1-5

生きている限り人は幾つもの問題を抱える。それは僕にも当てはまる事であり、帆江瀬に越してきてからというもの、随分とついていない日々を送ってきた事は自負している。

僕という人は全く以て器用では無いタイプの人であるのだが、此処で一つ危機に陥っていた。一歩後ろの自らが植えた問題の種を忘れていたのである。その種は青々とした大樹に育っており、目の前に現れて僕は思い出したのである。


クラス長の事を。


数日前、僕はクラス長の善意に塗れた忠言を悪意絡まった言葉で返したのである。それが、たいそう気まずく、僕自身の中で尾を引いていた。

当然の如く、クラス長の事を慮った結果尾を引いているのでは無く、唯、漠然と気まずいのである。隣の席というのもそれに拍車をかけている。何時、何処で、あの時の言葉の意味を問われるのかと思うと、何とも嫌な気分になり逃避したくなる。

僕は強くない人であり、弱い人でもある。そして運良くグロという問題も同時に抱えていた。だから、僕は忘れていたのである。


クラス長の事を。


グロが人では無い可能性に脳が焼かれ、何となくグロに対してよそよそしい態度に成った僕の日常というのは大して変わらないモノだった。グロによそよそしい態度をとろうとも、あのグロが此方に向ける態度というのは変わらないモノであるし、グロが日常の一部となった今、グロが変わらない限り僕の日常も変わる事は無いのである。此方の態度が変わった程度でグロの態度が変わるのだったら、今までの気苦労は無いし、グロに対する気色の悪さも無いだろう。

変わらない日々の中、僕は授業の間の休み時間の時にお手洗いに行っていた。その帰りの事である。

次の授業は移動教室であったから、お手洗いの場所も何時もと違いこの棟は移動教室でしか使わない教室が多い為、必然的に普段使っている棟よりは人が少なく休み時間であったとしても喧騒が遠のいていた。

僕が歩いている廊下は静かで僕以外の足音は聞こえ無い。ふと、人の気配がした。だから、顔を上げた。目線の先に薄い黄色の天蓋の端が見えた。海月型の笠、薄い黄色の天蓋。その隙間から柔和に微笑むクラス長。


僕は其処で初めて思い出したのである。何も問題が解決していなかった事を。


「只野経君」

クラス長が名前を呼ぶ。そのせいで僕は動きを止められ、クラス長を注視しなければならなかった。体を向けずに目線だけクラス長へと向ける。相も変わらずクラス長の表情は解らなかった。薄黄色の天蓋の先、それを敢えて覗こうとはとてもでは無いが思いもしない事だった。唯、何度も表情を気にしてしまうのは、余りにも公平に欠けた事だと思ってしまうからだろう。此方の表情は晒される。けれど、相対するクラス長の表情は依然として解りやしない。

本当、と、思いながら、公平性の欠ける事なのだ。

大した間も開くこと無くクラス長は次の言葉を紡いだ。


「以前の事なのですが、

 そう言って言葉を紡ぎ出すクラス長を見据えながら、僕の心情というのはたいそう荒れていた。態々こうして此方にフォローを入れ手間をかけるのは大変クラス長らしいと言える。けれども、僕にとってのその配慮というのは苦痛以外の何者でも無い。正直、話さないで欲しい一択である。

「只野経君の事を配慮しない感じになってしまいましたよね。すみません、浅略でした。

クラス長は謝辞の言葉を口にすると此方に向かって頭を下げた。薄黄色の天蓋が揺れる。その天蓋を見ながら、僕は別段に何も思っていないと皮切りにして饒舌に頭の中で話し出すのである。

 クラス長が謝る事なんて無いんだ。こんな僕に配慮して貰う必要性なんて何処にも無くて。と、言うよりも、そうやって謝られてしまえば僕が惨めに見えるじゃぁ無いか。きっと、クラス長にはその意図が無くても此は立派な策略だ。僕を貶める為の。クラス長が息をするように周りに気を遣う分だけ僕は貶められて惨めになる。こんな事ってある? ね? 僕は、君が苦手なんだ。だから、話したくも無い。

