宇宙怪人ノストルジー

八百板典人

第1話


(一)

「端的に目的を伝えよう。私は宇宙人だ」


 木造のアパートの一室。オレンジの陽光に照らされた古びた部屋で、俺──春秋冬(なつなし)夏(なつ)は宇宙人──ノストルジーと対峙していた。


「は、……はあ……」


 白ウサギを無理矢理人型にした挙句、強引に八頭身にした生き物……と表現したら伝わるだろうか。

 宇宙人の容姿はオリジナリティに満ち溢れたモノだった。

 

「何だ、その面白みのないリアクションは。私はこの星を侵略しに来た宇宙人だぞ? もう少しオーバーなリアクションを取ったらどうだ?」


 俺の薄い反応が不服なのか、宇宙人は眉間に皺を寄せる。

 拗ねた子どもみたいな表情だった。

 ジト目で俺を睨みつける宇宙人から目を逸らす。

 木目の天井が目に入った。

 うわー、このタイプの天井、懐かしい。

 確かお婆ちゃん家の天井もこんな感じだっけ?


(……いや、現実逃避している場合じゃない)


 何でこんな状況に陥ったのだろう。

 アレは確か、……そう、大学の講義を終えて家に帰っている途中、……だったような……?


◇◇◇


 大学の帰り。 

 いつも通り裏道を歩いていると、自販機の足下を覗き込んでいる人物──ノストルジーと遭遇(エンカウント)してしまった。


『くっ……! 人間に擬態したままだと手が届かない……!』


 自販機の下に手を突っ込むノストルジーは、中性的な容姿をしていた。

 男のようにも、女のようにも見える。

 面食いの俺は、『うわ、あの人美形じゃん』みたいな感想を抱きながら、自販機の足下を覗き込む彼或いは彼女の姿を見つめていた。


『クソっ……! 百円届かな……!』


 俺が見ている事に気づく事なく、ノストルジーは自販機の足元に手を伸ばす。

 どうやら百円を取ろうとしているらしい。

 側から見る彼或いは彼女の姿は、とても滑稽だった。


『ああ、もう! こうなったら、奥の手だ……! 本当の姿に戻ろうっ! ふんぬっ!』


 そう言って、ノストルジーは間抜けな掛け声を上げると、本来の姿に戻ってしまう。

 彼或いは彼女の本当の姿は、俺にとって驚きに値するものだった。


『ぴょあっ!』


 ノストルジーの本当の姿を見て、俺はつい可愛らしい悲鳴を上げてしまう。


『むみゃあ!?』 


 俺の存在に気づいたノストルジーは、情けない悲鳴を上げると、腰を抜かしてしまった。


『『おみゃあああああああ!!』』


 未知の生物と出会した俺は、自分の正体を知られてしまったノストルジーは、同じタイミングで締まりのない奇声を発する。

 俺達の滑稽な叫び声は閑散とした住宅街の中を駆け巡った。

 で、何やかんやあって、今に至るという訳である。

 以上、回想おしまい。


◇◇◇


 ノストルジーが出してくれた瓶ラムネの封を開けつつ、俺は視線を硝子窓の方に向ける。

 屋根の上でお昼寝している子猫。

 藍色に染まりつつある夕空が、『現実逃避するな』と叱りつけた。

 雲の影に隠れる入道雲から目を逸らす。

 溜息を吐き出した後、改めて人型ウサギ──ノストルジーと向き合った。


「で、どうして侵略者様は俺を此処に連れてきた訳? 口封じに俺を殺すつもりなのか?」


「殺す? そんな野蛮な真似、私がやる訳ないだろう?」


 ノストルジーはラムネ瓶の中にある炭酸ジュースを飲みつつ、俺にドヤ顔を見せつける。

 俺も炭酸ジュースを少しだけ口に含んだ。

 甘酸っぱい味が口内を侵食した。


「君を連れて来たのは、私が効率良く目的を果たすためだ。それ以上の理由でも、それ以下の理由でもない」


 そう言って、ウサギを強引に人型の八頭身にしたような宇宙人──ノストルジーはキメ顔を披露する。

 その顔に知性も品性も存在していなかった。

 あ、口元に炭酸の泡ついている。


「目的? なんだそれ?」


「この星に侵略する程の価値があるのか、私に示して欲しい」


 遠くから風鈴の鳴き声が聞こえて来る。窓から入ってくる夕風が鼻腔を軽く炙った。


「………は? 示し……? 何言ってんだ?」


「結論だけを先に述べよう。私が本気を出せば、三日程度でこの星を征服できる」


 想定していたものと違う答えが返って来た。

 窓の外から漂ってくるカレーの匂いが、目に染みつく。

 遠くから聞こえるテレビの音が俺とノストルジーの間を駆け抜けた。


「だがしかし、この星は私が侵略する程の価値はないように思える。この星の支配者である地球人は効率的じゃないやり方で文明を発展させようとしている。その上、地球人は非生産的なやり方で限りある資源を浪費し続けている。加えて、地球人という個体は愚鈍かつ野蛮だから、奴隷として利用する事もできそうにない。私が頑張って侵略したとしても、骨折り損のくたびれもうけって言う訳だ」


「長々しくて、よく分からねぇよ。簡単に説明しろ」


「単刀直入に述べよう。私が頑張って侵略する程の価値を、この星は持ち合わせていない」


 『自分が生まれ育った星に価値はない』という言葉がズシリと背中にのしかかる。

 何故か知らないけれど、愛国心ならぬ愛星心とやらが俺の中で芽生え始めた。


「『この星に資源価値はない』、……と言ったらピンと来るだろうか。『ジャングルの奥に眠っていた超巨大宝石が猿の糞塗れだった』、……と喩えたら分かりやすいだろうか。つまり、そういう事だ」


