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異形と怪異の差は一つである。異形は理によって成り立つ存在であり、怪異は何らかの形によって歪んだ異形の別称であり、簡単に言ってしまえば、理の歪みが怪異と成る。

異形は倒せない。異形は理であり、世界であるのだから、土台として倒すという概念が無いのである。つまりは、此方が生きている世界が異形であるとも言える。と、言っても此はあくまでも他人から聞いた話であるのだから本当の事であるか等僕自身は知らない。だが、此を教えてくれた他人は其処に加えてもう一つ言っていた。怪異は、異形が、理が、歪んだ事によって生じたモノであるから、異形に触れずに斃しても、理を解さずに斃しても、全く意味が無いのだ、と。

「バケモノを斃したら、次にバケモノと成るのは、その斃した本人なんだ」

白い肌をした彼の他人はそう柔らかに言う。僕は、自らの手で怪異とも異形とも判断が付かないモノを造りだした時にそう、言われた。


化野纏は怪異である。鵺の怪異。そして、僕の足を奪った相手でもある。

怪異は異形の歪んだ姿であって、歪んだ異形は、もう、異形ではなく怪異となる。異形は世界でもある。世界を歪ませたのが怪異となる。

だから、学校の空間の一つを歪ませて自らの固有地帯を造り出す事等、纏からすれば朝飯前の事なのである。


女生徒達が此方を認識出来ないのは、同じ次元に僕自身が存在して居なかったから。僕と纏は意図せずに聞き耳を立てる事となったけど、アレは最早マジックミラーみたいな状況だと思ってしまう。


女生徒達が去ってから少し間が空いた。僕は変わらず纏と相対していた。女生徒達が来る前に言おうとしていた言葉は酸化し、唯の錆びたモノとなりて鋭さを失っている。錆びた言葉を引きずる気もなく、此方の関心は女生徒等を捕食していたあのクリオネ捕食猫へと向いていた。


数日前、転入初日に見た虚猫とは違うアレ。

僕は姿形が違えどあの猫と同じモノを過去に一度見た事がある。


アレは怪異でも、ましてや異形でもない。

地球外生命体、「空白」である。

「そう、言えばなのだけれども、貴方、お昼はとらなくて大丈夫なのかしら? お昼の時間は、後、数分でおわるのだけど」

纏の言葉でやっと僕は時間を意識した。腕時計を制服の下から掘り起こして見る。高校の入学祝いで貰ったそれは、正常にチクタクと時を刻んでいた。確かに纏の言う通りに昼休みは、もう数分程度で終わるようであった。昼休みの時間が終わった後に移動時間として十分程の時間がある。それを入れれば、此からお昼を食べるとなると間に合うのだが、今の僕とすれば食べる事事態が億劫になっていた為に食べなくても大丈夫なのである。

「大丈夫、纏と別れた後にゆっくりと食べる予定で居るから。それよりも、纏は、食べなくて大丈夫なのか?」

ニコリと笑みを浮かべる。苦い笑みでは無くて、何処か嘲る様な笑み。自分が浮かべている笑みが、先程まで此方に向けられていた笑みの模倣をしていると思うと思わず、笑みが深くなってしまう。

怪異が造りだした場で、怪異と指しで二人、その場で悠長に食べ物を胎内に入れる等、とんだ命知らずで嗤ってしまう。此から口に含むモノがどのように変異され、何を纏う事が解らない状態で、何の準備も無しで飲み下す。その行為は、腐っていると解っていながらも、食べ続ける屍人の様な行為を繰り返す友人と同じなのである。ぶるりと体が震えた。全く以て其処は同じになりたくないモノなのである。毎度、腐りかけを食べていながら当たる様子も無くケロリと飯を食べている友人の姿は恐ろしく見える。一年半ほど賞味期限が切れたカントリー●ームを目の前で食べてジュルッとしていると感想を漏らした友人の姿というのは、最早同じ生物だとは思いたくも無く、それ以来その菓子に手が伸ばしにくくなる体となった身なのである。当の本人は翌日何事も無くケロケロとしており、元気に大学の一次試験を受けに向かっていた。何とも、酷く逞しい友人なのである。

と、またも悪癖を発動していれば、纏も同じく此方よりも深くした嘲る笑みを浮かべていた。口元にわざとらしく手を当てて品を作り伏せた目で一言。

「あら、酷い。私が何を好んで食べる等、解っている癖に」

その一言の瞬き。揺らぐ視界に見た事のある姿があった。


猿の面をかけ、赤い頭に紫の羽を持つ最良の縁起を担いだ鳥に高尚の意味を持つ黒紫の花が咲き乱れる柄の着流しを纏う、虎の腕を持ち、人の足で立つモノが其処にいた。チョロリと見えた二尾の蛇が此方を射貫く。一尾は白銀の体に猩々緋の目。もう、一尾は。


此処で揺らいだ視界が元へと戻った。遠くに、人が話している喧騒が聞こえた。息を吸い込む。清涼剤の匂いと、ワックスの匂いが混じった様な匂いを嗅いで、僕は纏の場から抜け出したのだと実感した。


