後編

 一ヶ月後。


 閃いた策に沿った特訓をみっちり積んだアリアは、再び騎士団の練武場でクロスと対峙する。

 例によって、騎士団とは関係ない見物人が大勢詰めかけてきたことはさておき。


「今回は前にしても自信があるようだな」


 淡々と話しかけてくるクロスの言葉どおり、アリアは自信満々に「ええ」と返す。


「今回こそは、あなたに勝ってみせますから」


 聖女の勝利宣言に、騎士たちが、見物人たちが湧き上がる。

 騎士団長でありながら、完全にアウェイになっているにもかかわらず、クロスはいささかの気後れも見せないまま、立会人に告げる。


「俺はいつでもいける。アリアの準備が整い次第始めてくれ」


 立会人を務める騎士はおごそかに首肯を返してから、アリアに視線を向ける。


「こちらも、いつ始めていただいても構いませんよ」


 再び厳かに首肯を返したところで、立会人は右手を高々と上げる。

 それに合わせて、アリアは木剣を中段に構える。

 一方クロスは、構えらしい構えはとらない、所謂いわゆる自然体のままだった。


 そして――


「始めぇッ!!」


 立会人が右手を振り下ろすと同時に、決闘の開始を猛々しく告げる。が、アリアもクロスも初手から仕掛けるような真似はせず、相手の動向を探るように互いに見つめ合った。


(前回もそうでしたけど、こうして見る分には隙だらけですね)


 自然体でボサッと突っ立っているクロスの姿は、本当に隙だらけにしか見せなかった。

 だが、あくまでもそのように見えるだけで、クロスには一分いちぶの隙もないことを、アリアはそれこそ嫌というほどに思い知らされている。

 なにせ前回の決闘では、隙だらけと思って仕掛けたら、強烈なカウンターを返されて開始早々に決闘が終わってしまうところだった。


 迂闊な攻撃は敗北に繋がる。

 それがわかっていたから、アリアは当初の予定どおりにジリジリと距離を詰め、互いの木剣が届かないギリギリの間合いで足を止める。


 爆発寸前まで増した緊張感が見物人たちにも伝わったのか、束の間、練武場が静寂で満たされる。

 極限まで集中力を高めているせいか、自分の心音はおろか、相手クロスの心音まで聞こえてきそうなほどの静けさだった。


 転瞬、


 アリアは力強い踏み込みとともに、矢のような刺突を繰り出す。

 それに対するクロスの応手は、木剣を縦に構えて刺突を受け止めるという、巧緻こうち極まる神業。


 凡百の使い手ならば驚愕の一つや二つ露わにするところだろうが、クロスにとってはこれくらい児戯に等しいことを知っていたアリアは眉一つ動かすことなく、奇蹟の力で強化した身体能力に物を言わせて、怒濤の如き連撃をクロスに仕掛ける。


 刺突は勿論、上下左右斜めとあらゆる角度から繰り出される剣撃。

 クロスはそのことごとくを、受け、かわし、さばいていく。

 並みの騎士が相手ならば一〇秒とかからずに打ち倒せる猛攻を、完璧に凌いでみせる。


(やはり堅い! ですが……)


「さすがにあなたでも、これなら反撃はできないでしょう!」


 叫びながらも、怒濤の連撃でクロスを攻め立てる。


「確かに、反撃するいとまがないことは認めよう。だがこれほどハイペース、そう長くは続くまい」

「それは、どうでしょうか!」


 連撃を止めるなく奇蹟を発動し、体力を回復する。

 これにはさすがのクロスも驚いたのか、彼にしても珍しくも、ほんのわずかに目が見開いた。


「奇蹟の力による体力回復で連撃を維持するか。考えたな、アリア」


 正直な話、こうしてクロスに褒められるのは悪い気がしない――どころか、嬉しいくらいだけれど、こちらを褒めるだけの余裕があることは、正直な話、ちょっとだけムカッときてしまう。