「羽黒さんの事なのですが、最近よく一緒にいらっしゃいますよね。もう、察していると思いますが、羽黒さんは大変、歳に見合わない程無垢な方でして、少々ずれた感覚の持ち主でいらっしゃるのです。只野経君も対応に困っていらっしゃいましたが、特に人との距離感が掴み辛いらしく、あぁして適切とは言い難い距離で接する事が多いのですよ。ですから、

 クラス長の言葉は続く。此方の事を見据えながら淡々と話は進む。僕はその進んで行く話の後ろを歩きながらふと思うのである。クラス長という地位まで来れば人との接し方まで配慮するモノなのか、と。些かそれは過干渉なモノなのでは、と、思いはすれど声は出さず、表に出す表情を消す。「だから」を丁寧にいう語である「ですから」は経験的に大半碌なモノが続かない。何時も聞かなければ良かったと思う事ばかりがその後に続く。

「羽黒さんが適切な距離を学べるように私達も手助けすべきだと思うのです。折角親しい仲になりましたから、教え導くのも道理だと私は考えます。只野経君も協力してくださいますよね」

 気がつけば独特の空気が其処には広がって居た。聞かなければ良かった、と、出来やしない事を思う。協力を請うその言葉に「否」という選択肢は無く、望まれている「肯う」という言葉しか許されていない。グロのあくまでも無垢な要請とは違う、強制力のあるこの要請の内容というのは僕の地雷を見事に踏み抜いたのだった。

「はぁ、あの、誤解されているようですが、別に、僕は、

 此処で言葉が切れた。此方が故意に切ったのでは無い。切られる状態となったのだ。切れていなかったらこう続いていただろう。

羽黒さんと親しい関係でもありませんし、貴女が考える事に一切賛同出来ないのですが? と。

「あ、クラス長、おった。さっき、煙先生が呼んどったけど。あれ? じゃましてもうた?」

 切れた原因の男子生徒は見た覚えのある人だった。両腕に藍色の鱗を持つモノを纏っている近衛さん。偶然にも近衛さんはこの場に乱入してきたのである。クラス長との間に流れていた空気に水が差された様な気がした。

「いえ、大丈夫です」

クラス長がそう言って此方に軽く会釈してからこの場から離れていった。此方と近衛さんが残されて、二人して、瞬き唯立っていた。

「あ、時間ヤバい。只野経君、行こう」

近衛さんがそう言って足早に歩き始めるから此方もそれに続いて歩き出す。結果として、授業には何とか間に合ったが僕の中は新たな消化不良の気持ちを抱える事となった。


 その後、グロと指しで屋上で相対する事となり、何故か、グロと友人となった。その際にグロのとっておきの秘密という名のカミングアウトがあったのだが、それも今になれば忘れてしまいたい事の一つだった。

 その際に解った事なのだが、此方の予想通りグロは人では無かった。機械の体を持つ絡繰少女、なのだと、思う。グロに詳しく聞いた訳でも無いし、正直僕からすればグロが人であろうが無かろうが割とどうでも良い事だった。それよりも、グロが此方に対して求める事の方が重要であったから、其方を優先して聞いた。

 そして、成ったのが友人なのである。

 

 正直に言おう何があったのか僕には全く以て解って等、居ない。第一僕が帆江瀬に越して来て思い描いた学生生活と言うのは、友人を誰一人作る事無く誰の記憶に遺らずに卒業する事なのである。それが、今では真逆の状況。

 何が起こったらこうなるのか是非とも教えていただきたい、と、思えば脳裏に浮かぶのは漆黒の目を爛々と輝かせながら微かに笑みを浮かべたグロの顔である。元凶は恐らく此方を見れば無に近い表情の儘、漆黒の目を爛々と輝かせ手を振るのだろう。

 グロと友人になったのは、それまでグロに向けていた態度から来る罪悪感でも、好意でも何でも無い。唯、グロの口から紡がれた言葉を聞いた時に、クラス長が言った言葉を思い出しただけなのである。クラス長はグロを教え導くべきなのだと言った。それは、ある意味正しく、ある意味違和感のある言葉だった。グロは確かに身丈に合わない無垢さと幼さを持ち合わせている。此方と同い歳と考えた際にそれは余りにも異常であり馴染まないモノとして映るのだろう。

