毎日小説No.37 健康診断
五月雨前線
1話完結
「続いては尿検査です〜」と呼びかける職員の声を聞いた瞬間、俺は「やべっ」と思わず声を漏らした。
そうだ、尿検査だ。必ず検査を行うから検査直前にトイレに行かないでください、と大学から送られてきたメールに書いてあった気がする。
そのことがすっかり頭から抜けていた俺は、ほんの数分前にトイレで用を足してしまっていたのである。まずい。これでは検査が受けられないではないか。
職員に潔く事情を説明しようと思ったところで、俺は今日が健康診断実施の最終日であること、そしてこの後すぐにバイトに行く必要があることを思い出した。仮に職員に事情を話せば、俺の検査は後回しになってしまうだろう。そうなった場合、バイトにはきっと間に合わない。そして夏に留学に行く関係上、健康診断の受診は必須だった。
どうする? どうすればこの状況を切り抜けられる?
パニックに陥った俺は、先程購買で購入したお茶のペットボトルをバッグから取り出した。半分程になった液体をじっと眺め、俺はふと閃いてしまった。
この色……もしかしたらいけるのでは?
***
やってしまった。
健康診断の受診後、バイト先のコンビニでレジに立ちながら、俺は深く溜め息をついた。
なんとか健康診断を時間内に早く終わらせたい、と願うあまり、トイレの中で例のあれと色が似ているお茶をコップに入れて、職員に提出してしまったのである。
バイトに間に合わせることと健康診断を終わらせることしか頭になかったことで、そんなイカれた奇行に走ってしまったわけだが、冷静に考えてそんな奇行がバレないはずがない。というかそもそも、健康診断の実施期間以降でも、特別に診断を受け付けてくれる予備日があったらしいのだ。その日に改めて検査を受ければよかったじゃないか……。俺は自身の情弱ぶりが恥ずかしくなった。
大学の職員に怒られるだろうなぁ、と思いながら、同僚の目を盗んでスマホを操作する。今のところはまだ大学から電話やメールは届いていない。しかし数日中には必ず連絡が来るだろう。憂鬱だなぁ……。
「……あの〜、お会計をお願いしたいんですけど……」
「はっ!! い、いらっしゃいませっ!」
***
おかしい。
絶対におかしい。
健康診断を受けたあの日から1ヶ月近くが経つのに、大学側からなんの連絡もないのだ。
最初は大学から連絡が来ることを恐れていたが、今では逆に連絡を欲してすらいる。俺が提出したお茶はどうなったのだろうか。
そして、数日前に届いた健康診断の結果も俺の混乱に拍車かけていた。なんと、まさかの異常なしという結果が送られてきたのである。お茶を提出した故に、何かしらの異常が発見されるはずなのに……。
疑問と不安が俺の心を掴んで離さず、気付いたら頭の中は健康診断のことでいっぱいだった。そんな日々に嫌気が差した俺は、もやもやを晴らすべく大学に事情を話すことにした。
衛生機構なる建物を訪れ、職員に事の顛末を打ち明けた。1ヶ月前の健康診断において、尿検査の際にお茶を提出してしまったこと、にも関わらず健康診断の結果に異常がなかったこと。
当然怒られるだろうと思っていたが、事情を話した瞬間職員全員に爆笑されて
しまった。
「あはは、1ヶ月ピッタリでカミングアウトしましたね〜!!」
「佐藤さん、予想的中じゃん!!」
「早いよ〜! 3ヶ月くらい黙ってると思ってたのにぃ!」
衛生機構は謎に盛り上がっている。何だ? どういうことだ? 混乱する俺の前に数人の学生が現れ、事情を説明し始めた。
なんでもその学生達は大学祭の実行委員であり、大学祭の企画を考えている中で、『尿検査でお茶を提出した馬鹿な学生がいる』という知らせを耳にしたらしい。その馬鹿な学生とは当然俺のことだ。
そして学生達は『わざと大学側から何も言わないようにして、その馬鹿な学生がいつ正直に告白してくるのか、それを予想する企画を立ち上げたら面白いのではないか』と思いつき、大学の職員に相談。職員も半ば悪ノリ気味に賛同し、そんな馬鹿げた企画がどうやら採用されてしまったらしいのだ。
……なるほど、だからいつまで経っても俺の元に連絡が来なかったのか。
つっかえていた何かがストンと抜け落ちたかの様な気持ちになった俺は、ゲラゲラと笑う職員や学生達に釣られて笑った。数ヶ月後の大学祭で笑いものにされるだろうが、仕方がない。悪いのは、最初に奇行に走った俺だもんな……。
***
その日の帰り道。
あれ? 大学側から何も連絡が来なかった理由は判明したけど、健康診断の時にお茶を提出しても何も言われなかった理由はまだ分かってないじゃないか。
それについてはまた明日話を聞いてみることにし、俺はスマホを取り出してSNSをぼーっと眺めた。
画面をスクロールしていると、あるニュースの記事が目に止まった。
俺が通う大学がある、この地域で起きた事件らしい。『全国的に販売されているお茶のペットボトルに、下水混入か。 〇〇県××市で、たった一本のペットボトルに下水が混入していた疑いが浮上している』という見出しが目に入り、俺はその場で立ち止まった。
下水っていうのはつまり……トイレで出すあれやそれが入ってる汚い水だよな。
その下水が仮にお茶に混入していた場合に……それを尿検査に提出したら……?
尿検査でお茶を提出しても何も言われなかった理由が、分かってしまった気がした。俺はなんともいえない思いに駆られて頭を掻きむしり、沈みゆく夕日に向かって吠えた。
完
毎日小説No.37 健康診断 五月雨前線 @am3160
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