〈現代〉櫻井 薫

さようなら

 「私が好きだったのは……涼だよ」


 手が震える……涼の顔を見ることができない。涼も無言のまま、一分一秒と時間が過ぎていく。私はおもむろに涼の顔を見た。涼はどうしたらいいのか分からないような困った表情をしている。口を開こうとすると、先に涼が話し始めた。

 「……いつから、その、好きだったの?」

 「……中学の時から」

 涼はなぜか目を潤ませていた。そして、「ごめんね」と謝る。「……どうして涼が謝るの?」と聞くと、「だって、私、なんも気づいてあげられなかった……。自分の事ばっかで薫の気持ち、考えてなかった」と涼は自分を責める。こんな時まで私の気持ちを考えてくれるほど涼は優しい。会えなかった期間も涼だけは何一つ変わっていなかった……。変わってしまったのは私だけ。

 「……涼は優しいよね、変わらずにさ」

 「薫だって、ずっと隠してるのは……その、辛かったはずでしょ?」

 「私は……それでも涼の傍に居られれば良かったから」

 「そっか……」

 涼の表情は晴れない。私もなんて言葉をかければいいのか分からなかった。また、沈黙が流れ、空気が重くなる。しばらくして、涼の方から話し始めた。

 「でも、今は晴真が好きなんでしょ?」

 涼は私の目を見つめて、悲しそうな表情を浮かべる。

 「隠さないでいいよ……晴真からもお腹の子の話は聞いてるし」

 「晴真は……何か言ってた?」

 「……それは自分で聞いたらいいんじゃないの?……私は薫の気持ちが知りたいだけ」

 いつも冷静で怒ることもない涼が、初めて出す酷く冷たい声。私は少し膨らんだ自分のお腹を見た。

 妊娠したと気づいた時、初めは下ろすかどうか悩んだ。それでも、少しずつ……お腹の中で成長していく子供の姿を病院で見る度に、愛おしくなって……。私は自分の意志で産むことを決意した。晴真には父親のだと告げずに、子供ができたという事だけ話すつもりでいた。でも、晴真は直ぐに自分の子供だと気づいて、一緒に育てると言ってくれた。何度も断った……、私一人で育てると。それが、何となく涼への罪滅ぼしになると思っていたから。罪滅ぼしになるわけなんてないのに。目から涙が零れる。私が震える声で涼に言えたのは「ごめん」の一言だった。

 「それだけじゃ、分からない。何に対して謝ってるの?」

 涙でぼやけた目でも涼がどんな顔をしているかわかる。きっと、私が憎くてたまらないはず。

 「私は……私は晴真が好き……」

 涼は私の言葉を聞いて、何故か笑っていた。

 「そうだよね。晴真も薫が好きだって言ってたよ」

 「……え?」

 「もう、私の事なんて気にしなくていい。私、晴真にも薫にも恋愛感情はないから……」

 そう言うと、涼は椅子から立ち上がり、荷物を手に取る。

 「妊娠おめでとう。末永くお幸せに」

 お店を出て行こうとする涼の腕を慌てて掴む。

 「待って……ひとつだけ聞かせて?私はまた涼の親友に戻れる?」

 答えなんて、言われなくても分かっている。でも、どうしても聞きたくて、せめて親友に戻れなくても友達でいたくて……。「……戻れないよ」と涼ははっきり答えた。それでも、私は掴んだ腕を離さない。

 「じゃあ、友達は?……親友じゃなくてもいいから、せめて友達でいさせてほしい!」

 どこまでも最低だということは自覚している。それでも、繋ぎ止めたくて。「友達……ね。……また、会う日まで……バイバイ」と涼は悲しげに笑う。そして、お店を出て行ってしまった。私はその場に座り込み、泣き崩れる。赤ちゃんが私を心配するみたいに、お腹の中で動く。

 「大丈夫……大丈夫だよ」

 そう言いながら、私はお腹を優しくさすった……。

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