榎木 勝太

第1話 おれの一日目

榎木 勝太えのき かつた 55歳 男 無職】


――なんだよ……。

――おれは死んじまったのかぁ。


 まあ、それは仕方ない。

 あの瞬間、ちょっとハンドルを切り損なったことが、あんな事故になるとは思わなかったんだから。


 ああ、やっちまった――。


 そう思っただけだ。

 すぐにブレーキをかけようと思ったんだぜ?

 踏んだのがアクセルだったのは、ちょっとした間違いだ。


「このままここにいたってしゃあねぇや。万里加まりかンとこにでも行くか……」


 立ちあがってぐるりと部屋を見回した。

 壁に刺さった銀の握り玉をみつけ、ガチャリという音とともにドアを押し開いた。


「榎木さま。お出かけになりますか?」


 突然、声がしてビックリした。

 ドアの横に、真っ白な男が立っている。


「なんだ? てめえは」


 薄ら笑いを浮かべているソイツは、コンシェルジュのだといった。


「では、榎木さま。お出かけになる前に、チケットのご利用方法をお伝えいたします」


「チケット? ああ、コイツか?」


 座っていたときから握りしめていた小さなカードをみた。


 〇〇〇〇年 〇月 ×日 二十時十六分 ~

 〇〇〇〇年 〇月 □日 二十時十六分 迄


 これが有効期限だという。

 ほかにもいろいろと、者両しゃりょうの色がなんちゃら、やってはいけないことがうんちゃらと、説明が長い。

 大変なことになるとかどうとか、別にどうでもいいってもんだ。


 適当に相づちを打って、行き先を思い浮かべた。

 当たり前だけど、自分の部屋だ。


「それでは榎木さま、いってらっしゃいませ」


 チリンチリンと気取った音が聞こえて、おれは青い者両でその場を離れた。

 すぐに見慣れた景色が現れる。

 アパートに近いところで、おれは者両を降りた。

 駅からはそう遠くない、川の土手近くに古いアパートがみえてくる。


「しっかし……住んどいてなんだけど、きったねぇアパートだな」


 築年数が何年かなんて、知りやしないし、気にもならない。

 歪んだ網戸をみるたびに、やるせない気持ちには、なるけれども。


 部屋に入ろうとしたときに、ドアをすり抜けたのは驚いたけれど、妙に面白くなってドアを行ったり来たりした。

 何度目かのときに、部屋がガランとしていることに気づいた。


「万里加? いねえのか?」


 奥の部屋をみても、誰もいない。

 横になってテレビを見ようにも、つけることができない。


「んだよ……テレビの心霊番組じゃあ、勝手にテレビがついたりするじゃねえか」


 舌打ちをしてリモコンをつかもうとしても、すり抜けてつけられない。

 テレビ本体の電源を入れようと、ボタンを押そうとしても、これもすり抜けてしまった。


「くっそ! なんでだよ! テレビぐらい見せろってんだよ!」


 苛立ち紛れにテレビを蹴飛ばしてみても、これもまたすり抜ける。


「ふざけやがって! ちくしょうが!」


 不貞腐れて横になり、仕方なく万里加の帰りを待った。

 万里加は二十歳年下の、一応、今の女房だ。

 籍は面倒で入れていない。


 飲み屋で知り合って、うちに転がり込んできた。

 その前の女房は十歳年下で、その前は八歳年下。

 だんだんと、さがってきたんだな。


 どの女とも事実婚で、数年、一緒に暮らしたあと、勝手に出ていった。

 その前の女は五歳年下で、籍は入れたけれど、二年ほどで別れてしまった。

 そのときに、いろいろと面倒だったから、籍を入れるのをやめた。


 最初の女房とは同じ歳だった。

 子どもが二人……息子と娘だ。

 五歳年下の女との浮気が原因で、別れた。


 以来、当時の家族とは会っていない。

 再婚したあと、すぐに離婚したおれは、よりを戻そうと家に帰った。

 そうしたら、引っ越したあとで、どこに行ったのかもわからない。


 風の噂で実家に帰ったらしいと聞いたけれど、さすがに実家まで行く気にはなれなかった。

 ふと、今ごろどうしているのか、そんな思いがよぎった。


「万里加のヤツ、遅いんじゃねえか?」


 イライラと膝を揺らしながら天井をみつめ、ハッと気づいた。


「おれが死んだって連絡があったか? 死んだらどこに連れていかれるんだ?」


 電話があったらメモを取っているかもしれないと思い、テーブルや棚の上をみた。

 特にメモは残っていない。

 取ったとしても、持っていったか。

 表に飛び出してみても、万里加の姿はみえない。


「ちきしょうめ……おれの体は一体、どこにあるってんだよ!」


 地面を蹴りつけて悪態をついても、どうせ誰にも見えやしないんだ。

 隣近所の植木に回し蹴りをしたって、すり抜けて倒れやしない。

 ふと顔を上げると、おれの周りに者両がいくつか現れた。


 なんだかよくわからないけど、行く当てもないから乗ってみる。

 バスに乗り、数十分経って着いたのは、病院だった。


「病院? なんだってこんなところに……」


 入り口に向かって歩き出すと、目の前を万里加が通りすぎていった。


「万里加! おまえ、こんなところにいたのか!」


 者両を飛び降りてあとを追う。

 万里加は急ぎ足で病院の敷地を出ると、そのまま大通りへ出てバス停で止まった。

 手にしたカバンからスマホを取り出すと、どこかへ電話をかけている。


「おい万里加! 待てって! おれはここにいるのか? いや、おれの体、ここにあるのかよ?」


 おれが聞いても万里加は答えず、電話先の相手と話を始めた。


――あたしよ。そう。万里加。もうさぁ……え? うん、そうよ、そう。


「おい、なんだよ? 誰と喋ってんだ?」


 電話の向こうの声は届かない。

 万里加はしきりにうなずいている。


――死んだわよぉ。参ったわよホント。あんな事故、起こしてくれちゃって……今からそっちに行くわ。じゃあね。


 バスがくるのがみえたからか、万里加は電話を切ると、止まったバスに乗り込んだ。

 そのあとに続く。

 万里加は家に戻ると、カバンに手近な荷物と着替えを詰め込んで、家を出ていく。


「おいおい! ちょっと待て! どこへ行こうってんだよ?」


 おれは急いで万里加を追いかけた。

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