だから、クラス長の善意から来る「教え導く」という意見は一見すると説得力があった。

けれども、残念だ。その意見を受けた僕という人は余りにもねじ曲がった性根を持ち合わせた人であるし、第一鵜呑みにするほど多数に従順でも無い。前にも言ったのだが、僕という人は余りにも疑い深い質をしているモノだから、言葉、向けられた表情、その全ての「意図」を考えてしまう。表に出されたモノも疑って裏を考えてしまう。そんな質をしているのである。

それ故に、クラス長の善意から来ているであろう「教え導く」という意見はたいそう僕には気に食わなかったし、納得など全く出来ないモノだった。


まぁ、だから、グロと友人になったのである。


「貴殿は随分と大胆な行動をするのだな」

碧の目が此方を見透す。地を這う声が此方の体を揺らし、芯に響く様な気がした。僕は、此方を庇うようにして前に出された手が何時無くなるのだろうかと、ぼんやりと考えていた。ほんの一歩後ろ、クラス長と相対し、其処で余りにも阿呆な行動を僕はした、の、だと、思う。だから、今はこうしてこの全てを見透す碧の目を持つ男子生徒に助けられ、呆れられているのである。


帆江瀬に越してきてから屋上に訪れた回数は十を超した気がする。僕は誰に連れられて来たのでは無く自己の意思で屋上に来ていた。何となく一人で考えたくなり、此処に来たのだが、本日は風が強かった。春らしい暖かさと冷たさを孕む風があたる。冷たさの方が強い風に身震いをしながら、屋上の隅のフェンスに寄りかかり空を見上げる。怒濤といえる、この学生生活に終わりは見えなく、僕の日常は何時までも非日常と成っていて、それが日常だと思えるには、幾分か時間を要した。

此方のテリトリーに侵入する事を許したグロという少女に対して思いを馳せる。自由で、無垢で、そして、人では無い。グロが人では無く絡繰少女なのだとしたら、きっとあの無垢な精神だって全てプログラムされたモノであるだろうし、それを造りだした制作者の趣味を考えれば嘔吐が出る。無垢で自由な存在。それはある意味理想的なモノであるだろうし、つまりは制作者の欲望が詰められたモノであって、まぁ、それを責める権利は此方は持ち合わせて等いないし、第一それすらも自らの良い様に変えていこうとする事だって人はするのである。クラス長の言った言葉が飲み込めなかったのは、「教え導く」という行動が少し気に食わなかっただけであって、それだけだった。此方の都合の良いように「教え」、それを「導き」とする。それを繰り返す事によって無垢な部分はならされ、何時の間にか此方の都合の良い存在と成っている。そんな、ねじ曲がった事が思い浮かんでしまった為に、納得が出来なく、それ以前に、グロが人でない可能性に気付いていた時でもあった。


だから、ふと、思ってしまったのである。絡繰少女が人を目指すよりは絡繰少女を極めた方が余程良いのに、と。


グロの言葉を聞いた時だって思ってしまった。何故、人の輪に入ろうと努力するのだろうと。絡繰少女なのだから、絡繰少女として居れば良いのでは無いのだろうか。そう、考える一方で、グロが居るのは人の中であるから、擬態は必要なのか、と、思うのだった。とはいえ、普段の行動を鑑みれば、何処に人の輪に入ろうとする努力があるのだろうかと思ってしまうのは、グロがグロである故だからなのだろう。そう、思えばふと、喉の奥が震えた。


まぁ、グロだから仕方が無いのである。


みゃぁ。

声がした。猫の声によく似ていた。目の前に居る純白の猫。それは何も飲み込んでいないから何色にも染まって等居なかった。目が合わない。聞こえたはずの音は、その存在がもたらす概念によって聞こえた気がしただけなのかも知れない。


見るのは二度目となった地球外生物の「空白」が僕の目の前に居た。


来るだろうと思っていた目の前の空白へと手を伸ばす。この生物が現れる条件を詳しく知っている訳では無いが、一つ識っている事がある。空白は思考が停止した際に現れる事が多い。正確に言えば、「●●だから仕方が無い」と、いったラベリングの末の思考停止にはよく姿を現す。そして、此はその思考停止後の此方を悠々と飲み込むのである。その後、それについて特段と気にしてその思考停止した事について考える事は無くなり、思考停止した思考そのものはラベリング通りの概念と本人の中へと存在する。

