第10話 誰にだってこだわりってのがありますよ。自分には無いけど。


中でも一番何か言いたげだったのは、オーバでも王でもなくゲルダだった。

勇者に選ばれたということを言わなかった、くだらんと言ったという事に対してもそうだが、カイではなく“勇者そのもの”に罵声を浴びせた。


「アンタ、まさか僕の事知ってて黙ってたわけじゃないよね?」

「何だ急に。」

「とぼけないで!僕が勇者を嫌ってるの分かってたんでしょ!?知ってて『こいつは阿保だ』って頭の中で笑ってたんでしょ!?」


静かになった王城内が更に静まり返る。まるで吹雪でも通ったかのように冷たい空気だ。

カイの胸倉を無理矢理掴み、体重をかけて目と目を合わせるゲルダの鋭く冷たい目と迫力に、その場にいた殆どの者は思わず息を飲んだ。

その場にいた殆どの者以外……つまりはカイ以外の人物は。


「お前が何を言いたいのかは知らんが、正直俺はお前の好みなんざどうでもいいし、まず俺は勇者ですらない。これからなる気も予定も無ければなろうと思ったことすらない。それはこれからも変わらん。そもそも選ばれたのだって10年も前の話だろう?今お前の目に映している俺は、インクが欲しいだけのただの30手前のオッサンだ。」

「……。」


するり、とゲルダの手が離れる。

何かされたわけではない。何か特別なことを言われたわけでもない。

だがゲルダはどうしてか、彼の言葉でぶつけようとしていた事を全て消されてしまった様に何も言えなくなってしまった。


「あぁ、そうだ。お前がオーバだったな?」


名前を呼ばれ、我に返る。

一体何を言われるのかと身構えるオーバに、カイは何も無い手のひらを差し出した。


「え、えっと……?」

「さっきから言っている通り、俺はここにはインクを貰いに来たんだ。勇者になるためじゃない。」

「インク、ですか。」


暫し考え、ため息をつく。

どうやら彼は本当に勇者になる気は無いらしい。

それでもいいじゃないか、と今までの自分に言い聞かせる。

この世には勇者に選ばれたものは他の役職よりは少ないが何人も存在する。

今までその全員が勇者になることを決意してくれたが、もしかしたらその中には家族を置いて旅に出るのが不安だと思っていた者がいたかもしれない。平和を何よりも愛し、スライムですらも殺したがらない様な者だっていたかもしれない。

折角誰にでもなれるわけではない勇者に選ばれたのだからと、我々や周りの人間が圧力をかけたせいで断りたくても断れなかった者が数多くいたのかもしれない。

だからこそ、彼のように勇者になりたくないとしっかり拒むことができる彼は重要な存在なのかもしれない。

役職は勝手に決められてしまっても、それはあくまでも適正だと思われる役職。最終的に判断するのは家族でも王でも世界でも無い。自分自身だ。


「……分かりました。あなたを勇者にと追いかけ続けるのはやめましょう。その代わりというのは少々ちっぽけではありますが、私の愛用しているインクを受け取ってください。大切に使っていただけると嬉しいです。」


にこやかに笑い、懐に入れていたペンとセットの白いインク壺をカイに手渡した。


10年。10年だ。

あまりにも長く見過ぎていた夢はなんとも残酷に儚く散ってしまったが、何故か心はおおらかだった。

普段はせっかちで怒りっぽいオーバだが、今ならどんなことも笑顔で許してしまえそうなほどすっきりとしている。

カイはそんなオーバからインクを受け取ると、その壺を見た。

レースのような模様があしらわれたそれは、とても気品あふれる綺麗なラベルが張られている。


「何だ、これは。『天使の息吹ブランド』だと?暗黒ブランドの物じゃないのか。ここまで来てコレか……ならば遠慮する。要らん。」


カイはオーバから貰った壺を返すでもなく押し付けるでもなく、手から離した。

当然それは重力に則って地面へと一直線に落ち、耳を刺すようなガラスの割れる音が響くと同時に赤いカーペットに黒いシミを作った。


「あ"ぁあ"あ"ぁ!!」

「帰る。いや、帰るが今度は別の町にでも行ってインク探しでもするか。」


叫び嘆いているオーバを素通りし、迷うことなく王から背を向け、玉座の部屋の扉を開けた。

そこで少し首を横に向け、背後に視線を移す。

その視線は棒立ちのままのゲルダにのみ向けられていた。


「何しているんだ、ゲルダ。さっさと行くぞ。お前無しにどうやって俺は自分の村に帰れというんだ?そしてどうやって次の目的地に行けばいいんだ?まさかこれでもまだ俺を勇者だと思っているのか?」

「……思ってるわけないでしょ。全く、アンタはどんな勇者よりも勇者に向いてないよね。」

「あぁ、そうだろうとも。」

「皮肉で言ってるんだけど。」

「皮肉かどうかは受け取る側である俺が決めることだ。」


また元の調子で言い合いをしながら二人は門をくぐった。

これから二人は勇者とそのお供ではなく、兄弟のような小さな旅を始めるのかもしれない。


「カイ・クラウスゥゥ!!許しません!もう絶対に許しません!先ほどのやめるという言葉は直ちに撤回して__!」

「オーバ司令官官長!先ほどヒナタ村に送った兵士達がたった今帰還したみたいッスよ~!」

「どうやらカイ・クラウスは何かに感づいたのか突貫した時には既にもぬけの殻。しかも騒ぎに気付いた隣の家の爺さんに兵士の大半がボコボコに始末されてしまったらしく、捜索続行不可能という事で仕方なく引き返してきたとのことらしい。今重症な奴から医務室に運んでもらっているところだ。」

「そういえば今すれ違い様に男と子供を見たんスけど、あれ誰ッスか?」


「待っていろカイ・クラウスめ……!こうなったら貴方の求めているブランドのインクをここに寄せ集め、ここに来ざるを得ない状況にしてやりましょうか……ふふ、ふふふふふ……!」


「ありゃりゃ、ま~だ病んでるんスね、オーバさん。それとインク?インクなら天使の息吹っていう安物で我慢してほしいッス。最近王城も資金難なんスから。」


再び賑やかさを取り戻し始めた玉座の間。

ふとこぼしたオロシの独り言はいとも簡単にかき消されてしまった。


「あの男の傍にいた少年……どこかで__」

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