第5話 バッドエンド


「また君か…」


 私のミスとして「また」上司に叱られた。

 昨日あんなに確認したのに、後輩に「それは聞いてません!」と言われてしまって結局その子の意見が通ってしまい私が怒られている。


 理不尽、だと思う。


 でも世の中そんなものだ。

 いくら真面目に頑張ったところで、顔のいい子が持て囃され、可愛げのある子がそのまま可愛がられる。

 性格曲がっちゃったな…、って笑いが込み上げる。

 周りだって私達の会話を聞いている筈だから、庇ってくれてもいいじゃないって思うと同時に、庇ってもらえた妄想をしてはそうじゃない現実にため息をつく。


 上司に頭を下げて自分の仕事に戻り、我に返ってふと、私の人生これで良いのかな?って思う。


 何となく勉強して何となく就職して、何となく結婚できるものかと思ってたけど、生まれてこのかた彼氏も出来なかった。


 私の人生、ずっとこのままなのかな?

 このまま誰にも愛されず、終わるのかな……



 結局会社を出たのは終電ギリギリ、泥酔したサラリーマンと同じ車両に乗り、最寄り駅まで真っ暗な景色を眺める。

 いつか王子様が迎えに来てくれるなんて夢のまた夢だと気付いたのは案外年を取ってから。

 人はいつか愛する人と出会えるものだと信じていたし、自分は愛される人間だと思ってた。


 それが真面目に生きていても報われない。

 何故かいつも自分ばかり責められる。そう感じるだけかもしれないけど、そんな事ばかりだから。

 どうしてかな、間違いを笑えないからだろうか。

 許すことが、出来ないからかな。


「はぁ…」


 電車から降りホームでため息を吐く。もうため息しかでない。なんだろう、もう疲れたな。いつか報われると思ってここまで生きてやってきたけどこんな人生あんまりだ。


もう、しに……


「大丈夫ですか?」


 ふと、その言葉を遮るように声をかけられた。穏やかな優しい声に、何だか胸がギュッと締め付けられた。


「顔色が、良くないですよ?」


「……ゎ」


 声のした方を見ると、片目は髪がかかり見えないけれど緑色の瞳と目があった。

 緩やかなウェーブのかかった茶色い髪を1つに結い上げ、珍しい片眼鏡をかけ、瞳と同じ色のループタイの長身の男性。

 滑らかそうな白い肌、まるで陶器で出来た人形の様、同じ人間とは思えなかった。


「どうしました?」


 私がポカンと見とれているとふっと口許に笑みを浮かべ柔らかく笑った。その笑みに不思議と泣いてしまいそうになる。


「だ、だい……」


 大丈夫だといつもは言う。もう何十年も同じ言葉を繰り返しては1人泣いてきた人生だった。その度に何か救いを求めて生きてきたけど、どこにも救いはなかった。優しい言葉をかけてもらえたと一喜一憂してたのは自分だけでいつも私は蚊帳の外だ。


「大丈夫じゃない、です」


 抑える事の出来ない涙が一気に瞳からこぼれ落ちた。

 誰か救ってほしい、こんな世の中から。

 私を愛してほしい、愛が欲しい。


「おやおや……」


 目の前で泣き出した私を見て、彼はくすりと笑って、その大きな手で私の頭を撫でてくれた。


「では、こちらへ来て下さい……」


 そのまま私の手を握り、改札に向かって歩き始めた。

 泣きながら手を引かれる私は迷子の子供みたいで恥ずかしかったけど、終電も終わり周りには誰もいない。静かで少し不気味だったけれど、私は彼の何とも言えない魅力に包まれていた。


 駅を出るといつもこの時間でも開いていたお店が軒並み閉まっているから地元の駅なのにまるで知らない土地のよう。

 タクシーを待つ会社員の姿もない。ただ街灯だけが明るく立っていた。


「ここです」


 飲み屋が並ぶ道の本当に奥、Garden of Edenと書かれた看板の前で立ち止まった。看板はあるけどお店が見当たらない。ただこの行き止まりのコンクリートの壁に不自然な鉄扉があった。もしかして、この扉の向こう?


