大嫌いになった夏

 夏休みが明けると、私は二人には会わないように朝早くから学校へと向かう。誰もいない教室で青く綺麗な空を窓越しに眺める。ふとした瞬間に溢れそうになる涙。大好きだった夏……。綺麗な海、青い空、ゆらゆらと揺らぐ陽炎、性格まで明るくしてしまいそうなほどに熱い太陽の日差し。その全てが一瞬にして嫌いになった。

 教室の扉が開き、私は頬を伝う涙を慌てて拭う。入ってきたのは修学旅行で同じ班だった高遠君だった。少し気まずい雰囲気が漂う教室に、時間が経つにつれてクラスメイトが一人二人と入ってくる。その中には晴真もいた。待ち合わせ場所である駅前で私の事を待っていたからなのか、晴真はHRのギリギリで教室に入ってきた。私は晴真の方を見向きもせず俯く。足音で晴真が私の方へ近づいてくるのがわかる。声をかけられた瞬間に教室の扉が開き、担任の先生が入ってきた。そのおかげで、私は晴真に話しかけられずに済んだ。安堵する心とキリキリと痛む胃。でも、HRが終わると晴真はすぐに私の傍へとやってくる。

 「なぁ、涼。逃げないで話そう」

 不穏な空気が漂う私達をクラスメイトは横目で見てくる。こそこそ話す声のほとんどが「喧嘩でもしたのかな」という内容だった。私が「ごめん……、話したくない」と小声で話すと、晴真は「どうして?話そう、逃げてても仕方ないだろ」と言った。あんなにも好きだった晴真の声を今は聞きたくなかった。

 「お願いだから、話したくないの……」

 そう言っても、晴真は「だから、どうして?言ってくれないと分からない」と引いてくれない。これ以上は我慢ができなくて、私は潤んだ目で「お願い、一人にさせて……」と晴真を見た。ぼやけて見える晴真の表情は何となくわかる。戸惑っているような、困ったような表情。晴真は私の顔を見ると、「分かった」と言い、自分の席に戻っていった。授業の合間の休み時間も昼食の時間も、二人とは距離を置いて一人で過ごす。教室近くの廊下には晴真と薫が話している様子が休み時間の度に見えた。胸が締め付けられて、耐えられなくて……、私は午後の授業を全て保健室で過ごした。保健室の先生は理由を聞かずに「ベッドでゆっくり休みなさい」と優しく声をかけてくれる。その優しさが胸に染みて、頬を伝う涙がベッドに染みを作った。その日は放課後になると教室に荷物を取りへ戻り、すぐに家へと帰る。夏休み中、体の水分がなくなってしまうのでないかと思うくらいに、毎日のように泣いていた。それなのに、学校が始まった今の方が辛くて、夜になると涙が止まらない。私の隣の部屋にいる弟はドア越しに「大丈夫?涼ねぇ」と声をかけてくれる。「大丈夫」と言いたくても、泣きすぎて声も出なかった。次の日も、そのまた次の日も、私から晴真と薫に話しかけることはない。二人には「落ち着くまで話しかけないでほしい……、その時が来たら私から話しかけるから」とメッセージを送り、一人でいる日々が始まった。正確に言えば、一人ではない。私が一人でいるのを見てクラスメイトの女の子が話しかけてくれるようになった。

 「私の名前分かる?」

 「……日南華璃さん?」

 「そう!覚えててくれてるんだ、嬉しい!」

 「クラスメイトだから」

 「そっか。てか、私の事は華璃って呼んでね!」

 華璃は暗い雰囲気漂う私に話しかけてくれた。華璃や華璃の友達と一緒に過ごすようになってから、私は少しずつ笑えるようになってきた。華璃の話はいつも面白くて、私のつまらない話にも笑ってくれる。段々と心も落ち着いてきて、ようやく晴真と薫の二人と話す覚悟を決めることができた。その時には夏休みが明けてから一ヶ月の月日が経っていた。朝早く起きて、私は震える手で晴真と薫にスマホでメッセージを送る。

 「遅くなってごめん。今日の放課後、三人で話そう」

 私が送ってから一分も経たずに、二人から返信が返ってきた。もしかしたら、私の誤解かもしれない……。やっと、別の考え方もできるようになり、私はもう一度、二人の事を信じてみようと思った。

 放課後になるまでは華璃と一緒に過ごす。最近は校門まで華璃と話しながら帰るのだけれど、今日は晴真達と帰ると華璃には伝えた。この一ヶ月間、華璃は私達の事を何も聞かず、傍にいてくれた。だから、晴真達とちゃんと向き合って問題も解決できたら、華璃には絶対にお礼をしようと思う。放課後になると、昇降口まで華璃を見送ってから、自分の教室へと向かう。晴真と薫には華璃を見送ってくるとメッセージを入れて、少しの間、教室で待ってもらっていた。覚悟はできている。でも、私の心臓は強く鼓動していた。深く息をのんで、私が教室の扉に手をかけた時……。薫の泣いている声が聞こえてくる。扉にあるガラス越しに教室の様子を覗くと、泣いている薫を抱きしめている晴真の姿があった。晴真の表情は優しく穏やかに見える。私も以前、同じように抱きしめてもらったことがあった。晴真の身体から伝わる温もりを私は知っている。だからこそ、二人を見ていられなかった。扉を開けて自分の荷物だけを取り、二人から逃げるように校舎を飛び出した。「ごめん、もう二人とは話せない」と二人のスマホにメッセージを送り、家に帰る。自分の部屋、ベッドの上で一ヶ月ぶりに沢山の涙を流した。もう、以前のような関係には戻れないと心が叫ぶ。一時間くらい経っただろうか……、弟が部屋の扉をノックした後、入ってきた。

 「涼ねぇ、部活帰りに薫ちゃんと晴真さんに会ったんだけど……」

 弟は何も事情を知らない、だから何も悪くない……なのに私は「お願いだから、二人の名前も話も二度と口にしないで!」と大きな声を出してしまった。弟は震えた声で「ご、ごめん……」と謝る。その声で、私は我に返り「お願いだから。もう、出てって」と言った。なんでこんなことになってしまったのだろう。どこから道を間違えてしまったのだろう。ずっと、ずっと、二人は両想いで私が二人の邪魔をしてたの?何も気づけていないのは私の方だったの?じゃあ、あの時の晴真の言葉は一体何だった。私が晴真に好きなんて伝えなければよかったのかな……。考えれば考えるほどマイナスな方向に感情が向いてしまう。その日から私にとっての晴真と薫は好きな人でも親友でもなく、裏切った人に変わってしまった。高校生活の楽しかった思い出も、何一つ思い出したくない嫌な記憶へと変わってしまった。

 卒業までの約五ヶ月間。華璃にも事情を全て話した。華璃は私の事を気にかけて、二人の事が目に入らないようにしてくれる。華璃に話したのは同情が欲しいから、二人を悪者にしたいからなんかじゃなくて……、ただ私が弱くて、一人じゃ抱えきれなかったから。その思いを、何も言わずとも華璃は理解してくれた。晴真と薫の連絡先を全て消して、私は進学する学校を変える。東京の学校に行くと両親に伝えた時は、父から物凄く反対された。でも、毎年必ず帰ってくることを条件に父は進学を許してくれる。進学する大学はたまたま華璃と同じで、私の事を理解してくれる人がいることはとても心強かった。そうやって晴真と薫から距離を置き、高校卒業後、逃げるように地元を離れ、二人とは一切会うことはなくなった。

 

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