以上が、「空白」がもたらす効果である。まぁ、今現在の僕は運が良く空白に気が付いたから、飲み込まれる一歩寸前で空白へと牽制が出来ている訳なのであるが、気が付かなければ簡単に飲み込まれていただろう。

そもそも、空白は地球外生物であって異形では無いのだから、気が付かなければ、僕の目には映らないし、認識も出来ない。人の目は見えていたとしても気付かなければ見えていた事にはならない。つまり、認識出来なければそれは無いモノとして扱える。

僕は人より異形に対して気付きやすく、認識しやすい体質をしている為に異形の景色を見る事が出来、疑似体験が出来る。

けれども、空白は違う。アレは、人に指摘され、暴かれ、やっと、認識する事が出来たモノなのである。

此方とは全く違う土壌で存在している異星物。それが、「空白」なのである。


と、言っても。これら全て白い肌をした彼の他人に言われた事であるのだが。彼の他人はそう、説明をしながら丁寧に空白を解体していた。何故、彼の他人がその知識を有しているのか、はたまた、その知識は正しいモノであるのか等、僕の知り得ない所ではあるのだが、唯一解る事とすれば、その彼の他人は僕の親友から一等に厚い信頼と不信を向けられていた。まぁ、だから、信頼は出来るのだろう。


僕は見様見真似で空白へと手を伸ばし、体へと触る。空白は実態があるようで無いモノであるから、霞を掴む様な感覚であるが、微かな重みで確かに存在している事が確かめられるのだと、彼の他人は言っていた。その通りに霧を掴む様な感覚でするりするりと体を裂いていっている。軽く、手が湿るのは空白の体液故か。

彼の他人曰く「空白が大きくなれば、それはセジンとなる」らしい。そう、なってしまえば空白によって根付いた概念の撤回は難しくなる。だから、一つの対策として空白をばらして、核を見つけ出し、空白を蒔いた探索者を知る必要がある。その探索者の目的次第で此方のとる行動は変わる。例えば、此方の日常を脅かす様な目的を持った探索者であったのならば、敵対する必要があり、友好的な探索者であれば、互いに手を握れる。

探索者は空白を蒔けるのだから当然の如く、此方の星の出身者では無い。異星から訪れた、目的が解らないモノ。だから、探索者と此方は便宜上呼んでいる。

霧の中にコツリと手にあたるモノがあった。触り続けていた結果、猫に擬態していたモノは溶け、目の前には唯、白い液体みたいなモノが広がっていた。それを左手で掬い上げ、右手で探す。それを繰り返した中、掬う前に手にあたるモノがあった。両手で手応えがあった場を掬い上げ、白い液体を溢し、物質として存在しているモノだけを掌へと残す。


薄黄色の長方形の布の様なモノが掌へと残った。やけに見覚えのあるそれをつまみ上げ、陽へと透かして見えようとした。天へと掲げる前に声が此方の行動を止めた。


「あら、何をしていらっしゃるの? 只野経君?」


クラス長の視線は一度、僕の目の前に広がる空白へと向かい、その後、つまみ上げている薄黄色の長方形へと向かった。ふわりと揺れている薄黄色の天蓋を見て、僕は一つ直感するのだった。


クラス長が空白の主であり、探索者である事を。


「これは、どうも、探索者殿」

そう思ったら自然と声が漏れ出ていた。脳直にでた言葉は確かにクラス長の動きを止めた。自然と傾げられていた首が元に戻り、柔和な笑みが崩れる。何時ものクラス長であるのならば崩れる様なんて拝む事は出来ないだろう。此方がそれを察せられるほどにクラス長は目に見えて取り乱していた。と、言っても、此方が気付く事なんてそれくらいだし、柔和な笑みだって目が笑わなくなっただけであって、それだけだった。他に上げる事とすれば、クラス長の口元は動いているが、此方の鼓膜には振動が伝わらない。つまり、何かしらの言葉をクラス長は言っているのだろうが、此方とは周波数が合わないのだろう。だから、何を言われた所で解らないのである。珍しく、あの薄黄色の天蓋から透けて見える目を見上げる。クラス長の目を普段見る事は無い。

