったって何にもない。人もいません。時々ガソリンスタンドとかモーテルがありますが。


飽きたら、車を降りて深呼吸するのですよ。それでその平地に想像を巡らせるのです。怪獣が、平地にでっかい足跡をくっきりつけて僕の方へ迫ってきます。黒い巨体に鱗をびっちり備えて、凶悪な口から吐いた炎が雲を溶かします。

この平地ではきっと大きな戦争がありました。左の方を見ると、大勢の兵隊が槍を持ち、右へ進軍していきます。靴音が大きく響き、土煙をあげ進軍する。声を上げるのは馬です。騎士に手綱を握られ前足を大きくあげます。兵士を掻き分けて右へ突撃していきます。楽器の音がする、奥はどこまで行っても見えません。反対側からもまた軍隊がやってきます。やがて両者が衝突しました。

大きな大きな爆発が、世界を全部吹き飛ばすくらいの爆発があります。爆炎が膨らみ、途轍もない爆風がこちらへやってきます。光が、目を焼き大地を焦がす光があります。その後に爆音がありました。最後に残ったのは青天井に高く高く上がるキノコ雲でした。

怖がらせちゃいましたか。これは全部僕の想像です。ロサンゼルスだけじゃありませんよ。どこまで行っても終わらない森林とか、荒野とか、海岸、住宅街、摩天楼、海があります。


しーちゃん、あなたは僕が言った言葉を覚えていますか。しーちゃんは僕にとって神さまですよ。それは紛れもなくそうです。だって君を見ているだけで僕は救われるんです。たぶんアマキさんとか、たかい君もそうだと思います。

じゃあぼくはどうしたらいいんだって、君はそう思うでしょう。君は自由にやったらいいと思います。だって、小鳥はいつか巣立たなければなりません。きっとみんなそうです。君の元に親鳥が巣を作り、小鳥が生まれ、憩い、やがて旅立っていくのです。

だから貴方は気にせず生きればいい。好きなだけ喜び、悲しんで、怒ればいいと思うのです。子供は子供らしく嫌な物は嫌だと言いなさい。それは、誰かの救いになるから。やりたい事を好きなだけやればいい、それが誰かの救いになる。みんながあなたを見守って、縋って、悶えて、やがて救われるのです。また身勝手な事を言いました。許してください。

考えて、考えつくしてと僕は君に言いました。そのことを君がまだ覚えているなら忘れてください。いい事なんかないですから。あんなこと言ってごめんね。


とにかくこの手紙で言いたかったことは僕は生きていると言うことです。心配しないでください。

お元気で、さようなら。

                 三月十日 徒より

─────────────────────────


なんだ、としーちゃんはほっとした。徒はまだ元気に生きている。

しかしなんて酷い事だろう。今まで散々しーちゃんは彼について考えていた。だけど、今更もう考えなくていいなんてなんて酷い事を言うのだろうか。たかいといい、コトノといい、徒といい、誕生日ケーキを等分して勝手に食べてしまうようにしーちゃんから輝きを奪っていく。


母の事について、未だ心配になってしまうけれど母なしで家事をこなしながらする生活をしーちゃんは誇りに思っている。たかいも大島も偶に来てくれるし、考える事もたくさんある。取り敢えず春休みは退屈しないだろう。

朝ごはんを食べ終えてやがてしーちゃんは家を出た。しーちゃんは休日決まって病院に行く。ベットに横たわる母の傍らつれの残した本を読んで一日を過ごすのだ。しかし今日はその本を持っていく気にはならなかった。だって、徒がもう考えなくていいというものだから。そんな事を言われたらしーちゃんは考える気がなくなったのだ。いままでさんざん考えたのに、徒は手紙で遠くからもう考えなくていいよと適当に言い放ったのだった。


でも椅子に座って寝込んでいる母を見ていたってつまらない。外の景色を見たってつまらない。夷隈川が見える。窓の下にある駐車場にまばらに車が停車していて、夷隈川に沿っている道路に駐車場から一台車が出ていく。ワゴン車だった。黒い車体に太陽の光が反射してしーちゃんの目を刺す。

仕方がないからしーちゃんは寝ることにした。椅子から母を覆う布団に顔を埋める。


そんな矢先、ガラガラと、静寂を無視した音を立てて病室の戸が開く。との先にはたかいがいた。

「たかい」

たかいはすたすたとしーちゃんの所まで歩いてきてしーちゃんの隣に椅子を並べて座った。暫く二人は黙っている。こうしてたかいの隣に座るのはいつぶりだろう。たしか半年以上も前だった。彼女はもう面白い話をしてなんて言わなかった。

