第二話 違和感(2)
「……記憶喪失、ですって?」
アリティーナが目覚めたのと同じ部屋――どうもこの少女の自室らしい――にて、数人のメイドを率いた女性が、機嫌が悪そうに聞き返した。
キラキラした部屋とアリティーナも思っていたが、この女性も妙にキラキラしている。何かしらの宝石か金属でも付いているのか、黄色を主体とした派手でヒラヒラした布が多いドレス。ドラゴンハンターの戦士たちは基本コートばかりだったので、こんな物はほとんどお目にかかれなかった。
そんな彼女が、不機嫌そうにたたでさえつり目がちな青い瞳と金髪のボリュームある髪を逆立てているのだから、誰の目にも怒っているのは分かる。部屋のどのメイドも執事たちも、皆戦々恐々としていた。
「は、はい……恐れながら、間違いないかと」
そう怯えながらも答えるのは、白い口ひげを生やした白衣の老人である。先ほど聞いた話だと、どうもこの家のお抱え医者だとか。
目覚めてから、明らかに様子がおかしいとメイドが騒ぎ立て、他のメイドや執事たちも慌てだし、部屋を出てバタバタしてからどれくらい経ったか。現れたこの医者に色々診断して貰い、終わったところ現れたのがこのやたら眩しいドレスの女である。
歳はだいたい三十代か四十代の初めくらいだろうか。整った顔をした美人ではあるのだろうが、やたら化粧が厚い顔が怒りで歪んでいるためより酷く見える。まるで悪魔か何かのようになっていた。
「記憶喪失とはどういうことです? 本当に何も覚えていないと?」
医者に対して尋ねるが、尋ねるというより追い詰めているような口調だった。医者は震え上がり、必死に言葉を選んでから口を開く。
「い、いえ――正確には、記憶どころではありません」
「記憶どころでは、ない? どういう意味かしら?」
さらに語気を下げた女性に、アリティーナを除いた全員が悲鳴じみた声を漏らす。医者もその恐怖に泣きそうになりながらも、なんとか続けていった。
「さ、先ほど診断したところ、記憶のみならず基本的な運動や会話の方法も覚えていないようでして……まあ、あれだけの大病を患ったのですから、これは仕方ないと思われますが……」
「つまり、歩いたり喋ったりすら出来なくなったということ?」
医者は必死に庇うものの、怒り狂った女性はますます腹を立てているだけだった。
忌々しげに、持っていた扇子を床に叩きつけ、声を荒げる。
「なんたること! 学園の入学も間近だというのに、こんなことになるなんて……これでは公爵家の娘に取り入ることも出来なくなってしまう! この役立たずがっ!」
怒りに呼吸も乱れてきた女性がこちらを睨み付けてくる。対してアリティーナは、上半身は起こしている者の、この女性が誰かすら聞いていないので反応できなかった。
「お、奥様落ち着いてください。お嬢様とて好きでこのようなことには……」
「うるさいっ! そもそも娘の管理を行っていたアンタがきちんとしてないから! どう処罰してやろうかしらねミリア!」
ミリアと呼ばれたのは、アリティーナが最初起きたとき初めて目にした、少女が目覚めたことを喜んでくれたメイドだった。その彼女が、ビクッと恐怖する仕草をした。
「……ぅ、ぁ」
アリティーナは、声も上手く出せないながらもなんとか喉から音を出し、ゆっくりと手を伸ばした。その様子に、集まっていた人々も少し驚く。
「お、奥様。僭越ながら、お嬢様は今は出来なくなっているだけでして、決して体を動かせなくなったわけでも、声を出せなくなったわけでもありません。記憶が戻るかは断言できませんが、日常的な生活を行えるようになるのは決して難しくないと思います」
医者は、アリティーナを擁護するように進言した。少女を見放そうとしている女性に対してなんとか考えを改めさせようとしているらしい。
が、女性は一切表情を変えることなく、冷たい顔のままアリティーナに告げる。
「日常的な生活など意味がありません。この子がすべきことは、フェルベッキオ家の役に立つこと」
少女を単なる道具でしかないと言い切る姿に、周囲の者たちは戦慄する。
「それがこの子の生まれた意味。そのためだけに、わざわざ生んだのですからね」
――え?
アリティーナは不意の一言に驚いてしまう。
どうやら、この殺意と憎悪が混じった目でこちらを睨む女性が、この子の母親らしかった。
「……夫はどうしたのかしら?」
母親は、疲れたような様子で視線を逸らすと、傍らにいる執事に確認を取った。
「は、はい。使いの者は出しましたが、何分ロワンダの街は遠いので、届くのは時間がかかるかと……」
「ふん。仕事仕事と物好きね。まあそれ以外に能のない男なのだから、役に立ってくれないと困るけど」
自分の夫らしい相手に対しても、この母親はだいぶきつい言葉を吐いてくる。そんな有様に周囲の者たちは引いているが、彼女は気にすることすらなかった。誰もこの女に逆らえないみたいだった。
しかし、その時ちょうどドアが開く音がした。
「……なんたる言い草だ。彼のおかげで我が領地の財政は回復したというのに、感謝の気持ちすら持たないのか? 情けない」
「――!?」
ドアから現れた男性に、母親も息を呑む。
数人の従者を携えて現れたのは、妙齢の男性だった。歳はせいぜい六十か七十歳くらいという感じだが、端から見るとそうは思いづらかった。
顔の皺の入りようや全て白く染まった髪などは、ドラゴンハンターたちと旅した頃によく出会った老人の特徴そのものだが、それ以外はだいぶ異なる。
とにかく背筋がピンと伸び、体つきもかなりいい。貴族としての煌びやかな服の下からも、鍛え上げられた肉体が透けて見えるようだ。
間違いなく、軍人。あるいは元軍人の男である。いくつもの死線をくぐった、歴戦の戦士しか持たない迫力があった。
「お、お父様……どうして、こちらに……?」
今さっきまでの傲慢な振る舞いはどこへやら、現れた男にすっかりビビってしまっていた。話を聞くと、この老人が彼女の父なのだろう。
「どうしてだと? 孫娘が高熱を出して倒れたと聞けば、取るものも取りあえず駆けつけるのが当然だろう。まあだいぶ時間はかかってしまったが……回復したのは何よりだ」
そう言って微笑む男。しかし、その目には自分の娘へと明らかな敵意と非難が感じられた。
「しかし、娘のこんな姿が拝めるとはな。お前には反省してもらう必要がありそうだ。とにかく下がっていろクラリッサ。病人の体に触る」
「で、でもお父様……!」
「聞こえなかったのか? 下がれと言ったんだ」
有無を言わさぬ圧を掛けられ、クラリッサと呼ばれた女は従者を連れて部屋を出て行った。落ち着いた部屋の中で、男はベッドの傍らに用意された椅子に腰を掛ける。
「すまない。うるさかったな。私のことも覚えていないんだねアリティーナ?」
その質問に、アリティーナはどう答えるか迷ってしまったが、男は先ほどまでの鋭い眼光を微塵も感じさせない笑顔を見せると、
「気にしなくていい。仕方のない話だ。では、挨拶しよう。私はこのフェルベッキオ伯爵家の当主、マリオ・フェルベッキオ。
我がペチニア王国における、貴族の末席に属しているよ」
ペチニア王国、という言葉を聞いて、アリティーナは息が詰まる感覚がした。
その名だけは、こんな姿になっても覚えている。
ペチニア王国。それは、
かつてアリティーナを含めた、ドラゴンハンターたちが命がけで守ってきた祖国であり、戦争末期突如裏切って全滅させた憎むべき仇だった。
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