12第三幕『迫り来る化け物は闇の中で眠るのか』

 交易の商人は、サフィの語る巡礼路について幾度となく尋ねた。


「聞いたことがあるような気がするが、全然違うかも知れん」


 大昔に今とは別の交易路があって、行き来が盛んだったと語る。険しい山や深い森など辺鄙な場所も多かったが、小さな宿場町が点々とあって商人も兵隊も同じ道を辿ったという。


 サフィは荷馬車前方の寛げるスペースに座り、果物を食べながら、話を聞いていた。一度、巻き物の地図を見せたが、商人は見当が付かないようだった。抽象的な地図で、都市名など固有名詞の書き込みは少ない。


「古い交易路って、それ何年くらい前なの?」


「何世代も前だよ。二百年とか三百年とか、そんなずっと前」


 商人らしい儲け話の類いである。僻地の山や川の畔には珍しい宝石や貴重な鉱石ざっくざくの採掘場があって、高値で売れた。また変わった小動物も多く棲んでいて、それも市場では目玉商品になった…景気が好く、平和な時代の話だという。


「その宿場町は跡も残ってないのかな?」


「さっき言ったように、みんな消えちまった。掘り過ぎたんだろうよ。お宝の石が尽きて、一巻の終わりさ」


 一方で、商人は巡礼の意味がうまく理解できないとこぼす。それを言われるとサフィも困る。自分もしっかり把握できていないのだ。


 特定の宗派とは関係がなかった。ポイントになる巡礼地に大きな寺院のような建物があって、誰か偉い人がそこに住んでいるといったこともない。今は恐らく無人である。


 巡礼路は忘れ去られ、目印になる建物や碑も打ち捨てられたに違いない。ハッキリと分かっているのは、自分みたいな魔道士がこぞって集まり、我先にと競うように同じ道を歩んだことだ。巡礼は魔法に深く関係している。


「掘り出し物が見つかるって話でもなさそうだな」


 商人は諦めたようかのな口振りで言った。巡礼路が儲け話とは無縁であることも確かだ。


 交易ルートは基本、大きな都市を結ぶもので、街が滅べば道も閉ざされる。その逆はなく、都市の繁栄や衰退で時代ごとに絶え間なく変化する。商人は、今次の大きな戦で何本かの主要な街道が失われたと嘆いた。


「いま進んでる道は、その交易路じゃないの?」


「ギリギリってとこかな。行き先の街がご臨終となれば、この街道もおしまいさ」


 点と点を線で繋ぐのが交易路だとすれば、ひとつの点が消滅すると同時に線も消え去る。目指す街は、商人の生まれ故郷だった。それが危うい状況に陥っていて、命運が尽きかけていると悲しげに語った。


 荷車には物資が満載されている。彼は便利な運び屋ではない。故郷の復興を賭けて、必要な道具と資材を送り届けようとしているのだ。


「で、お嬢ちゃんの生まれたとこは、どんなんだい?」


 サフィの故郷に話が及んだ時だった。馬がいななき、日の光が遮られて急に暗くなった。真っ黒な雲が地べたを這うように、こちらに向かってくる。どこから現れ出たのか…


「雲じゃない。あれ、蟲だ。翅蟲はむしの大群だよ」


 サフィの目に異様なものが映った。群れをなした翅蟲は、ひと塊になって、縦横に細長く伸び縮みしたかと思えば、竜巻のように渦を巻いて大きな影をつくった。その下に、誰かがいる。


「まずいぞ、あやつ、化けもんだ」


 強力な敵意と殺気を感じて、サフィは身構えた。竜巻が形づくられると同時に姿を現したのは、これも人ならざる者だった。灰色の肌、筋肉質で、顔はゴツゴツした岩に似て醜い。逞しい腕を振り上げると、竜巻の形状が変化する。大群の翅蟲を操っているようだった。


「オマエラ、ウマヲ、オイテ、サレ」


 大声で叫ぶ。非常に危険な、暴力的な匂いがする。立ち去ることを拒めば、たちまち襲い掛かって来そうな雰囲気だ。


「どうすれば良いのかな?」


 サフィは小声で商人に問い掛けた。狙いは積荷で、大人しく引き渡せば、荒事にならずに済むかも知れない。だが、満載しているのは復興資材で、食料は僅か。食べ物がないと分かれば、怒って暴れ出すに違いない。


