第一話 違和感(1)



 最初、感じたのは奇妙な違和感だった。


 痛い。

 痛い痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……


 己の、ありとあらゆるところが痛く、そして熱かった。


 それだけではない。未知の感覚が襲いかかってくる。

 まるで締め付けられるような、巨大な獣に丸呑みにされた圧迫感がする。


 苦しい、というのだろうか。


 我が身を責め立てる苦しみに耐えられず、思わず手を握りしめた。


 ――あれ?


 ふと、自分が何をしているか分からなかった。

 けれど、今何か不思議なことが起きた気がして、もう一度感覚を確かめる。


 きゅっ、と自分の身のどこかが動いた気がした。そこでやっと、自分の身がおかしいことに気付いた。


 自分の身が重い。動かせないのはともかく、何も絡まっていないのに縛られているような苦痛が常にある。


 周囲の様子が分からない。周りが見えない。自分の視界に、蓋のようなものがある気がする。

 取れないか、と思っていたら、勝手にゆっくりと蓋が開いていく。


 ――なんだ?


 目の前に、極彩色の模様が描かれている。

 金と赤を主体とした模様は、どうも単なる模様では無く何かしらの絵らしいのだが、何か馬のような生物と人のような生物が描いてあるだけで何の絵なのかは少しも理解できなかった。


 どうも、自分は寝転がされているらしい。今目の前にあるのは天井のようだが、こんな絵が描いてある天井見たことない、と思っていたところでふと蘇る記憶があった。


 あれは、ペチニア王国においてドラゴン討伐への出立の際、王との謁見のため王城へ訪れたときのこと。

 あの王城の一部にも、天井の一面に凄い大きな絵が描かれていることがあった。今天井にあるこれも、恐らく同じようなものだろう。


 だが、今気になるのは実を言うと天井ではなく、寝転がっている自分の背にあるものだ。


 柔らかく、ドラゴンハンターの身を乗せて壊れもせずただしっかり受け止めている。底なし沼に落ちたのかと錯覚させるくらい、不可思議な現象だった。


 何が起きたのか、何が起きているのか分からない。とにかく自分がどうなっているのか確認しよう、と思っていたところ、


「……ぅ、あ……」


 などという音が、自分から漏れ出てきた。


 いや、それは音などでは無い。声だった。

 自分から、呻くような枯れたような声が出たのだった。


 いよいよ状況が理解できず、困惑していると、


「……お嬢様?」


 なんて別の声が響いてくる。どこか甲高い、女性の声だった。


 誰だ、と思ったところで、天井を見つめている視界から突然ずいと入ってくる者がいた。


 黒色の長い髪を、後ろに纏めている女性。歳はあっても二十代前半くらいだろう。

 栗色の丸々とした瞳をこちらに向けてきて、見開いている。

 城でも女性の使用人が着ていた、白いエプロンを着けたメイド服姿の少女だった。


 顔は幼い小動物のようで、要は可愛いというのだろうか。ドラゴンハンターとして長く生活していた中で、女性は大概筋骨隆々か、暗い瞳をした魔術師であったので、全く見たことがない透き通るような肌をした女性だった。


 そんな彼女の瞳が、こちらの様子をしばし見ていたと思ったら、突然涙が溢れ大雨のように流れていった。


「お嬢様……! やっとお目覚めになりましたのですね!」


 どうも泣いているようだが、泣き方が尋常ではない。顔はくしゃくしゃだし声は震えているし、何より大粒の涙を流しすぎてそのお嬢様とやらの顔を濡らしまくっていた。


「大丈夫ですかお嬢様、ご気分はどうです!? もう起きて宜しいので!?」


 そう言いながら、そのメイドはお嬢様と呼ぶこちらの背中と腹部に手を添えて、ゆっくりと起こしていく。

 我が身が曲がる感覚に身を委ねているお嬢様は、初めて自分が居る場所を捉えることができた。


「……ぁ」


 知らないうちに、呆然としてしまっていた。


 視界に映ったのは、だだっ広い部屋だった。流石に王と謁見した玉座の間には劣るが、それでも狭い宿屋ぐらいしか知らないお嬢様とやらにとってとんでもないショックの光景であるはずだった。


 とにかく広い。そして光輝いている。

 天井同様赤と菌を基調とした壁、柱。いちいち壁に埋め込まれている金や宝石が、これまた巨大な窓からもたらされる太陽の光によってピカピカ光って鬱陶しい。

 お嬢様が寝かされていたのは、やはりベッドだった。ただし自分が知っているベッドではない。あまりにも柔らかくフワフワしていて、雲の上に乗っているではないかと信じたくなるほど心地良い眠りを与えてくれることだろう。


 だが、それより驚いたのはお嬢様と呼ばれた自分自身のことである。


 視界の端に、非常に細く小さく、そして傷一つない真っ白な手が現れる。

 誰の手かと思ったが、それが自分の物と気付くのに少し苦労した。


 驚くお嬢様だったが、そこで視界を邪魔する銀色の何かが上から落ちてくる。

 何事か、と想い反射的にどかす、それがお嬢様自身の髪であることに気付いた。


 違う。

 こんなはずは無い。自分は、こんな姿形をしたものでは無かった。それは間違いない。


 では、何が起きたというのか――弱り果てていたところ、そんなことを少しも察せないメイドが興奮気味に尋ねてくる。


「お嬢様? アリティーナお嬢様いかがなされました? 気分が優れないのですか? でもすぐ医者を……あ、でももしかしてお腹がすいているのかもしれませんね。待っていてください、三日分の食事、すぐお持ちしますので!


 とだけ言って、メイドは走って部屋を出て行ってしまう。

 一人取り残されたお嬢様――アリティーナとやらは、考え込んでしまった。


 ――何が、起きた?


 アリティーナなどという名前は、勿論覚えが無い。ドラゴンハンターたちの中にも、それ以外にも思い当たる人物はいなかった。


 そして何より――自らの意志で動く、この細い腕、首、体。頭部から生えている銀色の髪。

 自分が所有していなかったこれらの部分を考えると、思いつくのは一人ではない。


 自分は、アリティーナとかいう少女の体になっている。


 この部屋の様子からすると、かなり高貴な家柄の出身らしい。かつての自分は位の高い人物と大して出会わなかったためどれほどの身分かは分からないが、体を覆う白い服からしてかつてドラゴンハンターたちが着ていた血と泥で汚れた服よりはるかに金がかかっていそうだった。


 本来なら、色々説明を聞きたいところだが、声が出せない。喉が痛いせいなのか、発し方がよく分からなかった。あと体が熱いしどこも痛いのは病気とやらだろうか。


 とにかく、これからどうすべきか悩んでいると、大きなドアから先ほどのメイドが戻ってきた。両手には、皿が載ったお盆がある。何か温かい物が入っているのか、湯気が浮かんでいた。


 メイドは、テキパキとベッドの上に簡易なテーブルを用意すると、その上に皿を置いた。中には温かい白色の水が入っている。傍にはスプーンが並んでいた。


「……お嬢様? 大好物のミルクスープですが、食欲がありませんか?」


 メイドが心配そうな目をしてくる。これは飲めということだろうか、と考える。


 どうすべきか迷ってしまったアリティーナは、しばし迷ったものの、


「……ぇぃ」


 と、顔ごとスープに突っ込んだ。


「お、お嬢様ぁ!?」


 メイドの悲鳴が聞こえてくる。


 ――熱い。


 顔一面に熱さを感じながら、どうも間違えたらしいと思ったと同時に引き上げられた。

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