第8話 旅立ち ~川原 茉莉萌~

「なんなのよ! どこなのよ? ここは!」


 アタシは真っ暗な中で立ちつくしていた。

 どこからも光が差し込んでいないのに、自分の姿だけはハッキリとわかる。

 手も足も、しっかり見えている。


「川原さま、ようこそ、この『黒の間』へ」


 真っ黒な男が目の前に浮かび上がった。

 この男も、真っ黒な部屋で真っ黒な姿なのに、ハッキリとみえる。


「あんた誰なのよ! なによ黒の間って! まだ時間じゃないはずよ!?」


「ああ……失礼いたしました。まだ名乗っていませんでしたね。わたくしはこの『黒の間』のコンシェルジュ、でございます」


 オサナイはサキカワのように、恭しく頭をさげる。

 そんなことより、なんだってこんな部屋に、時間にもなっていないのに連れてこられたのか。


「時間までまだあるじゃないの! アタシは行かなきゃいけないところがあるのよ! さっさと連れていってちょうだいよ!」


……でございますか?」


「そうよ! このチケットの有効期限内ならどこにでもいかれるんでしょ!」


 アタシはチケットを振りかざしてオサナイの胸の辺りを叩いた。

 サキカワと同じで笑顔を崩さないオサナイは、アタシの手を避けると、ネクタイとスーツの襟を整えている。


「確かに、最初の『白の間』では、川原さまが仰るように、ご希望の場所へいかれると説明があったかと思います」


「そうでしょ!? だからアタシは――」


「ですが、それは訪れた場所のみ、との説明もあったはずでございます」


「そ……それは……」


 アタシは思わず歯ぎしりをした。

 確かにアタシが今から行こうとしているのは、行ったことがない場所。


「それに……チケットの裏側にもございますが、注意点の説明もなされたかと思います」


 チケットの裏?

 アタシは手にしたシワくちゃのチケットを裏返してみた。


 一つ。

 訪れることが可能なのは、ご自身が一度でも訪れた場所であること。


 二つ。

 者両はかならず青を選ぶこと。


 三つ。

 復讐や脅迫など邪な行為はしないこと。


 四つ。

 者両および現世に生きる人々に危害を加えないこと。


 これら制限を破る行為があった場合、大変なこととなりますのでご注意ください。


 と、ある。

 こんなの、最初に聞いているのと同じことじゃないの。

 アタシはオサナイをみた。


「川原さまにおきましては……三つ目と四つ目のルールを犯されております」


 どこまでも笑顔のままのオサナイに、背筋がゾッとした。


「アタシ別に復讐や脅迫なんてしてないじゃない! それに、危害だって……」


「本当にそうでしょうか? 庄野さまにとり憑かれたとき、やり返してやろう、仕返ししてやろうという思いがあったのではありませんか?」


 光里が困ればいい、みんなに責められればいい、そう思ったことは確かだった。

 オサナイは、あのときのアタシの行動のせいで、光里が今、困った状況に陥っているという。


「アタシのことをあれこれ喋るのが悪いのよ! いい気味だわ! 少しは困ればいいのよ!」


「川原さま。そのようなお気持ちで相手を不利な状況に陥れる行為こそ、復讐に当たるのです」


 そして、それが現世に生きる人々に危害を加える行為にも値するといった。


「それから……幸いにも未遂に終わりましたが……酒井さまには危害を加えようとなさった……」


 ギクリとする。

 こっちに連れてこようとしたのが、バレている。


「ですから、緊急措置として、期限前ではありましたが、この『黒の間』へお戻りいただきました」


 オサナイはまた、恭しく頭をさげる。


「だからって! まだ期限じゃないのにヒドイわ!」


「――ルールを破られたかたに、旅を続けさせるほど寛容ではないようでして」


 頭をあげたオサナイの笑顔は、さっきまでと違って妙に威圧感のある邪な表情にみえた。


「だったらもういいわよ! 白の間へ戻るからっ! サキカワを呼んでちょうだい!」


 妙な雰囲気の怖さと、結局は輝のところへたどり着けず、連れてもこれなかった苛立ちで、アタシは強く地団駄を踏んでそう叫んだ。

 ククッとオサナイが含み笑いを漏らし、それがさらにアタシを苛立たせる。


「なにがおかしいのよ! 笑ってないでさっさとサキカワを呼びなさいよ!」


「いえ……あんなルール違反を犯しておきながら、通常のルートで進めるはずがないでしょう?」


「なんですって?」


「ですから『大変なことになる』と申し上げていたはずです」


 そうだった。

 大変なことってなんだっていうの?


「川原さまにおきましては、もう『白の間』からの旅立ちはできません。『赤の間』から旅立たれることも可能でしたが……」


「赤の間ってなによ?」


 アタシの問いかけを、オサナイは無視したまま話を続けていく。


「それさえも、ご自身の手で手放されてしまいました。ですから、旅立ちはこの『黒の間』からとなるのですが……」


 もったいぶった言いかたをするヤツね!

 とはいえ、赤の間だの黒の間だの、なんだっていうのよ?

 なにが違うっていうの?


「どこだろうと、もうどうでもいいわ! さっさと案内しなさいよ! どこへでも行ってやろうじゃないの!」


「それはなによりで……ですが、この『黒の間』からの旅立ちは、ほかの部屋とは違っております」


 真っ暗な部屋の中を、アタシは手を伸ばして歩き回り、壁らしき場所に手をついた。

 そのままドアノブを探す。


「違う? そんなのも、もうどうでもいいわよ! それよりドアはどこ? 出ていってやるからドアの場所を教えなさいよ!」


「そんなものは、ございません」


「――ない?」


 アタシはオサナイを振り返った。

 オサナイはアタシに向いたまま、笑顔で足もとを指さしている。


――ガクン――


 突然、足もとが崩れ、真っ黒な中をアタシはどこかに落ちた。

 落ちながら、響いてくるオサナイの声を聞いた。


「ただ――落ちるだけでございます」


「どこへ――!」


「それはもちろん――『地獄』でございます」


 そんな馬鹿な。

 なんだってアタシが地獄に落ちなきゃいけないのよ!

 アタシは被害者なのよ!?


 手が空をかく。

 耳に届くのは、笑いを含んだオサナイの言葉だ。


「ですから、ご注意申し上げたはずでございます。大変なことになる、と――」


 アタシの耳には、真っ暗な中で響く、アタシ自身の悲鳴しか聞こえなかった。


川原 茉莉萌かわはら まりも 27歳 女 契約社員 黒の間より落下】

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