「そう言えば、貴方は、アレを知っているのね。黒い、猫」

ニコリと笑った纏がそう言いながら此方とすれ違う。

「私、外の事なんて知らないもの」

此方が何の言葉を返す事無く纏が去って行く。纏が言った言葉を何度か反芻しながら思うのである。とんだ、災難であったと。


矢張、僕は帆江瀬に越してきてから運が無いらしい。


そもそも、僕が運が無いのは煙先生とグロに関わりだしてからなのである。そう、思い出すとどうも、最初に浮かべていた僕の学生生活の理想というのが阿呆らしく思えてくるのだが、浮かべて考えるのは幾らだって良いのでは無いだろうかと、自己の中で弁明する。一体僕は誰と会話しているのか? と悪癖に対して物申したいのだが、此だって意味の無い事なのだから、どうにも仕様が無い。

それに、と、接続詞を付けながら、廊下を歩く。角を曲がった向こうからグロが歩いているのが見えた。それを見ながら、再度、それに、と脳内で呟く。


それに、此処の状況を加味した時に僕が望んでいた理想的な学生生活と言うのは、たいそう凄惨なモノになったのでは無いだろうかと、推測する。


グロという女生徒は、空気が読めない。いや、敢えて読んでいないとも言える。そして、名の通り情緒がグロテスクな程無い。そんな異質な存在がクラス内で一人存在するだけで、それまで造られてきた空気と言うのがどうなるのかは一見にしかずだと僕は考える。

恐らく、と、言い訳を付けながら、僕は考えを進める。

恐らく、帆江瀬に置いて、ホウライさん、つまり夢見型と、非夢見型の間に広がる溝は思ったよりも深いモノだったのだろう。なまじに此の土地ではホウライ、つまり異形が安易に見やすく、起こり易くなっている。そうした時に、見えている・感じているホウライさんと言うのは、非夢見型からすれば、どう、映っているのか等考えるにも易い。そして、一つの感情として其処に劣情を感じたとしても何も僕は不思議に思わない。楽観的に見てしまえば、非夢見型からすればホウライさんは胡散臭くとも自分達には見えていない超常的な何かを見えてしまっている特異な存在であるとも言えた。当たり前の様に、その空間に同じく存在しているのに、その、超常的な何かが見えて居ない。其処にあるのは目に見えない壁であり、理不尽な爪弾きである。見えているモノと見えてないモノ。当たり前にそれが区別されており、それでも何かは居る。気が狂う様な事でもあると思う。ホウライが目の前に現れる度に非夢見型は無意識に一種の無気力や劣っているといったモノを感じさせられたとしても何も可笑しくは無い状況なのである。そう、いった状況が続き、気が付けば非夢見型の方が多くなってきた時、長く味わされていた劣等感や無力感は変質したと考えたとしても良いのだろう。

ホウライさんが多い場合は見えない非夢見型が異質なのである。それが反転したら? 簡単な事なのである。非夢見型の中のホウライさんは異質なのである。異質なモノはある事を求められるのである。それは圧倒的多数を前にしての、同質化。ホウライさんが多かった時は、ホウライさんの様に見えている前提で振る舞っていた非夢見型は、立場が逆転すれば、ホウライさんに見えていない事を自然と強要させたのであろう。

だから、ホウライさんが見えている・感じている事は暗黙の了解で聞いてはならない、と、いう考えが自然とまかり通るのである。これは一見して、ホウライさんの事を思っている様にも見えるのだが、その本質は違うのだと僕は感じた。

ホウライさんが見えている事を聞いてはならない。此は、言ってはならないともとれ、感じた事も言える状況では無いのである。これらは、全て、見えて感じているホウライに対しての否定であり、非夢見型の前では、例え、ホウライがあったとしても、それは無かったモノなのであるから、ホウライさんが見えて感じていたとしても、それは、聞かなければ、発信しなければ無い事となるのである。圧倒的多数に立った非夢見型はそういった空気を広げていき、少数となったホウライさんはそれに合わせる。すると、自然に強要させていた同質化と言うのは、強要では無くなり、ホウライさんと非夢見型の間には溝が出来上がるのである。

全て、仮定と言う名の思考にしては随分と説得力があるモノだなと一人考えてしまう。でも、これは、僕自身が今までに経験してきたモノを加味した上でのモノなのである。だからこそ、勝手ながら説得力があるのである。


さて、と、仮定を踏まえた上でグロの事を考えれば、笑い声が溢れそうになってしまう。歩きながら、口の中の頬肉を噛み、笑いを堪える。


グロは異質だ。

何処までも異質で、ホウライさん・非夢見型どちらにとっても異質で恐ろしく映るモノなのだろう。

唯、空気を読まないだけなら良い。読めないなら尚良い。

けれども、残念だ。グロは其処を踏まえないのである。敢えて読まないで躊躇無く、黒曜石の鋭さの如く、自らの好奇心を満たす行為を行う。その結果、非夢見型からすれば此まで築いてきた空気に水を差され、ホウライさんからすれば思考を放棄した事への追求が行われる。どちらにとってもそれは気まずく、グロという女生徒は悍ましく見えるのだろう。

クラス長の言う事はたいそう的を得ている。グロの求める好奇心の先には必ず人が居る。グロは何も感じなくとも、グロが感じないモノを察してしまった人が質問の先に必ず居るのである。一度、グロが質問すれば、その人は何を思ったのだろうか? もしかして、恐怖? それとも嫌悪? 嗚呼、それとも未知への不理解なのか。


