第三話 違和感(3)
ペチニア王国。
この世界における三つある大国の一つで、その中でも一番広大な領地を持つ。
広大な領地は農耕に適し、資源を取るための山々も多く、つまりそれは三つの国の中でも一番の力を有しているも同じ――という話を、ドラゴンハンターたちが話しているのを聞いたことがある。
しかし、それでも決して完璧でもなければ絶対でもない。大きな問題を抱えていた。
それが、ドラゴンである。
長きに渡って、王国はドラゴンと戦ってきた。人を襲って喰らうドラゴンにとって、最大の国土を持つペチニア王国は餌場である。故に王国は、ドラゴンとの戦いを強いられることとなった。
いつ頃から始まり、どれほど人間とドラゴンの命が費やされたかも知れない両者の戦いは苛烈を極めた。
そんな戦いの日々であるから、王国は圧倒的な巨体と頑強な肉体を持つドラゴンに対して、より効率的に戦える武器とそれを専門として扱う戦士を作り上げることを求めた。
その結果生まれたのが、ドラゴンの肉体を用いて作り出された武器、いわゆるドラゴンハンターであった。
そして、それを使って戦う勇敢な戦士たちも、いつの間にかドラゴンハンターと呼ばれるようになっていった。
王国にとって、彼らは英雄であり、国を守る盾であったはずだ。それは間違いない。
だが、いよいよドラゴンを殲滅できるという直前になって、王国は逆にドラゴンを庇い、そしてドラゴンハンターたちを次々と抹殺していった。
最後、生き残ったドラゴンハンターも、王国軍とドラゴンの連合軍というあり得ない代物に襲われ、命を奪われた――と思われる。
その王国、憎むべき仇であるペチニア王国の、伯爵家の人間だとアリティーナは言われ、流石に動揺してしまった。
様子がおかしいことに気付いたマリオが、こちらを覗き込んでくる。
「……? どうかしたか、アリティーナよ?」
そう尋ねられても、アリティーナは返事が出来なかった。喋れないからではなく、思い出してしまったからだった。
あの、全てに裏切られ、絶望のまま死んでいったドラゴンハンターの末路を。
「ふむ……やはり回復はしていないようだな。すまなかった。今は、休ませるのが最善か」
マリオは、こちらの様子を体調が優れないからと勘違いしたらしく、これ以上深入りされるとまずいと思っていたアリティーナは、心の中で安堵する。
席を立ち、傍らの医者に質問する。
「さてと……主治医よ。我が孫娘は、回復するのかね?」
「は、はい。お体そのものには何の問題も確認できませんので、三ヶ月もあれば回復するかと……」
「別に学園など構わんがな。しかし早いことに越したことはないか。では、無理はさせんくらいに頼むぞ」
畏まりました、と医者が頭を下げると、マリオは従者を連れて部屋から出て行った。
バタンと扉が閉まってから、中にいた他の使用人たちが安堵の息を漏らす。
「怖かったわね……マリオ伯爵様はもう七十くらいのはずでしょう? だというのに何よあの体。こっちまで野獣に睨まれたかと思ったわよ」
「当たり前よ。あの方は前の戦争でも英雄だったもの。名だたる騎士ばかり輩出してきたフェルベッキオ家でも、特に強いって言われてる人よ。竜人大戦でだって、ご当主様は大活躍したそうだし」
竜人大戦、という言葉に聞き覚えはなかった。名前からしてドラゴンと人間との戦いのようだが、何しろアリティーナの知識は限られているし、ドラゴンとの戦争なんて長期に渡っているのでどれがどれなのかなんて分かるはずもない。
そう考えている間にも、メイドたちの会話は続く。
「ああ、ドラゴンを滅ぼしたあの……もう二十年も前の話なのに、ご当主様はお元気なのね」
ビクッ、と体が震える感覚がした。
――二十年!?
