言えなかった想い

 翌日、目が覚めて時計を見ると、時刻は約束の一時間前。今から身支度をしてもギリギリぐらいだ。薫に「今起きて支度してる」とメッセージを送ると、直ぐに「分かった。私が晴真を涼の家まで案内するから大丈夫だよ」と返信があり安堵する。私は薫達が来るまでの間に急いで身支度を整えた。丁度、お菓子や冷えたお茶の準備を終えた時に玄関のチャイムが鳴る。扉を開けると、「昨日ぶり~」と薫が笑い、「今日はよろしく」と晴真が言う。二人を自宅に招き入れると、階段から弟がゲームを持って降りてくる。弟に気づいた薫が「優馬君、こんにちは!相変わらずイケメンだね」と話しかけるけど、優馬は軽くお辞儀をするだけ。「ごめんね、優馬があんな態度で」と言うと、薫は「いや、昔からの事でしょ?気にしてないよ」と微笑んだ。初めて優馬を見た晴真は「涼に弟が居たんだな」と呟く。不意の呼び捨てに心臓が跳ねた。晴真の呟きを聞いて何か考えている様子の薫。私は何も聞こえていないふりをして「私、お茶とお菓子持っていくから、先に行って」と二人を部屋に向かわせた。私はキッチンに行き、冷えたお茶とお菓子を手に持つ。すると、ゲームをしている弟が「ねぇ、さっきの薫ちゃんと誰?」と話しかけてきた。「……。優馬、薫にちゃんと挨拶しなよ」とはぐらかしても、弟は「それよりも、もう一人は誰なの?」と答えるまでしつこく聞いてくる。

 「と、友達だよ」

 「ふーん。涼ねぇの好きな人じゃなくて?」

 「な、何言ってんの」と慌てる私を、弟は「分かりやすいな~涼ねぇはさ」と笑った。そんな弟を無視して、急いで自分の部屋に向かう。部屋に入ると、薫が私の本棚を眺めていて、晴真は勉強の準備をしている。「おまたせ。お茶で平気?」と聞くと、二人は「ありがとう」と微笑んだ。晴真がペンを持ち、「じゃ、勉強始めるか」とノートを開く。私も残りの課題を机に広げて、勉強を始めた。課題が終わっている晴真が薫に勉強を教える。やる気がある私と晴真に対して、薫だけは「えぇ~、もう勉強するの~」と不服そうな顔をしている。

 「もうって……、何のために涼んちに来たと思ってんだよ」

 「私も課題が終わったら手伝うから。それまでは……、は、晴真に教えてもらってね」

 薫は私と晴真を交互に見ると、「はぁー」と深い溜め息をつき、仕方なく課題に取り組み始めた。三十分もかからずに課題が終わった私。反対に、薫は溜め息をつきながら晴真に勉強を教えてもらっている。扇風機がついていても夏の暑さにはかなわず、グラスの中身もあっという間になくなっていた。「私、お茶のおかわり持ってくるね」と二人に告げて、私は部屋を出る。すると、晴真も部屋を出てきた。「あれ?どうしたの?」と振り返り、尋ねると「えーと、そのトイレ借りたくて」と晴真は頭を搔く。私がトイレの方向を指さし「トイレなら、あっちにあるよ」と教えると、晴真は「ありがとう。それと……、涼の持っている本貸してくれない?面白そうなの見つけてさ、気になって」と照れくさそうに微笑む。やっぱり名前呼びは少し恥ずかしくて、心臓が強く脈打つ。「い、いいよ。帰るときに渡すね」と返事すると、晴真は嬉しそうに「ほんと!?やった、ありがとう」と笑った。お茶の入ったグラスを持って部屋に戻ると、薫がテーブルに頭を乗せてうなだれている。

 「あとどれくらいで終わりそうなの?」

 薫に尋ねると、トイレから戻ってきた晴真が薫の代わりに「全然終わらないよ、まだ半分も終わってないし」と答えた。

 「まだ一時間も経ってないもんね。薫はうなだれてないで早く課題やりな~」

 不貞腐れた様子の薫が私を見て頬を膨らませる。

 「私も手伝うって」

 そう言うと、薫はニコニコと表情を変えた。それから約一時間経って、やっと課題の半分を終えることができた。私も薫も晴真もクタクタで、何度も「はぁ、疲れた……」と溜め息をつく。薫は既に限界が来たようで「ねぇ、そろそろ休まない?」と言いながら、何故か筆箱も課題のプリントも持ってきたバッグの中に片付け始める。その様子を見た晴真は「課題終わってないでしょ?もうやらないなら教えてやらないからな」と薫に言い放つ。それでも薫は「ん?なんか言った?」と、とぼける。何も言わずに二人のやり取りを見ていると、「いいよ、一人で頑張るし。いや、涼に手伝ってもらうから」と、薫は私の腕を掴んだ。そして、キラキラと目を輝かせて私を見つめる。

 「涼が困ってるだろ」

 「うるさいな、晴真には関係ないでしょ?どうせ、教えてくんないんだし」

 二人の言い争いはまるで兄弟喧嘩で見ているような気分で、私は思わず笑ってしまった。

 『なに笑ってるの!』

 言い争っているというのに息ぴったりな二人。余計に可笑しくて、私はお腹を抱えて笑った。すると、薫は不貞腐れた表情で「ちょっと、お手洗いに行ってくる」と部屋を出て行く。部屋には私と晴真の二人きり。(ふ、ふたりきり……。何話せば……)と考えていると晴真が口を開く。

