第二話『暴虐の街の涯で化け物は問い掛けた』

10第一幕『怪魚が棲まう湖に河童のいる事』

 また大物が釣り針に掛かった。先程の魚よりも力が強く、深く沈んでは浮かび、湖面を左右斜めに激しく動き回る。


「まあ格闘する必要は、ないんだけどね」


 サフィは水飛沫みずしぶきが上がる位置を確かめ、狙いを定めた。大物は素早い泳ぎで、なかなか的が絞れない。釣り竿を握りしめたまま、ややガニ股で踏ん張る。標的が勢いよく飛んで来るのを避ける為の体勢だ。


 引き寄せの術式は、ともすれば物体が高速で発動者の元に突進して来て、大事故になりかねない。


「よし、今かも!」


 水の中から姿を現した巨大な魚は加速して、もんどりを打ちながら黒魔道士に迫り来る。危うい。予想よりも獲物が大きく、少し身体をかわす程度は直撃する。瞬時に第二の魔法を発動。物体を引き離し、押しる術式だ。


 引き寄せる力と相殺そうさいされ、対象は目前で停止した。


「ギリギリだったよ。いやあ、魚釣りが命懸けだなんて、聞いたこともないし」


 サフィの目の前に、巨大な魚が腹を突き出して転がった。活きのよい小魚がぴちぴちと跳ねる様とは全然違う。どっすん、どっすんと地響きが起こり、釣り師が立つのもやっとだ。


「こいつは怪魚の親分さんかな」 


 見たことのない種類の魚だった。果たして魚の一種なのか。肥え太ったなまずのようだが、鱗もなく、えらも見当たらない。色は紫がった銀色で、サフィのヘアカラーに少し似ていた。大きさは馬と同じくらいで、水牛よりは小さい。 


 この巨大な魚を締めて血抜きするなんて作業は面倒極まりなく、飲み込んだ針を抜き取るのも難儀だ。サフィは糸を火焔系魔法で焼き切ろうとしたが、特殊な糸で上手く切れない。始末に困り、釣り竿ごと宙に浮かした。


 得意の浮遊魔法。対象の怪魚に照準を合わせ、ちょっとりきむ。初速はゆっくり、やがて徐々に勢いを付けて、怪魚は天に昇って行った。遥か上空で、それは凍り付き、文字通り昇天する。


「美味しいのか不味いのか。その前に解体するが大変かも」


 湖のほとりにテントを張って、朝方から釣りを始めてから早くも三匹目だ。取り扱いに困るくらいの怪魚が立て続けに釣れてしまった。珍しい種類なのかどうか、分からない。焼いたら美味い細っこい魚は喰らい付きもしないのに、怪魚ばかりが針に掛かる。


「餌が訳ありだったしりて」  


 城塞都市の老師は色んな褒美ほうびをくれた。食糧系は有り難かったが、その中のチーズは頂けなかった。青い黴が表面にびっしり付着している。側仕えは滅多に入手できない高級品だと言って胸を張った。


 しかし、見た目も匂いも気色が悪く、とても口に放り込む気になれなかったのだ。そこで、針に刺したという次第だが、どうやら怪魚はこの蘇が大好物のようだった。いったい、何という名の魚なのか…


 釣り上げた獲物の処理に悩んでいると、もっと怪しげなやからが現れた。


「お前さん、何者でしゅか?」 


 湖面からぬっと顔を出して、物申す。体はこけむした風の緑色で、口元はくちばしのようにやや尖っている。ここは湖だが、河のわらべといった感じだ。


「あれま。これまた小っこくて意外なのが、ひょっこりと」


 サフィは咄嗟に後方に退いたが、そう慌てることもない。相手は小柄で体格も貧弱。年端のいかない子供に見える。黒魔法を発動せずとも、拳ひと振りで撃退できる程度の小物だ。撃退はしないけれども。


ぬしを倒してくれて有り難いでしゅ。あいつらが威張っていて困ってたんでしゅ*」


「主って、あのでっかいお魚さんのことかな?」


「そうでしゅ」


 緑色の童子は、ゆっくりと湖畔に上がって来て、サフィの隣に座り込んだ。警戒心は微塵もない。人懐っこく、黒魔道士を恐れていないようである。サフィは天空から、ふかふかの長椅子を降ろして、小さな訪問者に座るよう促した。