クラス長の格好は他の人と比べればかなり変わっている。水色の海月型の笠に、その端にある薄黄色の天蓋。それは幾重の短冊状になっており隙間が無い。だから、クラス長の目など拝む事は無いし、直にクラス長の顔を見る事も無かった。

そう、考えながら身を後ろへと引く。座り込みクラス長を見上げていた此方にクラス長は身を曲げて顔を近づけてきたのである。膝を曲げだした辺りで自然と身が後ろへと引いていた。其処で初めて幾重にもわたる天蓋がめくれクラス長の表情が解った。

栗色の目には何も無く、薄く上がった口角から何を紡ぐのか考えただけで背筋が凍った。総合して見れば無表情といえるだろう。唯、此方へと伸ばされた手と、あの口角が「安心して」と小さく言った事で、此方の体が震え、ありきたりな展開が脳裏に広がるのだった。


あ、記憶が消される、と。


此処で、殺されると考え無い時点で此方のお気楽さが伺い知れるだろうし、体が震える割には随分と気分が冴えていた。だからこそ目の端に映った碧に気付く事が出来た。


「これは、これは、クラス長殿。こんな所でクラスメイトの体調を気遣うなど、本当に貴殿は出来た方でいらっしゃいますなぁ」

苦い紫煙の匂いと共に、クラス長と此方の視界の間に見た事がある腕が割り込んできた。

「でも、ちとそれはやり過ぎではありませんか? ほら、目の前の只野経君をご覧になってくださいよ。体が震えて怖がっておいでです。あぁ、可哀想に。只野経君にはMs.紅葉の顔は刺激が強すぎた様ですよ」

地を這う声は随分と勝手な事を曰い、此方とクラス長の間へと立つのだった。目の前に立っているあの男子生徒の体を見上げる。見上げているせいか普段小柄に感じる体は大きく見え、自然と震えが収まる気がした。


「貴様の手の内か? この男は」

「は、Ms.紅葉。クラス長を演じているのなら、演じきっていただかないと、此方が阿呆みたいでしょう? ま、ご自由に捉えていただいて結構でございますよ。

「ただ、一つお忘れ無きよう。只野経君はあくまでも此方の手の内ならば、貴殿が行おうとした行為は規約違反となります。賢い貴殿であるのならば、解っているでしょうが、もし、貴殿がそれ以上に踏み込むのならば、此方とてとる手は決まっているのです。

「ですから、まぁ、クラス長殿。

「此処は一つ、私めに任していただけないでしょうか? 貴殿の不利益になる様な事はしないと確約いたしますから」


言葉は止まる事無く続き、それを聞いていた此方は終始暇であった。頭上で行われているやりとりに特段と興味も何も無い。唯、どうしてこうなってしまったと明後日の事を考え始める。理性的な部分を担っている脳が、お前が原因だが? と此方を睨んで来るのだが、そんな事は気にせず、帆江瀬に来てからついてないなぁ、と言葉にださず息を吐き出す。吐き出したモノは随分な大息だった。


「貴殿は随分と大胆な行動をするのだな」

碧の目が此方を見透す。地を這う声が此方の体を揺らし、芯に響く様な気がした。僕は、此方を庇うようにして前に出された手が何時無くなるのだろうかと、ぼんやりと考えていた。ほんの一歩後ろ、クラス長と相対し、其処で余りにも阿呆な行動を僕はした、の、だと、思う。だから、今はこうしてこの全てを見透す碧の目を持つ男子生徒に助けられ、呆れられているのである。


気が付けば男子生徒はクラス長と話し終えていて、クラス長は此の場から退席していた。全て此方の思考が沈んでいるうちに起こった事であって、あくまでも気が付けば、全て片付いていたのである。そして先程の言葉である。皮肉や諸々の意味を含んだ言葉は此方を扇情するのだが、揺れるモノが一切無い此方からすれば首を傾げる他が無い。

座り込んで随分と立つ。だから床と接している所は随分と冷えていたし、体は恐怖以外からの震えが出始めていた。此方は今、男子生徒と相対し呆れられている。かけられた言葉に対してゆっくりと時間をかけて答える。