 俄に信じ難い話。

 多分、ノストルジーの言っている事は全て真実なのだろう。

 彼或いは彼女の目は一切笑っていなかった。


「で、お前は一体何が言いたい訳?」


 人類の命運を背負っているかもしれないという重荷を傍に置きつつ、俺は疑問をぶつける。

 俺の物怖じしない態度を気に入ったのか、ノストルジーはちゃぶ台の上に置かれていた美味過ぎる棒を投げ渡した。


「言っただろう? この星の価値を示してくれ、と」


 ノストルジーは言った。

 『この星には資源価値はないかもしれないが、文化的価値はあるかもしれない』と。


「この星の娯楽を、或いは文化を、私の星に持ち込めば、一儲けできるかもしれない」


 ノストルジーはニヒルに微笑むと、ラムネ瓶をラッパ飲みし始める。

 美味しそうに炭酸飲料を飲み干す宇宙人を見つめながら、俺は彼或いは彼女から貰った駄菓子を口の中に放り込んだ。


「遊びでもいい。食文化でもいい。この星で一番価値のある文化を私に教えてくれ。そうしたら、──」


「そうしたら?」 


「この星を征服してやろう」


 雲の影に隠れたお天道様が俺達の様子を伺う。

 茜色に照らされた木造アパートの一室は、背中を伝う冷や汗を刺激した。


「……つまり、なんだ? この星を侵略するモチベを、俺に求めているのか?」


「ああ、そうだ」


 頑張った子どもに褒美を与える気楽さで、ノストルジーは俺に駄菓子を投げ渡す。

 胸に叩きつけられた煎餅は、手中に収まる事なく、年季が入った畳の上に転がり落ちてしまった。


「君にノーという選択肢はないぞ? もし断った場合、君は生き地獄を味わう事になるだろう」


 ここは蜘蛛の巣だと言わんばかりのドヤ顔で、ノストルジーはニヒルな笑みを浮かべる。

 そんな彼或いは彼女の笑みを見て、俺は『うわー、成り行きとはいえ、コイツの家に上がるべきじゃなかったなー』と心の中で呟いた。


「具体的にどんな生き地獄を味合わせるつもりなんだ?」


「君の姿に擬態した状態で、この星を侵略する。断らない方が良いぞ? もし断った場合、君はこの星を売り払った売星奴として、歴史に名を刻む事になるだろう」


「ヤバい、社会的に殺される」


 限りなくグロさを抑え込んでいるけど、俺にとって生き地獄である事は確かだった。

 もしヤツが俺の姿で世界征服をやったら、二度と表を歩けなくなってしまうだろう。

 何て恐ろしい事を考えるんだ、この宇宙人。


「ちなみに協力した場合は?」


「この星の半分を君にくれてやろう」


 協力しようが、協力しまいが、俺にとって生き地獄である事は変わりなかった。

 多分。協力した場合でも、売国奴ならぬ売星奴として歴史に名を刻む事になるだろう。

 どちらを選んでも、碌な死に方をしなさそうだ。