「それはどういたしまして!」


 些細な怒りを木剣に乗せて、アリアはクロスを攻めて攻めて攻め続ける。


 晒されるだけでも大概に体力を削られる猛攻を、クロスは凌いで凌いで凌ぎ続ける。


 騎士たちが息を呑むほどの凄まじい攻防が、一時間にまで及ぼうとしたその時だった。

 額から玉の汗を流しているアリアが、唐突に連撃を止めたのは。


 騎士も含めた見物人たちがどよめく中、今の攻防の最中さなかに、ことに気づいたアリアは、一旦間合いを離し、怒気も露わにしながらもクロスに言う。


「クロス……あなた今、?」


 アリアの指摘に、見物人たちのどよめきが大きくなる。


 う。

 今の攻防の最中、アリアは、クロスがあえて隙を晒し、こちらの攻撃をわざとくらおうとしていたことを見逃さなかった。


 確かにアリアはクロスに勝ちたい。

 クロスに好きになってもらいたい。

 けれどそれは、あくまでも自分から勝ち取るものであって、まかり間違っても恵んでもらうものではない。

 それゆえの怒りだった。


 睨みつけるようなアリアの視線に対して、クロスは、


「……やはり、釣られてはくれないか」


 ため息まじりに、わけのわからない言葉を吐いた。


「それは、どういう意味ですか?」

「なに、反撃に移る隙が見出せないなら、こちらからつくろうと思ってな」


 そこまで言われたところで、アリアはようやく気づく。

 決闘が始まった直後もそうだが、戦いにおけるクロスの基本形は、一見して隙だらけにしか見えない自然体。

 それを見せつけることで相手から迂闊な攻撃を誘い、返り討ちにする。

 今彼がやろうとしていたことが、まさしくそれであったことに。


「……ごめんなさい。あなたはどこまでも真剣に立ち合ってくれているのに、勝手に勘違いして、勝手に怒って……」

「いや、こちらこそすまなかった。わざと隙を見せるという行為は、時として相手を侮辱する行為になってしまうことを失念していた」


 互いに謝り合う。

 気まずい空気が、二人の間に横たわる。


 自分の勘違いが発端となって決闘を中断してしまったことは、正直穴があったら入りたいくらいに恥ずかしいけど、


(もうこうなったら、恥も剣に乗せます!)


 半ばヤケクソになりながらもアリアは踏み込み、怒濤の如き連撃を再開した。


 そうしてまた、アリアが攻めて攻めて攻め続けて、クロスが凌いで凌いで凌ぎ続けて……さらに一時間が経った頃。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 先に体力の限界を迎えたのは、アリアの方だった。

 奇蹟を行使するための魔力すら底を突き、最早木剣を構えて立っているだけで精一杯のアリアに対し、クロスは汗だくになってはいるものの、呼吸はそこまで乱れておらず、まだもう少し余裕が様子だった。


「なんで……奇蹟で体力を強化して……あまつさえその体力を回復しているわたしより……あなたの方が余裕があるん……ですか……?」


 息も絶え絶えになりながら訊ねると、クロスは事もなげに身も蓋もない答えを返してくる。


「鍛え方が違う。それだけの話だ」


 これにはアリアも、他の騎士たちも、見物人たちさえも、言葉を失うばかりだった。


「今の君は体力はおろか魔力すら底を突き、立っているのがやっとの状態。それでもまだ、決闘を続けるか?」


 暗に降参を促してくるクロスに、アリアは虚勢の言葉を息も絶え絶えに返す。


「続けるに……決まってるじゃ……ないですか……」


 そして、絞りかすになった体力をさらに振り絞り、クロスの肩口目がけて木剣を振り下ろした。


「それでこそだ」


 クロスの頬にあるかなきかの微笑が浮かび、思わずアリアが目を奪われてしまった直後、


 クロスの一撃によって弾き飛ばされたアリアの木剣が、前回の決闘と同じように盛大に宙を舞った。




 ◇ ◇ ◇




「ん~~~~~~~~~~っ!」


 またしても負けてしまったアリアは、逃げるようにして練武場から退散した。

 そのまま自室に戻り、悔しさのあまり涙目になっている顔をベッドに突っ伏させ、足をバタつかせる。


 また勝てなかった。

 というか、やればやるほど力の差を見せつけられている気分だった。


(なんでよりにもよって好きになった人がこんなにも人間離れしてるんですか~~~~~~~~~~っ!!)


 さすがに声に出すわけにはいかなかったので、心の中だけで絶叫する。


 ……いや。

 そもそもの話、なんでわたしはあんな男を好きになってしまったのだろうとアリアは思う。


 クロスなんてバカみたいに不器用で愛想なんてろくになくて表情筋も死滅してるけど優しくてさりげない気遣いができて強くて格好良くて今日の決闘の最後に見せたようなたまに見せる笑顔がキュンとくるだけだというのに、もうどうしようもないくらいに、たまらないくらいに、好きになってしまっている。


(これも、惚れた弱みというものですかね……)


 仰向けになり、諦めたようにため息をつく。


 そして誓う。


 次こそは絶対に、勝ってみせると。


 次こそは絶対に、「自分よりも強い女」であることをクロスに示してやると。


 次こそは絶対に、


(クロスに好きになってもらうんだから~~~~~~~~~~っ!!)










































 決闘を終えた後、クロスもまた一人自室に戻っていた。

 そして、執務用の机に両手を突き、項垂うなだれながらボソリと呟く。


「また、勝ってしまった……」


 表情こそ乏しいものの、見る者が見れば一目でわかるほどにクロスは落ち込んでいた。


 


