コーヒーの謎 【三題噺 #33】「コーヒー」「魂」「再会」
お久しぶりです。今年の夏はとても暑かったですね。
十月に入るとさすがに、昼間から秋の気配が感じられるようになってきました。このまま四季がなくなってしまうのではと密かに心配でしたので、ホッとしています。
喫茶オールド・ベルの「本日のおやつ」も、秋の味覚を楽しめるメニューが登場しましたよ。今日は「さつまいものショコラテリーヌ」です。ホイップクリームとクランベリーソースを添えてあります。本日のコーヒー「マリー」と一緒にいかがですか?
おや、扉のベルが鳴りました。お客様がいらっしゃったようです。
「聞いてよマスター! 失恋しちゃったよ!」
悲痛な声を上げながら真っ直ぐカウンター席にいらした男性は、月に数回お見えになる樋口さんです。近くの大学に通う文系の院生で、普段は学業とスーパーのレジ打ちバイトに明け暮れているのだとか。
コーヒーが大好きで、本当は某有名コーヒーチェーン店に勤めたかったそうですが、シフト時間などの関係で諦めざるを得なかったと、前に教えてくださいました。
何を隠そう、うちのお店に来てくださったのも、最初はアルバイト募集の有無を確認するためだったのです。
丁重にお断りしつつ、これも何かのご縁と、コーヒーを一杯ご馳走させていただきました。その後、こうして常連さんになってくださったというわけです。
「いらっしゃい、樋口さん。失恋とは、穏やかじゃありませんね」
「そうなんだよ。俺、今回は手応えを感じてたんだけど……あ、コーヒーとおやつをお願いします。それで、女性の意見を聞きたいんだけど」
私がコーヒーを淹れ、おやつのプレートを用意している間に、樋口さんは詳しい失恋の内容を教えてくださいました。
最初の出会いは数カ月前、バイト先のスーパーだったそうです。
セールの対象品になっていたインスタントコーヒーを、大量にカゴに詰めた若い女性客が樋口さんのレジにいらっしゃいました。お一人三点までという注意書きを見逃しているのだなと思い、丁寧に説明すると……
『えっ』
その女性はみるみるうちに顔を真っ赤にし、ぺこぺこと頭を下げたそうです。
『すみません、知りませんでした』
『いえ、小さい字なので見え辛かったと思います。こちらこそすみません』
『戻してきます!』
『あ、結構ですよ。こちらでやりますので、三点だけレジに通しますね』
きっとコーヒーが好きなのだろうなと、樋口さんは思ったそうです。その女性は小柄で、いつもアンティーク風のワンピースを着ていて、可愛らしい顔立ちをしていました。実は、何度か店内で見かけて、気になっていたようです。
『あの、俺、もうバイト上がるんですが』
その日は日曜で早番。イチかバチか、樋口さんは思い切って言ってみたそうです。
『良かったらもう三点、俺の分として買いますよ。それ引き取ってもらえたら』
『えっ』
女性は少し考えてから、恐縮しつつ、その提案に頷きました。
「それから彼女、店に来るたびに、俺のレジを選んでくれるようになったんだ」
本日のコーヒー「マリー」から立ち昇る香気を鼻先に受け止めながら、樋口さんはどこか遠い目で続けました。
「仕事中だからほとんど会話なんてできないけど、毎回『お疲れ様です』って言ってくれて、『今日は暑いですね』とか、『卵は一点までなんですね』とか……俺、天気の話題がこんなにいいものだって、知らなかった。大学生ですかって聞かれて、院生ですって答えたら、私もですって……これもう運命かなって、思うでしょ?」
「共通点があるのは嬉しいですよね」
「そう、共通点! 大事だよね! 俺、決めたんだ。次に彼女が日曜早番のバイト上がりの時間に来てくれたら、誘ってみようって。行きつけのコーヒーが美味しい喫茶店があるんだけど、一緒に行きませんかって。もちろん、ここのことだよ」
「まあ、ありがとうございます」
喫茶オールド・ベルの休業日は月木ですから、日曜なら大歓迎です。
「で、こないだの日曜日、チャンスが巡ってきたんだ。奇跡みたいに人の途切れた時間帯で、後ろに並んでいる客もいなくって」
彼女のカゴに生ものや冷蔵・冷凍品が入っていないことまで確認して、樋口さんは計画を実行に移したそうです。