少なくとも僕はグロの姿が気色悪く見えた。


此方の事を解しようとする姿。その目に此方の姿が映っているのかと言えば違い、其処に映るのは一つの情報としての自己の姿。それが透けて見える気がしたのだ。グロが求める質問は此方の根幹を軽々しく揺るがすモノも含まれており、見えたモノの説明を求められるのは中々に難しい。僕個人が見える景色を言語化するのは難しく、それでいて僕は、見えたモノを共有するのを嫌悪する性質を持つ。それ故にグロのする行為は僕の信条と相性が悪かった。だから、僕自身は素直にグロの姿勢を気持ちが悪いと称したし、拒絶もした。それでも、グロは気にしないと言うのだから、それで良いのである。グロは、一つの情報として僕の見えている世界を信じるのだと言う。その言葉に対して僕は何も返していない。

グロという女生徒は僕に対し終始誠実であったと、今になって見れば解る。誠意を示して、僕を一つの情報として接していた。

なら、此方だってその誠意を返すべきなのだろう。

嫌悪の言葉を曰い、拒絶を行った。それでも尚、示された誠意なのだ。例え、グロという存在が僕にとって嫌悪の対象として黒く塗り潰されたとしてもだ。今は唯、あの女生徒の誠意に応えたいと思えたのだ。


だからこそ、片手をちぎれんばかりに、ぶんぶんと擬音が似合う程に手を此方に向けて振っている女生徒を初めて注視して見るのである。見慣れた、あの爛々と輝く漆黒の目は此方を見据えており、初めて見る表情は申し訳程度に口角が上がっていた。軽く上がった口角から笑みを浮かべていると考えるには、余りにも微か過ぎた。此処で初めて気付くのである。グロはずっと、表情という表情を浮かべていなかったのだと。まともに浮かべていた表情は此方が知る限りあのチェシャ猫の様に笑う目だけである。あれ以外の表情を僕は知らない。唯、目が爛々と輝き、漆黒という色をしている事は確かに知っているが、浮かべていた表情までは気が回らなかった。無に近い表情で腕を振り回し、此方に向かって一声。

「ヘタレ君!」

此を気色悪いと言わずして何と言う。見詰めている純粋な、あの漆黒の目が矢張恐ろしく映るのだった。


カイユウギョ、回遊魚と漢字で表記されるそれは、ホウライだけの生物では無く、現世でも似た性質を持つ魚がいる。どちらが先に名を付けられたのかは知らないが、どちらとも似た性質を持ち、回遊魚と呼ばれている。

ホウライさんが「カイユウギョ」と溢せば、季節によって空中を泳いでいる無害な魚を想像し、非夢見型が「回遊魚」と言われれば、季節ごとに移動をする海や水中に存在する魚を想像するのだろう。

今、僕の目の前に居るのはホウライさんが見えるカイユウギョであり、水中に存在する魚では無い。本来ならばカイユウギョは人の居る場に現れる事は稀であると聞く。カイユウギョの住処は人の住めないような山であるはずなのだが、此でカイユウギョを見るのは二度目である。一度目は近衛さんの手によって山へ返され、二度目の今は僕の前を悠然と泳いでいる。緋色と白銀の鱗がキラキラと窓から差す光に反射し、光を纏っている。その様は美しく、思わず数メートル先にいるグロの事すらも忘れて魅入ってしまうモノであった。実際に僕の足は止まっていた。

傍から見れば、グロに呼び止められた為に足を止めたのだと思われているかも知れない。それだったら、それで良かった。

カイユウギョが泳いでいる。尾びれが力強く左右に動き、軽く、その振動が此方へと伝わって肌で感じる。その時に、周りに当然の様に感じていた空気が変質し、此処が水中の中の様に錯覚するのだった。微かな空気の揺れ動きが波の様に思えて、キラキラと窓から差す光は水底で見た光と疑似していた。

カイユウギョの尾びれの微かな振動。それだけで、僕はカイユウギョの感じている世界を疑似体験出来、今まで居た僕自身の世界を忘れ去る事が出来るのである。

此が、僕自身が抱える厄介で秘密にしたかった事柄であり、僕が見えているもう一つの世界である。

此を言葉にするなんて、ましてや、共有するなんて、何て阿呆らしい。そう、考えてしまうのは僕自身が至らなく未熟であるからなのだろう。

まぁ、と心の中で思ってしまう。

まぁ、此を見えもしない非夢見型と共有するのはたいそう、骨が折れるのだろう。何せ、当然の如く、彼方が抱いている常識を越えてカイユウギョは空中を泳いでいるし、山中であるはずの場所はホウライでは水底である。どれ一つとったとしても、半ば常識的にすり込まれている科学から常軌を逸している。科学が悪いのでは無い。唯、ホウライが科学的に証明が出来ないだけなのである。それを、解せよと言われた所で胡散臭い以外何があるのだと言うのだろう。見えない、感じない、ならば、それは無いに等しいモノと言えると言うのに。