 アリアを前にした者の多くは、彼女の容姿の美しさを褒めているが、クロスからすれば何もわかっていないと言わざるを得なかった。

 彼女の美しさは、外面ではなく内面からきている。

 聖女に選ばれるほどの清らかさは勿論のこと、常に正しくあろうとする心が立ち居振る舞いにも表れ、彼女を美しく見せている。


 決闘で、木剣を構える彼女と真っ正面から向かい合った際は、そのあまりの美しさに思わず心を奪われ、つい隙だらけになってしまった。

 自分の肉体が骨の髄まで戦いに適応していなければ、おそらくは最初の決闘で最初の一撃で負けていたところだろう。


 ……いや。

 今にして思えば、そこで負けていた方がよかったかもしれない。


 クロスは、子供の頃にアリアに向かって戯言たわごとを憶えている。

 それは、どういう女の人が好きなのかと彼女に問われた際に、「自分よりも強い女」と答えてしまったことだった。


 そしてクロスは、アリアがまさしく「自分よりも強い女」であることを証明するために、騎士団長の座を賭けた決闘に臨んでいることに気づいていた。


 クロスは騎士となって剣の腕を磨いていく過程で、相手の動きを、ひいては心の動きさえも読む洞察力を、それこそ読心と呼べるほどにまで昇華させた。

 させたから、アリアが騎士団に入団してきた時に、彼女が自分のことを好きでいてくれていることに気づいてしまった。

 自分の「自分よりも強い女」という失言を、彼女がしっかりと憶えていたことにも気づいてしまった。

 自分の表情筋にもう少しやる気があれば、その日一日は頬が緩みっぱなしになっていたところだった。


 そういえば、アリアが聖女になった際、護衛の騎士として任命する話を持ちかけてきた時も、表情筋が死んでいなければ向こう一週間は頬が緩んでいただろうと、クロスは思う。


 当時はまだ脳筋思考だったせいもあって、洞察力の「ど」の字もないため彼女の想いに気づくことができず、アリアが幼馴染のよしみで護衛の騎士に任命してきたのだと勝手に勘違いしてしまった。

 してしまったから、何の迷いもなく断ってしまった。


 ただの一騎士にすぎない自分では、聖女となったアリアとは不釣り合いだと思ったから。


 幼馴染のよしみで彼女の隣にいるようでは、駄目だと思ったから。


 騎士団長になれて、ようやく、かろうじて、彼女に釣り合う男になれると思い込んでいたから。


 もし仮に、アリアが護衛の騎士に任命する話を持ちかけてきた際に、彼女が自分のことを好きだということに気づいていたら……何の迷いもなくではなく、散々迷ってしまった末に断っていたかもしれない。

 だって、当時はまだ騎士団長ではない自分では、聖女になったアリアとは不釣り合いという事実は変わらないから。


 兎にも角にも、アリアが騎士団に来てくれたことも、アリアが自分のことを好きでいてくれていることも、クロスは嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

 けれど、年齢の問題とはいえ、いまだ騎士団長になれていない自分をアリアに見られるのは、少々以上の恥ずかしさを覚えた。

 覚えたから、騎士団長の座を賭けた決闘に挑める年齢――二〇歳になってすぐに行動を起こし、念願の騎士団長になることができた。


 しかし、それが大きな誤算だった。

 なぜなら騎士団長になったことで、おいそれとアリアと勝負できなくなったからだ。

 彼女がしっかりと自力をつけてから勝負を挑もうとしていることは洞察力で見抜いていたため、〝待ち〟に徹していたが、それが完全に裏目に出た格好だった。


 だから、自分が騎士団長になってからたったの一年で、アリアが決闘の挑戦権を得るほどにまで強くなってくれたことが嬉しかった。

 ここで負けてしまえば、クロスにとってアリアは、晴れて「自分よりも強い女」になるため、何の気兼ねもなく告白プロポーズできるところだったのに……勝ってしまった。


 しかし、だからといってわざと負けるような真似をするわけにはいかない。

 美しくも気高い彼女が、そんな無粋な真似を許さないからだ。

 事実、今回の決闘で彼女に悟られないようわざとやられようとしたのに、看破された挙句に怒らせてしまった。


 あの場はどうにか誤魔化ごまかすことができたが、やはり、わざと負けるような真似をするのは駄目だと痛感させられた。

 騎士団長として――いや、一人の騎士として恥ずべき行為だし、何よりも本気で自分の力で勝利をもぎ取ろうしているアリアに失礼だ。

 金輪際、あんな真似はしないと心に誓おう。


「しかし……また一ヶ月後か……」


 アリアと決闘できる回数を増やすために、それっぽい理由をつけて半年に一度のところを一ヶ月に一度に変更したが、その期間すらもクロスにとってはひどく長く感じる。

 かといってこれ以上期間を縮めてしまうと、アリアから策を練ったり力をつけたりする時間を奪うことになる。

 ここは、我慢するしかない。


 引き続き机に手を突いて項垂れたまま、ため息をつく。


 そして願う。


 次こそは絶対に、負けてみせると。


 次こそは絶対に、アリアに「自分よりも強い女」になってもらうと。


 次こそは絶対に、


(死力の限りを尽くして負けて、アリアにこの想いを伝えてみせる……!)

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聖女が騎士団長を目指す理由 亜逸 @assyukushoot

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