〈現代〉夏山 涼

夏が来た…

 夏が来た……。

 昔は好きだった夏が、あの日以来、一番嫌いな季節になった。あれから三年たった今でも、呪いのように記憶から消すこともできないまま鮮明に覚えてる。

 

 私は高校卒業後、東京の大学に進学し、逃げるように地元を離れた。思い出の詰まった地元を離れて、都会の荒波に揉まれれば全て忘れることができるような気がしたから。でも、そんなことで忘れることができるような強い私ではなかった。

 夏が来れば思い出す、カップルを見れば思い出す、学生を見れば思い出す……。

 東京に来てから三年間、何かと理由をつけて実家に帰らずにいた。今年も何か理由を作って帰省をせずの東京に残ろうとしていた矢先、全く帰ってこない娘に痺れを切らした母から電話がかかってくる。

 「すず、いつになったら帰ってくるの?今年は必ず帰ってきなさい。そうじゃないと縁切るわよ!」

 「……わかったよ、帰るよ……」

 少し怒っている母に嫌とも言えず、渋々だが帰ることを決めた。帰省の予定日を決めて、母のスマホにメッセージを送る。母からの返信はスタンプひとつだった。何も理由の知らない母は暢気で羨ましいくらいだった。

 そんな母とのやり取り後の大学、高校からの友人である華璃はなりの前で大きな溜め息をついた。

 「どうしたの?」

 「はぁぁ~」

 「あぁ、もしかして今年は帰れって言われた?」

 「正解……、縁切るって言われた」

 「もう三年も帰ってないし、そりゃ言われるよ~」

 「はぁぁ~」

 溜め息ばかりついている私を華璃は少し笑っていた。


 華璃とは高校で知り合い仲良くなった。初めから仲が良かったわけではない。あの日以降に話すようになって、いつの間にか仲良くなっていた。たまたま大学も一緒で、知り合ってからの期間は短くても、今では悩みを相談するほどの仲になった。華璃はもちろん私の事情は知っている。何故、地元に帰りたくないかを。

 「あ!そうだ!」

 華璃は何かを思い出したようで、突然大きな声を出す。

 「ねぇ、今年の夏は地元に帰るんでしょ?それなら、バーベキューしない?」

 「え?二人で?」

 「そんなわけないでしょ~。高校の時の仲良い友達みんなで!」

 「……う~ん」

 悩む私を見て、察したように華璃は「大丈夫、あの二人は来ないから安心して!」と言う。もちろん華璃のことは信じている。それでも、もしものことを考えるとあまり乗り気になれなかった。

 「本当に来ない……?」

 「うん!久しぶりに帰るんでしょ、パーッと遊ぼうよ!」

 華璃の屈託のない笑顔に押された私は「わかったよ」と返事することしかできなかった。

 地元に帰るのですら怖くて嫌なのに、高校の時の友達とバーベキューまで……。断れるなら断りたかったが、華璃の嬉しそうな笑顔を見たら断れるはずもない。

 私は尽きない不安を抱えながら、帰省当日までの日々を過ごした。

 そして、とうとう地元に帰る日がやってきてしまった。

 

 カーテンの隙間から白い光が見え、朝が来たこと知らせる。身体を起こしカーテンを開けると、寝起きの私を朝日が照らす。私はもう一度ベッドに倒れこみ目を閉じた。このまま「体調が悪くていけない」と嘘をついて二度寝したいくらいだったけど……、スマホで時間を確認すると、母から「来なかったらどうなるかわかってるわよね?」と私の気持ちを見透かしたような脅しのメッセージが届いていた。私は身震いをし、急いで準備を始める。帰省するための荷物は昨夜に全てキャリーケースに詰め込んでおいた為、後は自分の身支度をするのみだった。

 全ての準備を終え、玄関の前に立つ。「はぁ~」と大きな溜め息をついた後、覚悟を決めて玄関の扉を開ける。外に出ると、真夏の日差しが私の肌を突き刺す。私の心とは反対に真っ青に広がる空が憎く思える。日差しを遮るために日傘をさし、私は重い足を動かして歩き始めた。

 地元までは新幹線と電車を乗り継いで向かう。私は地元の最寄り駅に着くまで「帰りたくない」と「帰らなきゃだめだよ」という二つの気持ちと頭の中で闘っていた。そんなくだらないことを考えていても、地元に着いてしまえば後戻りはできない。電車を降り、駅の外に出る。少し遠くから私に向かって手を振る人の姿が見える。あれは、きっと私の母だ。私はガタガタとキャリーケースを転がしながら母の元に向かう。

 母は私を見て「はぁ~よかった。やっと会えた」そう言ってニコニコと笑う。私はその笑顔を見て、少しだけ肩の荷が下りたような気がした。

 実家には母の車で向かう。車の中で(あの二人にさえ会わなければ大丈夫)と騒ぐ胸を落ち着かせ、通り過ぎてゆく懐かしい雰囲気を眺めていた。実家に着き家の中に入ると、懐かしい匂いに心が落ち着く。リビングの扉を開けると、父、高校三年の弟、五つ上の姉、そして姉の旦那さんと二人の子供である二歳の甥が居た。全員が私の姿を見ると、「あっ!」というような表情をしていた。私が帰省することは母から聞いているはずだけど……。今年も急遽帰れないと言い出すのではないかと、全く期待していなかったようだった。帰省せずにいた三年間。姉と甥には会うこともあったけど、弟には三年ぶりに会ったため、最後に見た時よりも伸びた身長と大人びた顔つきに少し驚いた。父は昔と変わらずの対応で、私は胸をなでおろす。甥が私に駆け寄り、遊んでほしそうにスカートの裾を引っ張る。その可愛らしい仕草に胸が打たれ、夕飯ができるまで甥と二人で遊んでいた。

 夕飯は母の手料理。久しぶりに帰ってきた私のために好物である肉じゃがと唐揚げを作ってくれた。私は昔から母の作る肉じゃがと唐揚げが好きで、ことあるごとに「作って!」と頼んでいたことを覚えている。姉には「好きな食べ物が肉じゃがと唐揚げっておじさんみたい」と馬鹿にされていた。今思えばその通りだと思う。

 夕飯後はお風呂に入り、高校生の時まで使っていた二階の自室で過ごす。一人暮らしを始める時、家具は全て新しいものにしたため昔のまま残されていた。その上、私が帰ってきた時のためにと、母が掃除をしてくれていたおかげで、部屋は綺麗なまま保たれている。懐かしいベッドに仰向けで寝転がる。私はこの場所から何年この天井を眺めてきたことだろうか……。時にはぼやけて歪んで見えたり、迫りくるように感じたりすることもあった。きっと、この天井も色んな姿の私を沢山見てきたことだろう。ぼんやり天井眺めていると、だんだんと瞼が重くなり視界が狭くなっていく。少しずつ少しずつ視界が暗くなっていく。一切の光も通さず、暗闇の世界が目の前に広がったとき、私は深い眠りについた。


 暗い世界に見覚えのある人がひとり……。その人は私のほうを見て笑う。そして、そのままどこか遠くに消えていった……。



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