「では、よろしく頼むぞ、春秋冬(なつなし)夏(なつ)。思う存分、この星の価値を私に示すといい」


 偉そうに胸を張りながら、ノストルジーは高笑いし始める。

 壁が薄いのか、隣の部屋から『ドン』という音と共に『うるせえんだよ!』という声が聞こえて来た。

 壁ドンの所為で、俺とノストルジーの口から間抜けな悲鳴が漏れ出てしまう。

 俺達は背筋をピンと張ると、隣の部屋の住人目掛けて、謝罪の言葉を口にした。



(二)

 宇宙人ノストルジーと出会って、一週間以上の月日が経過した。

 現在、俺とノストルジーはブラウン管テレビに映し出された男女の背後姿を見つめている。


「ふむ、地球人のセックスアピールは随分まどろっこしいんだな」


 煎餅を口に含みながら、ノストルジーはちゃぶ台の上に乗ったラムネ瓶に手を伸ばす。

 俺は持参したアイスキャンディーを舐めながら、疑問の言葉を口にした。


「お前ん所は、どうやって恋愛……いや、人生の伴侶を決めているんだ?」


 窓硝子の向こう側で煌めく入道雲が生暖かい風を送りつける。

 扇風機は不機嫌そうに泣き喚くと、蒸し暑い夏風を俺達に送り届けた。


「ふ、愚問だな。生殖したい時は生殖したい相手に『生殖して欲しい』と頼み込む。それが私達のやり方だ」


「随分、機械的なやり取りだな」


「機能的或いは生産的だと言ってくれ。君達が行っている恋愛は、私からしてみれば、非生産的な行為だ。異性に自らの理想を押しつけているだけに過ぎない。色眼鏡で相手を見た所で、相手の本心を推し量れないぞ」


「相手の本心を推し量るために、地球人は恋愛するんだよ」


「ん? 本心の一つや二つ、少し考えたら分かるだろう?」


「じゃあ、お前は俺の気持ちを三十字以内で説明できるのかよ」


「ん? 何を言っている? 私と君は同じ種族じゃないだろ? 君の気持ちを理解する事なんてできる筈がない」


 会話の歯車が噛み合わない。

 多分、俺達が知らないだけで、俺とノストルジーの間には埋め難い溝が沢山あるんだろう。

 外の電柱にしがみついている蝉が、俺とノストルジーの間に流れた静寂を打ち消した。


「……そういや、お前は男なの? 女なの?」


 今までずっと聴きそびれていた事を聞いてみる。

 ノストルジーはキョトンとした表情を浮かべると、少しだけ首を横に傾げた。


「そんなの、見れば分かるだろう?」


 改めてノストルジーの身体を見る。

 八頭身の人型白ウサギ。

 じっくり見ても、彼或いは彼女の性別は判別できそうになかった。


「ところで、春秋冬(はるなし)夏(なつ)。彼女(つがい)はいるのか?」


「彼女がいたら、お前の所に通ってなんかいねぇよ」


「そうか、随分寂しい『セーシュン』を送っているんだな」

 

