弟と私

 目を覚ましスマホで時間を確認すると、時刻は正午。スマホには二通のメッセージが届いていた。一通目は「疲れてよく寝てるみたいだったから起こさなかったわよ。お母さん達は買い物に行ってくるから、留守番よろしくね」と母から、二通目は「連絡遅くなってごめん!バーベキューは明後日の十時になったよ!必ず来てね!」と華璃からのメッセージだった。二通のメッセージに返信をし、私は重い身体を起こし、部屋を後にする。


 適当に身支度を済ませると、私は冷蔵庫の中を漁る。食べても平気そうなヨーグルトを取り出し、テレビを見ながら食べる。たいして面白くもないテレビをボーっと観ていると、玄関の扉が開く音と同時に父と母の声が聞こえてきた。リビングの扉が開き、沢山の荷物を抱えた母が入ってくる。それを見て私は目を丸くした。

 「何をそんなに買ってきたの!?」

 「何ってバーベキューの材料よ~」

 「今日やるの?」と尋ねると、母は「そうよ」と言って、私に大きなスイカを渡す。

 「私、明後日も友達とバーベキューするんだけど」

 「バーベキューなんて何回やったっていいじゃない」

 私の話に聞く耳を持たず、袋から材料を取り出す母は「暇してるんなら準備手伝ってちょうだい」と楽しそうにしている。私は小さく溜め息をついた。最近「はぁ~」と溜め息ばかりついている気もするが、笑顔の母に何も言えず、仕方なくバーベキューの準備を手伝った。庭でバーベキューの準備をする父の姿をキッチンから眺める。すると、母が「今日のバーベキューはお父さんがやろうって言いだしたのよ~」とクスッと笑った。

「え!?お父さんが?」

 驚く私とは反対に、母はどこか嬉しそうな顔。

「あなたが帰ってこない間、毎年のように涼はいつ帰ってくるんだって私に聞いてきたのよ~」

 私が頷いて聞いていると、その後も母は「帰ってこないって言うたびに悲しそうな顔してたわね」とか「涼が帰るって言った途端にバーベキューでもするかなんて言い出したりね。誰よりも涼に会いたがっていたのはお父さんかもね~」と、ずっと父の話をしていた。寡黙な父の言動に少し驚きながらも(お父さんらしいなぁ~)と思いつつ、もう一度、庭で作業する父の姿を眺める。

 父ははたから見れば、仕事人間で厳しい人のように見える。でも、私たち家族は父が誰よりも家族思いで心の優しい人かを知っている。幼い頃はよく遊んでくれていたし、姉の結婚式では家族の中で一番泣いていた。私が都会に出ると話した時も凄く反対されたけど、それも私を想ってのことだと分かっている。今まで嘘をついてまで帰省せずにいたことに対して、段々と申し訳なさを感じてきた私。もちろん、家族が嫌いだからというようなことはなくて、むしろ家族に会いたくてたまらなかった。ただ、平気な顔をして地元に帰ることなど私にはできなかっただけだった。

 着々とバーベキューの準備が進み、公園で遊んでいた姉達と友達の家に遊びに行った弟も帰ってきた。「はなび~」と手持ち花火の入った袋を持った甥が嬉しそうに私に駆け寄る。そんな甥と「よかったね~」と話す。すると、弟が小さい声で「涼ねぇ……」と話しかけてきた。弟と二人、リビングのソファーに座る。 弟はうつむいて不安そうな顔を浮かべる。

 「俺さ、友達んちから帰る途中で、涼ねぇの友達に会った……」

 「友達って、誰……?」

 私がそう聞き返すと、弟は先程よりも険しい表情で口を開いた。

 「涼ねぇが高校の時に一緒にいたかおりちゃんと晴真はるまさん……」

 弟の口から二人の名前を聞いた途端、身体中から冷や汗が出てくる。震えそうになる声を必死に抑えて「二人は何か言ってた……?」と弟に尋ねる。弟はちらちらと不安そうに私の様子をうかがっている。

 「涼ねぇは今帰って来てるのかって聞かれた……」

 私が口を開こうとすると、「大丈夫……、涼ねぇは帰ってきてないって言ったからさ」と慌てた様子で弟は言う。

 「そう……」

 弟の言葉に安堵してしまった自分が虚しい。

 「余計なこと言ったよね……、ごめん涼ねぇ……」

 謝る弟は何ひとつ悪くない。悪いのは二人に背を向けて逃げた私の方。

 高校時代、私が二人を避けるようになってから、弟が初めて二人の名前を口にした。その時「お願いだから、二人の話をしないで!」と強く当たってしまった。その後、弟の口から二人の名前も話を聞くこともなかった。あの時は最低なことをしたと私も反省している。

 「気を遣わせてごめんね……」

 そう私が謝ると、弟は何を思ったのか俯いていた顔を勢いよく上げた。

 「涼ねぇ達に何があったのか俺には分かんないし、今言うことじゃないってと思うけど。それでもっ……、それでも言えるのは、あの頃の、三人でいた時の涼ねぇ達は楽しそうで凄く幸せそうに見えた!俺も涼ねぇ達みたいな高校生になりたいって思ったよ!」