カイユウギョがグロの体を通り抜ける。ホウライと此方は重なっていても、それは混ざり合って等はいない。だから、プロジェクトマッピングの様に映し出された映像は質量を持たずに此方を通り抜ける。此が通常であり、僕も其方に分類される。

少数でもあるが、ホウライに触れられる人も存在する。例えば、煙先生や近衛さんのように。此方と同じホウライさんであったとしても此処で明確な違いがあり、それだけで僕は近衛さん達を違うモノとして認識する。幸い彼方は何も気付いていないようであるが、割かし此は僕にとって重要な問題である。

本当に、重要で、此が新たな秘密になるくらいには、重要なのである。

グロも此方と同じなのだろう、と考えながら、水底から校舎へと意識を修正する。肌を撫でる小波は、特段と意識しない空気へと変わり、カイユウギョは変わらず泳いでいる。

ザザッと電波の悪いテレビ画面の様にカイユウギョが変異する。グロの体を通り抜ける際に起こった現象だった。ザザッと音を立て、カイユウギョはシロクロに変化し、それは最後黒へと染まる。その、黒はグロの体内を反射させた。

瞬きに見えたソレは、此方の常軌を逸しており、思考を停止させるには充分なモノでもあった。それでも、何故か腑に落ちる気持ちも存在した。

人であるのならば、起こらない現象、人であるのならば映るはずの内臓は無く、鉛色の細々とした機器が見えた。

ザザッとなる現象は人以外であるのならば、意外にもよく見る現象だった。ホウライと電子機器の相性は悪いらしく、此方がよく愛用する携帯等は顕著にその反応を示す。周波数が合わないと言わんばかりの現象。

それが、人であるはずのグロに起こった。加えて微かに見えた鉛色の機器である。

此方が限界を迎えるのは仕方が無いのだと本当に思ってしまう。目の前に来たグロが軽く目を丸くし

「どうしました?」

と聞いてきても、直ぐには答える事は出来ない。それでも、今僕が居るのは個人スペースでは無く学校の廊下なのである。思考停止した脳を何とか動かし、苦く笑いながらグロへと言葉を返す。

「何でも」

白々しいと自分でも思う。それでも、目の前にいる女生徒が人では無く、此方の想像の向こうに居るモノだとは、今は思いたくも無かった。


「本当ですか?」

グロが此方の顔へと手を伸ばす。軽く頬に触れた手から温度を感じ、違うのだと自己を説得し、頬を包む感触が此方の肌と何ら変色無いのを更に協調し、グロが人であるのだと僕は思い込もうとした。それでも、ソレが拭えないのは、屈む僕の目に映るグロの姿なのだろう。漆黒の目の奥、カメラのレンズの様に此方を反射するモノがあった。丸く縁取られたそれは人の目と似ているのだが全く以て違うモノだった。

苦い笑いが溢れてしまう。此方の突飛でも無い答えが信憑性を帯びるのだ。此を、愉快と言わずして何と言う。


「グロ」

思ったより落ち着いた声が出た。

「距離が近いね」

吐息が混じり合うほどに近寄っていた此方とグロの顔。それをやんわりと遠ざける。グロの目は変わらず此方を射貫いているし、周囲からの視線で僕は劈かれている。普段なら、此が嫌になって逃げ出しているだろうけれども、今となれば、グロと居るのだから、と、現実逃避で対処出来た。きっと、後になって悶絶するモノなのだろうけれども、ノックアウトを喰らった後の脳で何が起こったとしても、アレを越えるモノは無い。

先程よりは遠くなった、それでも近いグロを見ながら僕は苦い笑みを深くした。


「グロ、授業開始のチャイムが鳴ってる」


昼休み後の授業開始のチャイムが鳴る。立ち止まっていたグロの足が教室へと向かうのだった。膝のクッションを器用に使い、此方と何ら変哲も無く歩く姿に矢張、人であるのだと言う僕と、それでも否定する僕がいた。先を歩くグロに続く様に僕も歩く。チャイムはさっき鳴り終わっていた。


帆江瀬に越してきてから、一週間は経った。まだ半月は経っていない。まさか、此方に越してきてから此処まで屋上を利用する事になるとは思いもしない事だった。


屋上でグロと相対する。


ショートで切り揃えられた黒髪の女生徒が目の前に立っている。漆黒の目が爛々と輝き、表情無く此方を見据え、体のサイズに合っていない長い袖をぶんぶんと振り回している。何故、此処に呼び出されたのかはよく聞いていなかったから解らない。

あの、衝撃的映像を見た以来僕は、若干グロに対してよそよそしい態度をとっていた。考えて見ても欲しい。目の前に居る、此方と姿が何ら変わらなく、人の肌と同等の材質の体を持ち、機械音も無く、まして、ニコニコ元気よくご飯を頬張る女の子が人では無いなんて、誰が考える事なのだろうか? とは言え、残念な事に僕が信じているのは僕が見た景色では無く、彼方側の景色であって、それを確かに映した僕の目というのは信頼に値するのである。だから、カイユウギョの際に見えた鉛色の機器から、僕は目の前にいる女生徒が人でない事を確信する。まぁ、それにだって、僕はあの時確かに腑に落ちたのだ。何故か、解らないけれども、グロが人では無い、と、知って僕は何処か安堵した。そしてそれと同時に、纏の言葉の意味を改めて感じたのである。矢張、僕は人に対して話す事は上手くないらしい。けれども、人以外とはよくよく話せるらしい。何て、社会不適合者。僕が僕で無かったら泣き喚いてる所だね、と、また、悪癖を発動しながら続ける。