 最近覚えた『青春』の単語を口遊みつつ、ノストルジーは嘲笑を浮かべる。

 年季の入った畳の上で、暇を持て余したおっさんのように寝転ぶ彼或いは彼女の姿は、見ているだけで腹立たしいものだった。


「そういうお前は?」


「私? 私はだな……」


 目を泳がせるノストルジーを鼻で笑う。

 プライドが傷つけられたのか、ノストルジーはムッとした表情を浮かべると、俺の頭目掛けて未開封の飴玉を投げつけた。

 首を右に傾ける事で、迫り来る飴玉攻撃を回避する。

 窓硝子に叩きつけられた飴玉は、変わった悲鳴を発すると、畳の上に落っこちてしまった。


「うん、この映画とやらは良いな。地球人の実態及び文化を効率的に学ぶ事ができる」


「あんまり映画の内容を鵜呑みにするなよ。これ、殆どがフィクションだから」


「なるほど。地球人はホラ話を売り物にしているのか」


「大体そんな感じだ。だから、話半分で聞いた方がいいぞ」


「ほう……ホラ話を商品に、……か。厚かましい発想だな」


 ムスっとした表情を浮かべた後、ノストルジーは口を閉じてしまう。

 俺とノストルジーとの間に静寂が流れた。

 外から聞こえる少年少女の足音が、遠くから聞こえる蝉の声が、テレビから聞こえる男女の諍いが、畳の上で寝そべる俺達を淡く照らし上げる。

 見て、観て、見続けて。

 鮫に食べられる男女の姿を見届けた後、ようやくテレビ画面にエンドロールが映し出される。

 一昔前に流行った恋愛映画は、俺の人生に影響を与える程の力を持ち合わせていなかった。


「なあ、春秋冬(はるなし)夏」


 台所に移動した俺は膝の高さ程度しかない冷蔵庫を漁りながら、ノストルジーの言葉に耳を傾ける。


「どうした? そんなに改まって?」


 買い置きしていたアイスキャンディー二本を取り出した後、足で小型冷蔵庫の扉を閉める。

 俺は取り出したアイス一本をノストルジーに投げ渡しつつ、首を横に傾げた。


「──映画を、撮るぞ」


 そう言って、ノストルジーは何処からともなくサングラスを取り出す。

 何処からともなく聞こえて来た風鈴の声が、俺の動揺を代弁した。



(三)


