第四話 違和感(4)



 あれから三日が経った。

 アリティーナ・フェルベッキオとして目覚めてからまず最初に行うのは、無論回復だ。喋ることも歩くことも難しくなった体を正常化する必要がある。いわゆるリハビリである。


 医者もそしてミリアというメイドも、積極的にリハビリに協力してくれた。医者は祖父にきつく念を押されていたので必死なのは分かるが、ミリアは本当に甲斐甲斐しくトイレすら行けなくなったアリティーナを介護してくれた。


 しかし、そこでアリティーナは妙なことに気付いた。


 ミリアが世話をしてくれるというよりは、他のメイドが全然何もしないのだ。基本的に部屋に籠もっているアリティーナだが、現れるのはミリアしかおらず他のメイドも執事も三日間訪れた事は無い。ミリアが積極的に世話をしてくれるのではなく、ミリア以外誰も世話をしようとしないというのが正しいかもしれない。


 それに確信を抱いたのは、ミリアが出ていた時に尿意とやらをもよおし、教えられたトイレに行こうとした時だった。三日間のリハビリの末、杖をついて何とか歩く程度は可能になっていた。


 かなりフラフラで、やっとのことで歩いている状態で歩いている最中、途中で足を滑らせて転んでしまう。杖も手放して倒れ、転がってしまった杖をどうにか取ろうと手を伸ばしていると、そこにメイドが数名通りがかった。


 が、なんとそのメイドたちは、この家のお嬢様が倒れているにもかかわらず、嘲笑と侮蔑の表情をするだけで去ってしまう。最後の一人なんか蹴り飛ばしていった。しばらく動けず、戻ってきたミリアが慌てて抱き起こしてくれるまで廊下に伏せたままだった。ちなみにトイレは間に合わなかった。


 前にも思ったことではあるが、このアリティーナという少女は相当嫌われていたらしい。母親からも使えない奴扱いされ、祖父も今屋敷に滞在していないのであれば、別に敬う必要は無いということだろう。口もきけないので、メイドたちの暴力を訴えることも出来ない。


 改めて、本来の彼女がどのような人間だったのか気になったのが、唯一まともに話してくれるミリアが頑なに話そうとしないため何も分からなかった。それだけで、どのような人物か言っているようなものなのだが。


 そこで、ミリアが不在の間に部屋を調べることにした。ここがアリティーナの自室なら、何か人となりが分かるものがあるかもしれない。


 ベッドから杖を手に起き上がると、家捜しを始めた。キラキラに彩られた部屋には、人一人が着るとは思えない量のドレス、何の宝石かは分からない色とりどりの高そうなアクセサリーなどあったが、それ以外特に見つからなかった。

 あの母親と同じく、自分を飾り立てるのが好きだったのかなと思いつつしばらく漁っていたところ、彼女が使っていたと思われる机の引き出しの底に何かが入っていた。


「ん……?」


 それは、どうも日記帳らしかった。ドラゴンハンターたちの話だと、紙というのはなかなかの高級品で安価な質の悪い紙もあるものの、真っ白の紙は貴族しか買えずドラゴンハンター程度だと見ることすらないと語っていた。その白い紙で出来た日記帳とは結構な値段がするはずだ。


 そんな高級品であろう日記帳を、アリティーナは開いてみたところ、




『○月△日 今日は生意気なことを言ったメイドを木の棒で殴りまくってやった。私に対してお辞儀の角度が高すぎると叱ってやったら口答えして。ふざける奴にはいい気味よ。

 使用人なんて役立たずのくせにどいつもこいつも私を苛立たせて。腹が立つときたらありゃしない』




 と書かれてあった。


 ――なるほど。嫌われるわけだ。


 アリティーナは、現在のメイドたちによる主人の孫娘に対する態度を納得した。


 その後のページを開いてみても、『ケーキの甘さが足りないからコックを首にしてやった』だの『汚い格好で土を耕していた庭師の背に火を点けてやった』だの、使用人に対してかなり非道な振る舞いをしていたことが詳細に描かれている。


 あの母親からして、使用人たちから恐れられているとか怖がられていると思ってはいたものの、このアリティーナ自身も相当だったらしい。そんな娘が記憶喪失で喋ることも出来なくなれば、使用人たちは好き放題し始めて当然だ。