 「全然、名前で呼んでくれないじゃん」

 「え!?」

 「だから、俺は涼って呼んでるのに、俺の名前は呼んでくれない」

 そう言いながら晴真は私の顔をじっと見つめる。「それは……、言う機会がないからで」と答えた後、恥ずかしくて晴真から目を逸らす。それから少しだけ沈黙が続いて、薫が戻ってこないことに気が付いた私達は部屋を出てリビングの方へ向かう。そこには弟と一緒にゲームをしている薫の姿があった。私達を見た薫が「涼も晴真もゲームしようよ!」と手招きをする。薄々そんなことだろうとは思っていたけど、本当に課題を放り出してゲームをしているとは……。弟も薫と楽しそうにゲームをしていたので、(まぁいいか)と二人の元へと駆け寄った。テレビ画面の中では選ばれたキャラクターがおかしな形をした車を運転している。このゲームは私もよく弟と遊んでいる。二人がゴールし終わると「次は涼と晴真の番!」と言って、薫と弟がコントローラーを渡してくる。「やるからには俺、負ける気ないよ?」という晴真の挑発に、「私だって弱くないからね?負けても知らないよ?」と私も乗った。ゲームが始まると真剣な表情でテレビ画面を見つめる晴真と私。薫と弟はなぜか私を応援して、晴真には負けろと叫んでいた。でも、ゲーム結果は晴真の勝ちで私の負け。悔しくて、晴真に「もう一回だけ勝負しようよ」とお願いする。すると、私のコントローラーを弟が奪い、「次は俺と勝負して」と晴真に言った。弟の表情はどこか真剣で、その表情を見た晴真も真剣な表情になった。ゲームが始まると二人は手を動かしながら、テレビ画面を食いつくように見ている。私と薫は顔をリビングにあるダイニングテーブルの椅子に座り、二人の様子を眺めていた。

 「優馬君、身長伸びたね」

 「そう?まだ小さいよ、私より」

 「それは涼が大きいだけでしょ?」

 「そんなこと言ったら薫の方が大きいよ」

 私達の間で他愛もない会話が続く。ふと、晴真達の方に顔を向けていた薫が私を見た。

 「ねぇ、涼と晴真って下の名前で呼んでたっけ?」

 不意を突かれたような質問に「あ……えっと……。昨日さ、薫が、は、晴真の事を下の名前で呼んでたから、その……、晴真に俺達も下の名前で呼び合おうって言われて」と慌てて答える。薫は少し間を開けてから「……なんだ、そう言う事か!」と笑った。

(晴真のこと、今なら薫に言えるかも……)

 そう思った私は薫に相談しようと口を開く。でも、話しかけようとする前に薫が席を立ち、弟と晴真の方へ行ってしまった。結局話すことができず、私の心はモヤモヤしたまま。「優馬君、私にもやらせて」と、薫は弟からコントローラーを受け取り、晴真と勝負を始めた。

 「三回戦勝負で私が勝ったらアイス奢りね」

 「分かった、じゃあ俺が買ったら課題の再開な」

 突然始まった二人の勝負、私は弟と一緒に画面を眺めていた。薫から挑んだものの、勝負に勝ったのは晴真。薫は課題をすることになった。部屋に戻る前、最後に私と弟で勝負する。晴真は弟の応援で、薫は私の応援。勝負の結果は、私が勝った。悔しそうに私を見る弟に、ドヤ顔する。すると、弟は開き直り「まぁ、勝った回数で言えば俺の方が勝ってるし」と言い張った。私と弟が睨み合っていると、晴真が「さぁ、課題でもやるか」と言って薫の手を引っ張り、部屋へと戻っていく。二人の後ろについていこうとすると、弟が私の腕を掴み「晴真さん、良い人だね。頑張って」と、ニヤニヤ笑った。私は弟を無視して、急いで部屋に戻る。それから、一時間くらいで薫の課題も三分の二が終わった。疲れ切った様子の薫は「疲れたー!あとは簡単なやつばっかだから、家でやる」とベッドの上で寝転がり、晴真は「俺もやっと解放される……。教えるだけなのに、こんなに疲れると思わなかった……」と溜め息をついた。晴真の言葉を聞いた薫は頬を膨らませる。

 「バカで悪かったわね」

 「なんだよ、教えてあげたのに」

 また言い争いになりそうだったので「まぁ、とりあえず課題が進んでよかったね」と二人をなだめた。三十分くらい身体を休めると、玄関先で薫と晴真を見送る。

 「あ、そうだ。これ」

 貸してほしいと言われた本を渡すと、晴真は「ありがとうな。読み終わったら返す」と爽やかに笑う。晴真を置いて先に歩き始めた薫を、晴真が追いかけていった。二人が見えなくなるくらいまで見送った後、ふと空を見上げる。オレンジ色の夕焼けがとても綺麗で、普段写真を撮らない私も空にスマホをかざした。去年の夏も楽しかったけど、今年の夏はもっと楽しかったと……、綺麗な夕焼け空を見ながら、私はひとり物思いにふけっていた。部屋に戻りベッドの上で寝転んでいると、スマホの画面に晴真からのメッセージが表示される。ドキドキしながら開くと、「今日は楽しかった。ありがとう」のメッセージと夕焼け空の写真。私達は偶然にも同じ夕焼け空の写真を撮っていた。嬉しくなった私も「私も楽しかった。弟とも遊んでくれてありがとう」とメッセージを添えて、先程の夕焼け空の写真を晴真に送る。

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る