03第三幕『城中奥の院を揺るがす某重大事件』

 礼拝堂は広場の先にあって、都市の住民は三日に一度くらいの割合で詣でるという。


 堅苦しい場所ではなく、家畜の病気を治す祈祷を行ったり、痴話喧嘩や子供の素行不良など家庭内の相談が持ち込まれたりする。身近な動物病院にして、気安い相談所。珍事件の解決にひと役買うこともあるらしい。司祭は耳が遠いが地獄耳で、風変わりな噂の出どころは、たいてい礼拝堂だと飲み物屋台の女主人は語った。


「便利商店みたいな、そんなところかな」


 別段興味があったのでもなく、通り縋りの旅人に極秘の大問題を話してくれるとも思わなかったが、広場を出て直ぐの辺りに、目立つ建造物があった。塔を備えた白亜の礼拝堂。扉は大きく開け放たれ、サフィが、ちらりと中を覗くと、白い服の男が素っ飛んで来た。


「うむ、見慣れぬ顔の怪しい小娘。帽子を取っておもてを上げてみよ」


 うんざりするような命令口調だった。白装束は手にする紙切れに目を落とし、再びサフィの顔を凝視した。見比べているようだった。翻った拍子に中身が窺えた。人相書にんそうがきである。サフィは素直に帽子を脱いで、わざとらしく長い髪を振り回す。


「少々、違うやも知れん」


 少々ではなく、全く似ていない。少女を描いた人相書は無駄に達者で、黒子ほくろや眉の形、頭髪の跳ね具合まで精密に描かれていた。いつ誰が見て、誰が描いたの…細か過ぎて逆に信憑性が疑われる。


 その少女はサフィと同じくらいの年齢だが、髪は短く、口元や顎にかけてのラインは別物だった。見比べるまでもない。


「それが例の盗人ってことなのかな?」


 鎌を掛けて見た。白装束が目を剥いて驚く。礼拝堂の奥に集う者たちも敏感に反応し、寄って来る。藪蛇だった。ややこしい展開になる気配も漂う。


「どこで知った。お主、どこから来た者だ?」


 いきなり、お主呼ばわりは頂けない。サフィは少し揶揄からかってみたくなった。


「私は…えーと、そうだな。つい先程、お城の中から出て来た者です」


「なるほど、左様さようだったか」


 意外にも納得した。城内の牢獄から抜け出して来たことは事実で、そこに偽りはなかった。尋ねた男は、奇妙な風体の娘を城の関係者と見做みなした模様だ。実直で人が好いだけなのか、頭の回転が鈍いのか、判定が難しい。


 お人好しなのは本当で、白装束の男は中に招き入れ、熱いお茶まで出して持て成してくれた。単に世話好きな人たちなのかも知れない。そして、サフィが椅子に腰掛けるや、男は問わず語りに話し始めた。


 厳重かつ完璧な防備を破って、盗人の小娘が奥の院に侵入し、宝物ほうもつを奪い去った。泥棒娘は魔道士か妖術師か、不可思議な力を使って護り役の兵を翻弄した。城門周辺の警備を固め、見張りも増強しているが、今のところ壁の外に出た様子はない。


 そして、老師様は昼から問題に掛かりっきりで、門弟らが小間使いにされ、せわしくて落ち着く暇もない…


 サフィが見る限り、礼拝堂は落ち着き払っていて、幹部風の白装束も、ひと口つける前に茶が冷めるのを待つ余裕があった。さっきは全力疾走する姿も見掛けたので、それなりに用件は多いのだろうが、上へ下への大騒ぎといった修羅場でもないようだ。


 また、屋台の女主人は「司祭」と呼んでいたが、門弟は「老師様」と呼び表した。老師は奥の院に行ったままで、戻る目処めどが付かないという。入り用の品が多く、下働きの者は行ったり来たりで忙しいと愚痴るが、口煩くちうるさい上役が不在で、割と気楽にしているようでもあった。


 城に侵入した盗賊が同世代の娘であるというくだりは若干気になったが、旅人が深く立ち入る話でもない。所詮は通り縋りの街の事件で、盗まれた宝物が貴重なものだったとしても内輪の問題だ。


 加えて、白装束の語りもさして面白くはなく、冗長で欠伸あくびも出る。サフィは好奇心旺盛だが、飽きるのも早かった。


「それでは、この辺で失礼いたします。お茶、美味しゅうございました」


「粗茶でございましたが」


 礼拝堂の人たちは、サフィの黒装束に関心がないように見受けられた。どんな神を崇めているのか知らないが、これまでは黒魔道士と判明した途端、邪険に扱う嫌味な連中もいた。何と何が敵対し、味方と呼べるものが誰なのか、小さな旅人には良く判らない。


 礼拝堂の外に出た瞬間、衛兵と鉢合わせした。姿をくらました泥棒娘の行方は兎も角、自分が脱獄犯であるのを忘れていた…サフィは瞬時に浮揚し、礼拝堂の塔に登った。衛兵は大型の弓を携えているが、指を掛ける動作はない。


「待たれよ」


 そう言われて待つ者は滅多にいない。サフィは碧いローブを翻して、暗がりへと去る。衛兵の集団が追ってき来たのか、諦めたのか。高みから路地裏の小路は見渡せなかった。


 この城塞都市は不完全な円形で、城壁の一部、やぐらのある辺りが直線になっている。何世代かに渡って作り続けたのか、あるいは戦乱で一度瓦解したのか、それぞれの櫓のスタイルは不揃いで、門構えも異なっていた。広場から伸びる城門は、ひと際大きく、艶やかな白い化粧石で覆われて豪華だった。これが正門に違いない。


「いや、また衛兵だらけだね。いったい何百人いるのかな…」


 裏路地を抜けて正門付近に接近すると、大勢の衛兵が臨戦態勢で警備しているのが見えた。櫓に揺れる大きな炎は、恐らく祭典とは関係ない。全く無駄な配置だ。逃走しているのは、盗人の少女独りであるという。大掛かりな武器も兵器も必要ないし、そもそも正面から脱出しようとは考えないだろう。


「随分と暇な人たちが多いんだなあ」 


 正門を見下ろす高い建物の屋根で、サフィははねを休めた。彼女の魔法力は無限大でこそなかったが、持続力があって、浮遊中に墜落するような下手は打たない。ただし、空中での静止は不慣れで、精神的に疲労する。


 それに歩くのは嫌いではない。大地を踏みしめて進むのが旅人の基本…といった妙な考えに取り憑かれていたのだ。婆やが授けてくれた有り難い教えだったような気もするし、どこかの宿で会った旅の強者つわものが言っていたことのような気もする。


 城門の警備は物々しく、雁首がんくび並べて阿呆の大集合みたいに見えるが、これも余所者が口出しする事柄ではない。


 私が逃亡犯ならば…とサフィは想像する。実は自分も脱獄犯なのだが、それはさておき、まず正面突破は計らず、町娘にでも変装して人混みに紛れる。屋台の売り子に化けるのも名案だ。そして交易商の荷馬車に潜んで遣り過ごし、明日の朝にまんまと脱出する。これも妙案だ。



❁❁❁〜作者より〜❁❁❁


城内で起きた盗難事件。単独犯によるもので、盗人は小娘のようです…


――「翅を休めた」 

比喩表現で、主人公の背中に羽類が生えている訳ではありません。アクション場面などで同じ単語が重複することを避ける為、時々こうした比喩を用います。

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