それに、それに、と、一つ付け足す。この煮え切らない態度はグロが人でない事に対しての恐れでは無くて、何となくの気まずさから来ている。

此処まで自己の中で大口を叩いといて、いざ何らかの方法で確かめた時にグロが人であった時、これ以上無く気まずいのは確かなのだろう。勝手に個人の重要情報を覗き見て、更にソレを誤解している。そして、とんでもない勘違いをしていた何て。何よりも此方が信じて見た景色が間違っていたと解れば、向こう一年は凹むだろう。まぁ、それは僕の事だからどうでも良いのだけれども。


まぁ、と、最近口癖になった言葉を脳内で繰り返す。


まぁ、グロが何であろうが、結局は僕に何ら関係の無いのだからどうでも良い。


結局この煮え切らない態度は、答えが解った問題が正解であるか答え合わせをしたいだけのモノであって、此を考えた時に僕がグロの事を何ら慮る事なんて無かった。


そして、今、何故か、グロと相対している。本当に何でなのだろうか? 珍しく黙っているグロを見ながら、僕は思考を続ける。前だったら、沈めていたのだろうけれども、今になってしまえば無駄だと解っているから沈めない。前、と言ってもほんの数週間前の事であるのだが、グロと過ごしてきた時間はえらく濃密で此方の予想を斜め上を行っていた。

だから、少し期待している。

僕は、此方から行動を起こす気は一切無い。気になった回答だって日が経てば褪せてしまう。それを僕は知っている。だから、この煮え切らない態度だって、時間が解決する事を僕は解っている。けれども、グロの行動に期待している。此方の斜め上を越えて真上を行くグロの奇行動が、今、僕の抱えるモノを解決してくれる事を期待しているのだ。見詰める漆黒の目に薄らと、表情を緩める。口を開いたグロは何を紡ぐのだろうか。


「あのですね、スイ君。聞いた話なのですが、秘密話を共有すると仲良くなれるそうなのです。ですので、私の秘密を共有しようかと思いまして」

爛々と輝く目でグロはそう言った。一瞬何を言いたいのか全く以て解らなかった。何度か、言葉を反芻する。其処で僕はふと気付いたのだ。グロは僕と仲良くなりたいと考えていたのだと。何とも、意外だと言える言葉だった。グロの持っている関心は常にホウライとホウライさんへと向かっていた。だから、人と仲良くなりたいという考えを持っている等、思いもしなかった事だったのだ。


グロは自らの首へと両手を添えた。

「私の秘密であり、一発芸ですよ! 見てて下さい!」

グロがそう言った。だから、半ば反射的に言葉を返していた。

「何だ、首が外れるのか?」

昔、読んだ推理小説に登場した自我を持った自動式人型のロボットの少女を思い出す。別に彼女が首を外す事を特技とはしていなかったが、彼女の首が外れる事が小説内では彼女を人では無いとたらしめる理由として使われていた。

「え」

と、いう出鼻をくじかれた様な声を最後にグロの言葉は途切れた。グロの両腕は確かに自らの首を支えていた。目の前の光景で一つ、脳裏を麻痺させたのは、その支えている頭とグロの首が別離している事だった。妖怪退治漫画で読んだ様に、西瓜の如く首と頭が離れている。漫画と違うのはその西瓜の如くの頭が地面を転がって居ない事だけで。両腕によって持ち上げられていた頭が静かに降ろされ、グロの胸元に頭が抱えられている。痺れた頭で思ったのはそのポーズは首無騎士の様だ、と、いう感想と、圧縮鍋の蓋を開けるような容量でグロは自分の頭を首から離したなというモノだった。どちらも痺れた頭から出た事だったから何とも楽観的な感想であったが、目の前に広がる光景は楽観的に片付けられるモノでは無かった。

「矢張、すごいですね! スイ君。真逆、特技が解るなんて! 脱帽致しました! ん? あれ? ヘタレ君? 固まっています? あ! 今はですね、一定の距離であればBluetooth機能で口から音を発せられるのです! すごいでしょう! 此が、秘技、首すっぽーーんです!」

グロの胸元で抱かれた頭から音が出る。何時もの声と違ってノイズが所々に入り機械を通した様な声色と成っていた。身近で例えれば電話、遠くなればトランシーバーから聞こえる声と疑似している。何時も爛々と輝いている目は省エネモードに入ったのか、爛々から微々たる光に変わっていた。浮かべている表情は少し驚いた様なモノであって、其処で固まっている。本体から離された事によってフリーズした機械を連想させた。

「あ、でも困りましたね。私の秘密をスイ君は解っていたみたいですし、これじゃぁ、仲良くなれませんね。あ、でも、何か最近ヘタレ君元気が無かったような気がしたので、此を見たら笑顔間違い無しですね! どうでした? スイ君!」


「どうも、こうも無いだろ! 此は。何が笑顔間違い無しだ。こんな映像見せられたら向こう数年はトラウマモノだし、何よりも、グロが人で無い事を何の前振りも無くカミングアウトされてソレが現実だとは思える訳が無いだろう。