「たかい」

「なにしーちゃん」

「どうしてここに来たの?」

「なんで来ちゃ駄目なの」

「大島と遊んでればいいじゃん」

たかいは落ち込み気味に話す。

「大島君はずっと柴咲君たちと遊んでるよ。しーちゃんこそ。なんで柴咲君たちと遊んでやらないの。あいつらしーちゃんのことずっと言ってるのに」

「うん。気が向いたら遊びに行くよ」

「そんな事言って、遊ぶつもりなんかないんでしょ。へんなの」

沈黙が垂れた。けれどもそれは和やかだった。しーちゃんにとってたかいの醸す空気は心地よかった。たかいにとってもしーちゃんの醸す空気は心地いい。だから二人は寄り添い、やがて二人は溶け合う。

「たかい」

「なに」

「たかい。つれがいなくなっちゃった。コトノも多分もう会わないと思う。柴咲と会ったってもう絶対昔みたいにぼくは遊べないよ。たかい、たかいはいついなくなるの」

返事はなかった。たかいの頬がしーちゃんの着ているパーカーに擦れる。しーちゃんはしっかりとした重さを彼女から感じた。彼女は寝息をたてていた。

だからやっと、彼も寝ることにしたのだった。


   *


しーちゃん、しーちゃんって神さまのこと、どれくらい知ってるかな?神様って何だろうね。私たちはキリスト教徒でも仏教徒でもないんだよ。でも、漠然と神さまなんてものがいるって信じてる。どうして何だろうね、私たちに神さまのことを教えてくれた人は誰?おばあちゃんかな、お母さん?お友達?しーちゃん、しーちゃん、隣の机に座って黙って窓の方を向いているしーちゃん。しーちゃん、窓に打ちつける雨粒が滴り落ちる。しーちゃん、私の嘘をわかってくれないしーちゃん。苛立った顔をしている。しーちゃん、夏祭り、石段の下の方から私を見上げていた。提灯の灯りがぼんやり照らすしーちゃん。私は、林間学校で少しだけしーちゃんをいじめた。大島と仲良くするふりをした。そうしたらしーちゃんはどんな反応をするんだろうと思って。


しーちゃん、別にしーちゃんは私にとって神さまじゃありません。だから多分それは他の人が言ったんだよ。私にとってのしーちゃんは。鈍感で、くすぐったってぶっすりとしている人。でもかわいい。


じゃあ僕にとって、僕にとってしーちゃんは神さまなのかね。しーちゃん、君は、僕にとって救いだよ。君は僕の鏡写しだから。何もない純粋な僕が君さ。だから僕は君を見ていて救われる。勝手な話だね、君の事を僕はある意味見ちゃいないのさ。独りよがりで気持ち悪い考えだよ。

僕は君から僕が神を想像しているのかな。いやそれも多分違うよ。一方的な救いなんて神さまじゃない。神さまは僕の貧弱な想像力じゃ到底顕せない筈だよ。でも、君は確かにその声を聞いた。しんと残っているその声。君の体の奥底に染み付いて残り続けているその声。それは君にとって正しい言霊のはずだよ。莫大な愛情が、君に注がれている証拠だよ。君が指を少し動かすだけで万来の喜びを感じる人がいたのさ。その人にとって、確かに君は神さまと等しい存在だったんだろう。


うんうん、きっとそんなはずよー。しーちゃん、元気してたー?あたしさ、夏頃にしーちゃんに抱きついた時があるでしょ。あの時はごめんね。あたしもちょっとおかしくなってたんだよ。まああの一言には流石のあたしも傷ついたけど。あの時あんたには黙っててほしかった。物を言わないのならあんたがどう思ってようがあたしはその気持ちを勝手に想像するから。でもあんたはそうじゃなかったじゃない?神様ってさ、もっと大きい存在なんだよ。

だからさあ、全部委ねちゃっていいんじゃない?神さまってそう言うものよ。嫌なこともめんどくさいことも全部。それくらい好き勝手にさせなきゃ神さまじゃないわ。

しーちゃん、あなたは神さまじゃないけれど、あなたも神さまを信じてみればいいと思うのよ。

しーちゃん、あなたは今何を考えているの?何を思って生きているの?しーちゃん、あなたは誰?あなたはどんな性格の人?あなたは誰か愛した人はいる?ねえしーちゃん、分からないの?だったら、どうしたらいいかわかるよね。


ふと、彼の頭に手が添えられた。手は萎れていたが優しく彼を撫でる。彼は眠っていた。ずっと昔の事、しーちゃんがまだ生まれてきていない頃のこと、同じくしーちゃんの事を撫でて、その人はそう言った。

【しーちゃん、私の神さま】その声は、肯定だった。彼を根本から肯定する声。この声を前にすればどんな邪悪だって消え失せてしまう、そんな圧倒的な声だった。声によって少年は励まされない、慰められない、嬉しくもない、その声は彼にあまりにも馴染み切ってしまっているから。でもだからこそ、少年はいつものように振舞う。

休みが明ければ学校が始まる。少年は莫大な力をその日に託すべく蓄えるのだった。桜の蕾が開いた。風に吹かれて花弁が散る。春を告げる風が彼の耳を小突く。

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篝火 たひにたひ @kiitomosu

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