榎木 勝太
第1話 おれの一日目
【
――なんだよ……。
――おれは死んじまったのかぁ。
まあ、それは仕方ない。
あの瞬間、ちょっとハンドルを切り損なったことが、あんな事故になるとは思わなかったんだから。
ああ、やっちまった――。
そう思っただけだ。
すぐにブレーキをかけようと思ったんだぜ?
踏んだのがアクセルだったのは、ちょっとした間違いだ。
「このままここにいたってしゃあねぇや。
立ちあがってぐるりと部屋を見回した。
壁に刺さった銀の握り玉をみつけ、ガチャリという音とともにドアを押し開いた。
「榎木さま。お出かけになりますか?」
突然、声がしてビックリした。
ドアの横に、真っ白な男が立っている。
「なんだ? てめえは」
薄ら笑いを浮かべているソイツは、コンシェルジュのサキカワだといった。
「では、榎木さま。お出かけになる前に、チケットのご利用方法をお伝えいたします」
「チケット? ああ、コイツか?」
座っていたときから握りしめていた小さなカードをみた。
〇〇〇〇年 〇月 ×日 二十時十六分 ~
〇〇〇〇年 〇月 □日 二十時十六分 迄
これが有効期限だという。
ほかにもいろいろと、
大変なことになるとかどうとか、別にどうでもいいってもんだ。
適当に相づちを打って、行き先を思い浮かべた。
当たり前だけど、自分の部屋だ。
「それでは榎木さま、いってらっしゃいませ」
チリンチリンと気取った音が聞こえて、おれは青い者両でその場を離れた。
すぐに見慣れた景色が現れる。
アパートに近いところで、おれは者両を降りた。
駅からはそう遠くない、川の土手近くに古いアパートがみえてくる。
「しっかし……住んどいてなんだけど、きったねぇアパートだな」
築年数が何年かなんて、知りやしないし、気にもならない。
歪んだ網戸をみるたびに、やるせない気持ちには、なるけれども。
部屋に入ろうとしたときに、ドアをすり抜けたのは驚いたけれど、妙に面白くなってドアを行ったり来たりした。
何度目かのときに、部屋がガランとしていることに気づいた。
「万里加? いねえのか?」
奥の部屋をみても、誰もいない。
横になってテレビを見ようにも、つけることができない。
「んだよ……テレビの心霊番組じゃあ、勝手にテレビがついたりするじゃねえか」
舌打ちをしてリモコンをつかもうとしても、すり抜けてつけられない。
テレビ本体の電源を入れようと、ボタンを押そうとしても、これもすり抜けてしまった。
「くっそ! なんでだよ! テレビぐらい見せろってんだよ!」
苛立ち紛れにテレビを蹴飛ばしてみても、これもまたすり抜ける。
「ふざけやがって! ちくしょうが!」
不貞腐れて横になり、仕方なく万里加の帰りを待った。
万里加は二十歳年下の、一応、今の女房だ。
籍は面倒で入れていない。
飲み屋で知り合って、うちに転がり込んできた。
その前の女房は十歳年下で、その前は八歳年下。
だんだんと、さがってきたんだな。
どの女とも事実婚で、数年、一緒に暮らしたあと、勝手に出ていった。
その前の女は五歳年下で、籍は入れたけれど、二年ほどで別れてしまった。
そのときに、いろいろと面倒だったから、籍を入れるのをやめた。
最初の女房とは同じ歳だった。
子どもが二人……息子と娘だ。
五歳年下の女との浮気が原因で、別れた。
以来、当時の家族とは会っていない。
再婚したあと、すぐに離婚したおれは、よりを戻そうと家に帰った。
そうしたら、引っ越したあとで、どこに行ったのかもわからない。
風の噂で実家に帰ったらしいと聞いたけれど、さすがに実家まで行く気にはなれなかった。
ふと、今ごろどうしているのか、そんな思いがよぎった。
「万里加のヤツ、遅いんじゃねえか?」
イライラと膝を揺らしながら天井をみつめ、ハッと気づいた。
「おれが死んだって連絡があったか? 死んだらどこに連れていかれるんだ?」
電話があったらメモを取っているかもしれないと思い、テーブルや棚の上をみた。
特にメモは残っていない。
取ったとしても、持っていったか。
表に飛び出してみても、万里加の姿はみえない。
「ちきしょうめ……おれの体は一体、どこにあるってんだよ!」
地面を蹴りつけて悪態をついても、どうせ誰にも見えやしないんだ。
隣近所の植木に回し蹴りをしたって、すり抜けて倒れやしない。
ふと顔を上げると、おれの周りに者両がいくつか現れた。
なんだかよくわからないけど、行く当てもないから乗ってみる。
バスに乗り、数十分経って着いたのは、病院だった。
「病院? なんだってこんなところに……」
入り口に向かって歩き出すと、目の前を万里加が通りすぎていった。
「万里加! おまえ、こんなところにいたのか!」
者両を飛び降りてあとを追う。
万里加は急ぎ足で病院の敷地を出ると、そのまま大通りへ出てバス停で止まった。
手にしたカバンからスマホを取り出すと、どこかへ電話をかけている。
「おい万里加! 待てって! おれはここにいるのか? いや、おれの体、ここにあるのかよ?」
おれが聞いても万里加は答えず、電話先の相手と話を始めた。
――あたしよ。そう。万里加。もうさぁ……え? うん、そうよ、そう。
「おい、なんだよ? 誰と喋ってんだ?」
電話の向こうの声は届かない。
万里加はしきりにうなずいている。
――死んだわよぉ。参ったわよホント。あんな事故、起こしてくれちゃって……今からそっちに行くわ。じゃあね。
バスがくるのがみえたからか、万里加は電話を切ると、止まったバスに乗り込んだ。
そのあとに続く。
万里加は家に戻ると、カバンに手近な荷物と着替えを詰め込んで、家を出ていく。
「おいおい! ちょっと待て! どこへ行こうってんだよ?」
おれは急いで万里加を追いかけた。
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