 「ここ、な、に……?」


 ここがお店だとしたら、ホストクラブか何か?私はキャッチに引っ掛かっただけなんだと落胆した。

 なんだ、結局はお金目当てなんだ……


「どうしました?」


 男はきょとんとした顔して白々しい。ここはホストクラブの新店舗に違いない。私は男の前で盛大なため息をついた。


「ぼったくりでしょ!?帰ります!」


 私が踵を返すとまた、おやおやなんて、さっきから本当にそれがおじさんぽくてイライラが募ってくる。


「良いんですか?そちらに行かれたら、また苦痛な毎日の始まりですよ?」


 苦痛な毎日、その言葉に体が硬直した。

 確かに、どうせ家に帰っても1人だ。誰も私を癒してくれる人なんていない。夜眠りに落ちるその瞬間までも今日起きた嫌な事が頭を支配して、息苦しさで目が覚める。


 でも……


「そこに入っても、偽りなものしか無いですよね?」


 私は少しだけ振り向いて男に問い掛けた。どうせこのまま1人なら豪遊できなくとも優雅に暮らしていけるお金は必要だ。

 すると男は両手を広げてまた、おやおやなんて。

 だからそれ止めてほしい。


「お金なんて要りません。この扉の向こうが気になりませんか?」


 そう言われると、話の種で入ってみても良いかもしれない。もし高額請求されたら警察に通報すれば良いんだから。この人よりもめちゃくちゃ綺麗な男の人達が居るんならたまには無駄遣いしても良いんじゃないか、どうせこのまま1人なら、少しくらい夢見ても。


「分かりました、ただ、おかしかったら直ぐ出ますし警察呼びます!」


 と、私は店の前まで戻った。

 重そうな鉄扉の向こう側、一体どうなっているんだろう……


「さぁ、では、入りましょう」


 にっこりと笑う彼に、初めて背中に寒気がした。

 彼が重そうな扉を軽々と開けるとそこには一本の長い廊下があった。


 赤い絨毯が敷かれ、先が見えない。ただ燭台の蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れているだけ、え?ここ、お化け屋敷?今流行りの体験型かなにか?ホストクラブじゃなくて、お化け屋敷!?


「さ、ゆっくりと進んでいって下さい」


 そう言うと彼は私の背中を押して中に入れると扉を閉めてしまった。


「え!?や、なんで!?」


 1人になり私はパニックに陥り、扉を叩き続けて叫んだ。ただ、この叫びは外に聞こえてるのだろうか?


 誰もいなかった。そう、いつもならこの飲み屋街には人がたくさんいて賑わっていた。

 今日は何かがずっとおかしい。


「怖い……」


 細く長いこの廊下の先に何があるんだろう。どうして彼は私をここに連れてきたのか。

 震える身体を進行方向に向ける。全く見えない。でもこれって私の人生じゃないかと思う。

 お先真っ暗。


「ははっ」


 自分で思って笑ってしまった。そう、私の人生はお先真っ暗。何も見えない。希望もない。

 どうなったって悲しむ人なんていないのだからと、沸々とわいてくるむなしい怒りに任せて前に進んだ。


 私が歩く度に揺れる蝋燭、短いのと長いのと強いのと弱いの。なんだっけ?人の命のような。


「1つくらい消したって……」


 太い一本の蝋燭がやけにムカついた。こんなにも立派で、堂々としてる。同期の男を思い出した。自信過剰で思わせ振りな態度、私は彼を思い浮かべてそれを吹き消していた。


 蝋燭はまだ無数に置いてあったから暗くなるような事はない。人と同じ、1人いなくなったところで何も変わらない。

 今度はこの、今にも消えちゃいそうな蝋燭は苦しんでるみたいだから消しちゃおう。上司みたいだと心で笑って。


「ふふ……」


 まだまだ長い廊下、私はどんどん中に進んでいった。すると進行方向から冷たい風が吹いてくる。


「寒っ」


 たどり着いた黒いアーチ型の扉からは酷く冷たい風が吹いて、寒さで腕を擦る。これは、開けた方が良いのかな?と、真っ黒で何で出来てるのか分からない扉を手のひらで押してみるとそれは簡単に開いた。