『コーヒーの美味しい行きつけの喫茶店があるんですけど、俺、この後バイト上がりで、そこ行くつもりで。良かったら、一緒に行きませんか?』と。
でも、彼女の答えは――
『ごめんなさい。私、コーヒー飲めないんです』
「それは……意外なお返事ですね」
「そう、そうなんだよ! あんなにインスタントコーヒー買ってたのに!」
樋口さんが吼えます。他のお客さんがいらっしゃらない時で幸いでした。
「これもう、体のいい断り文句だよね。振られたってことだよね!?」
「もしかしたらコーヒーは、ご家族のために買われていたのでは……」
「夜に総菜買いに来た時に、一人だと自炊はかえって高くつくからって、恥ずかしそうに言ってたの覚えてる。一人暮らしだよ。ちなみに彼氏もいない」
「どうしてわかるんですか?」
「レジ打ってる間に、急にすごい夕立が来たことあって、傘ないのにどうしようって。彼氏がいたら迎えに来てもらうのにって、冗談ぽく言ってたから」
「それは……」
樋口さんが手応えを感じたのも、無理ないと思います。
私にはなんとなく、事情が見えてきましたよ。
「樋口さん。『本日の謎』を注文しませんか?」
肩を落として「さつまいものショコラテリーヌ」をちびちび食べていた樋口さんは、私の提案を聞いて怪訝な顔になりました。
「実は、今回の出来事のヒントになりそうな謎があるんです」
「へえ、失恋の? マスターがそう言うなら、まあ、お願いしようかな」
投げやりな雰囲気ですが、事情が事情ですから、仕方ありません。
さっそく「本日の謎」を始めることにいたしましょう。
「私が通っていた大学に、男女の双子の学生がいたんです。
顔がそっくりで、とっても仲が良くて、学部や受講科目まで同じなのに、唯一違う点がコーヒーでした。
兄はコーヒーが嫌いで、妹はコーヒーが大好き。コーヒーを飲ませたらどっちがどっちかわかるなんて、みんな冗談で言っていました。
もちろん男女の双子は二卵性双生児ですから、本当は見分けがつかないなんてこと、一切ありませんでした。まあ、二人ともヴィンテージ風のファッションが好きで服をシェアしていたので、遠目から見るとわからない時もあったんですけど。
ある日、スーパーで買い物中に、兄の方を見かけたんです。
コーヒー飲料のコーナーでした。
彼がインスタントコーヒーを手に取っているのを見て、妹に買い物を頼まれたのかと、私は何気なく尋ねました。
すると彼は違うと答えて、意味深な笑みを浮かべ、不思議なことを言いました。
これで生まれ変わるんだ、と」
「……生まれ変わる?」
フォークでホイップクリームを掬っていた樋口さんが手を止め、顔を上げました。
私は頷いて続けます。
「その数日後、私は妹の方と一緒に喫茶店へ行きました。何かの課題で組むことになって、その打ち合わせをしに行ったんです。
長居してもマスターが大目に見てくれるので、大学生ご用達の店でした。
コーヒー好きの妹と私は当然、常連客になっていて、何度も一緒に行ったことがあります。
席について、私がいつものようにコーヒーを注文すると、彼女はメロンソーダを頼みました。
驚きました。そんなこと、今まで一度もなかったのに。
コーヒーを頼まないのか聞くと、彼女は肩を竦めて、飲めなくなったのだと答えました。
前に兄も含めて三人でこの喫茶店に来た時、彼がメロンソーダを頼んでいたことを、私は思い出しました。
ふと、馬鹿げた考えに囚われました。
もしかしたら、二人の魂が入れ替わってしまったのではないか……」
樋口さんはフォークからホイップクリームが落ちたことにも気づかず、心なしか緊張した顔で耳を傾けていらっしゃいます。
あまり怖がらせてもいけません。私は微笑みました。
「なんて、それは冗談ですけど」
「じょ、冗談か」
「これにはきちんと、現実的な理由があったんです。さて、これが本日の謎です。
飲めないはずのインスタントコーヒーを買っていた兄と、その不思議な発言。
大好きだったコーヒーを飲めなくなった妹。
一体、どういうことだと思いますか?」
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