「空から降ってきたでしゅ!」


 喜んでくれて幸いだ。喋り方も仕草も七、八歳くらいの子供に見えるが、彼の頭頂部が若干気になった。髪の毛が一部なく、日の光に煌めいている。憐れな者を見る眼差しでそっと眺め、サフィは呟いた。


「可哀相に、そんなお若いのに、君、禿はげてるのか…」


「失礼でしゅ。初対面なのに失礼でしゅ」


 顔を真っ赤にして怒る感じだったが、緑色で良く分からない。自身の説明によると、毛のないところは生きる上で重要な部位らしい。だが、見た感じは、つるっ禿で、思春期を迎えたら悩みの種になりかねない。


「じっと見るのやめて貰っていでしゅか。それより、お前さん、人間の娘っ子なのにすごく強い。何者なんでしゅか?」


 すっかり忘れていた。待ちに待った自己紹介のタイミングである。サフィは、軽やかな身のこなしで湖畔を舞い、ポーズを決めた。


「私は黒魔道士のサフィ。遠き東の涯より来たりて、この世のことわりめしいたる…ん、ん、何だっけか」


 密かに練習を重ねたのに、また本番でとちった。だいたい自分で理解してもいない言葉を適当に雰囲気で繋いでいるのが悪い。それでもグリーンな童子は、感心している様子だった。


「魔道士、聞いたことがあるでしゅ。前にオイラたちが棲む沼が凍らされて、困ったでしゅ」


 迷惑者ではないか。尊敬してくれると思ったが、勘違いだった。その魔道士は恐らく水属系魔法の使い手だろう。瞬時に辺り一面を氷で覆う熟練者を見たことがある。サフィも氷結魔法を操るが、攻撃面も防御面も余り役に立たない。物を凍らせる際は、別の方法を用いる。


「それで湖の主は、どこに行ったのでしゅか。おかに揚げられたのに、見当たらないでしゅ」


「ああ、それね。ちょっと待ってて」


 天に向けて腕を差し出す。小さな塊が空から降って来る。それは徐々に大きくなって、童子の目の前に静かに着地した。カチカチに凍りついた怪魚である。 


「空から落っこちて来たでしゅ…」


 魚の冷凍保存。サフィは旅の道中、食糧を遥か上空に送って蓄えている。野菜や果物は凍らせると悲惨な結果になるが、魚や肉は都合が良い。そして、独り旅の必需品も空の彼方に保管し、必要な時に取り出す。大きめのテントや豊富に取り揃えた調理道具が、その一例だ。


 グリーン童子は、この野郎とばかりに凍った怪魚を足の裏で蹴り付けた。恨み骨髄といった勢いである。巨大な主が湖を支配して、迷惑を被っていたに違いない。サフィは狼藉を優しく見守った。


 そして、彼の腰に巻かれた蓑のようなものに惹かれた。腰布ではなく、葉っぱを編んだもので、女性が履く短いスカートにも似ている。上半身は裸なのに、そこは隠す必要があるのか…


「ちょっとさ、そのいてるものを脱いでくれたりしないかな」


「何を言うんでしゅか。会ったばかりで、そんな失礼でしゅ」


 また怒られた。会ったばかりでなければ良いのかと思ったが、そんな意味で言ったのではないようだ。田舎育ちの黒魔道士は若干、下ネタが好きだった。見た目と不相応だと大人たちにたしなめられても、歯止めが利かない。


<注釈>

*でしゅ=河童特有の語尾。泉鏡花が策定した妖怪関連用語のひとつ。


❁❁❁〜作者より 🧙‍♀️〜❁❁❁

微妙な箇所で区切りましたが、単に文字数の都合で、次回も湖畔のシーンが続きます。


エントリー単位の文字数は、二千文字ちょっとくらいが理想で、市電や國電の一区間で読み切れる仕様となっており〼。


そして、意外にも感じられる「下ネタ好き設定」は伏線なのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る