 そう思いながら読み続けていると、ふととある日にちの日記に目が止まる。




『新人のメイドをいたぶってやった。あのミリアとかいう奴、田舎出身らしいけど妙にしゃしゃり出て。うるさいことばかり言うので紅茶をぶっかけでやったけど、ヘラヘラ笑ってホント気色悪い。次はどう虐めてやろうかしら……』




 なんと、ミリアもアリティーナの凄惨な虐めを受けていた被害者だったようだ。

 それでいて、ように献身的な世話をしているというのは、今のアリティーナからすれば信じられなかった。一番、憂さ晴らしとばかりに責め立てると思うのだが。


 ミリアの真意は不明だが、なかなか話さない理由も悟ることが出来た。あまり読んでいるとミリアが戻ってくる可能性が高いので、アリティーナは日記を戻してベッドに入る。


 ――別に昔のアリティーナの真似をしなくてもいいか。


 アリティーナは、そう結論づけた。


 かつての、本来のアリティーナの人物像を知りたかったのは、そのように振る舞うべきか悩んだからだ。今の自分は、どういった原因かは知らないがアリティーナ・フェルベッキオの肉体を奪い取った状態にある。本物のアリティーナが何処に行ったか不明ではあるが、せめて彼女の代わりになるべきと思った。


 しかし、それを誰も喜んだりはしまい。使用人たちも、ミリアも今のアリティーナの方がマシと思っているはずだ。家族も母はともかく、祖父のあの人格からして横柄な孫娘を喜ぶとは思えない。

 であるなら、本物のアリティーナの代理をする必要は無い。それは分かった。

 分かったからこそ、アリティーナは悩んでしまった。


「…………」


 ベッドに戻ったアリティーナは、ネグリジェを脱いで自分の体をまじまじと見つめる。


 細い体、細い腕。白くシミも傷もない肌に、美しい銀髪と紫の瞳。

 まるで人形のような美しさ、と医者にも評される少女の身だった。


 が、そんなものは今のアリティーナにとって何の称賛にもなりはしなかった。


 ――こんな体じゃ、ドラゴンと戦えない……


 そんな考えが、どうしても頭に浮かんでしまう。


 目覚めてから、常に違和感を持っていた。

 ドラゴンハンターは、ドラゴンと戦うための存在。ドラゴンと戦うための力。その使命と共に、かつてドラゴンハンターと呼ばれた戦士たちと戦ってきた。


 だが、その戦士たちは既に滅びている。

 そして、戦う相手であったドラゴンも絶滅したという。


 戦う仲間も、戦う相手も消えた。

 そんな時代に、ドラゴンハンターだけ残ったところで何をしろと言うのか。アリティーナには絶望しかなかった。


 どうしてこんな時代で目覚めたのか。

 どうしてこんな体を手に入れてしまったのか。

 これからどう生きればいいのか。アリティーナには見当も付かなかった。


「……あーっ! お嬢様、服を脱いではいけません、体冷えちゃいますよ!」


 そんなことを悩んでいると、ミリアが部屋に入ってきた。半裸になっているこちらの姿に、慌てて駆けだしてくる。


「汗でもかきましたか? でも、勝手に脱いじゃダメですよ。お嬢様は、まだ治ってはいないのですから」


 そう言ってタオルで体を拭いてくる。相変わらずの献身ぶりに、かつて虐げていた事実を知った今ではむしろ奇妙に感じてしまうようになった。

 どうしてそんなに世話をするのか、と聞こうと思い紙とペンを取ろうとすると、




「お嬢様の熱も、やはりドラゴンの祟りでしょうか……王都では、ドラゴンの生き残りが王国に復讐しに来るなんて話が持ち上がっているなんて聞きましたが、やっぱりドラゴンは絶滅したと思いますがねえ……」




 ドクン、と何かが、胸のあたりで何かが強い音を出した気がした。


「――っ!」


 愕然となりミリアの方を振り返る。ミリアは、いきなり様子が変わったアリティーナに驚いていた。


 ――ドラゴンが、まだ生きている!?

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