「……ぇ」


 一気にLEDの明かりが目に入ってきて目の前が一瞬真っ白になった。

 目が慣れるまで瞬きを繰り返し辺りを見渡すと、床や壁が灰色のコンクリートになっていて何にも無かった。

 何なんだろう、ここは。私が壁に触れ室内を歩き回っていると冷気を感じる箇所があった。

 そこを力強く押してみようとしたところ、その壁が扉の様に開いて先ほどの男が出てきた。


「待たせてしまいましたか」


 にっこりと微笑んで、私の肩に触れた。


「な、なに……?」


 そのまま肩を撫で下ろして、頬を撫でられ顎に指が添えられる。その手はあまりにも冷たかった。


「貴女は、綺麗ですよ」


 片目は見えないけれど、緑色の瞳が細められる。私は何故か動けずにそのまま男にされるがまま。


「綺麗な肌だ……」


 首筋を擽られ、衣服の上から鎖骨や胸に触れられる。私は混乱していて身体が動かせなかった。男は私の身体に丁寧に触れ、にこにこと笑っている。


「ここも、ここも、全て綺麗です 」


 綺麗なんて言われるのは初めてで、恥ずかしさが込み上げてくる。見ず知らずの、訳の分からない場所で身体に触れられ、恐怖で一杯の筈なのに、その心地よい低音と人形のような美しい顔の男に酔わされていく。


「や、やめ……」


 泣きたくなる。情けなくなる。それでも抗えない自分が悔しい。ずっとずっと欲しかった他人のぬくもり、今なら手に入るんじゃないかと思って。


「ここの奥だって、未使用で素晴らしい……」


不意に下腹部に手のひらを合わせられ、羞恥で顔が熱くなる。バカにされてるのか、その言い方は何なんだと私は男を睨み付けた。


「威勢が良いですね、嫌いじゃないですよ?」


 ふわっと緩やかな髪が揺れ、笑って開いた目と目が合った瞬間、全身が震えた。


「やはり貴女は合格ですよ?さ、こっちに……」


 後ずさった私の手を握られ男が入って来た扉から次の部屋へと案内され、そこで見た光景に息を飲んだ。


「……っ!」


 並べられた無数の水槽の中に、人間の身体の一部がそれぞれ1つずつ入って浮かんでいる。


 目に見える範囲で手や腕、足首に胸や腹部、私は身体の奥から込み上げる吐き気を抑えることが出来なかった。


「大丈夫ですか?」


 男は呑気にそんな事を言って私の身体を支えて部屋の中を進んでいった。凄く寒い、寒くて凍えてしまいそう。そして微かに、甘い匂い……


 気分が悪くて目をギュッと瞑った。今見た光景は悪い夢で、私は今、夢の中にいるんだ。ここは体験型お化け屋敷で身体を支えているのはこのお化け屋敷のキャストさんだ。


「現実逃避ですか?」


 頭上から降り注ぐ声を聞き流して、私は目を開けるまいと更に固く閉ざした。もうやだ、やっぱり入るんじゃなかった。


「貴女が先程殺してくださった方々の身体も手に入ったので、お礼させて下さい」


 え?


 殺した?


 わたしが?


「覚えてないですか?消した蝋燭……」


 自棄にムカついた堂々とした太い蝋燭と


 今にも消えてしまいそうな蝋燭


 覚えているのはその2つだけだけど


「あれは貴女を叱る上司と、同期?の男ですね。」


 ふふっと楽しそうに笑う男に私の頭は軽くパニックになっている。え?嘘でしょう?そんな蝋燭を消したくらいで人は死なないよ!私は目を閉じながら身体を暴れさせた。


 その瞬間、身体は宙を舞って冷たい台の上に寝かされてしまった。


「ぃっ、いや……やっ…!?」


 起き上がって目を開けた瞬間、四方八方に置かれた水槽の中に浮かぶ無数の生首に総毛立った。

 震える身体を押さえ付けられ寝かされ、見上げた頭上には……


「……っ、え、なに……?」


 ガラスの天井には魚が泳ぎ回っていた。ここは、海底か何かなの?色とりどりの綺麗な魚が泳いでいて私は涙が止まらなかった。


 震える身体を押さえ付けられ、言葉が出てこない。

 ただ分かっているのは、死にたくないって事だけ。

 寒くて、恐怖で、震えが止まらない、歯がカチカチなっていて呼吸も荒くなっている。


「死にたくない死にたくない死にたくない」


 涙が止まらない私の頭を押さえ付けながらあやすように額を撫でられる。その間にも私の手足が何者かによって拘束されていく。


「……全く、悪趣味だよ」


 台の上からじゃ見えない子供の声が聞こえた。

 私の手足を拘束したのは子供?