っと、言うよりも、グロ。いや、羽黒直さん。貴方の眼には僕が、どのような表情をしているのか答えて貰えないだろうか? 少なくとも、僕は笑顔でいる自覚が無いのだけれども」

グロから答えを求められた際に僕の口から溢れたモノは、思っていた事全てだった。僕は過剰に自らの感情を晒すのを嫌がっていた。それは今も変わって等いない。唯、それは、人の前に限った事であって、人でないモノの前であったら無効となる。あぁ、だから、人以外とは話せるし、仲良く出来るのだ。人でなければ良いのだ。人以外ならば、幾らでも晒されてもいい。

だって、人でなければ、人の輪に入れないのだから。

僕が生きているのは人の中だ。


グロは僕の言葉を受けてかなのか、両腕に抱えていた首を元の位置へと戻した。器用に、首と頭の位置を当てはめて、カチリという音と共に接合する。その様を見ながら、何故頭を元に戻したのか解らずにいた。首と頭を接合し終えたグロの目は、一度閉じ、パソコンの起動音に似たモーター音をしながら瞼を開く。此処数週間で見慣れた漆黒の目が此方を見ていた。キラキラと輝くその目の虹彩は此方を確かに映している。

「解らないです! ヘタレ君。でも、皆、私の特技の後、こんな顔をしています。それって喜んでいるのでは無いのですか?」

グロの口から出された言葉はある程度は予測していたモノであった。とはいえ、最後の一言が余りにも引っかかった。喉につかえるようにして言葉を飲み込めない。気付けば僕はグロと距離を詰めていた。拳三つほどの距離。僕はグロを覗き込む。距離を詰められたグロはそれを気にする事は無く此方を見上げていた。漆黒の目も此方を向いている。僕は、漆黒の中に映る僕を見た。その為に距離を詰めたのだ。漆黒の中映る僕は、僕が思っていた通りの顔をしていた。何とも言えない顔をした間抜け面が漆黒の目の中に居た。それが、変わらず悍ましく見えるのは僕が僕の事を好いていないだけであって、今はその感情は関係無い。苦く笑っているのでも無く、唯、困った様な。つまり、口元は閉じられているがそれは緩く、浮かべている目は困惑の一言で表される。目を見開き、それでいてその中に言葉には言い表せない恐ろしさを感じている部分があり、緩んだ口は軽く開きかかっていた。

僕から見れば、この表情と言うのは、驚きに塗れてはいるが、その中に恐怖があり、更に言えば、先程の言葉に対する困惑が含まれている、そんな、一重に言葉にはし難いモノだった。敢えて、言い表すのならば、困惑と驚愕が半々となったモノ、だろうか。間違っても此を喜んでいるとは思えない。だから、確かめる為に距離を詰めた。

確かめたかった事を終えたら距離をとる。それとなく、数歩下がっても、グロは此方を見上げた儘、見詰めていた。何故、距離を詰めたのか、何故、距離をとるのか、本来ならば一つは出てきても良い言葉はグロから紡がれる事は無い。グロは、唯、此方を見ていた。

グロは、他にもあの理解し難い特技を披露し、似たような表情を見たのだと言った。其処から推測出来る事等、一つであり、更にそれに加えグロが今現在クラスで置かれている立場を踏まえて考えれば、あのトンチキな答えだって何とか飲み下せるのである。

つまり、グロは、まともに「喜」にあたる表情を向けられた事が無いのだろう。だから、今までに多く向けられてきたこの「困」と「驚」をそれに置き換えた。と、言っても具体的なラベリングをしていたとは考えにくいし、何よりも他者のも見た上で「喜」と当てはめるのも中々に突飛なモノだとは思うのだが、此処で一つ気になった事があった。

「喜んではいないなぁ、此は。グロ、此は困惑及び驚愕が半々と混じったモノ何だよ。間違っても、喜色に塗れたモノでは、無い」

「本当ですかぁ、ヘタレ君! だって、今までは皆、その表情の後笑いながら、冗談は止めてよ~~って言うか、それ以前に倒れてましたよ」

「いや、それって、言葉通りの事だろ。笑ってない、それは。苦笑いだ。間違っても喜色の方の笑いじゃ無いだろ。って、言うか倒れた人いたのか」

「居ましたよ。何故かお兄ちゃんがその後登場して、介抱してましたけど」

「へぇ、怖い」

「笑っている=喜色なのでは無いのですか? ふぇ、人って難しい」

「そうだろうとも、人は難しいのだよ。って、言うか、特技を見せた後の人はどう接したんだ貴方に」

「どうって? ん? 不思議な事を聞きますよね。ヘタレ君は。何時も通りに戻っていくだけですよ。何時も通り、私とは話さなくなるだけで」

「は?」

「大半の人はそうですよ。私と話して、特技を見ると皆離れていく。ヘタレ君みたいに会話を続ける人なんて中々に居ないのです。マトイちゃん以来ですね! マトイちゃんは秘密の共有が上手くいったみたいなので無事に友人になれたのですが、ヘタレ君を含め、他の人は前もって秘密を知っていたみたいで、上手く共有出来ないのです」

