11第二幕『怪魚に目が眩む商人の皮算用』

 サフィは幼い頃、このグリーンな水棲の生き物を何度か遠目で見た記憶がある。姿形すがたかたちは人間に似ているが、別の種族だ。故郷の綺麗とは言い難い沼に棲んでいて、村人と僅かな交流もあった。


 大雨の日に人里にやって来て、魚と干し肉を交換する。彼らが持ち寄るのは滅多に獲れない珍しい魚で、婆やの好物でもあった。いつからか来なくなり、村長らが調べると、彼らの棲息数が大幅に減ったことが判った。


「繁殖が…いやこれは失礼、繁殖って動物とか植物に使うんだけっか。まあ、いいや。そのう、子孫が残せなくなったのかなって。だってさ、沼から来る君たちのお仲間は、みんな男みたいだったんだよね」


「言ってることが、よく分からないでしゅ」


「その辺は雰囲気で分かって欲しいかも。家畜を例に出して悪いけどさ、オスばかりでメスがいないと、大変なことになっちゃうんだよ」


 ずばり交尾について聞こうと思ったが、相手が子供っぽいことからサフィは自重した。下ネタはトークの潤いになるが、凶器と化す場合もある。以前、若い嫁に突っ込んだ質問をして、旦那に水を掛けられた。どうにもさじ加減が難しい。


「人や豚と違って、オスもメスもないでしゅ」


「ええ、そうなの? うーん、じゃあ、どうやって子供が生まれるの? 両生類だけに両性具有*…なんてね」


 サフィは親爺ギャクも割と好きだった。ウケないとか、場にそぐわないとか深く考えず、思い付いたら口にしないと気が済まないたちだった。そして、スルーされても決してくじけない。


「人や豚と違って、寿命がうんと長いでしゅ。そんで、仲間はいつの間にか増えてるでしゅ」


 鼠や蝙蝠こうもり、小さな虫や花のように、勝手に増殖するのだろうか。まるで他人事のように勝手に増えるなどとのたまう。彼らの知能が低い訳でもない。故郷の沼に棲む緑色の小人たちは寄り合い、共同体の維持に努めていたとも聞く。


「その辺りが、とっても気になるので」


 サフィはおもむろに腰蓑の前の部分をぺろんと捲ってみた。さっきは脱いでと言ったら怒ったけれども、今度は何故か嫌がりも恥ずかしがりもしない。それもそのはずで、股間には何もなかった。つるんとして、可愛い何かが垂れ下がっている訳でもない。


「何をしてるんでしゅか」


「いや、まあ、ちょっとね」


 この世には生殖器官が不明瞭な一族がいる。たいてい背丈が低く、沼や湖だけではなく、森の奥や険しい岩山に棲んでいた。婆やは、それらの小物衆を精霊と呼び、親しく接することもあった。


 彼らはオスメスの区別が曖昧で、つがいで暮らすことなく、どことなく孤独に見えた。苔むした色の童子も、そんな精霊の類いに違いない。大勢の仲間とお喋りしたり喧嘩したり、愉快に過ごす時があるのだろうか。


「人間が来たでしゅ!」


 大慌てで湖に飛び込んだ。まるで自分が人ならざる者のような言い草で、サフィは捨て台詞に若干の違和感を覚えたが、魔道士が普通の人間と見做されない場合もある。それにわらべの言うことだ。深い意味が込められていようはずもない。


 湖面の波紋は広がり、消えた。


 もう少しいじりたかったのに残念だった。しかし、周囲を眺め回しても人の気配はない。水棲の童子は何を見付けたのか…遠くの丘の道に幌馬車が現れたのは、暫く経ってからだった。小さな彼に丘の彼方の車輪が見えたはずもない。



「そいつは、伝説の大魚じゃないか」


 馬車を止め、運転手が斜面を転がるように降りてきた。恰幅の良い中年男で、こちらは本格的に頭頂部の髪の毛がない。視線が固定されるが、いきなり身体的な特徴に触れてはいけない、と童子から学んだ。


