幸せの中にある不幸

 次の日、昨日と同じように最寄り駅で二人を待つ。俺と薫は合流すると、夏山……いや涼が来るのを待った。ただ、夏山から連絡があり、櫻井に家まで案内してもらうことになった。夏山の家に着くと、玄関のチャイムを鳴らす。すぐに玄関の扉が開き、私服姿の夏山が出てきた。「どうぞ、入って」と家の中に案内される。すると、男の子が階段から降りてきた。薫が「優馬君、こんにちは!相変わらずイケメンだね」と声をかけるが、男の子は無視してリビングに入っていった。困ったように謝る涼。「涼に弟が居たんだな」なんて呼び捨てで呟いてみるが、涼は聞いていないのか何の反応も見せない。そのまま「先に行ってて」とリビングに入っていってしまった。俺は薫に着いていき、涼の部屋に入る。部屋の仲は綺麗に整頓されていて、棚には沢山の本が置いてある。その中に、ひとつ俺が読みたいと思っていた本が置いてあった。

 (後で、貸してもらうか)

 そう思いながら、机の上にペンとノートを取り出し、勉強の準備を始める。すると、薫が自慢げに「ねぇ、私が誘って正解だったでしょ?」と言った。「……まあな。でも、勉強を教えるのは面倒」と言うと、薫は「勉強会っていう口実作らないと涼の家には来れないからね。もっと、ありがたく思いなさいよ」と口を膨らませた。薫と話している間に、お茶とお菓子を持って涼が部屋に入ってくる。「お待たせ。お茶で平気?」と聞く涼に「ありがとう」と微笑む。薫は真っ先にお菓子へ手を伸ばし食べ始める。そんな薫を横目に俺と涼が勉強を始めると、薫は不服そうな顔でノートを開き始めた。三十分経ったのにも関わらず、薫が手を進めないので課題が進まない。俺が教えても「え~わかんない」と言うだけ。少しすると、課題を終えた涼がお茶を取りに部屋を出て行く。俺もトイレを貸してもらおうと部屋を出た。後ろからついてくる俺に涼が「どうしたの?」と首をかしげる。トイレの場所を聞いたついでに、部屋で見つけた本を借りてもいいか聞いてみると、涼は笑顔でいいよと答えてくれた。トイレから戻ると、勉強をせずに机に突っ伏している薫。勉強をするように催促し、一時間ほど休憩もなく薫の課題を手伝った。やっとのことで薫の課題が半分終わる。

 「ねぇ、そろそろ休まない?」

 薫の提案に俺も涼も頷いた。すると、薫が課題のノートや筆記用具をバッグにしまい始める。痺れを切らした俺が注意するも、耳を貸さない薫。俺達が言い合っていると、突然、涼が笑い始めた。

 『なに笑ってんの!』

 薫と俺の言葉が被る。そのせいで、涼はより大きな声で笑い始めた。何が面白いか全くわからない。でも、涼の笑い顔で少し癒された。不貞腐れた薫は「ちょっと、お手洗いに行ってくる」と部屋を出ていく。部屋には俺と涼の二人きり。

 「俺の名前、全然呼んでくれないね」

 そう聞くと、涼の目が泳いだ。

 「それは……、言う機会がないからで」

 目を伏せて照れながら言い訳を並べる涼に、思わず口角が上がる。俺がじっと見つめると、涼は顔を赤らめて俯いてしまった。十分経っても薫が戻ってこない。俺達は薫を探しに部屋を出た。階段を降り、リビングの覗くと、涼の弟と一緒にゲームをしている薫の姿があった。俺達に気づいた薫が「涼も晴真もゲームしようよ!」と手を招く。そんな事だろうとは薄々気づいてはいたが、呆れてしまう。テレビ画面には小さな車に乗る可愛らしいキャラクターが映っている。ゴールすると、二人は俺と涼にリモコンを手渡す。

 「やるからに俺、負ける気ないよ?」

 そう言うと、涼は「私だって、弱くないからね?負けても知らないよ?」と挑発に乗る。ゲームが始まると、薫も涼の弟も涼ばかりを応援する。それでも、負ける気はしていなかった。案の定、勝ったのは俺。「うぅ~、もう一回!」と悔しそうに頼み込む涼のリモコンを取り上げた涼の弟。

