第五話 違和感(5)
ドラゴンという生物が何であるか、実は具体的な定義が決まっているわけではない。強いて上げるとすれば大概首が長くて鋭い牙と爪を持っている程度で、あとは大きいものいれば小さいものもいるし、翼で空を飛ぶものもいれば飛ばないものもいる。
ただ、一つだけはっきり言えることは、ドラゴンは皆大食らいで人を喰うということだ。
故に、人間とドラゴンは長きに渡り戦いを繰り広げてきた。特にペチニア王国は最大の国土と国民を持つため、人を喰らうドラゴンからすれば餌場に等しい。王国にとって一番の敵は他国ではなく、ドラゴンだった。
しかしドラゴンは強い。その理由は、見上げんばかりの巨体や人など簡単に砕いて切り裂く牙や爪、あるいは炎を吐いたりするなど魔力を有しているからだけではない。
もっとも厄介な特徴。
それは、ドラゴンは不死に近いということだった。
正確には不死ではない。ただ非常に殺しづらいのだ。
とにかくドラゴンの皮膚は硬い。表面は恐ろしいほどの強度を持つ鱗で覆われ、それを砕くだけでも相当大変である。
だが仮に、皮膚が硬いだけなら殺し方はいくらでもあるだろう。本当に厄介なところはそこではない。
ドラゴンの不死とは、頭を吹き飛ばそうが全身串刺しにしようが炎で灰にしようが、簡単に蘇る力にある。どれだけ殺そうとしても、普通の手段では殺せないのだ。
ドラゴンを殺す方法はただ一つ、ドラゴンの左胸にある通称『ドラゴンの心臓』と呼ばれる魔石を砕くことだ。
この部分がドラゴンの急所、というよりドラゴンの本体であり、それ以外は枝葉に過ぎずいくら壊しても意味がない。この魔石がある限り、ドラゴンは殺せないのだ。
ところが、この魔石を砕くのは容易ではない。そもそもドラゴンの鱗を壊すだけでも大変なのに、魔石の強度はそれを上回る。普通の剣や弓などでは、表面に傷すら付けられないのだ。
故に、人間とドラゴンの戦争とは、いかにして『ドラゴンの心臓』を砕くかに傾注されていった。ドラゴンをどう殺すか、魔石をどう破壊するか。不死身とも勝されるドラゴンとの戦いに苦戦する人類は、あらゆる武器を開発していった。
やがて、『ドラゴンの心臓』を破壊する最強にして最後の武器が完成する。
それこそが、DHW-07――通称パイルバンカー。
異世界の技術を用いて作られた、もっとも優れたドラゴン殺しの武器、ドラゴンハンターである。
この武器の完成により、人類はドラゴンとの戦争を有利に進め、やがて絶滅寸前まで追い込むことに成功する。
***
「ふっ……ふっぅん……ふっ……」
アリティーナの、小さな呻き声のような声が響く。
彼女は床に倒れ、組み敷かれたように体をうつ伏せにし、汗だくになりながら肉体を上下させている。
そう、彼女は腕立て伏せをしていた。
「ふっ……ふぅ……」
汗びっしょりの状態で、腕だけで上半身を維持できなくなり、そのまま崩れ落ちてしまう。
「はぁ、はぁ……」
銀髪も乱れ、白い肌も紅潮させて大変そうにしているものの、実は腕立て伏せは一回も出来てなかった。
体がまだ動かし慣れていないというよりは、元々アリティーナの体が貧弱と思うべきらしい。現在のアリティーナはそう判断した。
――弱すぎる。
などとアリティーナは愚痴りたくなる。こんな状態で倒れていては、またミリアに怒られるとため息をつきながら。
昨日、ミリアからドラゴンがまだ生存しているという話を聞いてから、アリティーナは筋トレとやらをすることにした。体を動かせるためのリハビリではなく、ドラゴンと戦うための肉体を作るためのトレーニングである。
かつてのドラゴンハンターたちも、日々鍛練は欠かさなかった。いかに強力な武器を持っていても、一番肝心なのは自分の肉体と彼らは常に言っていた。
アリティーナも彼らに習い、特訓を行うことにしたが、この少女の体では道のりは険しいと思い知っているところだった。
だが、アリティーナは決して諦める気持ちはなかった。諦めると、考えることすらしなかった。
ドラゴンが生きているのなら、ドラゴンを殺す。
それが、ドラゴンハンターの存在意義なのだ。
「……んっ、んくっ……」
なんとか力を振り絞り、腕立て伏せを再開する。
実のところ、ミリアの話だとドラゴンが生きているというのは単なる噂話らしい。王都からたまにやって来る商人が、王都で囁かれている話として家の者と喋っているのをたまたま耳にしただけなのだとか。
あの日、アリティーナのドラゴンハンターとしての最後の記憶では、ドラゴンと王国は結託しドラゴンハンターたちを襲撃した。ドラゴン殲滅に躍起になっていた王国が、どうして手を組んだかは分からないが、それだとドラゴンが滅んだというのはおかしい。
けれど、あの裏切りでドラゴンハンターたちが死んだ後で、例えばドラゴンと王国が何らかの原因で揉め、結局王国がドラゴンを倒したという可能性はある。人間がこうして生きている以上、勝ったのは人間側なのは間違いない。
しかし、勝ったのは人間として、ドラゴンが全滅したとは限らないだろう。どうにか逃げ切り、身を潜めたドラゴンも存在しているかもしれない。一部のドラゴンには、人間の姿になれる種類もいた。市井に紛れることは容易なはず。
仮にもし生き残っているのなら、アリティーナが――ドラゴンハンターがやることはたった一つ。
ドラゴンは、殲滅する。
それこそドラゴンハンターの存在意義であり――恐らく、唯一残っている自分にしか出来ない役目だとアリティーナは思った。