「あ? 貴方が、機械仕掛けだと知っていたと言いたいのか?」

「え? 違うのですか? 皆さん、知っていたから、興味が無くなって立ち去っていたのでは?」

「なら、グロ、何故、皆驚愕の表情を浮かべたんだ。知っていた事は驚愕とはならないだろ?」

「ハッ、確かに」

「だから、貴方の秘密を知っていた訳でも無い。離れていった理由は他にある、と、思う」

「でも、ヘタレ君は前もって気付いていたみたいじゃ無いですかぁ。それでも驚きましたよね」

「誰だって、目の前にいる人が機械仕掛けだとは考え無いんだよ。察していても、いざ本当になれば、僕だって驚くわ」

「そうなんですねぇ~~。勉強になりま~~す」

「うわ、何か腹立つ。って言うか、参考までに聞くけど、グロ。一体何人の人に此を披露してきたのかな?」

「え、此で28人目ですね」

「は?」

「クラス長にはするなって、お兄ちゃんから言われてまして、他に、竜寿君も避けた方が良いって言ってましたね。まぁ、クラス長に比べたら別にそれ程だって、感じらしいのですが」

「ついでに、聞くけど、僕は」

「是非やっちまえって言ってましたぁ」

「巫山戯んなよ、あんやろ」


グロと軽口を交わしながら、紡がれた言葉を一つ一つ吟味しながら飲み下す。何となくではあったが、グロが「喜」と「驚」を間違えていた理由が解るような気がした。

もし、人が常識外の事に出会った時にとる行動は何であろうか? 僕は一つとして、現実では無いモノとして扱う事をあげる。つまりは、事実を改竄するのである。人は見たい景色だけを見る。そして気づける。逆を言ってしまえば、見えている景色を見たいモノに改竄する能力を持っているとも言える。見た筈の景色が自らの常識を越えていた場合、人は、簡単に自己の知っている手札に置き換えて見る。すると、常識外の景色は常識内の景色へと変わるのである。

グロが此まで相対してきたクラスメイトの幾つかはこの方法をとったのであろう。目の前で行われた常識外の景色を見て、それを唯の悪質な「冗談」として扱う。その冗談の論理がどうなっていたか等、此方は解りはしない事なのだが、何か、超絶すごい奇術とでも思ったのだろう。多分。奇術の種が解らなくとも別に見せられたクラスメイトは良かったのである。常識外の景色を、常識外の人から見せられた方が余程気色が悪く、恐ろしく感じる筈だ。脳裏が停止して、常識がひっくり返る程の劇薬な事実は余りにも衛生上に悪い。そして、何が起きたのか飲み下す時に自らの手の内にある手札を見た時に呆然としたはずだ。手札に当てはまらないモノが無邪気に爛々と輝く目で此方を見据えているのである。或る人はそれに絶望し、或る人は其処で意識を手放したかも知れない。何がともあれ、自己防衛の為に、無理矢理に手札に収めて、無かった事にした結果が、グロの言葉に繋がるのだろう。


僕が、特別では無く、偶然、識っていた。


偶然、グロが人ではない可能性を識り、その上で自らの中の手札の選択肢を増やす事が出来た。だから、この常識外の景色も、非日常の景色と分類して常識内の景色として収める事が出来た。他のクラスメイトみたいに此を「冗談」として扱わないのはそのせいである。


恐らく、「冗談」と言ったクラスメイト達は苦く笑って居たのだろう。だから、グロはこの行動は「喜」へと繋がるのだと思ったのかも知れない。苦笑いと笑いは違うだろう。でも、それは僕からすればである。苦く笑った前の表情は「驚」のはずだ。だのに、苦く笑った方が強く残っている事は意外であったが、それも少し考えた所でどうでも良くなった。


結局は僕には関係無い事なのだから、どうでも良かった。


とはいえ、自業自得と言えるサイクルではあるとはいえ、人を識る機会を奪われ続けられているのは余り、気分が良いモノでは無かった。


僕が識っている中で、グロが浮かべた笑顔と言うのは、あのチェシャ猫如く笑っている様なのである。それが意味する事等、僕ですら解る。

グロの前でまともに笑って見せたのが、あの男子生徒なのだろう。だから、グロが浮かべた笑顔は、似ているのだ。煙先生に。


「で、グロは、さ。どうしたいんだ? 秘密をさ、見せてまでして、僕とどうなりたいんだ? ほら、直接言ってみろよ。僕は、冗談なんて言葉で済まさないから、全部言ってご覧よ。聞いてはいるから」


グロは此方の常識から逸脱している行動と言動を繰り返しているとはいえ、終始、誠意を示していた。此方に最大限の誠意をしていて、更に、秘密まで明かしたのである。例え、それが望んだモノでは無く、全くの意味を成さないモノであったとしても、此方は示された誠意に応える必要があるのだろうし、僕は変わらず、応えたいと思ったのである。