 「次は俺と勝負して」

 そう言って、俺の隣に座った。笑顔で承諾すると、何故か睨まれてしまった。涼と薫はリビングテーブルの椅子に座って話し始める。俺は小声で「優馬君だっけ?」と話しかけた。

 「そうですが、そっちは晴真さんでしたっけ?」

 そっけない態度で返されてしまったけど、どうにか仲良くなりたくて「優馬君って呼んでもいいかな?」と聞いてみる。

 「馴れ馴れしいですけど、勝手にどうぞ」

 優馬君の態度を見ていると、一年生の頃の涼にどこか似ているような気がして少し懐かしい気持ちになった。「じゃあ、俺はお兄さんとでも呼んで?」なんて調子に乗って言ってみるが「それは嫌ですから、晴真さんって呼びます」と言われてしまった。多分、優馬君は俺が嫌いなのだろう。

 「もしかして、優馬君は俺の事嫌いかな?」

 そう聞くと、「……別に」と呟く優馬君。それが嘘でも、少し嬉しかった。

 「あの……、晴真さんは涼ねぇが好きなんですか?」

 遠回しな言葉も使わないストレートな優馬君の質問に、思わずリモコンを落としてしまいそうになる。

 「……す、ストレートに聞くんだね」

 「気になったので……」

 弟の前だからと、ここで濁しても男らしくない。本気で好きなら、きちんと答えるべきだ。

 「好きだよ、優馬君のお姉ちゃんのこと」

 そう答えるが、優馬君はひとつも表情を変えない。

 「そうですか、で、告白はいつするんですか?」

 「うーん、今のところはないよ……。涼が俺の事、好きか分からないし」

 「そうですか……」

 「このことは、お姉ちゃんに内緒にしてね?」

 「分かりました。ただ……、涼ねぇを泣かせるようなことはしないでくださいね」

 テレビ画面から目線を外し、横目で優馬君を見る。その表情は真剣そのものだった。

 (お姉ちゃん思いなんだな……)

 そんな風に思っていると、「はい、これで俺の勝ちですね」と優馬君が俺を見て笑う。笑った顔は涼そっくりで、姉弟なんだなと感じた。テレビ画面を見ると、よそ見したせいで俺は負けていた。

 「強いね、優馬君は」

 「まぁ、ゲームめっちゃ好きなんで」

 どこか俺を警戒した様子の優馬君だったけど、いつか仲良く話せるようになればいいなと思う。俺と優馬君が勝負を終えると、横から薫がやってくる。次は薫と俺とで三回勝負。勉強の再開か、アイスの奢りかで賭けて遊んだ。結果、三回勝負で勝ったのは俺だった。最後に涼と優馬君が勝負して、俺達は涼の部屋で勉強を再開する。そこから約一時間かけて薫の課題も三分の二が終わり、「あとは家でやるから大丈夫」と薫が言うので、休憩して解散となった。涼は俺と薫を玄関で見送ってくれる。帰り際に、読みたいと思っていた本を涼から受け取り、先を行く薫の後を追いかけた。本を眺めながらバスに揺られる帰り道。今年の夏休みは楽しかったと振り返る。綺麗な夕焼け空を写真に収めて、涼に送る。涼からも同じ夕焼け空の写真が送られてきた。早く夏休みが明けて、涼に会いたい。そう思った。

 家に着くと、いつもならカーテンの隙間から見える明かりが、今日はまだ暗いまま。玄関の扉の鍵を開けると、目の前に倒れている人の姿が見えた。

 「……母さんっ!」

 倒れていたのは母だった。急いで救急車を呼び、運ばれる母の手を握りしめながら、一緒に病院まで付き添う。俺の電話を聞いた父が後から病院に駆けつける。その後、父さんと二人、母の状態について医師から話を聞いた。

 「白血病ですか……」

 診断を聞いた父の手は少し震えている。先程までの穏やかな気持ちとは一変、身体中を不安が駆け巡った。病室で眠っている母さんを見ても、涙ひとつも出てこない。現実なのか夢なのか……頭の整理が追い付いていなかった。

 「今は、家に帰ろう。母さんはまだ入院が必要みたいだから、とりあえず明日また来よう」

 父さんは俺の背中を優しく叩き、先に病院を出る。病院を出た後、父さんの車に乗り、母のいない家に帰った

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