「んっ、ふぅ、ん……」
などと考えながら腕立て伏せをしていたが、結局途中で固まったまま震えるだけで、腕立て伏せと呼べるものは出来なかった。
――まずはまともに動けるようにならないと……
最終的に、戻ってきたミリアにまた怒られるまで、アリティーナはそんなことを繰り返していた。
***
「……ん」
夜。
アリティーナは、月明かりしかない部屋で起き上がった。
どうにも体に痛みが生じて眠りが浅い。医者が言っていたが、急に動いたことによる筋肉痛だとか。ミリアにほら見なさいと怒られた。
しかし、医者にも聞いて確かめたが、筋肉痛とはトレーニングにより筋肉がより強くなるときに生じる痛みだという。ならば、筋トレの効果は確かにあるのだ。
けれど、このまま動かしづらい体を無理に鍛えたところで、かつてのドラゴンハンターの戦士たちのように戦うこと難しいだろう。しかもこのアリティーナという少女は、三ヶ月も経てば王都の学園とやらに行く必要がある。三ヶ月でドラゴンと戦えるようになるのは不可能だった。
一応、短期間でも体を効果的に鍛える手段はあるものの――今のアリティーナ一人には無理な方法である。誰かの協力が必須だ。
そして、もう一つ困った問題がアリティーナには存在した。
「…………」
アリティーナは、自分のベッドの隣へと視線を移す。
横には、ミリアが布団にくるまったまま眠っていた。無論寝具はアリティーナの物よりは遙かに劣る安物。使用人用のベッドから持ってきた物に違いなかった。
――どうしようかな。
むにゃむにゃと言いながら眠るその姿を、アリティーナは面倒そうな顔で見る。
最初は勿論、ミリアは付きっきりで看病しているとはいえ、夜寝るときは自室へ戻っていた。自室と言っても一介の使用人に過ぎない彼女に個人部屋などなく、何人かでベッドを並べた相部屋だそうだが。
ところが、医者の話を無視して勝手にトレーニングを始めたアリティーナに対し、いくら止めても聞かないため監視ということで勝手に寝具を持ってきて寝泊まりすると言いだした。放っておかれているも同然の主の娘に他のメイドたちもあまり関心を向けておらず、あっさり許可は出たようだ。
その献身ぶりには感心したくなるが、これでいよいよ行動が制限されるようになった。常に監視されてはトレーニングも難しくなる。
が、アリティーナは諦める気は微塵も無かった。
なんとしても、王都の学園へと入るまでに、せめて戦えるまで体を回復させる――アリティーナはもはやそれしか考えていなかった。
「…………」
とはいうものの、今はそんなことで起きたのではない。
尿意を感じたので、トイレに行くことにしただけだった。
ミリアは起こさないことにする。流石に体も回復してきたので、杖をついて歩くことくらいは余裕だ。トイレの場所も分かっているため、起こす必要は無い。
そう思い、アリティーナは杖をつきながら部屋を出てトイレへと向かう。
トイレにも、最初は相当手こずったものの、目覚めてから五日も経てば平気である。
すぐさま済まして、部屋へ戻ろうとした――のだが。
「――ん?」
ふと、何かを感じたアリティーナは足を止める。
視線が、今まで見たこともないような場所へと向けられる。そこは、トイレのある廊下の更に奥だった。
――なんだ?
ここに来た事は何度かあるものの、こんな気配は一度として感じなかった。今まで――ドラゴンハンターだった頃も、感じたことのない異様な気配。
どうにも気になり、ゆっくりと足を進めることにした。
「……こ、れは……」
そこにあったのは、ただのドアである。
何の変哲もない、鍵が付いた普通のドア――ではあったものの、何かがおかしかった。
ドアに取り付けられた南京錠が、解錠されてドアが半開きになっている。
そして、その中から、あの異様な気配が流れてきているのだ。
その気配の正体が、どうしても気にかかったアリティーナは、意を決して中に入ることにした。
「…………」
ドアの中には、すぐさま下へと続く階段があった。ここは一階なので、地下室があるのだろう。
杖をついてゆっくりと、気をつけながらアリティーナは進んだ。
やがて、階段の底にたどり着くと、そこにあったのは、
「……?」
そこには、何も無かった。いや、それは正確ではない。
正確には、何かがあったが今は無い、というところだろう。
アリティーナの自室程度しかない小さい地下室の中央には、円形の祭壇のようなものがあった。
地下室は薄紫色に輝いているが、その光が円形の祭壇に刻まれているもの――魔法陣なのは明白である。
その魔法陣の中心に、窪みがあった。
何かが地面に突き刺さっていたような大きな窪みだが、今は何も無い。
恐らく、何かを封印していた跡だったのだろうが、それを運んだか壊したかして、この場から無くなり後には魔法陣だけが残ったのだろう。
しかし、こんなところで何を封印していたのか――そう考えていたところ、
「何か気になるかね?」
と後ろから声をかけられ、アリティーナは驚愕する。
慌てて振り返ると、そこに居たのは、
「アリティーナよ、こんな夜更けに起きていては体に触るぞ?」
などと笑いかけてくる、アリティーナの祖父マリオ・フェルベッキオ伯爵であった。
悪役令嬢パイルバンカー娘~最強のドラゴンハンターは、転生してもただ穿つのみ~ 紫静馬 @shizumamurasaki
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