だから、再度、言葉にしてもらう必要があった。


僕はグロと違って周りに、僕以外の人に全く以て興味が無い。だから、正直、どう考えているか等、一等にどうでも良い事だった。


けれども、言葉にしてもらう必要があった。


察する何て、そんな阿呆らしい事はしたくも無いし、誤解も何も起きない、明確な意思表示を此処で再度してもらう。


それが、今現在僕が羽黒直に対して示す最大限の誠意でもあった。



「ヘタレ君。私は、私は、貴方に興味あるのです。いえ、厳密に言うと貴方方が映している世界に対して興味があるのです」

 グロは此方の返答等気にする事無く次の言葉を紡ぐ。紡がれた言葉は止まる事なく崩れるように溢れ出している。

「私は、異形から嫌われているのです。いえ、厳密に言えば排除されていると思うのです。とても悲しい事だと思うのです。それは。ですから、私は、見たいのです。貴方が見ているモノを、貴方が感じている世界を、見たいと思っているのです。ですから、協力してくださいね。スイ君」

爛々と輝く漆黒の目は興奮を訴え、紡がれた言葉は相手の事を想定して等いない自分勝手なモノ。此方を理解したいと言うその漆黒の目は幾度も見た不純では無く限りなく純粋なモノ。その純粋なモノは見た事が無かった。ニコリと興奮を湛えた目が眩しく映る。その眩しく映るモノ事態に僕は眉を顰める。歩みよろうとするその態度が、理解しようと此方を知ろうとするその姿勢全てが、僕には。


「気持ち悪い」


 否定する言葉が口から意図して音となる。苦く笑う事等せずにはっきりとした嫌悪を湛え、僕は更に言葉を重ねる。

「気持ちが悪いな、その姿勢、態度。とても悪いけれども、僕は君の期待に答えるほど出来た人では無いんだ。だから、関わらないでくれないか」

徹底的に拒絶する。煙先生は此方に歩みよる行動や啓蒙する事はしなかった。唯、僕という対象に対して行動を起こし反応を楽しんでいるだけであった。それは良いモノでは無かったけれども結果的に見れば僕には一切関係の無いモノとなる。だけど、このグロは違う。僕というどうしようも無い存在に積極的に関わろうとしたのである。僕の理想は人との交流を極力断ち切った生活である。それが脅かされそうとなれば誰だって抵抗するだろう。理想に対して努力を重ね行動に移す。それは普通の事なのである。だから、今この瞬間、僕はグロを拒絶する。

「悪いけれども、嫌なんだ。貴殿に協力するのは。だから、他を当たってくれないか?」

嫌悪を浮かべた表情から柔やかに笑う顔を作る。苦く笑った笑みでは無く、人当たりが良く見えるような笑みを浮かべる。浮かべた表情とは真逆の言葉を此方は先程の言葉に重ねて紡ぐ。此以上無い程の拒絶を態度に、言葉にして示して見せた。過去で此処まで僕が人を拒絶した記憶は無いし此からも無いのだろう。それ程までに、奇異な存在に出会ったと言える。僕が拒絶を示した相手は変らず爛々と輝く漆黒の目で興奮を湛えていた。


「解っていますとも! ヘタレ君はそうなんですよね! ですから、私だって変えます!」


爛々と輝く目がチェシャ猫の様に笑う。その様を見て、僕は何処か呆然とした。初めて勝てない存在にあったような気がしたのだ。


「見ての通り、私は人間初心者なので、異形もそうなのですが、人の輪に入る訓練が必要なのです。私には人の生活というモノがとんと検討つかないのです。ですから、手伝ってくださいね‼ 友人の方を!」


「解ったよ、直」


爛々と輝く漆黒の目を見詰めて応える。自然と口角が上がり、笑みを浮かべていた。久しく浮かべた事が無かった苦いモノを含まない笑みだった。

僕の中には、まだグロを拒絶する気持ちは根強くあるし、グロの事は気色悪く見えもした。それでも応えたのは、目の前にいる人の情を解さない絡繰り少女が、素直に自らの欲を言ってみせた事と、それまでの誠意からだ。

僕は、グロを解さない。グロに僕の見えている世界を共有する気は無い。でも、友人に成れるのだと漠然と思ってしまった。

それを思うまでに、一つ脳裏に過ぎる事があった。グロと屋上で相対する数時間前の出来事である。その出来事を踏まえた上で僕は僕の為に、グロの要求を飲むのである。

春の冷たさが残る屋上で絡繰り少女と向かい合う。編入当初では全く予想出来て居なかった事だった。この、向かい合う絡繰り少女と友人に成った等、夢のまた夢の様な話だと一歩後ろの僕は思うのだろう。


でも、此が現実なのである。数歩先で、グロに振り回されのたうち回っている自己が見える気がした。


さて、此処まで長々と話していれば、少しは羽黒直という女生徒の事が解ったのでは無いだろうか? 人に紛れて暮している、本来ながらあり得ない、自我が発生した機械仕掛絡繰少女。それが、グロの正体であり、僕自身が解っている事である。

無垢で執念深い漆黒の目は絶えず此方を見詰め疑問を口にする。それに、何の感情を抱こうがそれは受け取り手の問題なのである。

機械仕掛絡繰少女は人の事が解らない。本人曰く学習中なのだと言う。

以上が羽黒直に対する注釈にあたる。

譚はまだ続く。グロの事が解れば、何故テリトリーに侵入出来たか等、簡単に理解していただけるだろう。


此処でやっと、結論である。何故、グロが僕のテリトリーに侵入する事が出来たのか話そうと思う。

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