「で、何で映画を撮ろうって思ったんだ?」


「地球人の嗜好を理解するためだ。それ以上の理由でも、それ以下の理由でもない」


 俺から借りたスマホを使って、ノストルジーは電柱の頭部付近を撮影し始める。

 雰囲気だけは一流映画監督と遜色なかった。


「で、何の映画を撮るつもりなんだ? 恋愛映画? サイエンスフィクション?」


 入道雲の裏に隠れたお天道様を睨みつけながら、俺は手団扇で涼をとる。

 裏道を通り抜ける夏風は、俺の喉から水分を奪い取った。


「パニック映画だ」


「……は?」


 想定していた答えとは違う答えが、人通りの少ない住宅街の裏道を縦に揺らす。

 人間に擬態したノストルジーは、サングラスを掛けながら、俺に指示を飛ばした。


「私が通行人を襲う。君はこのスマホで私の勇姿を撮ってくれ」


「止めろ、ノンフィクションになっちまう」


 準備体操を始めたノストルジーに静止を呼びかける。


「お前が撮ろうとしているのは、地球侵略のドキュメンタリーだよ。俺達人類が娯楽として楽しむにはハードルが高過ぎる」


「なるほど、私が撮る映画は芸術的って言いたいのか」


「暴力的って言ってんだよ」


「安心しろ、峰打ちだ」


「お前の何処に峰があんだよ」


「──私の、心の中だ」


「喧しいわ」


 馬鹿な事を宣うノストルジーの後頭部を軽く叩く。

 ノストルジーは特に怒る事なく、知性も欠片も感じられないドヤ顔を晒した。

 何でドヤってんだ、こいつ。

 上手い事を言ったつもりか。


「で、何で突然パニック映画を撮ろうって思ったんだよ」


「言った筈だ。君達地球人の嗜好を知るためだ、と」


「本音は?」


「私の方が面白い映画を作れると確信したから……って、何を言わせているんだ、君は」


「お前が何を言っているんだ」


 どうやら先程見た面白くもつまらなくもない恋愛映画は、ノストルジーの人生に大なり小なり影響を与えたらしい。


「先程、鮫が沢山出てくる映画を観ただろう? アレを観た事で、私は確信を得た。『私が撮った映画だったら、興行収入千億円突破するのも夢じゃない』と」


「白昼夢だよ」


「要は有象無象の地球人達を感動させれば良いのだろう? ノープロブレム。その程度、私にかかればお茶の子サイサイだ。赤子の手を捻るようと言っても過言じゃない」


「過言だよ」


「大丈夫だ。私の頭の中には素晴らしい脚本が描かれている。この脚本通りに撮れば、ノーベル賞間違いなしだ」


「……一応、聞いておくけど、どういう筋書きなんだ?」 


「大体の筋書きは昨日観たサメ映画と同じだ。私が地球人を襲う。地球人が怯える。私に怯えた地球人達が様々な人間ドラマを織り成す。そして、彼等の織り成すドラマがマンネリ期間に突入した途端、再び私がアクシデントを起こす。……どうだ? 完璧な筋書きだろう?」 


「行き当たりばったりな上、ドラマ部分をエキストラに委ねているじゃねぇか」


「よし、行ってくる」


「待て、話は終わっていない」


 俺の静止に応える事なく、ノストルジーは電柱の裏に隠れる。 


「止めるな、春秋冬(なつなし)夏(なつ)。私は映画を撮らねばならぬのだ」


「どうして?」


「地球人よりも私の方が優秀である事を示すた……って、何を言わせているんだ、君は」


 どうやらノストルジーは映画を生み出した地球人に劣等感を抱いているらしい。


「勘違いしないでくれ。別に私はホラ話を商品として売り出す地球人に嫉妬なんかしていない。映画という概念さえ知っていれば、私の方が面白いものを撮る事ができる。ホラ話を商品として仕立て上げるという厚かましい発想が出てこなかっただけで、私の方が絶対に面白い映画を撮る事ができる。少々地球人に遅れを取ったが、今から本気を出せば十分取り返せる遅れだ。私が映画を撮れば、数百倍面白い映画を撮る事ができるだろう、うん」