「大胆だったんだろうか?」

そう、首を傾げ言えば此方を見下ろしていた男子生徒はカラリと笑ってみせた。右斜め上から見たチェシャ猫笑み以外の男子生徒の笑みは何とも癪に触るモノだった。

「おやおやぁ、自覚無しか。本当、貴殿は面白い方であるようだなぁ。

「あの、クラス長殿の秘密を暴いておいてその反応とは。クラス長殿も随分とお可哀想に」

幾分かの含みがある言葉は容赦なく此方を攻撃するのだが、僕の関心は全く違う方へと向いていた。あの、思い付きで言った言葉の正解を確かめる方に意識は傾く。

「クラス長は、矢張、探索者だったのか?」

思考の勢いの儘に出たモノは斜め前に立つ男子生徒を刺激したらしい。またも、喉の奥を鳴らす笑い方を一頻りした後、此方の目の前に動き、此方の目を見透し言うのだった。

「貴殿、探索者の確証無しにあの言葉を言ったのか?」

と。

いや、だって、探索者が何か解らない人であったなら、此方が頭のおかしい事を言い出しただけで済むのだから、あの発言は全く以て無駄なモノでは無かっただろうし、此方が頭オカ発言をし出すのなんて今更だったろうに。

と、男子生徒への言葉に対する発言は直ぐさま音にならずに出てきたのだが、残念ながら出力される事は無かった。軽く開いた口はに三回ハクハクと動き閉じる。そして見透かすように見詰められている目を逸らし何とか出力出来た言葉を紡ぐ。

「第六感がそうだって囁いて」

「貴殿は意外にも脳直に言葉を紡ぐ傾向があるな。考えているようで何も考えていないような事を平然と言う。いや、言葉として紡ぐモノと思考している事が合わないだけか? いやはや、どちらにしたって見ている分には面白く結構なのだが、クラス長に対するあの発言は幾分か不適切だったと言えざる終えないな。本当。貴殿には見えているのだろう? アレが」

「此方を見透かす様な発言は控えて頂きたい。え、と、海月型の笠の事? それとも、短冊状に成っている薄黄色の天蓋の事?」

「真っ先に出るのが、自己の事か。見上げた精神だな。驚きだにゃぁ。あ、其処まで見えているのか。随分と良い目だな」

「其処まで、か。煙先生も随分と見える方なのだね」

「お、答えるねぇ。グロには教えないと曰っておいて此方の言葉には応えるのか。貴殿良い性格をしているな」

「だって、煙先生は全てを見透かすのだろ。なら、隠すのだって無駄であるし、第一僕が良い性格なのなら、先生は聖人の様な性格をしていらっしゃると思うのだけど」

「ヘタレ君。貴殿って変に勘が良いって言われた事無いだろうか? あと、褒めてくれてありがとう。我こそが聖人君子だ。

此処で一つ間が空いた。吹奏楽用語で言うのならば天使が今通ったのだろう。

「おい、場が白けただろうが。気が利かないな、ヘタレ君よ。にしたって、クラス長も随分と不憫だ。真逆転入生が、自らの正体を看破してくる人だとは思わなかっただろうに」

「あ、やっぱ、探索者だったのか」

「ヘタレ君よ、この星の人で、あの衣装を日常的に纏っている人は居ると思っているのだろうか? もし、そうだと思っているのならば、貴殿の脳内を是非とも見て見たいのだが?」

「あ、いや、うん。僕が知ら無いだけで、今の流行かも知れないから、それに、余り、興味が無くて」

「うん、解った、解った。貴殿の性格の一端を垣間見た気がしたが。うん。見なかった方がよかったなコレ。所で貴殿。興味は無いだろうが、一応、此方側の陣営に入っていると成っているのだが、大丈夫だろうか?」

「大丈夫って顔をしていないなぁ。煙先生。決定事項なのだろ。あと、クラス長から見て、僕は煙先生陣営に所属しているという訳なんだろ。いいよ。別に。クラス長側には付かないって決めたし。今。あと、特段と興味無いんだ。でも、クラス長は普通に気に食わないから、煙先生の角突き合いを見ているのは楽しいし先生の方に付くのは別に良い。