「馬を食い殺されるだけで済めばいいが、そうもいかんだろう」


 商人は震え上がっていた。灰色の化け物は、姿こそ人に似ているが、話の通じる相手には見えない。黒い翅蟲の竜巻を操りながら、幌馬車ににじり寄ってくる。馬ごと空中に浮かせて様子を見るという手もあるが、翅蟲の塊が追って来るに違いない。


 サフィは風魔法を発動した。パワーは微弱だが、小さな蟲を吹き飛ばすには充分だった。竜巻は瞬時に形を失い、大半の翅蟲は追っ払われた。それでも灰色の異形の者は怯まず、近寄ってくる。


「この街道に蛮族が出るなんて、聞いてない。今まで一度だって遭遇したこともないのに…」


 例外的な出来事のようだ。荷の中に武器はなく、その代わりになる物もなかった。商人は全くの無警戒で、ここまでんびりと移動して来たらしい。


「蛮族って言ったけど、あいつ、悪い奴なんだよね」


「どう見たって親切な人の訳がない」


 吹き飛ばれた翅蟲の一部が舞い戻って来て、小さな竜巻が生じた。原状回復が早い。それを認め、サフィは直ちに火炎魔法を放つ。これも力は弱いが、翅蟲は景気よく燃えた。焼け焦げた嫌な匂いが辺りに漂う。


 眷属が焼き払われ、蛮族の怒りに火がともった。背中から棍棒のようなものを抜き取り、やや速度を早めて迫ってくる。面倒だし、やむを得ない。サフィは右手を水平に差し出し、狙いを定めた。


「いい夢をご覧になりなされ」


 最近思い付いた決め台詞である。手の先に出現したくろい球体は、徐々に大きくなり、灰色の蛮族を包み込む。その瞬間、周囲の翅蟲が球体に吸い込まれるのをサフィは目撃した。


 球体は振動し、間もなくしぼんで消滅した。闇に包まれた灰色の者も姿を消している。危機は去った。


「凄いな、お嬢ちゃん、これはたまげた」


 悪くない反応だ。この術を目の当たりにした者は、概ねそんな風に褒める。その後、サフィは魔法について若干の説明の施し、二度感心されたりするのだが、商人は次の言葉もなく、焦った素振りを見せる。怖くて縮みあがって、もう漏れそうなんだという。手綱を放り、道沿いの茂みに駆け込む。


 発動後の詳細解説に関しても密かに練習を積んできたのだが、どうにも間が悪い。ちらりと横目で窺うと、商人は近くの木陰でしゃがみ込んでいた。大きいほうだった。


「いやあ、スッキリした。一時はどうなることかと」


 微妙な第一声である。襲われそうになったことか、それとも漏れそうだったことか、判断に困る。魔法について、くどくどと説明する雰囲気でもない。タイミング良く、スタイリッシュに決めるのは難しいものだ。


「風も火も使えるんだな。水はどうなのかい?」


 サフィが頷くと商人は唐突に両手を差し出した。水で注ぎたいらしい。魔法の無駄使いにも見えるが、綺麗好きなのは悪くない。手を洗い終えると商人は果物をくれた。その順番も実に正しい。


「黒っぽい魔法は、あれ何なのかい?」


「大地を操る術の一種類みたいだけど、自分でも良く解らないんだよね」


 城塞都市の老師は土属性魔法と解説していたが、サフィも一族の者が使っているのを見て学んだだけで、詳しく知らない。古い関連書の記述も曖昧で、未知の部分が多く残されている。




❁❁❁〜作者より 🪄 〜❁❁❁

「いい夢」とか、スタイリッシュとか言ってる場合ではありません。


喋る化け物を手際よく駆逐しても、サフィには相手を殺めたという実感がないのです。黒い球体で呑み込み、消し去る…その先にあることを深く考えたこともなかった。この辺りが第二話の大まかなテーマとなります。


次回は、幌馬車で街に到着した場面から始まります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る