「お前、かなりの負けず嫌いなんだな」


「負けず嫌い? 取り消したまえ、その言葉。私は君達地球人に負けたつもりは……ん?」


 ノストルジーの目の色が変わった途端、電柱に寄りかかっていたツクツクボウシが入道雲目掛けて飛び立つ。

 閑散とした住宅街に鳴り響く小さな足音は、心音と似た響きを持ち合わせていた。


「カメラをセットしろ、春秋冬(はるなし)夏(なつ)。クランアップだ」


「お、おい、待て……!」


 そう言って、ノストルジーは着けていたサングラスを放り投げると、電柱の影から飛び出す。

 陸上選手のような綺麗なフォームで駆け出すノストルジーの姿は見応えのあるものだった。


「キエエエエエエエエエエ!」


 いつものクールな口調を投げ捨て、ノストルジーは住宅街を揺さぶる程の奇声を発する。

 曲がり角から出てきた通行人は、眼前に現れた八頭身の人型ウサギに怯え──る事なく、奇声を発するノストルジーの顎を右の拳で殴りつけた。


「ギエエエエエエエエエ!」


 ノストルジーの奇声が断末魔に成り果てる。

 俺は地面に倒れるノストルジーの姿を見つめる事しかできなかった。


「あ、ごめん。つい癖で」


 電線の上に佇むカラスが鳴く。

 その声は仰向けに倒れるノストルジーを嘲笑しているみたいだった。


「カ、カットだ……! 今すぐ撮影を中断してくれ……!」


「最初から撮ってねえよ」


 顎を押さえながら、上半身を起き上がらせるノストルジーに事実を突きつける。

 すると、ノストルジーを撃退した通行人が俺に声をかけた。


「ん? ナツ? 何でこんな所にいるのよ?」


 視線が通行人の瞳に吸い寄せられる。

 ノストルジーが襲おうとした通行人は、隣の家に住む幼馴染──目栗(めぐり)巡(めぐる)だった。


「あー、それはだな……」


 巡とノストルジーを交互に見ながら、俺は右人差し指で右頬を掻く。

 ……何て説明すれば良いのか分からなかった。 


「春秋冬(なつなし)夏(なつ)……! 今度はちゃんと彼女を襲ってみせる……! だから、カメラを回せ……! 侵略者である私の勇姿をカメラに収めるんだ……!」


 右手で顎を押さえながら、ノストルジーはゆっくり立ち上がる。

 ノストルジーの失言の所為で、取り繕う事さえできなくなった。


「カメラ……!? 侵略者……!? どういう……っ! そうか、この細長いウサギモドキは地球を侵略した宇宙人なのね……!」


 ノストルジーの失言だけで状況を把握した巡は、いつでも正拳突きを放てるように身構える。

 小学校の頃から空手を習っているお陰なのか、彼女の構えは様になっていた。


「待て、巡。頼むから、待ってくれ」


「ええ、分かっている。ナツはこの宇宙人に協力するよう脅されているのね。大体理解しているわ」


「うん、合っている。お前の理解は大体合っている。合っているけど、一旦落ち着いてくれ」


「なるほど、ナツはこの宇宙人に洗脳されている訳ね……!」 


「違う、それは違う」 


「思い出して、ナツ……! 私と過ごした日々を……! 貴方と私の絆は、あんな宇宙人に負ける程のものじゃないでしょう……!」


 俺の話に耳を傾ける事なく、巡は自分の世界を展開する。彼女は自分に酔っていた。多分、俺が何を言っても逆効果だろう。


「むう……あの個体、かなりの演技派だな。私も負けていられない」


 まだ映画を撮るつもりなのか、ノストルジーはファイティングポーズを取る巡を見つめながら、不敵な笑みを浮かべる。こいつもこいつで俺の話を聞くつもりなさそうだった。


「待った、お前ら、待った。とりあえず、俺の話を……」


「カメラを回せっ! 春秋冬(なつなし)夏(なつ)っ! これから私は伝説を作るっ!」


「あんたを倒して、ナツを救い出すっ! この星は……私の愛する人は必ず私の手で守ってみせるっ!」


 駆け出す巡。

 走り出すノストルジー。

 夕日に照らされる住宅街の裏道で、地球代表のバカと宇宙人代表のバカが交差する。

 当然、俺はカメラを回さなかった。

 回す程の価値を見出せなかったので。

 今なら分かる。

 『この星を侵略するモチベが湧かない』と言ったノストルジーの気持ちが。

 痛い程に理解できる。

 そうか、ノストルジー、お前、こんな気持ちを抱いていたのか。

 虚無感に似た感情を抱きながら、拳を振るう二人の姿をぼんやり眺める。

 巡の鋭い突きがノストルジーの顔面にぶっ刺さった。


「ふんぬっ!」


 巡の蹴りがノストルジーの腹に突き刺さる。

 ノストルジーは潰れた蛙のような声を上げると、火照ったアスファルトの上を転がった。