「でも、本当に興味は無いから、味方の頭数に入れられると困るなぁ。煙先生」

ニコリと意識して笑みを浮かべる。逸らしていた目を合わせ、笑う。あの全てを見透す碧の目に二チャリと笑った気色の悪い笑みを浮かべた自分が映っていた。

「ヘタレ君。本当、良い性格をしているなぁ。相分かった。それで良い。貴殿が良いのならそれで良い」

此方の姿を映す見詰め合っていた碧の目が笑みを描く。その笑みは何時ものチェシャ猫では無く、まして、先程の過剰に皮肉を含んだ笑みでも無く、唯、穏やかなモノであった。思わず浮かべた笑みが崩れるのが解った。この男子生徒が、こんな穏やかな笑みを浮かべる等予想も付かなかった事だったからだ。


「それにしてもだ、意外だったなぁ。貴殿がグロの協力をするの何て」

波の無い凪いだ海の様な笑みを浮かべ男子生徒は朗らかに言った。崩れた笑みを取り繕う事無く此方は口角を引きつらせながら沈黙を貫く。そんな此方の様子を構いもせずこの男子生徒は言葉を続ける。

「しかも、あのひっでぇとっておきに突っ込んだ何て、ヘタレ君は見所があるなぁ」

穏やかな笑みがチェシャ猫の笑みに変わり出すのが解った。その笑みが余り僕にとって面白く無いモノであったから見詰めていた目を逸らす。兄からも酷いと評されるグロのとっておきとは一体、と、思いながらもふと湧き上がった疑問を口に出す。

「倒れた生徒は一体どうしたんだ? 煙先生」

「ん? 知りたい?」

間髪入れずに返ってきた言葉に此方の口角は本格的に引きつる。

「いえ、全く」

そう、此方が言えばクツクツと喉の奥で男子生徒は笑う。

「だろうなぁ、貴殿は。そういえば、ヘタレ君ぐらいだよ。直に真摯に向き合ってくれたのは」

途切れる事無く紡がれる言葉の最後は確かに温もりを持っていた。親が子に向ける様なくすぐったい温もりは、更に此方の思考を加速させまたも湧き上がった疑問が口から滑り落ちる。

「煙先生、

溢れ出た言葉は思いの他、落ち着いていた。だが、一度だし口に出し始めた時から、ぐわぐわと血が上る感覚がした。

「機械なんぞに自我がある様な振る舞いをさせる何て、どういった了見何です? 僕は、とてもじゃ無いが、その振る舞いをしている彼女と、見て見ぬ振りをして助長させる周りの姿を理解する事は出来ない」

溢れだした言葉は最後は疑問では無くなり唯の僕の発言となった。

また、視線を上げる。目の前に居るのは、全てを見透かす碧の目のはずである。だが、ぐわぐわと湧き上がり、揺れる視界に映っていたのは違う色の目であった。まだ、無い色にも染まっていない、透き通る色の目。友人のような白銀の色とは違う白。白というよりは透明。その色は様々な色を反射させ、目の前のモノを鏡の虚像の様に映し出す。目が合い、見詰められ、何も無い表情に安堵し、話し出さない事を望む。あれほど、話し合う事を望んでいたくせにいざ向き合って見れば浮かんで来るのは全く違った感情。唯、漠然と、違う、という感情だけが先行し、言おうと思っていた言葉が一つも浮かばない。そんな、醜く、淀んだ此方を全て残す事無く映し出す鏡の口が開く。


辞めてくれ、何も、紡がないで。僕が悪かった。勝手に願望だけを並べて、僕自身の都合の良い存在を創り出そうなんて、僕には余りにも身に余る事だったんだ。だから、お願いだ。僕の願望。僕の理想。僕の写し身。お願いだから、何もしないで、言葉を紡がないで、自我なんて、持たないで。

ねぇ、お願い。もう一人の僕。僕の都合の良い儘で居て。


苦く喉で噎せる匂いが鼻へと吹きかけられる。其処でやっと、目の前に居るが、あの全てを見透かす碧の目である事に気付くのだった。揺れた視界が固定され、目が合った先で笑われる。チェシャ猫が僕を見て微笑んだ。何となくそれが酷くむかついた。