 太陽の光に当てられてキラキラと輝く弟の瞳、必死に伝えようとする弟の声、高校生の時の自分を思い出すようなけがれのない純粋な弟の言葉が私の心に深く突き刺さった。

 私が弟と話し込んでいると、それを見かねた母が「涼は今日一歩も外に出てないでしょ?ジュース買い忘れたから買ってきてくれない?それと、おじいちゃんとおばあちゃんにもついでに挨拶に行ってらっしゃい。久しぶりなんだからさ」と言う。もしものことを考えてしまい、黙り込む私。少しの間、返事をせずにいると、気を利かせた弟が「俺も行くわ」と言った。

 「あんたは行かなくていいわよ。優馬ゆうまは、お父さんの手伝いでもしてちょうだい」

 「いや、俺も買いたいものがあったし」

 さりげない気遣いは我が弟ながら惚れてしまいそうだった。

 実家から歩いて行けるほど近い距離に祖父母の家がある。弟とスーパーマーケットに行く途中で祖父母の家に向かい、久しぶりに顔を合わせる。相も変わらず元気な祖父母の姿に心がなごんだ。挨拶を終えた後、スーパーマーケットで二リットルのジュースを買い、実家に戻る。その道中、弟はずっと周りをきょろきょろと見回しながら歩いていた。そんな弟の姿が微笑ましくて嬉しくて幸せだなと思った。実家に着くと、バーベキューの準備は全て終わり、庭には私と弟と以外の全員が揃っていた。私達は買った二リットルのジュースを持って庭へ向かう。庭ではしゃぐ甥に、肉を焼く父と姉の旦那さん、話しながら取り皿などを並べる母と姉、そこにジュースを持って話しかける弟。大好きな家族を少し遠くから眺める。ふと、(こんな日がずっと続けばいいのにな……)と思った。

 バーベキューが始まると、嫌なことも悲しかったことも全て忘れて夢中になって楽しむことができた。肉も野菜も氷水で冷やされたスイカもいつもより美味しく感じる。飾られた風鈴の音が夏を感じさせ、手に持つ線香花火は素朴で綺麗な花を咲かせた後、どこか切なく落ちていった。ひと時の幸せは終わり、家族全員でバーベキューの片づけを始める。はしゃぎすぎて疲れた甥を寝かせた後、私もすぐにお風呂に入り自室のベッドに寝転んだ。そして、いつの間にか眠りについていた。


 目が覚めてスマホを見ると、時刻は朝の七時。今日は特に予定もやることもないのでこのまま二度寝しようとも思った。でも、久しぶりの実家での早起きも悪くないと思い、身体を起こしリビングへ向かう。リビングには朝ご飯を作る母とテレビを見ながらコーヒーを飲む父がいる。早起きをした私を、両親は目を丸くして見てくる。両親が驚く理由は何となくわかる。高校卒業後、すぐに家を出た私は、両親にとって高校生のままので時間が止まっているのだろう。私は中学・高校と早起きするのが苦手で、ギリギリに起きては慌てて家を出ていた。その度に母から「早起きできるようになりなさい」と言われていたのを覚えている。もちろん、今は何度もアラームをかけて慌てて家を出ることのないように気をつけている。キッチンに向かい、冷蔵庫を開けてコップに注いだ麦茶を飲む。母が「ご飯食べる?」と聞きながら卵を割り、目玉焼きを作り始めた。

(いや、もう作ってるけど)

 なんて思ったけど、お腹もすいていたので「食べる」と返事をする。母は朝ご飯を作りながら私の返事を聞いて嬉しそうに笑った。私はリビングテーブルの父の斜め前の席に座る。父はちらちらと私を見ながら咳払いをした。何を話せばいいのか、と悩んでいそうな父に「上京させてくれてありがとう」と言う。少し照れくさかったが、今言わないと今後口に出してい言う機会がないと思ったから。父は私の思わぬ発言に戸惑いながら「あ、あぁ」と返事をする。その後は母の作った朝ご飯を食べ、ソファーの上に寝転んだ。ダラダラと午前中を過ごし、適当に昼食を済ませる。午後になると暇そうな弟が「一緒にゲームしない?」と誘ってきたので、夕飯の前まで二人で遊ぶ。ゲームの上手い弟に負け続けて悔しかった私。夕飯後も「私が勝つまで終わらせないから」と強引にゲームをさせ、私が勝つまで付き合わせた。最後の方は面倒くさくなった弟が手加減をして私を勝たせてくれる。それに気づいてはいたけど、これ以上やっても弟には勝てないと思い、何も言わなかった。リビングの時計を見ると時刻は夜の十時を過ぎている。

 「俺、勉強やらないとだから部屋に戻るね」

 弟はゲームを片付けて、先に二階の部屋に向かう。私も明日の予定を思い出し、急いでお風呂に入り自室に戻って寝た。

 その日の夜、私は懐かしい夢を見た。弟が中学生で私が高校生の時、今日と同じようによくゲームで遊んでいた。その頃は五回のうち一回は勝てていたのに、今では一回も勝てなくなってしまった。夢の中、二人でゲームをする私と弟、そして……、それを見守るように薫と晴真がいる。夢を見ている間、最初は嫌悪感も何も抱いていなかった。でも、少しずつ少しずつ二人との思い出が、あの日の記憶がフラッシュバックしていく。

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