アリティーナは、仮に声を失っていなければ叫んでいたことだろう。
ドラゴンを滅ぼしたなど、あるはずがない。ドラゴンハンターたちが殲滅しようとして、その直前にあの裏切りがあったのだ。王国とドラゴンは結託した。そのドラゴンがどうして絶滅したのか。
仮に何かが起きてドラゴンが滅んだとしても、二十年前とはどういうことか。アリティーナが、かつてのドラゴンハンターが目覚めてからほんの数刻しか経っていない。まさかこの少女が二十年間寝ていたわけはあるまいし、ミリアと呼ばれたメイドも高熱を出して眠っていたのはたった三日と言っていた。
そう考えると、結論は一つしかなかった。
あの戦い――ドラゴンハンターたちが王国に裏切られ、王国に皆殺しにされてから、もう二十年が経過している。
その二十年後に、自分はかつて裏切った王国の伯爵令嬢――アリティーナ・フェルベッキオに成り代わった。
***
目覚めてから、医者が現れたり母親が現れたり祖父が現れたりと怒濤の展開であったが、とりあえず休ませようということになり、三日も寝ていたのにまた寝かされてしまう。
翌日、朝方目を覚ましたアリティーナは、どうにも意識がはっきりしない感覚に捕らわれていたところ、ミリアというメイドが服を脱がせてきた。
「お嬢様、お服を取り替えましょうね。まだ熱が下がったばかりですから、お風呂は止めておいた方がいいと言われていますが、体は拭きませんとね」
そう言いつつ、ネグリジェを脱がせつつミリアはアリティーナの体を拭いてくる。この時点で、アリティーナは今は自分の体となったアリティーナの体を改めて確認する。
酷く細く、貧相な体である。少女なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、だとしてもあまりに痩せ過ぎな気もする。昨日の祖父に抱きしめでもされたら、すぐに壊れてしまいそうなくらいだった。
アリティーナがドラゴンハンターだった頃、一緒に戦った戦士たちはどれもこれもガタイが良く鍛え上げられた肉体をしていた。ドラゴンと戦う戦士なのだから当然だが、なおのことアリティーナの貧相すぎる体が頼りなく見えてしまう。
いったいどんな生活をしていたら、こんな弱々しい体になるんだと白く透き通った肌を見ながらふと思う。
「…………」
そこまで考えて、アリティーナはふとあることに気がついた。
「……ぁ」
体を拭き終わり、替えのネグリジェに着替えさせられたところで、アリティーナは出ない声を出し、なんとか動く指で部屋に設置された机を指して懇願する。
「あ、こちらですか? 少々お待ちください」
アリティーナが指したものを見て気付いたミリアは、机の上にあったものを取ってくる。
ミリアが持ってきたのは、紙と筆だった。
未だに喋ることは出来ないものの、昨日の時点で手ぐらいはなんとか動かせるようになっていったので、筆談するときのためと用意されたものだった。幸い字そのものは覚えていたため、かなり拙い字ではあるがなんとか書ける。
その拙い字で、アリティーナは質問することにした。
『元の自分って、どんな子だったの?』
そうミリアに尋ねた。
アリティーナは、かつてのアリティーナ・フェルベッキオという女の子について、何も知らなかった。せいぜい伯爵令嬢であること以外何も分からない事に、ようやく気がついたのだ。
そのため、記憶が取り戻せるか取り戻せないかは別として、どんな子だったのか知りたいと思っただけだったのだが、
「え……」
ところが、その質問に対してミリアは、顔色を悪くして絶句するという回答を出した。
『ミリア?』
どうかしたのかとアリティーナが案ずると、焦った様子のミリアは早口で答える。
「お、お嬢様は、とても素晴らしい方でしたよ? 伯爵令嬢として勉学にも励んでおられましたし、お友達もおられましたし……」
などと話しているが、どうも様子がおかしい。こちらから完全に視線を逸らしているし、汗もかいている。どうも必死で言葉を選んでいるらしかった。
かつてドラゴンハンターたちの中でも、似たような反応をした奴がいることを思い出した。
これは、嘘をついている者の反応だ。
『正直に』
とアリティーナがもう一度問うと、いよいよ慌ててしまう。見ているだけで、弱り切っているが分かった。
「ええと……その……」
ミリアの様子から、かつての自分がどんな人間かは不明のままだが、一つ判明したことがある。
どうも、この体の本来の持ち主――アリティーナ・フェルベッキオは、ろくでもない人間だったらしい。
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