「の、ノストルジー……!」


 慌てて地面に横たわるノストルジーの下に駆け寄る。

 たった三発喰らっただけで、ノストルジーはグロッキー状態に陥っていた。


「な、……春秋冬(なつなし)夏(なつ)……た、助けてくれ、……」


「お前、単独でこの星を侵略できるって言ってたじゃん!」


 恥も外聞も掻き捨てて、ノストルジーは俺に助けを求める。

 出会った当初──余裕で地球侵略できると言っていたノストルジーの姿は、どこにも見当たらなかった。


「私自身は強くない……! 強いのは私が作った道具だ! 道具を使えば、余裕で侵略できるって話で、私個人の力は、たかが知れている……!」


「なに偉そうにしてんだよ、このバカ!」


 巡の方を見る。

 地球を守る義務感と洗脳された俺を救わなければならないという使命感を抱きながら、彼女は拳を鳴らす。

 その姿は地球人目線だと、非常に頼もしかった。


「ナツ、退いて……! じゃないと、そいつから地球を守る事ができない……!」


「オッケー、落ち着け、巡。話し合おう。人は対話できる素晴らしい生き物だ」


「春秋冬(なつなし)夏(なつ)……! 私を守ってくれ……! 世界の半分をくれてやるから……!」


「ナチュラルに俺を巻き込むな!」


 火に油を注ぐノストルジーの頭を叩く。

 ノストルジーの気持ちを代弁するかのように、遠くからツクツクボウシの鳴き声が夕焼けに沈む住宅街を微かに揺らしていた。


「この世界は渡さないっ! 私の拳でお前という邪悪を打ち砕くっ!」


 小さい頃から思い込みが激しい空手ガール──目栗巡はノストルジーにトドメを刺そうと駆け出し始める。


「覚悟しなさい、侵略者っ! これが、人間の可能性だあああああ!!」


「春秋冬(なつなし)夏(なつ)ガード!」


「テメェ、俺を盾にすんなっ!」


 巡のドロップキックが俺の顔面に突き刺さる。つい女の子みたいな可愛らしい悲鳴を上げてしまった。


「むみゃあ!」


 俺という盾を失ったノストルジーは、情けない悲鳴を上げると、腰を抜かしてしまう。

 巡は怯えるノストルジーに構う事なく、拳を握り締めると、渾身の一撃を繰り出した。


「おみゃあああああああ!!」


 ……ノストルジーの情けない断末魔が住宅街の中を駆け巡る。俺はそれを聞き流しながら、茜色に染まる入道雲を仰いだ。



(四)

「映画の撮影というものは、こんなに大変なモノだったのか」


 河川敷で横たわりながら、俺とノストルジーは山の陰に隠れるお日様を見つめる。藍色に染まった東の空には、一番星が瞬いていた。


「産みの苦しさというものを痛感した。まさか、ここまで大変だったとは……」


「いや、今日苦労したのはお前の社会性アンド常識の無さが原因だから。普通の人は今日お前が経験した苦労を経験しないから」


 腫れた頬を右手で摩りながら、地面に後頭部を擦り付ける。

 巡から逃げる事で体力を使い果たしたのか、ノストルジーはピクリとも動かなかった。


「……で、どうよ? お前にとって、この星は侵略するに値するものなのか?」


「今の私が言える事は唯一つ。映画を造るという点では、私よりも君達地球人の方が優れている。ただ、それだけだ」


 ノストルジーの口から漏れた息の音が、星々の煌めきに打ち消される。

 俺は夜風を浴びながら、腫れた頬を摩り続けた。


「侵略は後回しだ。一部分だったとしても、君達よりも劣っている自分を許す事ができない。先ずは映画を完成させよう。侵略よりもコンプレックスを解消する事が先決だ」


 どうやら侵略する事よりも俺達に対する劣等感を払拭したいらしい。

 『無駄にプライドが高い』と思いつつ、俺は上半身を起き上がらせる。ノストルジーもゆっくり上半身を起き上がらせる。


「春秋冬(なつなし)夏(なつ)、私が撮った最高の映画を、『い』の一番に見せてやる。だから、私に協力しろ」


 腫れた頬を摩りながら、ノストルジーは立ち上がろうとする。

 その姿はとても偉そうで、自信に満ち溢れていた。


「へいへい」


 一部分だけであるが、この星の価値をノストルジーに示す事ができた。その事実を噛み締めながら、俺は頬の筋肉を少しだけ緩めてしまう。


「とりあえず、映画に関する書籍を集めよう。時間は有限だ。うかうかしていたら、あっという間に老いるぞ」


 達成感のようなものを抱いている俺に構う事なく、ノストルジーは商店街の方に向かって歩き始める。俺は尻についた土を手で払うと、ノストルジーの後を追い始めた。




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