「一つ、誤解をしているようだが、直には自我は宿っているぞ」

この一文を解するのに幾分と時間を要した。それ程までに読解し辛い事をこの男子生徒はのうのうと述べたのである。

「直の行動は全て自分自身で望んだ行動だよ。あの行動を決定付ける上でプログラミング等されてはいないさ。あぁ、だが、初期言語とか諸々は流石に登録はしたが。ま、だから直の行動は余りにも幼いだろ。まるで、自我が芽生えていなく人を模倣する機械の如くなぁ。

それにしてもだ、ヘタレ君。貴殿からそんな含蓄のある意見が出てくる等意外であったな。いやはや、人には歴史有りと言ったモノだな」

まだ、先程の一文を読解しきれていない此方を気遣う事無く、男子生徒は言葉を積み重ねる。チェシャ猫の様な笑みは変わる事が無かった。


さて、賢い読者諸君であるのならば僕がグロをテリトリーへの侵入を許した理由が解っていただけたと思う。結局の所、どう転んでも僕は僕の事しか考えられない性分をしている。

だから、自らの信条に反するクラス長の側に付くなんて事は到底選ぶ事なんて出来なかった。こんな僕にも信条は存在し矜持も存在はする。僕は僕の為にグロの願いを聞き入れて友人という関係になったし、クラス長と敵対する事を選んだ。

傍観を選ぶのだって選択肢にあった。だが、結局傍観は唯の黙認にしか過ぎず、直接関わっていないだけの事である。グロに対するクラス長の行為を傍観し続ける事を僕が許せずはずが無く、その結果が「大した老婆心」に繋がるのである。

グロの事を受け入れたから、同感出来たから、そういった理由で友人になったのでは無い。


本当、結局は自分の事だけなのである。


けれども、


「ヘタレ君! 此処に居たのですか! あ! お兄ちゃんまで。丁度よかったです。お花見について予定たてましょ」


爛々と輝く漆黒の目を見る度に思ってしまう。きっと、僕が下した判断は間違っていないのだと。目は爛々としているが、表情はそれについて行けてはいない。無表情に近いモノで手をぶんぶんと振り回し此方へと近付いてくる、気色の悪い、世にも珍しい自我を有している機械仕掛けの絡繰り少女に対し笑みが浮かぶ。直に対してはまだ、苦い笑い笑みしか浮かべられなかった。


「あ、ヘタレ君。また変な顔をしています。知っているんですよ! ヘタレ君がその表情を浮かべる時は何かしら思っている事があるって。で、ヘタレ君。何か言うことあります?」

「特に無いんだが」

「嘘ですよ。嘘。もう、ヘタレ君ってば」

「えぇ、本当無いんだってば。いや、グロ。手を至近距離でぶんぶん振り回すな。危ない。あと、なんでそんな体は素直に訴えているのに表情には出ないんだろ」

「ふぇ? 何の事です?」

「わぁ、概念すらない」

グロと間が空く事無く言葉をぶつけ合っていれば、面白くなさそうな顔をした男子生徒が此方に向かって言葉を投げる。

「本当、仲良くなったなぁ、貴殿と直は」

投げられた言葉に此方が固まっていれば無表情だったグロの顔に表情が浮かぶ。

「あら、嫉妬ですかぁ、お兄ちゃん。全く見苦しいですよ」

チェシャ猫の様な笑みを浮かべたグロがそう、男子生徒を煽る。

「うるさい。それの何が悪い」

そう、返す男子生徒の顔もチェシャ猫の様な笑みを浮かべていた。似た笑みを浮かべる兄妹が二人。見ていた僕は思わず大息を溢す。全く以て帆江瀬に越してきてからついていない。こんな凶悪兄妹に捕まってしまうなんて。と、思いながらも、苦い笑みを微かに変化させる。

煙先生とクラス長が行っている事には全く興味は無い。今までの情報を整理するにその中心にはグロが関わっているのだろう。それでも、僕には全く興味がそそられなかった。

でも、僕が僕で居る為にグロの手をとった。それだけの事である。


以上が羽黒直が僕のテリトリーに侵入出来た事に対する譚である。


譚はまだ続く、グロと関わった事によって僕は今まで以上に異形が起こす現象に関わる事となった。それらの譚を続けようと思う。


続ける譚は全て僕事只野経垂に起こった出来事である。


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よく生きていますね? 只野経君 鮪 啓 @Kei_Maguro

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