 こんなところに、子供が居るの?


「はやく眠らせてあげなよ、可哀想じゃん!」


 可愛らしい男の子の声がとても怖くて酷いことを言い放つ。

 私はやだやだと泣きながら許しをこいていた。

 私、何か悪いことしたの?

 知らない人についてきてごめんなさい。

 真面目に生きてきたのに、最後がこんなんじゃあんまりだ。



 私の人生、最後まで報われることはなかった。



「いやぁあああ!!死にたくないよぉおお!!!」



 私は全身で泣き叫んでいた。


 もうやだ、はやく楽にして。


 じたばたと動くと手足が千切れそうな程に痛んだけれど、それさえもどうでもいい。


 逃げたい、逃げ出したい、怖い、死にたくない!


 私はこんなにも、生きていたいんだと思い知らされた。


 泣きじゃくって涙も鼻水も涎も垂らして、だらしないけど、私は生きていたいんだと改めて思い知らされた。


 あんまりな人生で救いがなくても、こんな死に方は真っ平だ。


 誰にも愛されなくても、好きなことをして生きていられるならそれで十分じゃないか。


 ごめんなさい、ごめんなさい、もう何も望んだりしないからまだ生きさせて下さい……




「大丈夫ですよ、貴女の身体の一部は永遠に、生きていけますから……」





































「お客さん、終点ですよ!」


 肩を叩かれハッと目が覚めた。


「……大丈夫ですか?」


 身体にはびっしょり汗をかいていて気持ち悪かった。

 見渡すとそこは電車の中で地元の駅から遠く離れた駅だった。

 泥酔したサラリーマンはもう居なかったからちゃんと降りれたのかな?なんてぼんやり考えて、夢だったことに安堵した。

 腰が抜けて立てなかったけれど、駅員に追い出され知らない駅のホームで立ち尽くした。


 嫌な夢だった。

 なんでこんな夢を見たのかは分からないけれど、妙に水槽の中の生首や手足は鮮明に思い出される。


 吐き気をもよおすもあれは夢だと言い聞かせ、駅を出てタクシーを拾う。


 無言のタクシーの中でこれからどう生きていくか考えていた。








 次の日、会社に出社すると社内がざわついていた。


「2人も行方不明なんてな」


 その言葉に身体が冷え込んだ。

 どういう事?



 同期と上司が突然遺書を残して蒸発した。

 しかも昨日、私が夢を見ていた時間帯に居なくなっていたらしい。

 携帯や財布もそのまま残されて手掛かりは何もない。



 私は怖くなってそのまま座り込んでしまった。


 もしかして、あの男に拐われたの?



「先輩、大丈夫ですか?」


 普段私を見下してくる後輩の女に心配され、咄嗟に大丈夫と払い除ける。


 その様子に、酷いやつだ、嫉妬からか?など酷い言葉を浴びせられる。



 それからも何も変わらない毎日だった。


 可愛らしい女が持て囃され、私はいつも惨めだった。


 上司が居なくなってもまた新たな上司に理不尽に叱られる。

 同僚には呆れられ、覚めた目で見られる。


 楽しいことも楽しくなくなり、生きていてもやはり何も生み出せなかった。


 あの時やはり殺してしまったのだろうかと、そればっかりが頭を支配して。



 人殺しに荷担したから、私は不幸なんだと。



 結局私は、この人生に何も期待できなくなった。




 ごめんなさい、こんな私が生きていた事。



 ごめんなさい、せっかく産んでもらったのに、人を殺してしまったかもしれない。



 ごめんなさい、もう、居なくなるから。









 その数週間後、私は自ら命を絶った。







 意識が遠退くその瞬間、酷く寒くて微かに甘いにおいがしたけれど死んだ私にはもう何も分からない。











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カラクリ幻想館 神山雛子 @hinako_no_heya

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