「おやおや、それにこの豪華そうな椅子はなんだい。どう見ても、お宝っぽい」


 勝手に座った。そして、濡れていると騒ぎ出す。ちょっと前まで水棲の童子が腰掛けていたのだ。びしょびしょで、たぶん湖の底の匂いがする。

  

「ほっとけば直ぐに乾くって。で、旦那さんは運び屋かな?」


 尋ねると交易の商人で、サフィが前に宿泊した城塞都市からやって来たという。運んでいる荷物に興味があったが、聞く耳を持たず、彼はうるさく捲し立てた。釣り上げた怪魚に重大な関心があるようだ。


「伝説級って、そんなに珍しいの?」


「俺もこの目で見るのは初めてだ。百年に一度、水面に姿を現すとか現さないとか」


 どっちなのか。上空に別の二匹がいることは、まだ黙っていたほうが良さそうだ。十中八九、面倒臭いことになる。そして商人は、是非とも買取りたいと申し出た。即金ではなく、後払い。いずれ払う、みたいな適当なことを大胆に言う。


「幾らぐらいで売れるのかな」


「お屋敷一軒分ってとこかな。知らんけど」


 大儲けのチャンスである。三匹キープしているので、屋敷三軒分だ。しかし、高額過ぎて買い手が現れない恐れもあるだろう。加えて、見てくれからも美味そうではない。鱗のない魚には毒があると聞いた覚えもあった。


「剥製にするのさ。見世物にしても良いし、やしきに飾るのも悪くない」


 そう言いながら商人はまた長椅子に座った。そして同じように濡れてると叫ぶ。身を張ったコントを見せてくれる親爺だ。


「問題は、どうやって運ぶかだな」


 怪魚の成り行きは既に決まっているようだ。サフィは売るともあげるとも、触っていいとも言っていないが、商人の中ではもう決定事項のようで、積み込む算段をしている。


「馬車に載せたいの? ちょっと大きいけど、なんとか載るかな」


「満杯なんだよ」


 幌の中は、とても商品には見えない汚れた道具と資材で埋まっていた。交易品ではなく、離れた街に物資を運ぶ仕事なのだという。そこは破壊の限りが尽くされた悲劇の場所で、人手も道具も乏しく、復興が捗らないと商人は嘆く。


 サフィはローブの裾から地図を取り出し、彼に示した。幌馬車が目指す街は、城塞都市の北西に位置するが、正確には分からないと言う。それでも巡礼路から大幅に逸れていることはなさそうだった。


 最初に怪魚を浮かし、天空に戻す。次いで長椅子とテント。更に、湖畔に散乱する生活用品を高く放り投げる。商人は不思議な芸を見るような顔付きで、眺めていた。


 最後に、釣り餌に使った黴だらけのチーズの残りを湖の真ん中付近に投じた。すると直様、緑色の小さな手が塊を掴んだ。湖面の近くにずっと潜んでいて、彼は聞き耳を立てていたのかも知れない。


 サフィが立ち去ろうとした時、別の手がもう一本出てきて、左右に大きく振れた。どこの地方でも見掛ける別れの挨拶。人ならざるグリーンの童子は、そうした流儀も心得ていた。


<注釈>

*両性具有=原語のニュアンスを尊重し、委員会のほうで意訳・翻訳させて頂きました。ご了承ください。


❁❁❁〜作者より 🪄 〜❁❁❁

サフィは商人の幌馬車に相乗りして、次の集落に向かいます。道中で初のバトル体験も。


いや、「でしゅ」とか書いてて若干恥ずかしくなったでしゅ…しかし、泉鏡花の『貝の穴に河童のいる事』を読み直すと、怒涛の「でしゅ」で連発で、もう何か突き抜けた感じ。フクロウ女も無意味に「ぽう、ぽっぽ」と喋ります。難解な単語が多い成人向け小説なのに。

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